拾った子供がどうやら×××で
「どうしよう……」
久しぶりに森に出たら赤ん坊を見つけてしまった。もしかしなくても捨て子だろう。木の根元ですやすやと眠る男の子だ。
見つけてしまったからには見捨てる事はできない。前の世界では保育士だったし、育てられるだろうか。
私は『魔女』だ。ある日、異世界からこちらの世界にやってきた。もちろん魔法なんて使えない。けれど現代の知識は、それを持っているだけで異端だった。
私は町を追われ、森にすむという『魔女』の老婆の元を訪ね、弟子入りを頼み込んだ。魔女は偏屈だったけれど、私を受け入れてくれた。
こうして、私は二代目の魔女になった。
「ただいま~。ぼく、ここが今日からあなたのお家ですよ」
帰宅の挨拶をしても、応えは返ってこない。先代魔女は既に亡くなったからだ。窓から見える、先代の好きだった木の下に埋めた。
うー、あー、と言いながら、男の子が下に下りたそうに手足をじたばたさせた。新しい家を探検したいのだろうか。
「名前を決めたわ。あなたはアルト。古い約束よ」
その時、赤子の瞳がきらりと光った気がした。
「かあさま!かあさま!今日のごはんは何!?」
アルトが抱きついて来て跳び跳ねる。日に透けて紫紺につやめく黒髪を撫でてやると、アルトは橙色の目を細めて笑った。
アルトは、先代魔女を亡くした私の心を暖めてくれた。
最初、排泄を全くしないので心配したり、食事も幼児にしてはものすごい量を食べたがったり、かと言えば全くと言っていいほど食べなくなったりと、どうやら普通の人間ではない事が分かったが、それでもアルトは可愛かった。
この世界には、元の世界とは異なり魔法や魔物が存在している。きっとこの子も、妖精の取り替え子や半魔半妖などの『混ざりもの』なのだろう。
ある日、アルトが熱を出した。子供が熱を出す事は珍しくないため、最初は心配こそすれ、さほど気にしていなかった。
しかしもう四日も熱が下がらず、三日目からは意識が戻らなくなった。手持ちの熱冷ましも飲ませたが利かない。
「……待っててアルト。お母さんが必ず助けるからね」
私は、町に医者を呼びに行く事にした。今から行けば、夕方までには返ってこれる。
最後にアルトの頭を撫で、私は家を出た。
「お願いします!お金は払います、子供を診て下さい!」
「あんた魔女なんだろう?自分の魔法で治してやったらどうだい」
にべもなく追い払われ、目の前でバタンと扉を閉められる。これでこの町の医者全てに断られてしまい、悔しさに歯噛みする。
途方にくれていると、背後から酒臭い息を吐きかけられた。
「よう魔女さんよぉ、あんたなかなか良い体してるじゃねぇか」
「俺らとちょーっと遊んでくれるんなら、医者を紹介してやるぜぇ」
酔っぱらいが三人。嫌な予感しかしない。腕を捕まれそうになり、思わず振り払って駆け出す。
「おい待ちやがれ!!」
「逃げんなクソアマが!!」
口汚く唾を飛ばしながら、男たちが怒鳴る。恐怖に足をもつれさせながら必死に走るが、暗くなってきた路地の段差に足をとられた。
「―――っ!?」
転ぶ、と、したたかに体を打ち付ける事を予想したのに、いつまでたっても衝撃がこない。
ふわりと小さな手が体を支え、地面にゆっくりと下ろした。橙色の瞳が、三つ、こちらを優しく見ている。
「―――おい。そこの薄汚いお前ら」
よく知っているはずの幼い声が、底冷えのするほど恐ろしい威圧を持って放たれる。
「特にお前。母上に向かって何と言った?
―――クソアマと言ったか?」
異様な雰囲気と、爛々と光る三つの目に、男どもが思わず後ずさる。
指定された男の足が浮いた。ヒッと喉が鳴り、首を押さえて空中でもがく。
「母上を害そうとするなど、千回殺してもまだ足りない」
逃げ出そうとする残りの二人も空中に捕らえられ、喉や口を押さえて必死に暴れるが、見えない軛からは逃れられない。
「母上。遅くなってごめんなさい。俺のためにこんなところまで来てくれたんだよね?俺はもう大丈夫だよ。ありがとう」
小さな手が、私の頬に添えられる。アルトは少し照れたように、にっこり笑った。
「あ……アルト!あの人たちを離してあげて!」
「どうして?」
「……どうしてって、」
「あいつらは母上にひどいことをしようとした。だから殺していいでしょ?」
「だめよ、アルト!」
「どうして?」
アルトは戸惑った目をしていた。私はアルトを抱きしめた。
「私は、アルトに人殺しをしてほしくないの。こんなやつらのために、アルトが手を汚してやる必要なんかない」
でも、とアルトは言った。けれどさらにぎゅっと抱きしめると、やがてしおしおと折れる気配がした。
「……わかった。母上がそう言うなら……」
べしゃ、と音がして、男どもが地に落ちた。慌てて立ち上がり、ほうほうの態で逃げていく。
「帰ろう、母上」
私に向かって伸ばされたアルトの手を、私は握り返した。
その後、アルトが熱を出す事はなかった。アルトは満月を経るたび成長し、半年で十七歳ほどの姿になった。
いつも、満月の前の日は不安そうだった。急に成長する自分が恐ろしくないかと……気味が悪くないかと、問いかけられたこともある。
恐ろしいわけも、気味が悪いわけもなかった。アルトが何者であれ、私の大切な子供なのだから。
魔女が魔物を飼っていると噂され、薬草やハーブ酒が売れなくなっても、アルトが鹿や猪を獲ってきてくれた。
服が破れても、道具が壊れても、全てアルトが直してくれた。
けれど、私の病気だけは、どうしようもなかった。
無理やり連れてこられたらしき医者が、震えながら私を診察した。次に私が目覚めた時、アルトの姿はなかった。
誰も、アルトを覚えていなかった。
元通り薬草やハーブ酒が売れるようになった。何もかも、初めからアルトなど居なかったかのように、日常が戻った。
先代を亡くし、他に身寄りもおらず、孤独で空っぽだった──元の日常に。
三年が経ったある日、どんどんどんと乱暴にドアを叩く音で起こされた。
「お前が森の魔女だな。異端審問官だ。お前を連行する」
―――魔女狩り。そう分かった時には、既に騎士たちに押さえつけられ、引き摺られるように縄をかけられていた。
「離して!私はここに居ないといけないの!あの子が、アルトがいつ帰ってきても良いように、私はここに居ないと駄目なの!!」
黙れ、と振り上げられた手が、私を打つことはなかった。
日に透けて紫紺につやめく髪が風にたなびくのを、橙色の三つの瞳がこちらを優しく見下ろすのを、―――そして、その腕が私を抱えて空に浮かんでいるのを、私はただ驚きとともに見つめるしかなかった。
「……アルト?」
「はい、母上」
ばさり、と、髪と同じ色をした翼がはためき、私たちは屋根の上に下りた。と言っても、私はアルトに抱えられたままだ。アルトはまた成長していた。二十代後半ほどに見えるが、外見年齢だけなら私を追い越したのではないだろうか。
「母上、もう人間の世界は母上が住むには相応しくない。俺と一緒に、魔界で暮らそう」
「魔界……?」
自分自身と先代を、悪しき魔女として迫害し続けたこんな世界に未練など無かった。アルトとまた暮らせる。そのことがただ嬉しかったが、魔界という場所で暮らしていけるかは不安だった。
「俺が母上を守るから、心配いらないよ。慣れた住み処が良ければ、この家ごとあっちに持っていこう」
「えっ、そんなことできるの!?」
アルトは笑って頷くと、
「ーー・ーー」
聞き取れない言葉で何かを呼んだ。すぐそばの空間がぱかりと割れ、中の闇が応える。
『―――御前に』
下の異端審問官たちを一瞥し、アルトが冷たく命じる。
「あの人間たちにお帰りいただけ。転移に支障ない程度の距離まででいい」
『―――御意』
「……アルト」
「大丈夫、殺しはしないよ。ちょっと離れてもらうだけ」
一人、また一人と異端審問官たちが消えていく。それを見つめる私を、アルトは抱きしめた。
「母上、俺と一緒に魔界へ来てくれるよね?」
……うん、と頷いた瞬間、アルトの三つの瞳が妖しく輝いた。
「母上の生活には一辺の不備も無いように整えろ。母上が欲しがる物は何であれ用意しろ。必ずだ」
『―――は。全て良きように取り計らっております』
「早くこちらの生活に慣れてもらわなければ……。もう母上の病気も俺が治せる。ゆくゆくは俺の子を母上に産んで欲しいが、まあ焦るつもりはない。不老の秘薬は妖精族から手に入れたしな」
『して、人間どもはどう致しますか―――魔王様』
クッ、と喉の奥で笑う気配が、その場の空気を一段と冷酷にする。
「見逃してやる訳がないだろう?殲滅しろ。母上を害する存在など、生きている価値が無い」
腕に抱えた、眠る大事な大事な『母上』の髪に口づけ、三つの橙色がうっそりと笑った。
アルトは酔っぱらい三人も後で殺してますし、異端審問官たちももちろん殺します。
アルトは「魔王でありながら人間を母上と呼ぶなんて」とかほざいた魔族も全員殺していますし、それのおかげで主人公を害そうとするものは魔界に一体もいません。