競馬場を駆ける英雄
選手達の背後を捉え始めたゴーシュは、違和感を感じた。前を走っていた集団が意図的に進路を塞ぎつつ、ゴーシュ達を集団の中に引き込もうとしているのである。
「もう、他人の邪魔する事しか考えてないヒトばっかなんだから…めんどくさいなぁ」
「俺が露払いしてやろう」
そう言うと、オーウェンはティンカーに用意してもらった大きな鞭をブンブンと振り回す。馬も選手も関係なくベチベチと叩かれて、バランスを崩した者達が次々と落馬していくが、それでも何とか6人程度が馬上に留まる。スピードを落とさせようと、オーウェン達を囲む集団。
次の瞬間、ゴーシュは脚元が急激にぬかるむ感覚を感じた。
ーーー
一方、VIPルームでは灰色のローブの男が、明るい声でスコンメッサに報告する。
「成功です!捉えました!」
「フハハ、遂にやったか!でかしたッ、後はヤツらさえ上手くやれば…」
そう言ったスコンメッサ達の目の前で、オーウェンを乗せたゴーシュが派手に転倒し、買収した選手達がスコンメッサのいるVIP席に大きく手を振る様子が見えた。悔しそうに地面を叩くゴーシュの姿を見て、スコンメッサは愉快そうに笑って言った。
「ハーッハッハッハ!ようやく勝負が着きましたな、ジョーコ公爵?」
「…あぁ、そのようだ」
「ふん、終わってみれば何とも味気ないものだ。明日から貴方の顔が見られなくなるのはとても残念ですぞ」
「…そうだな」
「しかし、あのケンタウロスも本当に気の毒だ、父親と同じように転倒してリタイアとは!ムフフフフフ」
「…何を言っている?」
「ギャハハ、ショックが大きすぎて現実逃避しているみたいだな!目の前の光景を見てみろ、あそこにあのケンタウロスが…」
とスコンメッサが指を差したと同時に、ティンカーが指をパチンと鳴らす。するとスコンメッサ達の目の前には買収した選手達が全員落馬し、オーウェン達が観客に手を振る光景が見えた。スコンメッサが目をこすりながら呆然と立ち尽くす。
「な…確かにワシは…あのケンタウロスが転倒する所を見たのに…」
「それはボクが見せた幻だよ。貴方も知っている通り、方術でね」
「貴様、…方術を知ってるのか?」
「ボクは方術使いのエキスパートに直々に習ったからね、そこの誰かさんより全然上手いよ。わからなかったでしょ?方術をかけているはずの自分が、いつ方術にかかったのか?」
ティンカーにそう聞かれて、灰ローブの男は俯いたまま動かなくなった。ティンカーは得意げに続ける。
「大事なのはタイミングさ。キミの方術が発動して、オーウェン達に届くまでの時間をミリ秒単位で予測したんだ。そして、オーウェン達に方術が届いた事を確認した瞬間にキミの方術を遮断し、ボクの方術を意識下に潜り込ませた…『術者とその周囲の者が望んだ、最も都合の良い未来を見せるように』ってね」
「…!」
「後はオーウェンとゴーシュが、自分達で方術を解いたってだけだよ。2人も、ボクと同じくらい方術のことを知っているからね」
ティンカーの言葉を聞いて灰ローブの男は座り込み項垂れてしまった。その様子を見ていたスコンメッサが呆然とした顔で呟く。
「まさか、このワシが…負けたのか?」
「その通りだ、スコンメッサ。長い間楽しませてもらったが、それも今日まで…。最後に良い勝負が出来て良かった」
そう言うと、ディールはさっさとVIPルームを出て行った。
ーーー
ーオーウェン達の勝利が確定する数分前のことー
脚元がぬかるむ感覚を捉えたゴーシュが、オーウェンに呼びかける。
「オーウェン、来たよ!方術だ!」
「あぁ、俺も感じた。ゴーシュは解除に専念しろ、俺は周りのやつを掃除してからだ」
そう言うと、オーウェンは鞭をビュッビュッと振り始めた。刃物の様に鋭い斬撃が飛び交うと選手達は悲鳴を上げ逃げ出す。斬撃で服を全部剥ぎ取られ真っ裸にされる者、神に祈ろうとして手綱を離してしまい落馬する者、他の者の甲冑が真っ二つにされるのを見て自ら落馬していく者、怯えた馬と共にコースアウトしていく者と続々とリタイアする者が出る中、2人の選手が残った。
「くっそぉ、どうなってやがる!?あの時みたいに方術ですっ転ぶんじゃなかったのかよ!」
「あの灰ローブの野郎、とんだペテン師だぜ!やっぱり、そんな便利な術があるわけねぇんだ」
などと騒ぎ立てる選手達にオーウェンが鞭の柄を叩きつける。ひしゃげた甲冑と共に客席へとぶっ飛んでいく2人組。オーウェンは、自分がスクリーンにデカデカと抜かれている事に気付かず言い放った。
「俺達を止めたくば、数万の軍勢でも引っ張って来るんだな!」
一瞬の静寂と共に大歓声が巻き起こり、競馬場は英雄の誕生に大いに湧いた。
ーーー
その後、スコンメッサは文字通り全てを取り上げられた。ティンカーの特殊な映像処理のおかげで、1年前のゴーシュの父親が転倒した件についてもジョーコ公国にいる全ての人々がその真相を知る結果となり、最高配当額の75%の追徴金が発生したため、文字通りの無一文である。牢屋に繋がれた真っ裸のスコンメッサに、オーウェンが問いかける。
「…スポルカ・スィヨンという男を覚えているか?」
「…20年前のあのディーラーか。フフ、下っ端のくせに出しゃばった事ばかり言うから身包み剥いでやったわ…フフフ」
「スポルカがその後どうなったか知っているか?」
「知らぬわ、負け犬のことなど…。大方、魔物のクソにでもなったんだろう」
「…スポルカとフズィオン教の繋がりに何か心当たりはあるか?」
「なんだ、結局アイツはあのカルトにハマったのか…。当時、通常グレードの街を作るなどと騒いでいるディーラーがいると聞いて見張りをつけたんだが、ヤツが相談にのっていた者があのフズィオン教の伝道師だったのさ。…あのヒョロ眼鏡め、余計な事をあの馬鹿に吹き込みやがって…」
「余計なこと…?」
「あの馬鹿は絶対に成功するという伝道師の言葉を間に受けていた。例え何か有っても、スノド村にいる仲間が助けてくれると言われて安心しきっていたんだ」
「スノド村?…地図にはそんな村は無かったが?」
オーウェンの質問に、スコンメッサはフフと半笑いしながら言った。
「当然だ、疫病が流行り何十年も前に廃村になったからな。… ワシの故郷だった」
「疫病か…」
「あぁ…大変だった。…血を吐きながらバタバタ死んで、骨まで溶けた様にボロボロになるヤツもいた。俺は何も持たずにその村から逃げ出し、稼いだ金を元手にここまで上り詰めたのさ。それを…お前らの様な若僧にいい様にされて…へへ」
そう言うとスコンメッサは何も話さなくなった。
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オーウェン達は、その後ディールやヴェッキオ、スカウトマンに礼を言ってジョーコ公国を後にした。ティンカーがナギやオベハに賭けさせたお金は大凡ティンカーの想定していた額になり、オーウェン達は一躍「時の人」となった。また、競馬ファンには英雄オーウェンの決めゼリフが非常に印象的だった様で、それ以降「俺を止めたくば、軍隊でも引っ張ってくるんだな!」という言葉は、馬券が当たった事を意味するようになった。
余談だが、スコンメッサはその後、お気に入りの服1セットだけを手渡されてジョーコ公国から追放され、5日ほど経って近くの茂みで変死体となっている所を、通りがかりの商人に発見された。しばらくして捕まった犯人の男は先のビッグゲームで全財産をスコンメッサに投じた結果、同様に一文なしとなり逆恨みで殺した挙句、その服を剥いで路銀の足しにした事を自供した。