人族の大陸
船上生活の中で、ナギはティンカー達に対しても徐々に心を開き始めていた。オーウェン達が船に乗って3ヶ月が経とうかという頃、何やら甲板の方が俄に騒がしくなる。何事かと、オーウェン達も甲板へと駆けつける。群がった船員の1人にティンカーが声をかけた。
「どうかしたの?」
「あぁ、ティンカーさん!陸地が見えてきたんですよ!」
「ホントに?以前はボク達がアールヴズに着くまでに半年近くかかったはずだけど?」
「この船は最新式で魔石を使った動力源を積んでいるって前に話したでしょう、あれのおかげですよ!いやぁ、ずっとヒヤヒヤしてたんですよ。大きな魔石を積んでいると、海の魔物に襲われる可能性が高いので本来は禁止されているんですけど、高さのある船のてっぺんに積んでおけば感知されないんじゃないかってことで、試験運用されているんです」
「え…ボク達、そんな危ない船に乗ってたの?何も聞いていなかったんだけど」
「ハハハ、だって、そう言ったらお客さんは誰も乗ってくれないじゃないですか!それに安全テストも兼ねた試験航行は何回かやってるみたいですよ。これまでに同型の船が7隻あったのですが沈められたのはわずか2隻なんです!いずれも荷物を積み過ぎたせいで高さが足りてなかったんじゃないかって噂でした…船長はそんなの関係ないって言ってましたけどね」
そう言うと、船員は安堵したような表情で持ち場へと戻っていった。ティンカーが呆れたように言った。
「…どうやら、彼らには安全管理という概念が無いみたいだね」
「まぁ、そういう時代なんだろうな。とにかく、無事に着いて良かった」
「…決めた。ボクはもっと安全で速い船を作ってみせるよ」
「あぁ、心の底から期待しているぞ」
そう言うと、オーウェン達は下船する準備を始めた。
ーーーーーー
オーウェン達が立ち寄った港町は、主に人族と獣人族で構成されたティアマン共和国の東端に位置するマルベロである。
〜〜〜ティアマン共和国は、もともと隣接するゴビノー王国の一部であった。先王は人族と獣人族の共存を目指し、身分制度はあったものの有能であれば獣人族でも高官に召し上げるほどの器量があった。しかし先王が亡くなり、新王が即位すると獣人族の迫害が始まった。獣人族というだけで役職を剥奪され、獣人族を狙った傷害事件などが頻発して起こるようになると、やがて獣人族の軍隊を率いていたレオネ将軍を中心にした反乱が各地で起こった。一時期は獣人族によりゴビノー王国は滅亡の危機にまで追い込まれかけたが、先王時代に政務官も務めたことがあるオベハという人物が、両者の仲裁に入り停戦に至る。その後、レオネ将軍は人族との共存を望まない獣人族を引き連れてティア軍国を建国し独立、ゴビノー王国には多くの人類至上主義者が残り、表向きは全ての獣人族が追放されたとしている。ティアマン共和国はオベハが中心となり、先王の時代のように人族と獣人族の共存を希望する者達が集まって独立し現在の形を取るに至った。〜〜〜
船員がオーウェン達に声をかける。
「着きましたよ、皆さん。次の目的地への出発は3時間後ですので、それまでに必需品の買い足しをお願いしますよ」
「わかった」
オーウェン達は市場を見て回ったが、どうやらこの港町はナギが船に乗り込んだ場所ではないようだった。オーウェンがナギを靴屋に連れて行くと、ナギは周囲に聞こえないくらい小さな声で話す。
「…前にも言ったけど、奴隷は靴を履くことを禁止されているのよ?」
「呪印が見えれば良いのだろう?これなんかどうだ、爪先と足首の紐で固定されるから足の甲も見えて問題ないだろう」
「奴隷にプレゼントする主人なんておかしいわ?」
「“装備”と思えば問題ないだろう、悪路で傷ができて化膿でもされたら困る…そう言えば履いてくれるか?」
「…そういうことなら」
と言いナギがオーウェンの手からサンダルを受け取る。上品なレースや綺麗なガラス玉が施された実に可愛らしいデザインを見て、ナギの頬が僅かに緩んだ。
その様子を見ていた靴屋の主人が何やらコソコソと店員に話をすると、そそくさと店員が何処かへと向かう。
「…何か問題でもあったか、ご主人?」
「い、いえ、なんでもありません。お似合いですよ、そのサンダル。プレゼントですか?」
「まぁ、そんな所だ。こちらを貰いたいのだが…」
「こ、こういうデザインもありますよ?こちらの方が見た目がゴージャスでヒールも高く、足がすらっとして見えると思いますよ?」
「確かにな、だがこのヒールの高さでは長距離を歩くのには適さないだろう。やはり、先程くらいの高さの方が…」
「そ、それではこちらはどうですか?しっかりと足を包んでくれるので足の裏への負担もかかりにくいんですよ?」
「悪いが、サンダルの形状をしていないといけないんだ」
「えぇ、えぇ、そうでしょうね…奴隷に靴を履かせてはいけませんからね」
と主人が急に声色を変えて言う。すると、オーウェン達の後ろから大きな声がした。
「そこの者、両手を頭の上で組み跪け!」
「…ん?」
とオーウェンが後ろを振り向くと、槍を持った馬の獣人と狼の獣人が立っている。オーウェンはしばらく考えた後に尋ねた。
「…俺に言っているのか?」
「お前以外に誰がいる、さっさとしろ!」
「…靴を選んでいるだけだが?」
「黙って、さっさと跪け!この奴隷商人がッ!」
兵士達がそう叫ぶと、なんだなんだと店の周りに徐々に人集りが出来始めた。
(どうやら、奴隷商人と勘違いされているようだな…店の主人は店員に憲兵を呼びに行かせて、彼らが到着するまでの時間稼ぎをしていたというところか)
なんとなく事情が掴めてきたオーウェンが反論する。
「俺は奴隷商人じゃない、彼女は俺の…奴隷だ」
「奴隷に靴を贈る主人が何処にいるって言うんだ!?嘘をつくならもっとマシな嘘をつけ!」
「…じゃあ、俺のパートナーだ」
「じゃあじゃねぇよ!?適当なことばかり言っていると痛い目にあうぞ!おい、そこの女!フードを取れ」
憲兵達に命令され、ナギがフードを取るとぴょこんと三角耳が飛び出す。憲兵達の目付きが一層厳しくなった。
「靴屋の主人の読みが当たったな、この国で良くもまぁ堂々と獣人族の奴隷を連れて歩けたもんだ」
「こちらには色々と複雑な事情があるのだが…」
「なら、その事情とやらは留置所で説明しろよ。まぁどの道、重罪は免れないだろうがな!」
その様子を見てナギが目に涙を溜めながら「ち、違う!オーウェンは何も悪くない!」と言ったが、憲兵達は聞き入れず哀れみの目を向けてくるだけだった。周囲の民衆達も哀れみの目を向けて口々に言う。
「可哀想に…自分が商売道具にされているということを理解できていないんだねぇ」
「あんな綺麗な靴をはかされて…どこかの売春宿にでも売られるに違いねぇよ」
「酷い扱いをされると、相手を庇う事で自身を守ろうとする心理が働くんだとよ」
などと無責任な言葉が飛び交っていると、憲兵の1人が槍の柄をオーウェンの顔目掛けてふるってきた。オーウェンは無駄のない動きでそれをかわして言う。
「…いきなりなんだ?」
「うるせぇ!こんな若くて可愛いコを、奴隷にしたヤツの汚ねぇツラを…」
と言いかけた兵士達が急に石のように固まり、民衆達も騒つくのをやめた。なぜなら槍の柄を避けた拍子にフードが取れてしまい、その中からとんでもない美青年の顔が出てきたからである。オーウェンを知る者にとっては毎度毎度お馴染みのパターンだが、獣人族の彼らにとっては未知との遭遇にも等しかった。それもそのはず、美しいエルフ族の誰もが見惚れるほどのオーウェンの美貌は、もはや性別や人種といった抗い難い壁すらも難なく乗り越えてしまうもので、神が遣わせた天使と言われれば大多数が信じてしまうレベルである。固まった民衆の間をティンカーとゴーシュがかき分けてオーウェン達に呼びかける。
「あぁ、やっぱこっちに居た。何してんの?船の出発まで時間は限られているんだから、さっさと買い物を済ませてよね」
「俺はいきなり絡まれた方なんだが…」
「息するように厄介ごとを背負い込むヒトが、今更何言ってんのさ。ほら、ゴーシュも荷物いっぱい持ってんだからこっち手伝ってよ」
と言われ、オーウェンは店の主人の前に代金を置いて言った。
「あのサンダルを貰うぞ。色々騒がしくして済まなかったな」
「い、いえ…とんでもありませ…ん」
オーウェンがナギの手を取ると、ナギは顔を真っ赤にしながらオーウェンの顔をチラチラと見ている。
「どうした?」
「い、いや。オーウェンは普段からフードを被ってるし…初めて会った時も夜だったし…戦ったり逃げたりでまともに顔を見てなかったから…」
「3ヶ月も一緒の船室に居ただろ?」
「オーウェンはいつもソファで背もたれの方を向いて寝てたし…私は身長小さいし、上を見上げると眩しいから…」
「日差しが強い日に外についてこなかったのはそういう事か…まぁいい。さっさと行くぞ、ティンカーは口うるさいんだ」
とオーウェンが言うと、ティンカーはジト目をしながら言った。
「オーウェン…聞こえてるよ」
「すまん、地獄耳もだったな」
「オーウェン!」
「冗談だ、今行く」
そう言ってオーウェンがナギを連れて店を出ていくと、自然に人集りが2つに割れる。すると、固まっていた憲兵がハッと思い出したように走り出てきて言った。
「ちょ、ちょちょちょ、待て…いや、待ちなさい!話はまだ終わっていない…んです!」
「なんだ?急に静かになったから、もう良いのかと思ったんだが?」
「そんなわけあ…ありませんよ!いくら美形でも、法の裁きの前には皆平等です!」
「言っただろう、俺に裁かれる罪など無いんだ」
「それは留置所で事情を聞いてからですよ!それまでは船に乗ることを許可出来ません!」
「それは困る、もう1時間もしないうちに船が出てしまうんだ」
「あ、諦めてください。我々も仕事なんです」
先程までとは打って変わった憲兵達の態度に疑問を感じつつも、オーウェンがティンカー達に呼びかける。
「ティンカー、どうやら誤解を解かないと乗船許可を出さないらしいんだが?」
「えぇ!?なんで!?この町には買い物するために立ち寄っただけだよ!?こんなに荷物買い込んじゃったし、船だって支払った代金の半分も乗ってないのに?誰が、この代金を補償してくれるのさ!?」
大袈裟に怒るティンカーをなだめようと憲兵達が話しかけるが、ティンカーはさらに続ける。
「ボク達は船に戻るつもりで、こんなに買い込んでいるんだよ!今ここで止められたら全部ダメになっちゃうじゃないか?…ここまでの船代と支度金がどれだけかかっていると思ってんの?」
ティンカーがギロリと睨みつけると、憲兵達はジリジリと後退りした。その時である。
「如何されました?」
オーウェン達が声のする方を見ると、そこには礼服に身を包んだ羊の獣人がいた。