バハムートという魔物
バハムートの咆哮が響き渡り皆が耳を塞ぎながら踞る中、オーウェンは真っ直ぐバハムートを見つめていた。店主がオーウェンに「坊っちゃん!早く手を離してください!引きずり込まれますよ!?」と呼びかける。しかし、オーウェンは釣り竿を手放さなかった。
(普通の釣り竿ならそうするトコだが… オーガの釣り竿は仮とは言えど、ドロシーとの婚約の返礼品だ。竿だけ回収することも考えたが、糸は鋼鉄よりも強い強度を持つオーガの髪を撚り合わせて出来ており、釣り針もアダマンタイトを粗削りしたもので簡単に折れないからな…)
「大事な約束の証だ、みすみす魔物にくれてやる訳にはいかない」
オーウェンは力一杯竿を持ち上げるが、バハムートも負けじと糸を引く。他の客やナサニエル達が見守る中、しばらく膠着状態が続いた。程なくして、バハムートが先に仕掛ける。左へ右へと走り、竿を目一杯振り回そうとするが、オーウェンは竿の向きを変えそれを上手くいなした。徐々にではあるが、バハムートが陸地に近づいてくる。すると海に引きずり込むことを諦めたのか、バハムートが急に猛スピードでオーウェンに向かってくる。
「なるほど、引いてダメなら押し掛けようというわけか」
オーウェンは竿を大きく振りかぶると、バハムートが湖面から飛び出すタイミングに合わせて思いっきり釣り竿を振るった。釣り竿から放たれた斬撃がバハムートの鱗を一部吹き飛ばす。バハムートは空中できりもみしながらもオーウェンに向かって一直線に向かってきた。
『オーウェン!!』
と皆が叫ぶ中オーウェンはゆっくりと竿を置いて、方天画戟を片手に跳躍しバハムートに向かっていく。方天画戟を音速で切り上げると、ズパンッという音と共にバハムートの鼻先から背中にかけて一直線に切れ目が入った。一瞬で背開きになって絶命したバハムートが湖面に叩き落とされ大きな波飛沫を上げると、港に着けられていた小舟が木の葉の様に大きく揺れる。皆が驚愕する中、オーウェンはサーフボードに乗る要領で背開きになったバハムートに乗って戻ってきた。
「すげぇよ!一撃じゃねぇか!」
「我が主がこれほどの釣りの腕前とは…感服致しました」
「…これって釣りだったのか?」
などと他の客やナサニエル達が盛り上がる中、ドロシーがオーウェンの下へと小走りで駆けてきて言った。
「大丈夫ですか?…釣り竿くらい…手放してくれても良かったのに」
「…例え仮であっても大切な婚約の証は手放せませんよ」
とオーウェンが困った様な笑顔を見せるとドロシーは人目も憚らず、オーウェンに抱きついた。
「私のことも…離さないでくださいね」
「無論です」
そういうとオーウェンはドロシーの頭をポンポンと軽く撫でた。
バハムートが退治されたという話は瞬く間に周囲へと伝わり、いつの間にか店は多くの見物客で溢れかえっていた。オーウェンが人の頭ほどある魔血石を取り出すと、見物客からは大きな拍手が自然と沸き起こった。ティンカーが嬉しそうに近寄ってくる。
「うわぁ、大きな魔血石だね!」
「以前にも採取した事があるが、これほどの大きさではなかったな」
「このサイズなら、都市全体に防御魔法を張れるほどの呪具が作れるよ、安く見積もって5億ってとこかな」
「…そんなにか?」
「ボクならそれくらいは出すかな、呪具は8億くらいで売れば利益は十分だしね」
億単位の金額を聞いてナサニエル達が目を輝かせる。
「5億って…オーウェン、大金持ちじゃん!」
「…俺は金に変えるつもりはないぞ」
「え!?ご…5億コルナだぜ!?」
とナサニエルが残念そうな顔をすると、オーウェンはフフっと微笑んで言った。
「今の俺達にそんな大金は必要じゃない。それにいずれ、これが必要になる時がくるかもしれないだろ?」
「そうかぁ?オレなら喜んで変えちまうと思うんだけどな…」
とガッカリしてみせるナサニエル達。その後ろでエルヴィスは「欲も無いとは…流石は我が主、素敵ッ!」などと1人で舞い上がっていた。
ーーー
食事を済ませたオーウェン達は、オーズィラ国王のロイ・ロー・フォン・オーズィラへ面会するためヴァダの中心にある王城を目指す。謁見の間に通されるとロイはにこやかな笑顔でオーウェン達を迎え入れた。
「よく来たね、皆。観光は済ませてきたかい?」
「えぇ、ヴァダは本当に美しい街ですわ。景色も素敵で、料理も美味しくって」とシャルロッテ達。
「ハハハ、王女様達にもお気に召して頂けたようで良かった。この湖の水は呪具で常に浄化されているからね、魚はもちろん水耕栽培の野菜にも清らかな水が常に行き渡っているのさ」
と嬉しそうに話すロイにオーウェンが話しかけた。
「ロイ様、オーウェンと申します」
「知っているよ、その博識もさることながら武勇も優れるというヴィルヘルム陛下お気に入りのコだね。他のコ達も『鳳雛隊』だろ?以前に叙勲式で見たからね」
ロイにそう言われて照れたように頭をかくナサニエル達。オーウェンは表情を変えずに続けた。
「覚えていただいて光栄です。早速ですが、ロイ様が私達に用意してくださった課題とはなんですか?」
「あ〜、それなんだけど…ついさっき片付いちゃったんだよなぁ。ウチの騎士団でも手こずったバハムートがまさかこんなに簡単に片付くとは思ってなかったもんだから他には用意していなかったんだよね。…ってことで、まぁ他に適切な課題は残っていないんだよね」
「…そ、そうでしたか」
「まぁ、そう言うわけで適当に観光をしt…」
とロイが言いかけた時、そばに居たティンカーが口を開いた。
「つまり不適切な課題なら残っているということですか?」
「…キミは?」
とロイがキョトンとした顔を見せると、オーウェンが口を開く。
「申し遅れました、彼はティンカー。そちらのケンタウロス族のゴーシュと共に私達の旅をサポートしてくれています」
「ティンカー…何処かで聞いたような…まぁいいか。その歳ですでに専属のパトロン持ちとは素晴らしいね。それで、そちらの御人は?」
とロイがエルヴィスを指差す。オーウェンが「彼は…」と言いかけると、エルヴィスが前に出て自己紹介を始めた。
「我が主の手を煩わせる訳にはいきませんので…。私はエルヴィス・アーヴァイン、宮廷の筆頭魔術師を経て今はオーウェン様をお支えする者の1人で御座います」
「ハハハ、どこの宮廷か知りませんが面白い冗談を言いますね…ん?」
皆の真面目な顔を見てロイが不思議に思っていると、オーウェンが口を開いた。
「ロイ様、エルヴィスが言った事は本当です。彼は古代エルフなんです」
「は!?古代エルフ!?…古代エルフの国が存在したのは三千年も前の話だよ?」
困惑するロイに、オーウェンがエルヴィスと出会った経緯について簡単に説明する。話の流れでティンカーがティンカーブランドの創始者であることも知り、ロイは驚きを隠せない様子だった。
「…というわけで、今は私の従者として旅に付き従ってもらっています」
「な、なるほどね。それにしても…パトロンにはあのティンカーブランドの創始者、さらに古代エルフまで従者にするとは。…ヴィルヘルム様が目を離せないのも頷けるね」
と納得するロイにティンカーが再度問いかけた。
「それで先程の質問なのですが、不適切な課題ならあるということですか?」
「あ、あぁ。この国の根本に関わる問題でどうにもならないと考えていたんだけど…君達になら相談してもいいかもしれないね。さっき呪具の話をしたんだけど、実はこの国には呪具は2つ存在するらしいんだ。1つは都市を浮かべるために私の祖先が作り上げたもの、そしてもう一つの呪具は水を清らかにしていると言ったが正確にはそのような効果があるらしいという憶測でね…実は私はその呪具を見た事が無いんだ。何しろその呪具はこの湖底にある遺跡の中にあってね」
〜〜〜ロイの説明によれば、オーズィラには元々古代エルフの国とロイ達エルフの先祖が住む小さな集落が幾つかあった。当時オーズィラに湖などはなく、生活に必要な水は古代エルフの国から集落へと供給されていたのだが、未知の病により古代エルフの王族が亡くなり、ついには国そのものが滅亡してしまった。水の供給が止まりそれに伴い多くの人々が土地を離れていく中、ロイの先祖はこの土地で生きていく方法を模索しようと水を求めて古代エルフの遺跡を探索したらしい。〜〜〜
「そうして、私の先祖は見つけたのさ…この湖を生み出す呪具をね。そして、それはこの国の始まりと同時に苦悩の始まりでもあったんだ」
そう言うと、ロイは深い溜息を吐いた。