魔物化の果実
大きな口で兵士達を飲み込むと、化けガエルはゆっくりと周囲を見渡す。オーウェンはディシェから取り上げた杖を収納バッグに突っ込みオベハを掴んで一瞬で距離を取っていたが、ディシェは腰を抜かしたままその場から動けなくなっていた。化けガエルがモグモグと口を動かしてブッと何かをディシェに向かって吐き出す。錆びを防ぐための油が入った瓶がディシェにぶつかって割れると、ディシェは化けガエルの吐き出した液体と古くなった油にまみれてベトベトになってしまった。
「ウォェエエ、…く、臭いぃ!」
顔についた汚液を拭いながら、這いずり回るディシェ。オベハが焦って言った。
「あぁ、まずい…オーウェンさん、陛下を助けてもらえませんか!?」
「…この後に及んであのような男を庇うのですか?」
「そうではありません!大切なのは王家の血が途絶えないこと、ただそれだけなのです!」
「…」
訳がわからないと言った表情をしつつも、オーウェンは弓を番えると化けガエルの片目を射抜いた。ばちゅんッと音を立てて化けガエルの左目が潰れる。
「ギィイェエエエ!」
と叫び、化けガエルがのたうち回ると、その隙にディシェは死に物狂いで逃げ出していた。ディシェが逃げられたのを見てホッと胸を撫で下ろすオベハ。オーウェンが呆れた様子で言った。
「自分を殺そうとした男の事をそこまで案じるとは…オベハ殿は思っていた以上にお人好しなんですね」
「間違ってもそういう意図で助けたわけではありませんよ、彼には生きていてもらわないと…この国が困るのです」
「…?」
オベハが何かを言いかけたその時、化けガエルが大量の淡黄色の液体を吐き始めた。オーウェンが再びオベハを捕まえて距離を取る。
「…苦しんでいるようです、果実による急激な変化に身体が追いついていないのか…?」
「彼が食べたあの果実について何か知っているのですか?」
「…私の故郷でも家畜が魔物化するという事例が確認されています。怪しげな商人が果実を持ってうろついていたと言う話も聞きましたが…詳細はわかっていません…」
「そうですか…、後であの果実の出所を陛下に確認するしかありませんね」
オーウェン達が話している間にも、化けガエルはズルズルと形を崩し溶け出している。周囲に咽せるような異臭が漂い、オーウェンとオベハは袖で鼻を覆った。
「…独特の匂いがする」
「揮発性が高い液体のようですね、酷い臭いで頭がクラクラします」
「身体に悪影響が出るかもしれません、もっと離れましょう」
オーウェンがオベハを抱きかかえてさらに距離を取ろうとしていると、逃げ出したと思っていたディシェがニヤニヤしながら苦しむ化けガエルの様子を鑑賞していた。オーウェンが呆れつつも忠告する。
「何をやってるんだ…おい!早くこの場を離れろ!」
「冒険者風情が…余に指図するでないわ!それに、人が液体になっていくこんな面白い見せ物を見逃せるわけなかろう?ブァッハッハッハ!」
「下衆め…どうなっても知らんぞ」
「貴様は先程、余を助けたつもりにでもなっているのだろうが…それは違う。余を愚弄したヤツは、どんなに後から許しを乞い、善行を行おうとも殺す…つまりお前は自分が助かる可能性を自分で潰したということよ、ブァッハッハッハ!」
「…」
オーウェンがこれ以上の会話は無駄だと悟り、オベハを抱えて大広場を離脱する。オベハが申し訳なさそうな表情で言った。
「…本当に申し訳ありません、オーウェンさん」
「仕方ありませんよ、三つ子の魂百までとも言います。彼を助けたところで、我々に対する態度を改めることなどハナから期待していません」
オーウェン達は高台に立つ教会まで移動すると、その屋根から大広場を見つめていた。
一方、ディシェはオーウェン達の姿が見えなくなった後も1人大広場に残り、化けガエルの鑑賞をしていた。
「臭いし醜いが、人が液体化する果実なんて物珍しいものだ。…そうだ、これを見せ物として金を取るのも面白いかもしれんな!捕まえた獣人族をこれで処刑してしまえば一石二鳥というものだ、ブァッハッハッハ!」
などと独り言を言いながらディシェは葉巻を取り出す。いつものように火を用意してくれる従者はいない為、ディシェは仕方なく火魔法を使った…その時である。揮発した化けガエルの液体に引火し、大広場は一瞬で巨大な爆炎に包まれ、ディシェは跡形もなく吹き飛んだ。
オーウェン達の方からも巨大な火柱が立ち昇る様子が確認できた。凄まじい衝撃と爆風で教会の大きな鐘が揺れる。時間違いの鐘が鳴ると、修道女達が慌てたように飛び出してきて辺りを見渡していた。オベハが頬に汗をかいて言う。
「…死んじゃいましたかね?」
「えぇ、十中八九」
「ハァ…、せっかくの苦労が水の泡です。…このままではゴビノーだけでなく、ティア軍国もティアマン共和国も滅ぼされてしまうでしょう」
「…一体、どういうことですか?」
と尋ねるオーウェンに、オベハは何度も溜息を吐きながら話し始めた。
〜〜〜前ゴビノー王国は、それまでピシェール王国という隣国と長きに渡り戦争を繰り返していたのだが、先王は何とかこの状況を食い止めたいと願っていた。オベハ達も交えて何度も議論した結果、先王の娘、つまりディシェの母親とピシェール王国の第二王子を政略結婚させることで、両国の関係を良好なものにしようと画策するに至った。しかし、望まない婚姻関係だったからか2人の間は当初から冷めきっており、第二王子はディシェの母親がディシェを妊娠したと知った途端にピシェール王国へ帰って二度と戻ってこなかった。また、母親の方もディシェの育児を早い段階から放棄して、城仕えの獣人族の騎士達と夜を共にすることが多かったようである。
そんな母親も早くに亡くなった結果、ディシェは愛される事を知らず獣人族に恨みを抱えたまま人間性が欠落した大人になった。しかし、先王はそんなディシェに王位を譲った。これは、ピシェール王国にゴビノー王国を攻めさせないためというのもあるが、そこには「ディシェを政治の道具にして、この国の盾にしようとした自身に非がある」という思いもあったようである。その後、先王が亡くなりゴビノー王国が現在の状況になっても、ピシェール王国は攻めてこなかった。これはやはり血筋であるディシェが居たからであり、そのディシェが亡くなってしまった今、ゴビノー王国は再びピシェール王国の脅威に晒される事になる、というのがオベハの見解である。〜〜〜
オベハが俯きながら言う。
「ティア軍国のレオネ将軍が、圧倒的に優位な戦況下で停戦に同意したのも上記の理由があったからでした。民衆によるクーデターという形でゴビノーの王政が倒されれば、ピシェール王国も手を出しづらいだろうとお伝えしたのです」
「そういう事だったのですね…オベハ殿がゴビノー王国を残した理由も、あの男を守ろうとした理由もようやく合点がいきました。オベハ殿は本当に策略家ですね」
「…言い訳をするつもりはありませんが、国を守るためには必要なことです。少数が犠牲になる事が分かっていても大多数の国民の利になるのであれば、政治家は必ず決断しなければならないのです」
すると、オーウェンは一息ついて言った。
「俺は、オベハ殿を責めるつもりはありません。ただ、例え少数であっても利を得るために誰かを犠牲にしたのであれば、その犠牲を負わせたしわ寄せは、未来永劫付き纏うのも事実です。今の国民が隣国との戦争を避けて生きながらえているのは紛れもなくオベハ殿達のおかげでしょうが、貧困と飢えに苦しみ悪政を強いられてしまったのも間違いなくオベハ殿達のせいでしょう。決断を下したのなら、その正否だけでなくそれによって招かれてしまった不都合な結果についても、死ぬまで悩み続ける義務があると俺は思います」
オーウェンがそう言うとオベハは何も言えず、ただ下を向いて頷くばかりであった。