人族からの手紙
「急に婚約を破棄しろとは…どういうおつもりですか、ヴィルヘルム様?」
とオーウェンが訊ねると、ヴィルヘルムは落ち着くよう言いながら続けた。
「勘違いするな、あくまでも元服の日の結婚を中止にしたいというだけだ」
「だとしても、話が急過ぎます。どうして今になって…」
と言いかけたオーウェンに、ヴィルヘルムは1通の手紙を渡した。
「…これは?」
「とある人族の国から送られてきた手紙だ。今まで話を出さなかったのは、この国がどういう立場で我々にこの手紙を送って来たのか分からなかったからだ。だが、ブルインを出入りする人族の者達から情報を集めていた間者が、今朝方ようやく戻ってな。先程の結論に至ったというわけだ」
オーウェンはヴィルヘルムの話を聞きながら、その手紙に目を通す。手紙の内容は両国の友好関係を育みたいというような婉曲的な表現で終始綴られているが、要約すれば政略結婚を前提とした人質を差し出せという脅迫文であった。額に青筋を立てたオーウェンが、ヴィルヘルムに訊ねる。
「まさか…彼らの要求に応えてシャル様達を人質として送り出すつもりですか!?」
「要求に応える気はない…だが、何故このタイミングで今まで関与したことのない国からこの手紙が送られてきたのか、不思議に思わないか?例えば、あちらにシャル達の結婚の話を通した者がいるとかな…」
とヴィルヘルムは試すように言ったが、オーウェンは迷いなく答えた。
「それは有り得ません」
「何故そう言える?」
「皆に伝えたのはシャル様達が婚約者である事だけで、元服の年の初めに結婚するとは伝えておりません」
「それでも、ある程度は予測できるだろう?それに鳳雛隊の者達は差し置いても、ティンカー達は人族の国とも交流があるようだしな…商売に絡めば大事な情報も流してしまうとは思わんか?」
「思いません、彼らは私の大切な仲間ですから」
「仲間か…、4年前に急にひょっこり現れたあの2人を、昔から共に育ってきた者達と同等に信用する理由が余にはわからんのだが?」
「そ、それは…」
「…まぁいい。いずれにしても、お前の感情論で納得することは出来ぬ。他にも聞きたい事がある故、すぐにでもティンカー達をここに連れて来るのだ」
「…承知致しました」
そう言うと、オーウェンはプレリへのルートを作り出しティンカー達を呼びに行った。
ーーー
オーウェンがプレリを訪れると、ティンカー達はちょうど今年の石高を計算しているところであった。
「あ、オーウェン!迎えに来てくれたんだ、もう結婚式の日取りが決まったのかな?」
「それが少し予想外の事態が発生してな、結婚式自体が無くなりそうなのだ」
「…どういうこと?」
首を傾げるティンカーに、オーウェンがこれまでの経緯を話すとティンカーは少し不満そうに言った。
「なるほど、それでボクとゴーシュが真っ先に疑われたってことか…、やはりそう簡単には信頼してもらえないようだね」
「ヴィルヘルム様も決め付けているわけではない…俺がナサニエル達と同じようにお前達に強い信頼感を持っていることも、あらぬ疑念を深める一因になったかもしれんな」
「…まぁ、たしかに急に他所の国から合流したボク達を何の躊躇いもなく旅に同行させるのは、他のヒトには不自然に映ってもおかしくないかもね。…いいよ、ヴィルヘルム様の所に行って話をしようじゃない」
そう言うとティンカーはフルールに少し出かけてくると告げて、オーウェンについてきた。迷宮の中にティンカー達が入ってくると、それに気付いたヴィルヘルムが声をかける。
「来たな…オーウェンから粗方話は聞いたか?」
「えぇ、ボク達が真っ先に疑われている事も聞きましたよ」
「好きで疑っている訳ではない…国を預かる者には仕方のない事だ」
「わかっています。それより、例の手紙をボク達にも見せてくれませんか?」
「…いいだろう」
そう言ってヴィルヘルムは、ティンカーに手紙を渡す。ティンカーは、手紙を入れた便箋や割れた封蝋の模様を見ながら言った。
「確かに、パシフィス皇国からの手紙に間違いないみたいだ。封蝋も偽造された様子はないね」
「…この国を知っているのか?」
「えぇ、便箋や蝋を彼らに卸しているのはガンダルフ商会ですので。…でも変だなぁ」
「何が変なのだ?」
「パシフィス皇国は、覇権主義国家じゃないんです。周辺地域のいざこざにある程度介入はしますが、基本的には安寧と秩序を重んじる国家で、少なくとも100年近くは領土を拡げる侵略戦争はしていないんですよ」
「…高々100年侵略戦争をしなかったくらいで、何の証明になる?」
「そりゃあ、エルフにすればそこまで長い時間ではないでしょうが、人族にとっては100年の間に一度も戦争を起こさないのは奇跡に近いんです。ですが、彼らは軍隊を維持しつつも戦争を起こしていません、これは彼らが周辺国との調和を望んできた証拠と言えるんじゃないでしょうか」
ティンカーの言葉にヴィルヘルムは少し考えこんでいたが、それでも頷くことは無かった。
「…まぁいい。仮にそのパシフィス皇国がお前の言うような国家だとするなら、何故このような手紙を送ってきたと考える?」
「さぁ、何故でしょう…こればっかりは彼らに直接確認しないことにはわからないでしょうね」
「…では、別の質問だ。手紙がこの時期に届いたのは偶然だと思うか?」
「偶然ではないと思いますよ、この手紙には郵便会社のサインがありませんからね」
「…どういうことだ?」
「パシフィス皇国の手の者によって直接持ち込まれた可能性が高いということです」
「…この時期を狙ってきた可能性は否定できないということか」
「はい。でもその場合、彼らは手紙をアールヴズに直接持ち込んだにも関わらず、使者を一緒に遣わせてはいないということになりますよね?なら、ここから考えられるのは…パシフィスは手紙は確実に手渡しつつ、その動きを第三国に知られないようにしているということです」
「…ますます、わからなくなったな。…あちら側に明確な狙いがあるのは確かなようだ。だがそうなると、いよいよこちらからの情報を流した者の存在を疑わねばならんだろう?確実な情報がないままにこのような手紙は出せないだろうからな」
ヴィルヘルムがそう言ってティンカー達を見つめると、ティンカーはため息を吐きながら言った。
「言っておきますが、ボク達は何も関与していませんよ。根拠は幾つかありますが、1番わかりやすいのは地理的なものでしょうね」
ティンカーはそう言うと地図を拡げ、アールヴズとは真逆のある一点を指差した。
「パシフィス皇国があるのは、アールヴズとは真逆に位置するココです。この一帯の海域は渦潮が発生しやすいので、船が利用できず陸路で移動することになりますが、陸路もパシフィス皇国の勢力が及んでいないこの辺りになると紛争中の国が多くなり、無事に国境を越えるのは困難です。なので、普通は比較的安全な国を通っていくこちらの迂回ルートを利用します。そうすると仮に順調に進む事が出来たとしても、彼らがアールヴズ連合国に到達するには最短でも2年半の歳月がかかるはずです。ヴィルヘルム様にこの手紙が届いたのはいつ頃ですか?」
「半年ほど前だったと記憶しているが…」
「と言う事は、3年程前にこの手紙の持ち主はパシフィス皇国を出た事になります。その頃、ボク達はちょうどネージュからオーズィラに向けて出発した頃ですからね。オーウェンとシャル様達が婚約者だったなんて、まだ知らなかったんですよ」
「そうか…」
ティンカーの話を一通り聞いたヴィルヘルムが呟く。
「どうやら見当違いだったようだ…許せ。…しかし、それではヤツらは一体どうやって…」
「確証はありませんが、3年以上前からこの状況を見越して動けるような奇跡を起こせる人物が、あの国にはいますよ」
「なんだと?一体誰だ!?」
詰め寄るヴィルヘルムを宥めながら、ティンカーは言った。
「彼らが国教と定めるアルモニア教の『神託の巫女』です」