今世紀最大のビッグゲーム
ディールは、久々に胃薬を飲みながら鳩尾をさすっていた。いよいよ、ビッグゲーム当日を迎えて、街は1年前の対決の時とは比べ物にならないほどの盛り上がりをみせていた。街の至る所で金持ち達自身がディーラーとなり、ディールとスコンメッサのどちらが勝つかを賭けの対象にしている。当然、ディールが率いるカジノグループはこれらの賭けの状況を全て詳細に調べ上げたわけだが、結果は思っていたよりも圧倒的にスコンメッサ優勢の様相を呈していた。全体の7割においてスコンメッサの勝ちを多くの人達が予想しており、中にはディールが勝利した時の配当倍率が10倍近いものもあった。前回の対決の結果が大きく影響するだろうとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。周囲が負けると予想しているベットエリアにに、自分は全財産を1点掛けしている…そう考えるとディールは、吐き気を抑えられなくなっていた。
(…こんなに不安になったのは久々だ。何度も体験したおかげで、最近では慣れてしまったと思い込んでいたが…文字通り全てを賭けると言うのが、こんなにも不安にさせるとは…。スポルカというあのディーラーも、大したヤツだったのかもしれんな)
などと考えながらディールが洗面所から戻ってくると、ディールのカジノグループが集めた資料をティンカーとヴェッキオが読み漁っていた。ディールが苦虫を噛み潰したような顔をして言う。
「…見事なもんだろ、皆スコンメッサの勝利を疑っていない」
「うん、ここまで一極化するってのも珍しいもんだよ。よっぽど前回の対決が印象に残っているみたいだね」
「まぁ、あれから1年しか経っていないからな。大多数には、俺が焦ってヤツに勝負を挑んだように見えているのだろう…って、さっきから何してるんだ?」
「ディールさんの勝ちに高い配当倍率がかかっているところを確認して、いくら賭ければ最も利益が高くなるか計算してるんだ。賭け過ぎて配当倍率が下がり過ぎてもいけないからね。いやぁ、ディールさんに賭ける人が少ない状況で良かったよ。試算通りに行けばオーウェンが稼いだ3000億コルナを元手に数兆コルナくらいまでは増やせそうだからね」
と嬉しそうに呟くティンカー。その様子を見て、ヴェッキオは不思議そうに言った。
「…意外です。以前、カジノでは頑なにゲームに参加しなかったので…てっきり賭け事が嫌いなのかと思っていました」
「言ったでしょ?ボクは商人だからね、確実に勝てる勝負しかしないんだよ。サイコロやカードの出た目で稼げる大金よりも、理論と経験から絞り出す小銭に価値を見出せるのさ」
「ティンカーさんの言いたい事はわかりますが…今回の勝負も立派なギャンブルです、勝てるかどうかはわからないんですよ?」
「勝つさ。だって、オーウェンとゴーシュなんだもん♪」
そう言うと、ティンカーはどの賭場にどのくらいの金額を賭ければいいか書いた紙を、オベハやナギに渡して言った。
「その紙は誰にも見せないように。人気の無い所はすぐに賭けちゃっていいけど、ヒトが多い所は時間いっぱいまで粘ってギリギリで突っ込んでね。他の人に真似されると配当倍率が下がっちゃうから。いいかい?」
『わかりました』
そう言うとオベハとナギは急いで部屋を出て行く。ディールが鼻歌まじりでくつろぐティンカーに話しかけた。
「えらく余裕だな、どうしたらそんなに落ち着いて居られるんだ?ゴーシュはともかく、オーウェンはエルフの子供だろう?体格もがっしりして落ち着いた雰囲気だが、エルフ特有の『怖いモノ知らず』というだけじゃ無いのか?」
「私もオーウェンさんの豪運と度胸は素晴らしいと思いますが、賭け事全てにおいてそれが通じる訳ではありません。如何にゴーシュさんが速いと言えど、競走馬の能力だけで絶対に勝てるということは無いはずですよ?」
ディールに同調するヴェッキオに、ティンカーはふぅとひと息ついて言った。
「まったく…2人とも心配性なんだからぁ。とにかく、オーウェン達の走りを見ればすぐにわかるよ」
そう言うとティンカーは紅茶を飲み、プハァと息を吐いてみせた。
ーーーーーー
競馬場はこれまでで1番の動員数となっていた。他のレースは朝から始まっており、会場が既に熱気に包まれている中、ティンカーがディール達と共にVIPルームへと入る。VIPルームには数人の女と灰色のローブを纏った男や、黒服のボディーガードを連れたスコンメッサが既に陣取っていた。
「これはこれは、ジョーコ公爵。てっきりトイレに籠っておられるとばかり思っておりました。こんなに早く来られるとは!フハハハハ」
「スコンメッサ殿もかなり早くに来られたようだな、緊張し過ぎてあまり眠れなかったのかな?ワハハハ」
ディールに煽り返されたスコンメッサが、あからさまに舌打ちをして続ける。
「…チッ。おぉ、そう言えば聞きましたよ?またケンタウロスを競争馬に選んだとか!しかも、何とあの言い訳がましかった男の息子だそうですな?まったく、ジョーコ公爵は他人に金を取られるのが好きなようで…ホント尊敬しますわ、フハハハハ」
「…ッ!」
思わず拳を出しそうになるディールを、ティンカーが止める。そしてスコンメッサに話しかけた。
「これはこれは、スコンメッサ殿。この度はお世話になりっぱなしで、本当にありがとうございます」
「…誰じゃ、貴様?」
「あれ、ご存知じゃなかったですか?3週間ほど前、貴方の経営するカジノでちょっとばかし稼がせて頂いたのですが」
ティンカーがそう言うと、黒服の男が何やらスコンメッサの耳元でコソコソと耳打ちをする。話を聞いていたスコンメッサが、ピクリと眉尻を上げて言った。
「…あぁ、お前がワシのカジノから3000億ほどちょろまかしたガキか。まったく小遣い貰ったくらいで、はしゃぎおって」
「そうですよね?ボクも3000億くらい小遣いだと思ってたんですけど、何故か出禁にされちゃったんですよ?色んなカジノ回ってきたけど、オタクの所はずいぶんケチ臭いカジノだなぁって思ってたんです」
「…ぐっ、貴様ッ!!」
殴りかかろうとしたスコンメッサを黒服達が必死に抑える。しばらくして冷静さを取り戻したスコンメッサが半笑いしながら言った。
「へっ…まぁいい。このゲームが終われば貴様にもわかる…どちらについておけば良かったのかがな!フハハハハ」
そう言うとスコンメッサはそれ以上こちらを見ようとはしなかった。しばらくしてナギとオベハが戻ってくる。ティンカーは冷えたジュースを2人に手渡しながら言った。
「お疲れ様!順調だったかな?」
「えぇ。ティンカーさんが紙に記載した通り、最高グレードから通常グレードまで2人で手分けして全て賭けて来ましたよ。でも、いいんですか?カジノで儲けた分だけじゃなく手持ちまでかけちゃって。文字通り、今の私達は無一文ですよ?」
「いいんだよ、必ず増えて帰ってくるってわかっているんだから」
「…それも、そうですね。何せゴーシュさんに乗るのは、あのオーウェンさんですから」
「そういうこと♪」
そう言ってティンカーは、嬉しそうにダブルピースして見せた。
ーーーーーー
一方、オーウェン達はというと、朝早くからディールの競走馬専用の控室で待機していた。当初はゆっくりと入場するつもりだったのだが、他の客にオーウェン達の姿を見られては困るからとティンカーに強く言われ、2人は日も出ていない早朝に隠れるようにこの部屋へと入ったのである。ゴーシュがあくびをしながら言う。
「まったく…僕達の格好を見た他の客が僕達に賭けてしまわないようにするとはいえ、こんな朝早くから隠れる必要あるの?」
「確実に儲けになるのなら、少しでも多くするのが商人だと張り切っていってたからな。ディール殿には悪いが、この2週間で『ゴーシュが1年前の試合で負けたケンタウロスの自慢の息子だ』という噂も流しまくった。ティンカーはこれだけ根回しした分をきっちり回収したいんだろう」
「オーウェンはホント優しいんだから。『騎手は世間知らずのエルフのガキ』ってまで言われてたんだよ?」
「まぁ、間違ってるとも言えないしな。とにかく、俺達は俺達に出来る事をするだけだ」
「…そうだね」
そう言うとゴーシュは蹄鉄の感覚を確かめるように、リズムを取りながら駆けてみせた。