動き始めた世界
「ドロシー様の身に何かありましたか?」
オーウェンが聞くと、ヴィルヘルムは軽く頷いて言った。
「正確には、これから起ころうとしていることだ。ブルイン王国より、本日ドロシーとブルート殿の息子が婚約するという報せが来た」
「…ブルート様の御子息は、確か既に正妻をお持ちでは?」
「あぁ、その正妻を側室にした上でという事だ。だが、問題はそこではない。この息子が先のクーデターに関わっている旨の連絡を最後に、ブルイン王国へ放っていた間者の1人が消息を絶っている。『血盟の紙』が残っていることから、死んでは居ないようだがな」
〜〜〜「血盟の紙」とは呪具の1つである。魔力を一定量持つ者であれば、杖や剣に直接魔石を組み込んだ魔道具が使用出来る。しかし、使える魔法の種類が乏しく魔力量も少ない黒髪のエルフなどは、それらの魔道具は扱えない。諜報活動には身体能力の高い彼らほど適任な者は居ないが、彼らには身体強化を常にかけ続ける魔力が無かったため活動の範囲が狭まっていた。そんな彼らのために作られたのが「血盟の紙」である。「血盟の紙」は魔血石のかけらを利用して作られており、使用者が自身の血で誓約文を記載すると元となった魔血石の魔力を直接利用することができる。しかし、そもそも魔力量の少ない黒髪のエルフには呪具の発動が出来ない。そこで、国お抱えクラスの魔術士達が代わりに膨大な魔力を吹き込むことで「血盟の紙」を発動させるのである。一度発動すれば、使用者は魔血石に含まれる魔力を操れるようになるが、当然他にも条件がある。まず、使用者は魔血石に含まれる魔力を利用するために代償を記載しなければならない。代償の内容で利用出来る魔力量は変化し、最も効率が良いのは「自身の命」である。そして、誓約内容が反故にされた場合には、魔血石に代償が支払われるのだが、その際に「血盟の紙」は激しく炎を出して燃え尽きてしまう。これは逆に言えば、間者が任務を続けてさえいれば「血盟の紙」は燃えないため、ヴィルヘルムがしたように間者の安否が判断出来るという訳である。〜〜〜
「何か決定的な情報を得たが、こちらに連絡を取る手段を絶たれた…という所でしょうか?」
「あぁ。そしてこのタイミングでの婚約発表…ヤツは尻尾を掴まれた事に薄々気づいて、自身の息子がドロシーと結婚して王族になる事で追求の手を逃れようとしているのだろう」
「なるほど、如何にヴィルヘルム様と言えど安易に他国の王族を裁くことはできないと」
「そういう事だ。それに、今発表すれば式典に向けて国境の警備を手厚くする言い訳にもなるだろうしな」
「…その実は、間者を国外に逃がさないため…ですか」
「あるいは間者を手引きする者が国内に入らないようにするためかもしれない。いずれにしても、式典まで事が進んでしまえば、最悪ドロシー王女の命も危うくなるだろう」
「王族になりさえすれば、ドロシー様はむしろ邪魔になるという事ですね」
「そういう事だ。これまでブルイン王国とのやり取りはほとんどがブルート殿を通していたため、ドロシー王女と直接の面識は無かったわけだが、オーウェンには叙勲式の時にドロシー王女と親しくなった縁がある。余が動けば不自然だが、其方ならドロシー王女に自然に近づける。ヤツの企みを止められるかもしれん」
「それで私にお話が来たのですね。…わかりました、謹んでお受けいたします。しかし、具体的にはどうすべきでしょうか?ドロシー様に経緯をお話した所で、ブルート様がこれまでブルイン王国に貢献してきた事実を捻じ曲げられる訳ではありませんでしょう」
「そうだな、こちらが何処まで把握しているのか知られるのもリスクがある。そこで、提案だが…」
そう言うと、ヴィルヘルムは咳払いをして言った。
「オーウェン、ドロシー王女と恋仲になり婚約を思いとどまらせて欲しい」
ーーーーーー
「つまり…アレですか。私に当て馬になれと」
オーウェンの額にじわりと汗が滲む。
「平たく言えばそうなる。案ずるな、クーデターの処断が済めばこれも計画の内であったと公表すれば良い。それに娘達が其方を好いている事も知っている、余も娘達に恨まれるのは嫌だからな」
「は、はあ…(ドロシー王女が傷つくとは考えないのだろうか)」
「それに、これは其方にとっても悪い話ではない。知っての通り、勲章1つでは王家と侯爵家の身分差は到底縮まらぬ。其方も公爵位を得られるほど、功績を積み重ねなければ釣り合わぬというものよ」
「…え?」
「…ん?シャル達に求婚したのではないのか?」
「…申し訳ありません、身に覚えがありませんが」
「高価な装飾品を贈った覚えも無いか?」
「…あ」
「いいか、オーウェン。自分より身分の高い者に高価な物を贈るという事は、『身分に差があっても一生、貴方に不自由な想いをさせません』という求婚を意味する」
「ですが…高価と言っても、イヤリングですし。値段も2人合わせて770万コルナ程度です」
「庶民の年収の倍近い値段だ、イヤリングなら十分高いであろう。それに今更知らなかったでは済ませられん、シャル達は大層喜んでおったのだから。娘を傷つけられれば…余も黙っておる訳にはいかん」
「…」
「そう思い詰めるな。シャル達は求婚などこれからたくさん受ける事になる。其方もその1人といった程度の話よ。ただスジは通せというだけ、何にせよ相手を選ぶ権利は彼女達にあるのだからな」
「そうでしたか、安心しました」
オーウェンの安堵の言葉を聞いて、少し不満そうにヴィルヘルムが言った。
「…まったく。その気が無いのなら贈り物などしなければよかっただろうに」
「いえ、シャル様達の事は心より想っています。ですが…」
「…何だ?」
「世間には、身分違いの者から求婚されるほどシャル様達が侮られているように映るのでは無いかと懸念したのです」
「…なるほどな。…やはりアウグストの息子、気が回りすぎて説明されないと誰も意図が読めない所までそっくりだ。だが先程も言ったように、求婚者などいくらでもいる。娘達に恥をかかせたくないと考えるのなら、一層努力し名を上げろ、オーウェン」
「はっ、身命を賭しましょう!それでは!」
そう言って場を去ろうとするオーウェンをヴィルヘルムが引き止める。
「待て、オーウェン。肝心の話がまだだ。どうやってブルイン王国に入るつもりだ?既に国境の警備は手厚くなっているはず、穏便に入国する方法も考えねばなるまい」
「そちらに関しては考えがあります」
「ほう、聞かせてもらおうか」
「ルクススの建築物には御影石や大理石が多く使用されていますが、ブルーノさんに尋ねた所ほとんどがブルイン王国より海路で仕入れたものと言っておりました。港にブルイン王国へ帰港する船もありましたし、それに乗り込み入国する予定です。元々連合国間では商談に関わる事であれば入国を制限されませんので」
「なるほど。たまたま旅行していたルクススから石材の商談に来たとなれば疑われにくくなるか。…いつ思い付いた?最初からブルイン王国へ行くつもりだったのか」
「地政学的に盲点になりやすい場所は、既にある程度当たりをつけています。如何に同盟を結ぼうとも、国が隣り合えば諍いが起こるのは常ですから。ヴィルヘルム様が直接こちらに来られたのも、セイレーンの報告を聞いてこの海路が利用できるか確認に来たのでは無いですか?」
「…ブルーノに何か聞いたのか?」
「いえ。ですが急ぎとは言え、ヴィルヘルム様が話をするためだけに足を運ばれるとは考えにくかったもので」
「そこまでわかっているのなら大丈夫そうだな。間者達はこの小さな笛で連絡を取り合っている、持っていくがよい。さぁ、急ぎ支度を整えてブルイン王国へ行くのだ、オーウェン」
「承知致しました」
オーウェンがヴィルヘルムから笛を受け取り部屋を出ていくと、ヴィルヘルムの側にはいつの間にかブルーノが立っていた。
「…聞いていた以上のキレ者ですね」
「あぁ…扱い方を間違えれば国が滅ぶほどにな。恐らくお主の事も何か勘付いていたと思うぞ、ブルーノ・ブルイン・フォン・フェルゼン。…本当に良いのか。甥だけでなく兄が関与している事がわかれば…」
「もとよりこの土地を預かったあの時から、私の忠誠は陛下にあります。それに兄も犯した罪があるのなら、裁かれる覚悟もありましょう。何より、長兄様の御子であるドロシー様を自身の野望の道具にしようとしたなら、最早同情の余地もありません」
「…すまないな、そのような事をお前の口から言わせて」
「陛下が心を痛めてくださった…それだけで十分で御座います」
ブルーノはそう言うと、オーウェンが出て行ったドアをしばらく見つめていた。




