リッチモンド兄妹
オーウェンが学院に戻って3カ月ほど経った頃、オーウェンの周辺を嗅ぎ回るある少女が居た。そう、あのドミニクの妹にしてリッチモンド家の娘、ベアトリス・リッチモンドである。
〜〜〜ドミニクが倒れたあの日、取り巻き達と共にベアトリスは急いで医務室へと向かった。
「お兄様、大丈夫ですの…って、うわ、すっごい鼻血…」
「…ビー(ベアトリスの略称)か。…どうして、ここに?」
「あの、オーウェンという者に聞いてきたのです!お兄様が倒れたと…」
ドミニクの頭の中にフラッシュバックのようにあの光景が蘇る。
「…うッ」とドミニクが頭を押さえると、ベアトリスが身体を支えるように抱きかかえた。
「お兄様、大丈夫ですの?一体何があったというんですの?」
(…言えない。このボクが、例え美しいとは言え同性の顔を見て鼻血を出してぶっ倒れたなど、ビーには絶対言えない!)
「…された」
「え?聞こえません、お兄様?」
「頭突きされたんだ…そう、鼻に頭突きを受けてね!私とした事が油断してしまったのだよ」
ドミニクがそう言うと、ベアトリスの取り巻き達が安堵の表情をしながら口々に言う。
「なんだぁ、そう言う事ね」
「私はてっきり、あの顔に逆上せて鼻血を出したのかと…」
「ベアトリス様のお兄様が、そんなわけないじゃない」
「それにしても、あのオーウェンってヤツ卑怯な人ね。綺麗な顔立ちしているからきっとワガママに育てられたのよ」
などと話しているとベアトリスがプルプルと下を向きながらプルプルと震えている。
「…ベアトリス様?」
「ビー…どうしたんだ?」
「許せません!あの男!身の程をわきまえるように助言してくれたお兄様に頭突きを喰らわせるなんてッ!こうなったら、ワタクシがお兄様の仇を取ってあげます!」
ベアトリスの怒りの表情に、ドミニクが慌てて言い直す。
「い、いや、ビー。私はもう怒ってなどいないんだよ。ず、頭突きだって、鼻先をかすめたくらい…なのだし…」
「いいえ、お兄様は優し過ぎます!下級貴族がお兄様の身体に1mmでも触れた時点で死刑です!ワタクシがあの男にその罪の深さを思い知らせてやりますッ!」
そう言うと、ベアトリスはドミニクの制止を振り切りオーウェンの身辺調査を始めたのだった。〜〜〜
(この3カ月間、取り巻き達との優雅なお茶会も欠席してまであの男の素行調査をしてきた…のに、全くボロを出さないなんて、一体どうなってるの!?)
ティーカップを片手にオーウェンを尾行するベアトリス。週に一度は王女殿下達に連れ回され、放課後はナサニエル達に補講を行い、それ以外は全て鍛錬に時間をあてる…そんなオーウェンの単純かつストイックな生活リズムに、ベアトリスは辟易していた。
(お兄様に仇を取ると約束したのに、この3カ月で何も弱みを握る事が出来ない。よほど警戒心が強いのね、かくなる上は…)
ベアトリスはオーウェンの側を離れ、下級貴族のクラスの棟へと向かうと勢いよくドアを開け放ち仁王立ちしながら言った。
「ナサニエルッ!ナサニエル・ロッキンガムはいるかしら!」
他の男子と談笑していたナサニエルが振り返る。
「オレだけど…って、あれ?ドミニク先輩の妹さん?」
「ベアトリス・リッチモンドよ!一度会った人の名前くらい一回で覚えなさいよ、無能な人ねッ!」
「へぇへぇ、無能で悪ぅござんすね…。んで、その無能に何か用です?」
「ちょっと、顔をかしなさい」
「えー?次の授業の準備が…」
「これは、命令よ!拒否権は無いわ!」
とベアトリスが言うと、ナサニエルはふぅっと溜息をついて「悪ぃ、先に教室移動しててくれ」と友人達に言ってベアトリスの後をついて行った。
ーーーーーー
ナサニエルが何度か呼びかけるがベアトリスは無視してズンズンと歩いて行く。校舎を出たあたりでナサニエルが呼び止めた。
「ベアトリスさーん、もう勘弁してよー。オレ次の授業に遅れちゃうんだってばー」
ナサニエルがそう言うと、ベアトリスはクルッと振り返りナサニエルの顔にグッと迫った。大きくキラキラとした瞳、スッと通った鼻筋、プクッとした唇に…よく見ると豊満な胸。ナサニエルは普段見慣れない女子力の高い女子に近寄られて、身体を強張らせた。
「な、ナニ?」
「…教えなさいよ」
「教えるって何を?」
「あの、顔だけいい男の弱点を教えなさいよ!」
「…なーんだ、オーウェンの事が気になってたのかよ」
ガッカリした顔でナサニエルが呟くと、ベアトリスが顔を真っ赤にして「そんなんじゃないわよ!」と言った。
「んで?そんなの知ってどーすんの?」
「決まってるわ、お兄様を酷い目にあわせたあの男の弱みを掴んでギャフンと言わせてやるのよ!」
「…その表現使うヤツって、まだ居るんだな」
「おだまりッ!」
ベアトリスがハァハァと肩で息をする。
「何か勘違いしてるみたいだけど、オーウェンはドミニク先輩に何もしてないよ」
「お兄様は頭突きされて鼻血を出したの…側に居た貴方達にも見えないなんて余程速い動きだったに違いないわ。お兄様が言ってるんだもの、間違いないわ!」
「…まぁ、アイツなら出来るだろうけど」
「ほら、やっぱりお兄様が言った通りだわ。卑怯者よ、あの男は!」
ベアトリスがそう言うと、ナサニエルは眉をピクッとさせた。
「アイツの弱点が知りたきゃ、ベアトリスさんも寮でやってるオーウェンの補講を受けたらいいんじゃない?」
「なんで、特進クラスでも成績優秀なこのワタクシが!?しかも、狙ってるターゲットの目の前に姿を現すなんて、貴方本当にバカなんじゃないの!?」
「弱みを握りたいんだろ?」
「うッ…それは…」
「一緒に補講受けて仲良くするフリをすれば、アイツだって油断して弱みを見せるかも知んねーぞ?」
ナサニエルがニコッと笑って見せる。ベアトリスは暫く逡巡していたが、ふぅっと溜息をつくと言った。
「確かに。貴方が言うのも一理あるわね。いいわ、その補講にこのワタクシが参加してあげます!貴方もワタクシに協力しなさいよ!」
「オッケー、じゃあ放課後、寮の自習室で18時からだから。テキストはオレが見せるからさ」
「当然ですわ!」
そう言うと、ナサニエルは「うっし!」とガッツポーズをして教室へ戻っていく。
その後ろ姿を見ながら「…変な人」と言うと、ベアトリスも自身の教室のある棟へと歩いていった。
ーーーーーー
その日の放課後からベアトリスは早速オーウェンの補講に参加した…のだが…
(…どういうこと?ワタクシが居る特進クラスよりも先の授業しているじゃないの!?なんで、こんなヤツらに差をつけられてるのよ)
隣ではナサニエルが黙々と問題を解きながら、わからない所をオーウェンに聞いたりしていた。ボーッとしたベアトリスの視線に気付いたナサニエルが話しかける。
「やっぱり特進クラスはもっと進んでるから暇だよな?」
「…え?」
「いや、オーウェンが特進クラスの教師に聞いたら、5年次の範囲まで進めてるって言っててさ。俺達も慌てて授業進めてなんとか4年次のとこまで来たんだけど。でも、途中からどんどん脱落者が増えてってさ。ベアトリスさんが来てくれてなんとか10名維持できるよ。この部屋借りられなくなるトコだったから、マジ助かった」
(ハァ!?ワタクシ達はまだ3年次の半ばくらいまでしか習っていないわよ!…まさか、ウチのアホ教師がオーウェンに学歴コンプで見栄を張ったばかりに、この人達はこんなにスピード上げて勉強してるって事!?)
いそいそと自分の勉強に戻ろうとするナサニエル。
その横で、ベアトリスがプルプルと震えながら言った。
「…なさいよ」
「ん?何?」
「ワタクシに!勉強を教えなさいよぉーッ!」
続くー