023 ヒューの正体
キャロルが店の中に入ると、ヒューは何の遠慮もなくズカズカとカウンターの方に進んでいた。
「おい、ヘルマン!」
ヒューは、カウンターの中で開店準備をしていたであろう居酒屋レストの店主に声をかける。キャロルは、なぜ店主の名前を知っているのか分からずに驚いた顔だ。
「あ? ヒューじゃないか。何かあったのか?」
店主のヘルマンには見知った顔だったのか、ごく普通に受け答えをしている。
「何かあったかじゃないだろうが。本当にこの女をこの店で雇ったのか?」
ヒューは、キャロルの顔も見ずにヘルマンに疑問をぶつけている。その言いように、キャロルはイラっとする。
(この人に、この女呼ばわりされる意味がわからない。)
「ちょっと!」
「この女って、キャロルのことか? 何? お前ら知り合いなの?」
キャロルが、ヒューに文句を言ってやろうとしたのを遮ってヘルマンがあっけらかんと尋ねてくる。
「知り合いなの? じゃねーよ。お前、わかって雇ったのか?」
「は? 意味わからないのはお前なんだけど?」
ヘルマンは、ヒューの言いたいことが全くわかっていないようで二人の会話がかみ合っていない。
「はぁー。まじかよ……」
ヒューは、大きな溜息をはいてお手上げ状態だ。
「ちょっと、一体さっきからなんなの? ヘルマンさんにも失礼だし、私をこの女呼ばわりするのやめてくれる?」
キャロルは、ヒューに対して激しく抗議する。
「お前、何が目的でこの店で働きたいとか言ってんだよ?」
「だから、普通にお金が必要なんだって言っているじゃない」
「本当にお金が目的なのかよ? 何か企んでいるじゃないだろーな?」
ヒューが、訳も分からずに疑いの目をキャロルに向けて来る。確かに、キャロルとしてはこの店でお金を稼ぐ以外にもやろうとしていることはあった。
だけど、それは自分の中で決めているだけのことで誰にも話したことはない。ヒューが知るはずもないのに、なぜここまで疑惑の目を向けられるのか――――。
そこで、キャロルはハッとする。ヒューが、カロリーナである自分を知っているのかも知れないということ。
「どうしてそんなこと言うのよ? 私を何だと思っているの?」
キャロルは、動揺してしまい声を荒げた。ヒューは、何かを言おうとしたが押しとどまる。
「おいおい。二人ともどーしたんだよ? 面倒に巻き込まれるのは勘弁して欲しいんだが?」
ヘルマンは、心底面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだと言うそぶりを見せる。
「違います。私は、純粋に働いてお金を稼ぎたいだけです」
キャロルは、必死にヘルマンに説明する。ヘルマンもヒューの態度を疑問に思うのか、首をひねっている。
「おい、ヒュー。何かあるのなら説明してもらわないと、俺だってわからないんだが?」
ヒューは、何かを迷っているようだった。
「わかった。邪魔したな」
一瞬の逡巡の末、ヒューはそれだけ言うと踵を返して店を出て行ってしまった。
「なんなんだ? あいつは……? キャロルとヒューが知り合いだとは驚きだな。どういう知り合いなんだ?」
ヘルマンは、店を出て行ったヒューを引き留めもせず受け入れている。こんな尊大な態度もいつものことのようだ。
「知り合いというか、お世話になっている食堂の常連客で顔見知りなだけです」
「そうなのか? あいつは、キャロルのことよく知っている風だったが」
「わかりません……。私もびっくりしているくらいなので」
表面には出していなかったが、キャロルの心臓はバクバク音を立てている。今まで、平民であろうヒューが自分のことを把握しているなんて考えたこともなかった。
その可能性が出てきたことで、もしかしたら自分は監視されているのかも知れないという畏怖に駆られる。むしろなぜ、今までその可能性を考えていなかったのか……。今はまだ、頭が混乱していて考えがまとまらない。とにかく、開店準備をしなければと、昨日ヘルマンから手渡されたエプロンを置いた場所に足を運んだ。
キャロルは、動揺する心を何とか落ち着かせようと手を動かす。布巾でテーブル席を無心で拭いていく。そんなキャロルを心配してヘルマンが声を掛けてきた。
「キャロル、大丈夫か? 何かあるならさっさと言っちまった方が楽だぞ?」
キャロルは、手を止めてヘルマンを見る。一瞬、すべてを話せたら楽になると思ったが寸でのところで踏みとどまる。ここで、全てを話してしまったら自分がやろうとしていることを止められてしまうかもしれない。そうなったら、王太子妃への道が閉ざされてしまう。今、キャロルが持っている手札は少ない。それを削るようなことはできなかった。
「いえ、大丈夫です。ヒューが一体何を言いたかったのか気になってしまっただけです。すみません、仕事に集中します」
キャロルは、自分の目的を思い出して冷静な心が戻ってきた。
(そうだ、私はこんなところでうろたえる訳にはいかない。絶対に、今の地位からララを引きずり下ろすんだ!)
そして昨日と同じように、パラパラとお客さんが入りだす。昨日の今日なので、来店するお客さんはまだキャロルのことを知らない人ばかりで、興味津々な目で見られる。
気さくなお客さんは、にらみを利かすヘルマンを無視してキャロルに話かけてくる。
「おい、ねーちゃん。せっかく綺麗な顔なのに、その傷はどうしたんだよ?」
キャロルは、自分の頬に手を当てて物憂げな顔をする。
「王宮でメイドをしていた時にちょっと……」
キャロルは、意味ありげな言葉を零す。
「王宮でメイドをしていた奴が、なんでこんなしけた店で働いているんだよ?」
「おい、しけた店で悪かったな!」
ヘルマンが、客の言葉を聞いて腹を立てたのかイライラした口調で言った。
「あっ、嫌、そういうことじゃなくて……」
客の方も、しまったと思ったようで頭をかいている。雰囲気を悪くしたことを察した客は、もうそれ以上キャロルを言及することはなかった。
だけど、周りにいた客たちに「王宮」「メイド」と言った言葉が深く印象に残る。この時は、これ以上のやりとりはなかったがこれを皮切りに少しずつキャロルに話かけてくる客が増えたことは確かだった。
とても自然な形で客たちに、キャロルの過去に興味を持ってもらうことができ彼女はにやりと心の中でほくそ笑んだ。





