いざ、パシフィス皇国へ
その後の空の旅は、快適そのものだった。何しろ、海とは違って飛空艇は揺れる事が少ない。例え嵐のような雲が目の前にあっても、その間の移動は自動で迷宮スキルを発動して迷宮の中を進むため、船酔いする者は1人も居なかった。
オーウェン達は朝早くからトレーニングルームで鍛錬を行い、その後はプレイルームに隣接されたシアタールームでパシフィス皇国の言語や慣習を学ぶ。食事は皆で大きなダイニングテーブルを囲みながら女子達が一生懸命作ってくれた料理を食べ、後片付けや掃除は男子が担当する。天気の良い日は3階のプールで皆で遊び、大浴場は男子と女子で交互に使う。そうやって過ごすうちに、船はあっという間にティンカーの故郷であるファブリカ商工国の上空へと近付いていた。飛空艇が自動で迷宮スキルを使用する中、オーウェンは30mほどの高さまで下降させると、迷宮スキルに新しく加わった“モデリング”を使い地上まで届くエレベーターを設置する。ティンカーは少し驚いたような表情で言った。
「凄いじゃない!“モデリング”ってそうやって使えるんだね!」
「『建物モデリング』という項目に、この装置があってな。迷宮内の空間に貼り付けることで、実際に装置を設置する事が出来るようだ。と言っても、この装置以外は試した事が無いんだがな」
「フフ…まぁ、とりあえず使い道がわかって良かったじゃない!さてと…じゃあ、そろそろボク達は行くよ。新しい方天画戟の設計や、天魔石を組み込むための下準備をしなきゃいけないしね」
「あぁ、頼んだぞ」
「うん、何かあったらすぐにコールしてよ」
「わかっている」
などと言葉を交わすと、ティンカーとゴーシュとオベハはエレベーターに乗って地上へと向かっていった。無事にティンカー達が下についた事を確認して、オーウェンは再び高度を上げる。かかっていた迷宮スキルがオフになり飛空艇が現れると、ティンカー達はその姿が見えなくなるまで手を振りながら見送っていた。
オーウェンは3階の操縦室で、いよいよパシフィス皇国に向けて進路を変更する。日程を設定できる最短の10日にセットすると船はこれまでよりも速く飛び始めた。隣に並んだエルヴィスがオーウェンに声をかける。
「いよいよですね、我が主」
「あぁ…アールヴズを、そしてシャル様達を必ず守り抜いて見せる。お前にも力を貸してもらうぞ」
「勿論ですよ、我が主」
そう言って2人が見つめるタッチパネルには、巨大なパシフィス皇国の地図とその皇都を示す赤い点が煌々と輝いていた。
ーーー
一方その頃、ファブリカ商工国に戻ったティンカー達は、ガンダルフ商会の建物から出てきたヴィトルと会話していた。
「おぉ!坊っちゃん、帰ってきてたんですかい!?」
「うん、前みたいにヴィトルが変な仕事を無茶振りされていないか、確認も兼ねて見に来たのさ」
「それは、有難いことでさぁ。あの後も、ちょくちょく変な注文書が溜まってきてましてね」
「まったく、父ちゃんはホント限度を知らないんだから…しょうがない、しばらくの間だけど手伝ってあげる。…そういえば、オーウェンをモデルにした騎士像は完成したのかい?」
「へい、ちょうど3ヶ月ほど前に商会専用転移門でお送りしたら、すごく気に入ったらしくて報酬にも色を付けてくれたんです。いやぁ、オーウェンさんは本当に良いモデルでした」
ヴィトルはそう言うと、折り畳んでポケットに入れていた領収書をティンカーに拡げて見せた。
「へぇ、こんなにお金出してくれたんだ。良かったn…」
と言いかけたティンカーが宛名の方に目を向けて黙り込む。ヴィトルが不思議そうな顔をして尋ねる。
「どうされたんですか、ティンカー坊っちゃん?」
「いや…本当、オーウェンはつくづく退屈させないヒトだなぁって思ってさ」
そう呟くティンカーの手に握られた領収書には、パシフィス皇国の王位継承権を持つある貴婦人の名前が書き込まれていた。
ーーーーーー
ティンカー達と離れて3日後、旅はとても順調だったがシャルロッテ達の顔色は優れなかった。それもそのはず、シャルロッテ達の寝室から扉を1枚隔てた向こう側にはオーウェンの寝室があり、オーウェンがその気になればシャルロッテ達の寝室へと押し掛ける事が出来る状況なのである。
〜〜〜プレリを出発した当初、シャルロッテ達は1階のゲスト用のスイートルームを利用していたが、ティンカー達が船を降りたその日に、ローラがシャルロッテ達とドロシーを集めて言った。
「私、今日からオーナーズエリアにある自分の部屋で寝る」
「ど、どうしてですか?」
「どうしてって、あそこが私の本当の部屋だし。それに、部屋に浴室も付いているから魔法も使わずにリラックス出来るのよ。黙って部屋に戻っても良かったんだけど、抜け駆けするみたいな感じが嫌だったから先に言っておこうかなってね。皆はどうするの?」
「わ…私は…」とシャルロッテ達がモジモジしていると、ドロシーが意を決したように言う。
「な、なら、私も自分の部屋に戻る事にします」
「え、ドロシーさんまで…そ、それじゃあ、私達もお部屋に戻ろうかしら…?」
というような感じで、シャルロッテ達はオーナーズエリアの自分達の部屋に、なし崩し的に戻って来たというわけである。〜〜〜
その日からシャルロッテ達の寝不足は続いているのだが、今まで以上にお互いの事を意識してしまったせいか4人とも口数が少なくなっていた。ベアトリスがその様子にいち早く気付き、トレーニングルームにいたオーウェンに話しかける。
「オーウェン、ちょっと良いかしら?」
「ビーか、どうした?」
「最近シャル様達の元気がない理由を知ってる?」
「…どうやら寝不足らしい」
「あんなに規則正しく過ごされていたのに…どうしてかしら?」
とベアトリスに聞かれ、オーウェンが黙り込む。
(あの寝室は、正直俺でも引いた。俺のリクエストでは無い事を知っているシャル様達ならともかく、事情を知らないベアトリスがあの部屋を見たら…どう思うんだろうか)
などとオーウェンが考え込んでいると、ベアトリスが訝しむような目をして言った。
「どうやら理由に心当たりがあるようね…」
「…無いと言えば嘘になる。だが、説明するのは難しい。ベアトリス、何も言わずについて来てくれないか?」
そう言うとオーウェンは、オーナーズエリアへとベアトリスを案内した。
ベアトリスが空いているスイートルームを覗き込んで言う。
「凄く可愛いらしいお部屋ね、私もここに一部屋借りようかしら?」
「それは、やめておいた方がいい」
「あら、どうして?」
「クローゼットの中にドアがあるのが見えるだろう?」
「えぇ、他の部屋にもあったわね」
「…その全てが俺の寝室と繋がっているんだ」
オーウェンがそう言うと、ベアトリスは一瞬ボーっとした後、顔を真っ赤にしてオーナーズエリアへの出口へと歩き出した。オーウェンが、すかさずベアトリスの手を掴む。
「お前…何か勘違いしてるだろ?」
「え?な…何も考えていませんけど?それより、ちょっと放してくださらない?変態さん」
「やっぱり…。俺がそういう設計をティンカーに頼んだと思ってるだろ!?」
「普通に考えて、お節介でそんな怪しいデザインの部屋を作る人が居るとでも言いますの?」
「それが割と身近に居たんだからしょうがないだろ!」
と早口で言い合ったオーウェンとベアトリスが、肩で息をする。
しばらくして落ち着いたところで、オーウェンがベアトリスに言った。
「まぁ、要するにだ。このデザインのせいで、シャル様達は睡眠不足になっているというわけだ」
「貴方が1階で寝るわけにはいかないの?」
「今のところ、オーナーズエリアにはこの鍵無しでは入れない。そしてこの鍵は、船のセキュリティも兼ねているから肌身離さず持つようティンカーに言われているんだ」
「…つまり、シャル様達がここに寝泊まりする以上、貴方も自分の寝室に居なければいけない…そういうことね?」
「ああ…そういうことだ」
とオーウェンが言うと、ベアトリスはしばらく考えて言った。
「良い解決策を思い付いたわ、シャル様達を貴方の寝室に集めてくれない?」
ーーー
しばらくしてシャルロッテとイザベル、ドロシーにローラもオーウェンの部屋に集合する。皆、この部屋の雰囲気にまだ慣れていないせいか赤面しながらベッドの淵に浅く座っていた。
「きゅ、急にどうしたんですか、オーウェン様?…それに、どうしてビーちゃんまで?」
「シャル様達がここ数日元気がない様子をビーも心配していたので、私が思い付く原因を教えたのです」
とオーウェンが言うと、ベアトリスはシャルロッテ達のまえに仁王立ちして言った。
「オーウェンから話は聞きました。ここ数日、睡眠不足で元気が無いのは、部屋と部屋の間を繋ぐドアを常に気にしているせいですね!」
「!!…だって、意識しないようにすればするほど、この部屋にいるオーウェン様の事が気になって…」
そう言ってシャルロッテ達が静かになると、ベアトリスは淡々と語り始めた。
「良いですか?シャル様達はこれからアールヴズ連合国を代表して、パシフィス皇国へと向かうのです。それなのに、睡眠不足で目の下にクマまで作ってしまわれては、アールヴズ連合国の王女様達は自身の体調管理も出来ないほど、ズボラな性格なのかと侮られてしまいます!」
ベアトリスの筋の通った説教に、思わずオーウェンも感心させられた。
(なるほど、流石は宰相を輩出する公爵家の出だ。不必要に庇ったり非難せず、どうすべきかを考えさせることで反省を促そうというわけか…)
などと思いながらオーウェンが見守っていると、シャルロッテが目を潤ませながらベアトリスに聞いた。
「でも…じゃあ、私達はどうすればいいんですか?ドア越しにオーウェン様を意識しないなんて、絶対に無理です!」
ベアトリスがどう回答するのか見守るオーウェンの前で、ベアトリスは淡々と言った。
「簡単な事です。ドアの向こう側じゃなく、こっち側にシャル様達が来れば良いんです」
「…ん?」
オーウェンが間の抜けた声を出して固まっていると、ベアトリスは続けた。
「ドアの向こう側に好きな人が居ると思うから、要らぬ想像をして寝られなくなるのです。好きな人の側で一緒に寝れば、あれこれ考える必要はないでしょう?」
「た…確かにそうですが…」
「シャル様達が知っているように、オーウェンはとても真面目な性格です。なので、一緒に寝ているシャル様達に、変な事をしようなんて考えもしないはずですよ。そんな真面目なオーウェンの側で寝れば何をされるかドキドキする必要もありませんし、これまで以上に快眠できるはずです。パシフィス皇国の者達に侮られないためにも、しっかりと睡眠をとる事は必要な事だと思います!」
とベアトリスが自信満々に言い放つ。
たまらず、オーウェンが「ちょっと待て…」と言おうとしたその時、シャルロッテ達が目をキラキラさせて言った。
「言われてみれば、確かにそうですわ!オーウェン様の事が気になって寝られないなら、一緒に寝てしまえばいいんですわ!」
「オーウェン様の側ならぁ、安心して寝られますぅ」
「先方に疲れている姿を見せてしまってはいけませんし。ここは私達の責務と思って、オーウェンと一緒に寝ましょう!」
「あ、私自分の部屋から枕持ってくる〜♪」
などと言いながらシャルロッテ達は自室に戻り、オーウェンの寝室へと来る準備を始めた。
オーウェンがベアトリスに詰め寄る。
「ベアトリス…一体どう言うつもりだ?」
「言ったでしょ、シャル様達の睡眠不足を解消してあげるのよ」
「だからといって、同じベッドで寝るなど…」
と言いかけたオーウェンに、ベアトリスが人差し指を向けて言った。
「女の子はね、理由を探しているのよ」
「…何の理由だ?」
「決まっているじゃない、好きなヒトと一緒に居られる理由よ。一緒に居たい、でも積極的になったら節操のない女って見られちゃうんじゃないかって、皆心配しているのよ」
「…」
「だから、理由を与えてあげればいいのよ。国の代表として侮られないよう、体調を整えるために仕方なくオーウェンと一緒に寝るっていう体裁がね」
「な、なるほど…」
「というわけで、ここからは貴方が頑張ってね。真面目なオーウェンさん?」
そう言うと、ベアトリスはスタスタとオーナーズエリアのドアへ向かっていく。オーウェンは、ベアトリスの気遣いの凄さに感心して、ドアを出て行くその後ろ姿を呆然と見送っていた。しかし、この時オーウェンはまだ理解していなかった。
これから毎晩、魅力的な女性に囲まれて寝なければならない事を…そしてそのせいで、今度は自身が生まれて初めて寝不足を体験する事になると言う事を。