とけていく誤解
ティンカーの言葉を聴いて、スカウトマンが訊ねる。
「何を言っているんですか?ぬかるみなんてどこにもありませんよ?」
「ぬかるみは脚元じゃなくて、頭に直接感じさせられたんだよ。たぶん、この映像じゃ貴方には見る事も出来ないだろうけどね」
「…本当に何を言っているのかわかりませn」
と言いかけたスカウトマンに、ティンカーは方術をかける。たちまちスカウトマンは脚を滑らせて、地面に這いつくばった。
「い…一体何がどうなってるんです!?」
「床がぬかるんでるように感じるでしょ?これが方術ってヤツだよ」
「方術というのは、そんな事も出来るんですか?」
「地面をぬかるんでいるように見せるのは大した事じゃないよ、ただしピンポイントでゴーシュのパパさんにだけ方術をかけたのは、そう簡単に出来るものじゃないんだよね」
そう言うと、ティンカーはパチンと指を鳴らして方術を解く。スカウトマンが立ち上がり、茫然とした顔で言った。
「まさか、こんなイカサマがあったなんて…。あぁ…だとしたら、私達は彼になんて事を…っ!」
髪をくしゃくしゃにして壁にもたれかかるスカウトマンに、ゴーシュが声をかける。
「お願いがあります…。父の事を悔いてくれるのなら、僕達に協力してくれませんか?」
「あ…あぁ…ああ、勿論だよ!君がレースに出てくれるのかい?」
「そうじゃないんです。僕達はある富豪と話をしたいのですが、VIP席にいる彼に近づく方法がありません。なので馬主を紹介して欲しいんです」
「…さっきも言ったけど、私はジョーコ公爵様に疎まれているんだ。協力してあげたいのは山々なんだけど、君達をVIPルームに入れてくれなんて交渉出来る立場じゃ…ないんだよ」
「そうですか…」
と黙り込むゴーシュの側で、ティンカーが何か思いついたようにポンと手を打って言った。
「いい事思いついちゃった!」
「何を思いついたの?」
「ゴーシュさ、競馬に出てみない?」
そう言うとティンカーは、ニヤリと笑って見せた。
〜〜〜ティンカーの話はこうである。まず、スカウトマンがゴーシュを競走馬として、ジョーコ公爵に売り込む。それからゴーシュがいい成績を収めて、ジョーコ公爵のお気に入りになりさえすれば、いずれはVIPルームに入れるだろうという…なんとも都合の良い話である。〜〜〜
「僕が気に入られなかったらどうするの?」
「そんなの、気に入られるまで頑張ればいいじゃない」
「もぅ、ティンカーったら他人事だからって…」
「そうじゃないよ、ボクはゴーシュなら必ず気に入られるって信じてるのさ。だって…コレ言っていいのかわかんないけど、ゴーシュってパパさんより速いし強いじゃん」
ティンカーに言われてゴーシュは少し複雑そうな顔をしたが、オーウェンが「確かにゴーシュは速いし強いな…」と呟いた事に気を良くしたのか、渋るような演技をしながら言った。
「ふ、2人がそこまで言ってくれるのなら…しょうがないなぁ」
「決まりだね」と笑うティンカーにスカウトマンがつけ加える。
「あのー、とても言いづらいんだけど…あのレース以降、証言を多く得るためにケンタウロス族であっても騎手を必ず乗せる事になったんだよ。でも、ほら…ケンタウロス族のヒトって、背中に乗られるのダメでしょ?それで、皆今までみたいにスカウト出来なくなったんだけど…」
「その点なら大丈夫だよ、オーウェンが乗ってくれるから」
そう言ってティンカーは、オーウェンを指差す。スカウトマンは訝しげな表情で、オーウェンに尋ねた。
「あ、あのー…本当に大丈夫ですか?」
「あぁ、任せろ。ゴーシュの本気に付き合えるのは、俺くらいだ」
ーーーーーー
翌日、スカウトマンを引き連れてオーウェン達は、ジョーコ公爵の屋敷へと向かう。ヴェッキオにジョーコ公爵への面会を取り次いでもらい、オーウェン達は来賓室へと通された。そこかしこに飾られている彫像や剥製を見て回っていると、大きなドアの向こうから50代後半くらいの初老の男性が現れた。
「ヴェッキオ、久しぶりだな!どうだ、若い連中とは上手くやれているか?」
「ええ。毎日楽しく過ごさせて頂いております、ディール様」
「今日は連れが多いな、見知った顔も1人混ざっているようだが…。それで?…何用だ?」
と言いながら、ディール・カーサ=ジョーコ公爵は葉巻に火を付けた。スカウトマンが汗を拭きながら話し始めた。
「お…お久しぶりです、ジョーコ公爵さ…ま。本日は…お日柄も良く…」
「余計な口上は要らん。さっさと要件を話せ」
「ぁ…はい。それでは、早速なのですが…久々に新人をスカウトしまして…こちらのゴーシュなんですが…」
スカウトマンはそう言うとゴーシュに挨拶を促した。ゴーシュがディールの前で敬礼をする。
「初めまして、ジョーコ公爵様。私はゴーシュと申します」
「ディールで構わん。なるほど、お前がその新人か…。うむ、確かに素晴らしい身体付きをしている…が、俺はケンタウロスには、少々苦い思い出があってな」
「1年前にディール様に嫌な思いをさせたのは…私の父です」
「ほぅ…。あの事件を知っててここに乗り込んでくるとは大した度胸だ。目的は何だ?父が解雇されて、逆恨みでもしたか?」
「いいえ、私達は別のお願いをしたくてここに来ました。父の件とは関係ありません」
「…お願いとは何だ?」
「私を…ディール様の競走馬として雇って頂きたいのです!」
ゴーシュの言葉を聞き、ディールが怒りを露わにした。
「馬鹿か、貴様ッ!貴様の父親があれだけ俺に嫌な思いをさせた事を知っておきながら、よくもまぁぬけぬけとそのような事を頼めたものだッ!」
顔を真っ赤にしたディールとゴーシュの間に、スカウトマンが立ち塞がって言った。
「お待ちください、ディール様!あの時、彼は本当にぬかるみに脚を取られていたんです!」
「ふざけた事を吐かすな!あの場にぬかるみが無かった事は、貴様も何度も確認しただろうが!」
と激昂するディールを見て、オーウェンが言った。
「やはり自分で体験してみないとわからないだろう…なぁ、ティンカー?」
「まぁ、そうだね」
そう言うとティンカーはディールに方術をかける。途端にディールはバランスを崩して床に這いつくばった。
「!?な…何が起こっている!?床が急にぬかるみ出したぞ!?」
「方術というものですよ、ディール様。彼はあの時、誰かにイカサマをかけられていたんです。それなのに私達は…彼の言い分を聞かずに、放り出してしまったのですよ!」
悔しそうに唸るスカウトマン。ディールがその言葉を聞きジタバタするのをやめると、ティンカーは方術を解いてみせた。
「こんな術が存在するとは…。魔力感知にすら引っ掛からなかったのだぞ?」
「それが方術の長所ですよ。ボク達はそれを使う事も出来るし、看破る事も出来るんです」
「だ…だが、あの時本当に方術が使われていたというのはどうやって証明するのだ?」
「先程、例の事件の映像を見せてもらいましたが、ゴーシュのパパさんの頭部辺りに方術をかけられた痕跡が見えました。時間は少しかかりますが、特別な方法で映像を処理をすれば皆さんにも見えるようになりますよ」
「そうか…」
ティンカーの説明を聞き冷静になったディールがゴーシュへと向き直って言った。
「ゴーシュよ…、先程は済まなかった。俺は…お前の父を尊敬していた。強く、速く、豪快なそのヒト柄に…惚れていたのだ。…だからこそ、許せなかった!あんな見え透いた嘘を吐くヒトじゃないと信じていたからこそ…裏切られたと思い、許せなかったのだ!…だが、彼が言っていた事は真実だった…。ゴーシュ、俺は彼に何と言って謝ればいいのだ?俺は、お前の誇り高き父に何と言って謝れば…!」
涙を流し俯くディールにゴーシュが優しく声をかける。
「ディール様…ここを去ると決めたのは、他ならぬ父です。誰も不正の証拠を見つけられ無い中で、自分の思い違いだろうと割り切ったのも父です。誇り高い父は自分で全てに決着を付け、自分でこの国を去ると決めました。恨みを捨て、ただ前を向いて生きていく…私の父はそんな気持ちのいい漢ですよ」
「あぁ、ゴーシュ…今ならはっきりわかる。そして、其方の中にも彼の血が確かに流れているとな!…いいだろう、私が責任を持って、お前の馬主になってやる」
「本当ですか、有り難う御座います!」
そう言うとゴーシュとディールは固い握手を交わした。