40.何一つ変わってないわけじゃない。
長い夏期休暇も終わり、いつも通りの学校が始まっていた。
暑い真夏を避けるための休暇だが、休暇を終えた今も太陽は力強く、まだまだ暑い日が続く。
その中での剣の授業は、思いのほか体力を奪われるのだ。
「……は!」
カーティスが剣を振る先には、クラウスが構えていた。
実力の高い二人はよく組まされていたが、この日もまたカーティスの対戦相手はクラウスだった。
暑いからか、それともフランツに鍛えられたからか。
これまで通りにあっさりと勝敗が付くことはなく、長引く対戦に負けたのは、カーティスだった。
「……っ参りました」
「はあ、ありがとうございました!」
「ありがとう、ございました」
負けを認める発言と対戦相手への礼を終えると、次の生徒へと場所を明け渡した。
周りではちらちらと様子を窺う者、にやりと笑う者、驚いた顔をする者と、反応は様々だった。
カーティスは訓練場の壁へと寄りかかる。
「カーティス! お前から『参りました』を聞ける日がくるとは思わなかったなあ!」
「あー、はいはい。一度勝ったくらいで誇らしげにしないでほしいんだけど」
カーティスの隣に並ぶクラウスに、軽く睨みを利かせた。
おどけたようにクラウスは笑うから、こんな扱いもできるのだ。
「やっぱりフランツ様に鍛えられたことはある! お前が、フランツ様に剣を習っていたことがよくわかるようになった」
「……剣が、似てる?」
「ああ! 似てるな。フランツ様がいなくてもお前と闘っていれば少し思い出せるような気もする」
「……よかったね」
嬉しそうなクラウスはさらっと流して、カーティスは下を向いた。
首筋から汗が落ちる。
久しぶりの運動量に、身体がまだ慣れていないようだ。
カーティスは、ロイモンドとペンのやり取りのすえ、早い夏期休暇を取得させられていた。
それは、次期辺境伯となる意思確認と勉強のためだった。
辺境伯以外の未来も選べるようにというロイモンドの気配りから、これまでカーティスは辺境伯となるための勉強をしていなかったのだ。
他の生徒よりも長い夏期休暇の間に、辺境伯になると意志を示したカーティスはそのために必要なことをみっちりと覚えさせられた。
気分転換に多少剣も振ってはいたけれど、大概を机の前で過ごすことが多かった。だから、クラウスにも初めて負けてしまったのかもしれない。
一瞬悔しそうに眉間にしわを寄せたが、すぐに直した。
そして、一通り習ったカーティスは、休暇明けとともに、学校へ戻ってきた。それからは、多少家からの宿題が増えたものの、いつも通りの生活に戻っている。
「まあ、まだお前もなまってるのかもな? でも一勝は一勝だぞ」
「あーはいはい」
実際、クラウスの腕は上がっていた。
身体がなまっているというのはカーティスの言い訳である。
たとえ万全の状態だったとしても、必ず勝てる、とはもう言えない。
フランツはよほどクラウスのことを気に入ったようだ。真剣に教えたのだろうと想像できる。
汗を拭いながら、授業終了の鐘を聞き、そのまま昼休憩へと突入する。
きっちりと制服を着こんでいないカーティスらにはあいかわらずの視線が集まっている。
クラウスは小さく耳打ちした。
「あーあ。あんなに熱っぽい視線浴びちゃって。マリーが見たらどう思うかな」
「うるさいな。お前と違って、僕はこの状況、嬉しくないんだ。そう言うならお前が相手してくれればいいだろ」
「やだよ。俺は、俺に向けられた視線には喜んで対応するけど、お前に向けられた視線にまで構ってられないさ」
「……? 前なら、『全ての女性の視線は俺のものだから』くらい言ってたのに」
「それは前の話。今はほら、お前とマリーを見守るのが楽しいからさ」
二人の障害となりそうなものを敢えて取り除くなんてことはしないんだ、というなんとも性格の悪いクラウスである。
「卒業パーティーまでに、マリーを口説くんだって? 大丈夫?」
「……大丈夫かはわからないけど、やるしかないんだ」
「そうなんだけど、な?」
また何か変な方向に頑張り始めるのではないかとクラウスは気が気でなかった。
一見完璧に見えるカーティスがどこか抜けているというのは、ずっと一緒に過ごしてきたクラウスがよくわかっている。
そしてそれは、上辺だけに囚われず、きちんとカーティスと向き合った人間であれば、気づくことなのだ。
だからアイリーンもミアも、たぶんマリーもまた、気づいているはずだ。
「しかし学校が始まったというのに、マリーとの関係は、何一つ、変わっていないだろ? しかも休暇まで共にしたってのに」
クラウスには考えられない話である。
たしかにカーティスは勉強と仕事とに忙しく、マリーも勝手に滞在していた立場だったとはいえ、だ。
もう少し、何かあってもよかったのではないかと思うのだ。
「何一つ変わってないわけじゃない。ちゃんと僕は彼女に好きだと伝えたし、婚約を申し込む約束もした」
「……それがなあ……なんで婚約を申し込んだ、じゃなく、申し込む約束をした、になるのか俺にはさっぱりわからない」
やれやれとクラウスは額に手を当てる。
それに心底不思議そうにカーティスは首を傾げるのだ。
「嫌いな人間から婚約を申し込まれたところで断られるだろう? だから、少しでも僕を知ってもらって、それから申し込んだほうがいい」
「そこがなあ……」
ぎらぎらと光る太陽からの日差しを避けるように手で日差しを作り、クラウスは遠くを見る。
思い浮かぶのはマリーの態度と、カーティスの頑固さだ。
素っ気なさと無表情で隠しているつもりかもしれないが、マリーは絶対にカーティスのことを気になっているとクラウスは考えている。
そしてそれはアイリーンにもそれとなく確認済みであった。アイリーンは核心には触れなかったものの、自分の考えが正しいとクラウスは確信していた。
だからといって、それをそのままカーティスに伝えたところで、信じてくれないのが彼なのだ。
クラウスの視界に入る空は透き通るほどの青で、考えることが馬鹿らしくなるほどだ。
「…………ま、お前の好きなようにやればいいさ」
そしてクラウスは手助けを放棄する。
心の中では、両想いの二人なのだ。ただただちぐはぐな二人を観察するのも楽しいか、とクラウスは何も言わない。
カーティスもまた、何か言いたげなクラウスに気づくことはない。
「まずは学校内で話しかけても大丈夫な状況にするしかないな」
「ん、がんばれ」
カーティスの頭の中がどうなっているのか気になるような、でも知ってはいけないような、そんな気分にクラウスはなった。
「今日もマリーのところへ?」
「ああ、少しでも会いに行かないと約束も忘れられてしまうかもしれないから」
「ランチでも誘ってみれば」
「……いつも誘ってる」
「あー……俺らも一緒に、人目に付かない談話室で、とかは」
「! いいな、それは」
間抜けな返事にクラウスは苦笑し、カーティスは嬉々としてマリーを誘いに行った。
そんな、大した事件もなく、平和な日常の中。
それはやってきたのだ。




