王城の書庫
迷宮の中でオーウェンとオベハは、エルヴィスがこの2年間で知り得た事を聞く。語られた内容は、寿命の短いヒトにすれば神話のような話だが、どれも王城書庫の正式な古文書から集められた確かなものであった。
〜〜〜この世界は神々の桃源郷として生み出された。神々はそれぞれの民を育て始めたが、やがて、ただただ安寧と秩序を望む民達と、徒に快楽と愉悦を求める民達の間で諍いが起こるようになった。神々は1つだった世界を捻じ曲げて世界を2つに見せ、安寧と秩序を求める民を光の当たる表へ、快楽と愉悦を求める民を影となる裏の世界に住まわせた。その後、表の世界には安寧と秩序が、裏の世界には格差と暴力による混沌が生まれた。裏の民達は表の民を妬み、嫉み、僻んで、何度も掠奪しようとしてきた。〜〜〜
「幾つかの文献から類推すると、ここでいう表の民とは恐らく我々のようなヒトと呼ばれる者達で、裏の民とは魔族のような存在を言っているようです。最も古い歴史書によれば、ヒトと魔族の間で大きな戦争が起こり、多くの犠牲者が双方に出る中、古代エルフが中心となって魔族の王を滅ぼしたそうです。そして、それを逆恨みした魔族は、古代エルフを滅ぼす呪いをばら撒き、古代エルフは滅亡させられたのだと締め括られていました」
「表と裏か…、確かスノド村でもそのような言葉を見たな」
「そこには、なんと?」
「…『表は裏に飲み込まれ、裏は表に成り代わる。理の外より現れし唯一神が理を壊す時、世界はようやく一つとなる』と書いてあった」
「その言葉が、歴史書と同じ表裏を意味するものだとすれば…」
「…魔族がこの世界を乗っ取り、彼らにとっての唯一神…つまり魔神の下に世界を1つにするという事なのかもしれないな」
オーウェンの言葉を聞いて、オベハが額の汗を拭いながら言った。
「…そうとなれば一大事ですよ、今はエルヴィスさん以外に古代エルフも残っていないんですから」
「あくまでもそう解釈出来るといった程度の事だ、証拠はない。ただし、悠長に構えているわけにもいかない…オベハ殿はしばらくの間、エルヴィスと共にこれまで見つかった資料の確認をしてくれないか。何か予見のきっかけになるようなものが、あるかもしれんからな」
オーウェンの言葉にオベハは頷き、エルヴィスと共に早速王城の書庫へと向かっていく。オーウェンは医務院へ戻り、しばらくドゥッセルの顔を見ながら考えていた。
(スノド村でレイスが入った時は、この俺でも死を覚悟するほどの症状が出た。だが、ドゥッセル様はそれまでは普通に暮らすことも出来ていたし、まして自分の中に魔物が入っている事すら自覚していなかった。「帝国」という者達には、無自覚に相手に魔物を口に入れさせて、かつその活動を制御する方法があるということかもしれんな…)
ーーー
その後オーウェンは王城へと戻り、用意された部屋へと向かっていた。ふと渡り廊下から庭の方を見ると、夕暮れ時にも関わらず、参拝客の行き来する姿が見える。
(せっかく帰ってきたのだから、俺も訪ねておくか)
などと思いながら、オーウェンが世界樹の元へ向かうと、最後の参拝客が祈りを終えて街へ戻っていくところであった。オーウェンは1人世界樹の前に立ち、話しかける。
「久しぶりだな、オノド殿…いや、今は世界樹と呼ぶべきか。今や、この国の多くの民が貴方の事を心の拠り所にしているようだ」
「…」
「どうか、これからも聖アールヴズ連合国に住むヒト達の安寧を、見守り続けてほしい」
「…」
オーウェンの言葉に世界樹からの返事はなく、ただ風に静かに揺られているだけだった。
ーーーーーー
翌日、オーウェンはシャルロッテ達の通う高等学院へと向かった。ヴィルヘルムの話ではシャルロッテ、イザベル、ドロシーはこの2年間で高等学院の卒業資格を取っており、ローラも歴史学以外はそれなりの成績を納めているという事である。オーウェンが高等学院の門辺りでシャルロッテ達が出てくるのを待っていると、ちょうど下校時間となり、多くの生徒達が建物から出てきた。楽しそうに談笑する学生達が、オーウェンの姿を見てギョッとした表情で立ち止まるのだが、それもそのはずである。古びたローブに身を包み、フードとマスクで顔を隠した不審者が煌びやかな学院の門に立っていれば、当然の反応といえた。一方、オーウェンはそんな視線に気付かず平然と校門で待ち続けていた。しばらくすると、シャルロッテ達が他の生徒達に囲まれて外に出てくる。
遠目に見ても気品と美しさを兼ね備えたその姿は、以前よりも女性として魅力的に映る。オーウェンが話しかけようと手を挙げると、取り巻きの生徒達が騒ぎ出した。
「何だ、アイツは?顔まで隠していて、いかにも変質者って感じだね」
「あのローブ汚れ過ぎだろ…しかも丈も合ってない、余程お金がないんだな」
「物乞いか何かだろう、下賤な身分で姫様達に近付こうとは」
などと言いながら、数人の男子が取り巻きの女子達の中から出てきた。
「おい、お前!」
「…俺のことか?」
「そうだ、お前の…」
と男子が言いかけた瞬間、シャルロッテ達が駆け寄ってきてオーウェンに抱きつく。その拍子にオーウェンのフードとマスクが外れてオーウェンの素顔が見えると、途端に取り巻きの女子達は恍惚とした表情になり男子達も先ほどまでの威勢を失って、ただただ立ち尽くしていた。
「オーウェン様!帰っていらしたのですね」
「お久しぶりです、シャル様、ベル様、ドロシー様。ローラもすっかり走れるようになったじゃないか」
「オーウェンはすぐ何処かに行っちゃうから、この2年間ずっと鍛えてきたの」
「…そうか。心配をかけて済まなかった」
「…無事に帰ってきてくれただけで、嬉しいですぅ」
とイザベルが言うと、ドロシーもローラもうんうんと頷いて見せた。
すると取り巻きの中からも懐かしい声が聞こえる。
「全く、貴方っていつもタイミングよくフードが外れるわね」
「ベアトリs…ビーも久しぶりだな」
「何でそっちに言い直すのよ!ベアトリス様でしょ!ベ・ア・ト・リ・ス・様!」
「ナサニエルは何処だ?」
「ヒトの話聞きなさいよッ!…彼なら生徒会長の仕事でもう少し遅くなるわ」
「…ナサニエルが、生徒会長をしているのか?」
「えぇ、そうよ。貴方が居なくなってからもヒト一倍頑張って、今では多くの公爵家の方々に認められるほどなの」
「そうだったか…頑張っているのだな」
などと話していると、取り巻きの1人がベアトリスに尋ねた。
「べ、ベアトリス様、あの男は一体何者ですか?シャルロッテ様達と仲も良く、あのナサニエル君ともお知り合いとは…」
すると取り巻きの中にいた男が出てきて代わりに発言した。
「彼の名前はオーウェン。初等学院から中等学院までシャルロッテ様達やビーを飛び級させただけでなく、この私まで負かした男だ」
その言葉に周囲の者達が驚く中、オーウェンが男に話しかける。
「ドミニク先輩も飛び級して高等学院に入っておられたのですね」
「わ、私を覚えてくれていたのか…素直に嬉しい…じゃなくて。い、いつまでも妹に先を越されていては、兄の尊厳に関わるからな。…と言っても学年はまだ一つ下なんだが」
「シャル様達もビーも相当な努力をして、ここまで成長したのです。それを独学で成されたというのは、本当に素晴らしい事だと思いますよ。ビーが尊敬出来る兄と話していたのも納得です」
とオーウェンが言うと、ドミニクとベアトリスは2人でモジモジしていた。
すると、ようやく落ち着いたシャルロッテが、オーウェンに話しかける。
「オーウェン様、私達がこの2年間どんな思いで頑張ってきたか…小言を聞く覚悟はありまして?」
「そ、それは…お手柔らかにお願いします」
オーウェンがそう言うと、シャルロッテ達はオーウェンを脇に抱えてズルズルと引きずって行った。