プロローグ 月夜の来客
―――もうすでに半壊している小さなあばら家の中には、血濡れで床に沈んだ黒髪の娼婦と、割れた花瓶に、引き裂かれたカーテン、お世辞にも質の良いとは言えないようなドレスが転がっている。
その娼婦は血溜まりの中で生気を失った顔をして横たわっているが、真っ赤な円の中に沈む黒髪が綺麗に映えて死という存在が酷く美しく感じる。
もう命を灯していない身体だからか…美貌が陰り、その首を誇らしげに飾っていたはずの小さな真珠も血に濡れ寂しげに輝く。激しく何かに抵抗したのだろう、良く手入れをされていた白い肌は切り傷と青あざに隠れ、もとの美しさを完全に汚し、ほのかに香る香水も、血の匂いとともに空気に消えていく。
唯一、小さな窓から漏れてくる月の光が、娼婦の金の瞳とその近くに転がった一輪の花を照らし、この凄惨な現場を神秘的に仕立て上げている。
やがて、月の光が一瞬途切れ、窓から影が入ってきた。
影はコツコツとブーツの音を鳴らし、部屋の中心にある娼婦の死体へと歩きながら、羽織っていたローブのフードを外し、銀髪と類まれなる美貌を顕にさせる。
「――か、カレラ…?」
その銀髪の男は、娼婦の頬を撫でるように親指をあて顔に付いた血を拭い取ると、絶望したように下を向き、歯を食いしばりながらそっと娼婦を抱き上げる。
「カレラ…俺は間に合わなかったのか…?」
比較的綺麗なベッドの上に優しく横たえて、開かれている瞳をそっと閉ざした後、愛おしげに娼婦の手を握り涙を流す。
「嗚呼、すまないカレラ…君を守れなかった。…あの方の忠告通りに動いていれば…こんな結果にはならなかったのだろうか?」
「次は必ず奴らより先に君を見つけるからッ、だからどうかもう一度!
…俺を恨んでくれたって良いんだ、君のためなら世界だって、神だって敵に回そう」
男は腰に下げていたダガーを手に取り、鞘から刃を抜く。
「いつか…もう一度チャンスをくれるのなら、君の側に居たいんだ。
――愛だなんて、不確かなものは誓わない。ただ君には不滅の忠誠と、永久の力を捧げるから。例え炎に肉が焼かれ、骨が灰となり、魂だけの存在になろうと…貴女のことを守り続けるから。」
刃を自らに向け、首に当てる。
「だから、だからどうか…」
最後の願いが言葉になることはなく、グサッと首を刺され飛び散る血と、ドサッと身体から力が抜け倒れる音とともに、
部屋には沈黙が広がり、二つの不幸な遺体が転がる。
しかし、その数瞬後…天から降ってきた謎の青白い光が数分間部屋の中を舞ったあとには、
まるで最初から悲劇などなかったかのように部屋から全てが消えていた。