019 こっそり抜け出す
イライザの元から帰る途中で、以前ヒューに教えて貰った古着屋に寄った。明日から、居酒屋レストで働く為の洋服を買おうと思ったのだ。行き帰りに着るマントは絶対に必須だ。
お店の中に入ると、今日は休日だからかこの前よりもお客さんが沢山いる。どちらかと言うと、女性客の方が多いが恋人同士で来ている人もいる。
女の子が、彼氏に服を選んでもらっているのが目に入る。とても幸せそうで微笑ましい。
キャロルは、第一王子ディルクと子爵令嬢ララに報復を誓っている。やられっぱなしでは気が済まない、カロリーナの気持ちに報いるのが目的だ。
彼らを今いる立場から引きずり降ろそうとしているのだから、キャロルが王太子妃の座に返り咲くためには自分の伴侶はもう決まっている。
この国の王子との結婚でしか王太子妃になることはできないのだから、ディルクでなければあとは第二王子のアルベルトしかいない。
キャロルは、自分の右頬に手を添える。この容赦のない傷を作った当人だ。自分はそんな人を王太子の座に就かせて、その隣に収まろうとしている。
店の中で楽しそうにしている恋人を横目に、あんな風に楽しそうな恋人にはなれないだろうとどこか他人事だ。アルベルトと夫婦になろうとしているけれど、夫婦になった時の将来像が思い浮かばない。彼がどんな人間なのか知らないのだから、それも仕方がない。キャロルは彼に何も期待をしていない。
アルベルトと夫婦になるのは、国のトップの座になるための手段でしかない。愛とか恋なんて、今のところは期待していないし自分でもよくわからない。そもそも、アルベルトがこの国の王になりたいかどうかもわからない。でもアルベルトの意思なんて関係なく、キャロルのために王になって欲しいそれだけ。
完全なキャロルの我儘だが、アルベルトがそうなった時にどんな反応をするのか興味はあるがきっと楽しい結果にはならないだろう。
普通の女性なら、自分の顔にこんな傷を作った人になんて会いたいとも思わない。だけど、キャロルは不思議とアルベルトに怒りの感情はなかった。
あの時は、あれがキャロルの命が繋がるギリギリだった。ディルクから見たら、処刑されるよりも酷い仕打ちを受けたと思わせる内容だ。
カロリーナの自慢の美貌を傷つけて、言葉通り身一つで貴族社会から捨てられたのだから。本当だったら、そんなことをされた侯爵令嬢が生きていける訳なんてない。
前世の記憶を取り戻したキャロルだったからこそ、今でもこんなに元気に生活している。しかも、どん底から這い上がってもう一度あの場所に返り咲こうという勢いだ。
キャロルが今回、居酒屋で働く理由はお金の為だけではない。これは、ディルクとララを引きずり下ろす計画の始まりなのだ。
キャロルは、拳を握って決意を込める。明日からが、本当の始まりだから――。
古着屋で恋人同士を見ていたら、自分に置き換えて考えていた。微笑ましい恋人たちに少しの羨ましさを覚えるが、そんな思考を跳ね除ける。
早く服を買ってお店に帰ろうと気持ちを切り替えて、キャロルは素早く洋服を選び始める。洋服は、できるだけ地味なワンピースを選んだ。
マントも、フードの付いた黒いシンプルなものを見つけた。これを頭からかぶっていれば、夜道も目立つことはないだろう。
古着屋で買い物を終えたキャロルは、急いでサティオに戻る。途中、古着屋に寄り道してしまったがそれを抜くと恐らくサティオからレストまでは歩いて二十分くらい。サティオで女将さんたちと夕食を食べてから、店を出てレストに向かっても余裕の時間だ。
問題は、女将さんや旦那さんの存在だった。うーんとキャロルは迷う。夜も働くことを正直に話すか、秘密にするか……。できれば、当初の予定通り心配するだろうし言いたくない。
女将さんたちは、夕食を食べた後は干渉することなくそれぞれの時間を過ごす。朝が早いので、彼らは割と早い時間に寝てしまう。こっそりと店を抜ければ、大丈夫かもしれない。見つかるまでは、内緒で働こうと決めた。
サティオに戻って来たキャロルは、早速女将さんと旦那さんに買って来た蝋燭を渡す。
「女将さん、旦那さん、いつもありがとうございます。これ、お土産です」
キャロルは、ラベンダーとレモンの蝋燭を紙袋から出して渡した。二人は、蝋燭を見て不思議そうな顔をしている。なんで只の蝋燭がお土産なのかわからなかったのだろう。
「これ、只の蝋燭じゃないんです。火を付けるとラベンダーとレモンの香りがするんですよ。それぞれ、ラベンダーは安眠、レモンは集中力の向上っていう効能があるんです」
キャロルは、誇らしげに二人に話して聞かせる。とても安くていい買い物をしたと思っているから自慢したい気分なのだ。
「へー。蝋燭の香りを楽しむのかい。洒落てるねー」
女将さんは、しきりに感心している。
「蝋燭ってのは、灯りの役目だけじゃないのかい?」
旦那さんは、まだよくわかっていないようで訝しんでいる。
「貴族様は、灯りだけじゃなくて嗜好品として香りを楽しんだりするみたいです。これ、とっても安くて偶にはこういうのもいいかと思って買ってみました」
キャロルは、ニコニコして説明する。
「そうなのかい。貴族様が……。こんな爺さんに、洒落たプレゼントをありがとうよ」
旦那さんが、目じりに皺を寄せて笑顔を溢した。旦那さんの笑顔を始めて見たかもしれない。キャロルは、嬉しくて胸に温かい感情が流れ込む。
「早速、今日の夜にでも付けてみるよ。ありがとうね」
女将さんも、蝋燭を見て喜んでいる。もしかしたら、馴染みのない物で不要だったかもしれないけれど二人とも喜んでくれたから良かった。
こんな物で、二人にお世話になっているお返しができたと思った訳ではないが、少しでも笑顔が見られて嬉しい。後は、今度ヒューとビルが来たら渡そう。
次の日、カロリーナはいつもと同じように女将さんと旦那さんの作った夕飯を食べる。今日もとても美味しい夕飯だ。食事を食べながら、女将さんに褒められた。
「キャロルの評判が良いから、最近店の売上が二割増しだよ」
女将さんは、とても嬉しそうに弾けるような笑顔で話す。キャロルも、それは良かったと嬉しい。自分の頑張りが金額として跳ね返っていることに、喜びを感じる。
この店の役に立てて、本当に良かったとホッとする。
「良かったです。最初の頃は、お客さんの顔を覚えるので精一杯だったんですけど……。最近は、だいぶ顔と名前が一致するようになってきました」
キャロルは、ふわふわのパンを取りながら女将さんの話に答える。
「本当に、よく働いてくれて助かるよ。こんなにいい人が来てくれるなんて思ってなかったからびっくりしているんだよ」
女将さんが、しみじみ言う。旦那さんが横で、うんうんと頷いている。
「嬉しいです。これからも頑張りますね」
キャロルは、花が咲いたみたいに明るい笑顔で返事をした。この店に来てからまだ数カ月だけど、最初からここで働いていたみたいに馴染んでしまった。
ここを去らなければいけない時がくるのだが、それを考えると寂しい。もし王宮に戻ることがあっても、たまに来られないだろうか? そんなことを考えてしまう。
でもカロリーナだったら、自分の欲望に忠実なはず。だからきっと、可能にするだろうと心の中で笑う。この場所が、自分にとってホッとできる場所になっているのだと胸に温かい感情が流れてきた。





