渚で待ってる
翌日、オーウェンは学院に病欠の連絡を入れると、迷宮スキルを使い王都へと入った。ヴィルヘルムはオーウェンの姿を見るなり、手招きをして小声で聞いてくる。
「シャルロッテ達にはバレなかっただろうな?」
「はい。特に勘づかれていないと思いますが…。もしかして、魔神の件で何か進展でもあったのですか?」
「いや、そっちはまだエルヴィス殿が調査中だ。今回はそれとは別件でな、以前にルクススで会った人魚の姫が余に面会を求めた事を覚えているか?」
「あぁ…ローラの事ですか?」
「そうだ。あの半年後、海洋国家アトラス国の国王を迎賓館に招いて会談を行ったのだが、その時は通商に関する取り決めをする程度だった。最近になって再び会談を設けるよう要請があったのだが、今度は向こうからお前を会談の場に呼び出すよう申し出があってな」
「何故、私を?」
「その姫がお前の事を婚約者だと主張しているらしい…」
「…初耳です」
「余は詳しい事情は知らぬが、お前のことだ。大方、彼女を誤解させるような物言いをしたのだろう。こうなれば、お前の口から直接誤解を解きに行かねばなるまい。…シャルロッテ達にバレてゴタゴタする前にな」
ヴィルヘルムがそう言うと、使用人が鞄を持ってヴィルヘルムの隣に並んだ。オーウェンが額に汗をかきながら尋ねる。
「ヴィルヘルム様、その会談というのは…まさか」
「あぁ、あと2時間後に予定している。善は急げと思ってな」
「…いくらなんでも、急過ぎませんか?」
「誤解を解くだけの事、特に気負う必要もあるまい。ついでに、迷宮スキルというものがどのようなものか確かめてもみたかったのでな。ルクススまで頼むぞ、オーウェン」
ヴィルヘルムがそう言うと、オーウェンは戸惑いつつもルクススに向けて迷宮を作成するのであった。
ーーーーーー
オーウェン達がルクススに着くと、以前と違って海沿いには多くの人魚達が集まっていた。
「交流が進んでいるようですね」
「あぁ、若い人魚達は我々に対してそこまで警戒感がないようだ。…向こうの王としては不本意だろうがな」
「…それはどういう…?」
とオーウェンが聞きかけた時、ホテルの方からブルーノが急ぎ足でやってくる。
「ヴィルヘルム様、到着されていたのですね」
「あぁ、別ルートで来たのだ。それより、会談の準備は万端か?」
「えぇ、特に問題はありません。15分前にはお声かけ致しますので、それまでお部屋の方でゆっくりされてください」
そう言うと、ブルーノはヴィルヘルムを部屋へと案内する。オーウェンは会談までの時間を潰そうと1人海岸沿いを歩く。すると、長い白髪を濡らした髭面の人魚が声をかけてきた。
「そこの若いエルフよ、手伝ってくれ」
「どうかしましたか?」
「ルクススの市というものを見てみたくて訪れたのだが、あいにく脚がなくてな。…この老いぼれを連れていって欲しい」
と人魚が言うと、オーウェンはホテルの壁にかけられた時計で時間を確認して言った。
「この後用事があるので、それまでで良ければ案内しますが?」
「構わん、頼む」
「少し待っててください、ホテルから荷台を借りてきます」
そう言うとオーウェンはホテルからバケツを載せた荷台を借りてくる。髭面の人魚と海水で満ちたバケツをオーウェンが軽々と持ち上げると、人魚は驚いて言った。
「驚いたな…エルフは、こんなにも力持ちなのか?」
「どうでしょうか、私は鍛えている方だと思いますが」
「…お主、名前は?」
「オーウェンです」
「…我はネレウスという。よろしく頼んだぞ、オーウェン」
ネレウスがそう言うと、オーウェンは荷台を押して市場の方へ向かった。
たくさん並んだ商品を見ながら、ネレウスがあれこれと質問をしてくる。オーウェンはわかる範囲で受け答えしながら、ネレウスの乗った荷台を押して歩いていた。するとステータス画面で設定していたタイマーが鳴り、いつの間にか会談の時間が差し迫っていることに気付いた。
「ネレウスさん、済みませんが時間が迫って来ましたのでビーチの方へと送ります」
「そうか、もうそんなに経っていたか。わかった」
オーウェンが急ぎ足で海岸沿いへと戻っていると、途中でネレウスが「あっちの方で頼む」と迎賓館の方を指さす。オーウェンは近場で良かったなどと思いつつ、特に疑問に感じることなく荷台を押していった。迎賓館に近い場所で、ネレウスを海へ帰すと別れ際にネレウスが話しかける。
「短い時間だったが楽しかったぞ、オーウェン。またいつか、エルフの国を案内してほしいものだ」
「縁があれば、またお会いする事もあるでしょう。その時はまた案内してあげますよ、ネレウスさん」
「…あぁ、近い将来にあるだろう。我の予言はよく当たるのだ」
意味深に呟くと、ネレウスは海へと帰っていった。
ーーー
オーウェンがホテルの方へと向かうとヴィルヘルムがブルーノと共にエントランスから出てきた所だった。
「オーウェン、何処に行っていた?」
「色々あって、市場の方を観ておりました」
「そうか、余は先に迎賓館へ向かっておく。お前の衣装はブルーノに任せてあるから、それに着替えてくると良い」
「わかりました」
護衛とヴィルヘルムが迎賓館へ向かうのを見送り、ブルーノに案内されてオーウェンは衣装部屋へと移動する。ブルーノが手渡してきたのは、年季の入った革製の安っぽい鎧であった。オーウェンが尋ねる。
「ブルーノさん…これは?」
「オーウェン様の衣装でございます。人魚族は見た目をかなり気にするようですので、『会談に似つかわしくない、なるべく安っぽく小汚い感じ』のものを選ばせて頂きました」
「なるほど。確かに、このように古びた鎧しか揃えられない家に娘をやるのは不安になりますね」
「そういうことです。さぁ、着替えてください」
ブルーノに促されて、オーウェンは骨董品のような鎧に着替えると、急ぎ足で迎賓館に向かった。既に席についていたヴィルヘルムがオーウェンを見て言った。
「少し猫背気味にすれば、よりだらしなく見えるだろう。顔を見られないように兜は絶対外すな。向こうの興味が削がれたら、速やかに部屋の外に出るようにな」
「はい」
などとオーウェン達が打ち合わせをしていると、従者達が海洋国家アトラス国王の到着を告げ、海面に接したガラス張りの床の一部を外した。関係者と思われる人魚達がその隙間から続々と入ってくると、最後に入ってきたのは先程まで一緒に市場を見回っていたあのネレウスであった。しかもその姿は、先程までの弱々しい老人ではなく威厳のある王の風格を漂わせている。
「!?」
オーウェンが額に汗を浮かべていると、ヴィルヘルムが話しかける。
「久しいな、ネレウス殿。ご健勝そうで何よりだ」
「ヴィルヘルム殿も、相変わらずお美しいですな」
などと、世間話を交わす2人の後ろでオーウェンは焦っていた。先程までネレウスと同行していた事をヴィルヘルムは知らない。ヴィルヘルムが下手なことを言えば2人の関係に亀裂が入ることをオーウェンは危惧していた。すると、一息ついてネレウスが言った。
「それで…オーウェンという人物はどちらかな?」
「あぁ、そう言えば紹介をするのを忘れていた。オーウェン、挨拶を」
と促されてオーウェンが前に出る。オーウェンはヴィルヘルムに伝わるように言った。
「先程は正式に名乗れず申し訳ありませんでした、ネレウス様。オーウェン・モンタギューと申します」
「…さっきぶりだな、オーウェン。我がネレウス・アトラス・フォン・ヴェスミアだ。お前のことはローラから色々聞かされている」
とネレウスが言うと、ヴィルヘルムは顔色一つ変えずに言った。
「ネレウス殿は既にオーウェンと面識があったか」
「あぁ、先程偶然会ってな。市場を案内してもらったのだ」
「なるほど…そう言うことか」
と言うと、ヴィルヘルムはオーウェンの方をジッと見つめた。オーウェンが鎧の中にジワリと汗が滲むのを感じていると、ネレウスが話し始める。
「ところで…先程会った時とは格好が違うようだが、その鎧には何か意味合いがあるのだろうか?」
ネレウスの鋭い質問に間髪入れずヴィルヘルムが返答する。
「モンタギュー家は古くから余に支えている者達でな。その付き合いの長さをネレウス殿達にも見せたかったということだ。そうだな、オーウェン?」
「はっ!」
と言ったオーウェンは緊張感からか、いつのまにか猫背にすることも忘れて直立不動の姿勢をとっていた。
「なるほど、そう来たか…」
と言うとネレウスはニヤリと笑ってみせる。ヴィルヘルムも何事も無かったかのように微笑んでいると、ネレウスの側近が話し出した。
「ネレウス様、大変申し上げにくいですが…いくら付き合いが長かろうと斯様な格好しか整えられぬほどの家の者では、姫様とは不釣り合いと思いますが?」
「今の見た目だけなら、我もそう感じただろうな…ヴィルヘルム殿、彼を我らの晩餐会に招いてもいいだろうか?」
とネレウスが問うと、ヴィルヘルムは少し難しそうな顔をしてみせた。
「どうだろう…酒を酌み交わす場に同席するには、彼はまだ若過ぎるからな。それに、彼には急遽こちらに来てもらっているが、学院での講師という立場もある。生徒達のためにも、これ以上仕事を放棄させるのは不適切だろう。そちらの側近の方が感じられたように、姫君とは不釣り合いということならこれ以上の長居は無用であろう、そうだな?オーウェン」
「はっ!」
オーウェンが即座に応えるとネレウスは一息ついていった。
「そうか、そういうことなら仕方ない。ここは諦めるとしよう…そうだ、ならば今度休暇を使って我がアトラス国へと来るが良い。ローラもお前と会いたがっておったからな」
「ネレウス様、それは…」
とオーウェンが断ろうとすると、ネレウスがジッと見つめながら言った。
「よもや、断りはせんだろうな。ローラから聞いているぞ、娘は確かにお前に自分のものだと言われ、胸を揉みしだかれもしたし、抱き合った仲だと」
ネレウスの言葉に、側近達がにわかに殺気立ち、ヴィルヘルムも非常に冷たい視線を送っていた。オーウェンが慌てて訂正する。
「そ、それは事実とはかなり乖離がありますが…」
「なら、その申し開きも含めて我が国へ来い。いいな?」
「…はい」
「約束したぞ、オーウェン。期限は半年以内だ、もう下がっていいぞ」
そう言うと、ネレウスはヴィルヘルムと会談を始めた。
オーウェンは気不味い雰囲気の中、会談場を後にしたのだった。