猜疑心の連鎖
「…という感じで、ピシェールは北側に兵を集めてくると思うんだよね。恐らく今頃はベカスやパルードゥにも何らかのコンタクトを取っているはずだよ」
既に北の砦近くの陣へと入ったティンカーが地図を見ながら話し始めると、レオネが首を捻りながら言った。
「何故、そう言い切れる?負けた腹いせに、もう一度西の砦を攻めようとは考えんのか?」
「…レオネさんくらいだよ、そういう思考になるのは。あのね、500人相手に3000人の死傷者を出すってのは、思っている以上に大変な事なんだ。しかも相手側には損害を与えられず、結果として2万近くの兵が一時的ではあるけど、戦線を離脱して逃げ帰っている。急襲を受けたとか、強い武将が居たとか、そんな言い訳が通用するレベルじゃなくて…ボクの感覚で言えば、指揮官は責任取って処刑されてもおかしくないのさ。つまり、今ピシェールにとって西の砦というのは大敗させられた難所として無意識に捉えられていて、あまり前に出たくない戦場と思われているんだよ」
「ふむ…そんなもんか?そこまでの脅威と認識されているとは思えんが?」
「それはレオネさんが実情を知っているからさ。でも、敵には正確な情報が伝わっていない…そうなると慎重にならざるを得ないのさ、有能な指揮官が居れば尚更ね。すでに猜疑心の連鎖は始まっているんだよ」
「…なるほど」
「敵はオーウェンより先に動けば勝機があると思っているだろうけど、実際にはオーウェンを恐れて早く動かざるを得ない状況に追い込まれているんだ。つまり連携も不十分で数だけが取り柄の軍隊が、北側に集結しているってことだよ」
「…よくもそこまで思いつくな。…お前本当にただの商人か?」
「フフ、商人も軍師も勘定が得意じゃ無いとやっていけないからね。とにかく、敵はこの状況を数の利だけで押し切ろうとしているはず。そこで、もう一手打つのさ」
とティンカーが話していると、ちょうどそこにゴーシュが合流した。ティンカーがニコッと笑って言う。
「どうやら間に合ったようだね、ゴーシュ」
「僕の足にかかれば、この距離は大した事はないさ。それより、こっちは上手く進んでいる?」
「予想通りなら、近々攻撃が始まるはずだよ」
「そっか、いよいよだね。僕達の大勝負は」
そう言うとゴーシュは、汗を拭いながらくつろぎ始めた。レオネがポカンとした表情でティンカーに尋ねる。
「…なんだ、大勝負って?」
「言ったでしょ?自軍に損害を出さずに勝利する…これこそ、軍師冥利に尽きる最高の戦果だよ」
ーーーーーー
それから数日経って、ゴビノーが放った間者からベカスとパルードゥの軍がピシェールの軍に合流したと言う一報が入ると、オベハが驚いたように言った。
「本当にティンカーさんの言う通りになりましたね、どうしてここまで正確に言い当てる事が出来るのですか?…ひょっとして『先見』に近いスキルでも持っているのですか?」
「そんなスキル無いよ。ただ…そうだね、ボクやゴーシュ、そしてオーウェンは戦に関しては他の人より多く知っているんだよ」
そう言うとティンカーはゴーシュを呼び出した。
「そろそろかな、ティンカー?」
「そうだね、早ければ明日の朝と言った所かな。準備はもう出来てる?」
「あぁ、命令があれば騎兵隊50騎がすぐに出られる状態だよ。そっちは問題ない?」
「うん、既に昨日の夜に張り巡らせておいたから大丈夫さ」
などと会話を交わしていると、レオネが不思議そうに聞いてくる。
「一体なんの話をしているんだ?準備とはなんだ?」
「ボクは成功する前から自分の策をひけらかすのが嫌いでね、策が成ったら教えてあげるよ」
そう言うとティンカーは自信満々に笑って見せた。
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翌日、西の砦の方から狼煙が上がると、ガズワン王はガンナム将軍に進軍するよう伝えた。
「あのオーウェンとかいう客将は、まだ西の砦に留まっているようだ。ヤツを西の砦に釘付けにしておけば、ここはどうとでもなるだろう。なにせ、ピシェールから10万、パルードゥから4万、ベカスから4万の計18万の軍隊がこちらには居るのだからな。如何にゴビノーが持ち直していたとしても10万に満たないはずだ。…もはや、負ける理由がない!」
「私としては、そのオーウェンとか言う猛者とやり合ってもみたかったのですが…まぁ、今はゴビノーに引導を渡すのが先でしょう。きっちり沈めて見せますよ」
そう言うと、ガンナムは馬に乗り前線へと向かっていった。
一方、ティンカーも西の砦の方に上がった狼煙を見るとすぐにゴーシュを呼び寄せた。駆けつけたゴーシュにティンカーが言う。
「オーウェンは上手く敵の目についたようだよ、早速初めてくれるかな?」
「オッケー」
そう言うとゴーシュは50人の騎兵を引き連れて門から出ていった。レオネもゴーシュに声をかけられると、部隊を率いて門の方へと向かっていく。ゴーシュのお尻にかけられた“装置”を見てオベハが疑問を投げかける。
「何故、ゴーシュさんはあんなに竹箒を引いているんでしょうか?」
「どういうふうに使うか、見せてあげるよ。ついて来て」
そう言うと、ティンカーとオベハが砦の物見櫓へと移動する。物見櫓からは戦場の隅々まで見渡せた。ゴーシュ率いる騎馬隊が砦の門からそう離れていない所を無造作に走り回り、砂埃を撒き散らしているのが見える。
「…ゴーシュさんは何をされているんですか?」
「見ての通り、砂埃を立てているのさ。この季節は東からの風が吹くから風下にいる連合軍は今頃かなり視界が悪くなっているはずだよ」
「多少は視界は悪くなるでしょうけど…こんな事してどうなるんです?」
「…方術ってのはさ、如何に自然に不自然を起こすかがポイントなんだよね」
ティンカーが自信満々に話をしていると、砂埃の中をガンナム率いる18万の軍が突っ切って来るのが見えた。オベハが慌てた様子で尋ねる。
「あぁ、見てください!敵はものともせずに、一直線に向かって来ますよ?」
「もう、心配性だなぁ…言ったでしょ?『空城の計』から始まった猜疑心の連鎖は、確実に彼等の心を蝕んでいるんだよ」
そう言ってティンカーが手を挙げると、盛大なファンファーレが鳴り響いた。すると、それまで爆進していた18万の軍勢がピタッと止まり、一歩も動こうとしない。そして急にその中から怒号が起こり、連合軍同士で斬り合いを始めたのである。砂煙とファンファーレの中、錯乱状態になったピシェール、ベカス、パルードゥの兵達が斬り合ってはバタバタと倒れていく様子を見て、オベハが困惑した表情を見せた。
「同士討ちを始めていますね…一体何が?」
「…彼等には今、目の前にいる仲間がゴビノーの兵士に見えているのさ。もちろん普通にやれば、すぐに見破られたかもしれないけど、この砂埃とファンファーレのおかげで、敵は一種の催眠状態になったんだよ」
〜〜〜ティンカーの意味する所は、つまりこうである。敵はこれまでゴビノーの戦力を測れない状況であったにも関わらず軍を進めてきた。それは偏に、内戦が続いたゴビノーよりも自国の戦力が優っていると決め打ちしていたからである。実際に彼等の読みは正しいのだが、ここで計算を狂わせる要素が出てきた…それこそ、オーウェンが起こした西の砦での勝利である。その出来事のせいで、ピシェールやベカス、パルードゥの兵士達には「数で優っても勝てない強敵が、ゴビノーには居る」という認識が無意識に刻まれた。そして、それと同時に「武力行使に出るという書状は、決してハッタリではない」と誤認したのである。
砂煙で視界を遮られファンファーレを聞いたことで、彼等の無意識にあった誤認は自然と湧き上がってきた。すなわち、自軍を壊滅させるほどの策をゴビノーが仕掛けてきたと思い込んだのである。その結果、本来なら砂埃の中で急に隣にゴビノーの兵士達が現れるという不自然な事を、彼らは疑問も抱かずに受け入れてしまったのだった。〜〜〜
ティンカーがニコッと笑って言った。
「これこそ、猜疑心の連鎖ってヤツさ。思っているほど、バカに出来ない策でしょ」