ラケットを選ぼう
【ラケット】
持ち手の付いた輪状のフレームにストリング(ガット)を張った用具。
バドミントンの用具でシャトルと並んで最も大事な品であり、もちろん選手それぞれに適性や好み・こだわりが存在する。
ちなみにルールで、大きさには厳格な上限の規定があり巨大なラケットを扱うことはできず、またラケットを故意に二本持ち二刀流で戦うことも禁止されている。
「じゃあ今日のまとめ、ノック始めるよー! ノックの人と次の順番の人以外は羽拾って集めてー!」
『はいっ!』
私が張り上げた声に部員全員が応える。人数は少ないが、返ってくる声はそれを感じさせないほどに大きかった。
「お願いします」
佳川 空。
体格は平均。胸は控えめ。ゆるく結んだおさげがふわふわと揺れる。練習着やラケットなどは青系の色を好んでいるみたい。
バドミントン部経験者だが、中学の半ばでトラブルに遭い退部している。練習せずに見ているだけでもいい、好きな時に帰っていいという特殊な条件でこの部に参加してもらっているけど、彼女はきっちり練習に参加してくれている。初日の反応から、シャトルを打つのも嫌がるかもしれないと思っていたけれど、練習でシャトルを打つ分には大丈夫みたいだ。地味な練習に対してもとても真面目に取り組んでいるのは、彼女の根っこにある真面目さからだろうか。
彼女のバドミントンはコントロールに重きが置かれているように見える。パワーは並でも、とにかくコントロールが正確。コートを見渡す視野もとても広く、いつでも丁寧にコースを選んで返球をしているのがわかる。彼女には未知の能力があるけれど、それを差し引いても良い選手だと言えた。
彼女をみすみす手放したという中学のバド部はバカなことをしたものさ。
───コートに立てたシャトルケースに打球が直撃し倒れる。
「ナイスショット! 空ちゃんはいつもその丁寧さを忘れないでね」
「……はい」
追記。中学のバド部のことを思い出してか、時折仄暗い表情を見せる。要観察。
「お願いしまーす!」
幸村 こころ。
体格はやや大きめ、声も大きめ、胸はほどほどに大きめ。活動中はよく髪をポニーテールに結っている。色にこだわりはなさそうだけど、強いて言えば暖色系が多い。
中学で三年間バドミントンを続けていた経験者。空ちゃんが退部するまで同じバド部に所属していた。彼女も練習には真面目だけど、どちらかと言えばストイックという言葉が似合う。彼女の中には確かな目標があるのだと思う。その目標が何かは……空ちゃんに関係しているのかな。
彼女は見た目通り、体格の分だけ他の部員よりもややパワーに秀でている。加えて、厳しいコースに打ち込まれてもけして見送ったりはしない。大した根性の持ち主だと思う。裏を返せば選球眼が悪いとも言えるので、そこが課題になるのかもしれない。
「おりゃーっ!」
彼女が力を込めた打球がネットにかかる。
「丁寧にやりたまえよっ!」
少しコントロールに難があると思うのは、空ちゃんのせいで目が肥えてるからかな。
「お願いしますっ!」
待木 舞歌。
体格は小柄、胸は絶壁。ランドセルを背負えば小学生にも見えそうな美少女。いつも結っているツインテールがその印象を強化している気がする。身につけているアイテムもピンクが多いし。
バドミントン選手の両親の影響で、幼少よりバドミントンを続けてきた熟練者。何度か大会で当たった覚えもある。親の縁と美しい(というか超可愛い)ルックスから、バドミントン用品のモデルをしているのを雑誌やカタログでよく見る。半ばアイドルプレイヤー扱いされている部分もあり、ファンも多いとか。バド部員がほとんどいないようなウチの学校をなぜ選んだのだろう。
年季の違いか、基礎の完成度が他の部員よりも遥かに高い。もしかしたら、基礎では私を凌駕しているかもしれない。フォームも部で一番綺麗だ。しかし体格で劣る分、強打に難がある。熟練した彼女のことだから、それをケアする戦い方も身につけているのだとは思うが。
最後の一球が返ってくる。空ちゃんに負けない良いコントロールだ。
「よーし舞歌ちゃん完璧だ! あとでアメちゃんあげよう!」
「子供扱いすんなー!」
「お願いします!」
若草 紗枝。
体格は並、胸は並。後ろでお団子に結った髪が、現在ロングヘア率の高いこの部では目立つ。アイテムはずーっと緑で固めている。……迷彩みたい。
一年前にバドミントン部に入部した二年生で、現副部長。入部当時は未経験者だったけど、私がマンツーマンで鍛えた甲斐あってかなり強くなった。ところで、新入生のみんなは知らないけれど、昔の紗枝はもっと気性が荒かったのだ。入部当時の紗枝と言ったら、それはもうジャックナイフのように尖っていたのだ。いつかその話もしよう。
紗枝のプレーや能力に特別目立つところは無いのだけれど、レシーブ力だけは出鱈目に高い。多分、一年間私のスマッシュを受け続けたせいだ。私はノック中、試しに急角度の球を打ち込んでみるけれど……ほら返してきた。
「急に強打するのはやめてください!」
「でも取れてるんだよなあ」
「お、お願いします……」
羽月 初。
体格は並……に見えるがそれはウチの部内───女子と比べての話。空ちゃんたちと並ぶ程度の身長は、男子の中では小さい部類に入るだろう。そう、彼は男子なのだ。大和撫子然とした可憐な顔立ちとさらさらの黒髪、細く白い手足は女子にしか見えないが、彼は紛うことなき男子なのである。もし彼が女子だったなら、『五人目』を求めて空ちゃんと出会うことも無かったのかもね。
新入部員で唯一のバドミントン部未経験者。それどころか運動部も未経験だというが、どうしてバドミントン部に入ってきたのだろう。
彼は初心者なりに四苦八苦しながら、なんとか練習について来ている。周りは経験者ばかりで苦労することも多いかもしれないが、できる限りサポートして、バドミントンを楽しいと思ってもらいたい。
「こら! ラケットの打点下がってるよー! 素振りを思い出して!」
「はい!」
練習に対して一生懸命なのはすごく感じる。いい子だなあ。
さて、部員全員のノックが終わった。残すは部長の私だけだ。
「舞華ちゃん」
「はい」
「空ちゃんも一緒がいいかな」
「はい……?」
コントロールがいい後輩を二人捕まえて、私は依頼した。
「二人いっぺんに私のノックやってくれる?」
「「は?」」
***
「二人で打っても全部打ち返すアレの運動能力はどうなってんのよ……」
私と二人で部長のノックを担当した舞歌ちゃんは、整った眉をひくひく痙攣させながら言った。
「さあ……?」
私にも見当がつかなかった。二人で球を出すタイミングが被らないようにはしていたけれど、それでも、一人でやるより遥かに早いペースでノックを出したはずだった。それなのに、部長は全て打ち返して見せた。舞歌ちゃんの疑問はもっともだった。一体どんなカラクリがあるんだろう。
「こら、タメ語は許すけどアレ呼ばわりとはどういう了見だよ」
「いだだだだっ!?」
舞歌ちゃんの背後に忍び寄った部長が、舞歌ちゃんを両手で抱きしめるように拘束し、頭にアゴを乗せて頭頂部にガクガクと衝撃を与えている。地味に痛そう。
「はーい、今日もお疲れ様でしたー」
拘束を解いた部長がぱんぱん、と手を打って部員に注目を促した。
「さて、部活も一週間が過ぎました。みんな練習に慣れてきたかな?」
「せんせー、約一名筋肉痛に喘いでる人がいます」
副部長の紗枝先輩が指を指したのは初ちゃん……じゃなかった、初君だった。
「だい……じょうぶ、です……」
「空はブランクあるのに筋肉痛しないのか?」
こころちゃんが私に囁く。私は無言で首を横に振った。
「初君は運動部未経験だからね。でも筋肉痛は筋肉ができていく兆候だから、これからたくましくなるってことさ」
「楽しみ……です」
応える初君は痛みに顔を引きつらせていた。辛そうだけど、中学の最初は私もそうだったなあ。
あの頃は楽しかった。三年生の先輩は優しかったし、やることがみんな新鮮だった。私が変な力を手に入れたりしなければあるいはずっと続いたのかも───。
「明日は日曜日ですが、なんと一日オフです」
「部長は粋な計らいみたいに言ってるけど、要するに体育館を抑えられなかっただけですからあいたッ!?」
「余計なことを言わなくてよろしい。どこかで休みを取ろうと思ってたのは本当なんだ」
部長と副部長のどつき漫才に他の部員から笑いが起こり、私は我に帰った。
「一日体を休めるもよし、どこかに遊びに行くもよし。自主練してもいいけれどオーバーワークには気を付けたまえ。それぞれリフレッシュして月曜日からまた頑張って行こう」
おー、と部長に応えて声が上がる。
「繰り返しになりますが、来週日曜は市民大会です。月曜からみっちりと練習しますので、 そのつもりで。それでは解散! お疲れ様でした」
『お疲れ様でした!』
解散してすぐ、こころちゃんが私に尋ねてきた。
「空、お前明日予定あるか?」
「無いけど、なんで?」
「空けとけよ」
こころちゃんは含みのある笑顔でそれだけ言って、そそくさと帰ってしまった。
あの顔は……私の入部を賭けた試合で一点マッチを提案した時にも見た気がする。
何を考えているんだろう……。
二週間限定の私のバドミントン部の活動も、折り返し地点を迎えた。
部長の話では、新入生の入部に先んじて大会への出場登録を済ませたので、私にも大会に出てほしい、ということだった。今回の新入部員の参加費は部の予算から出してくれるらしい。
二週間ぽっきりの部活動を終える節目として相応しいかもしれない。
私はそんなことをぼんやり考えながら、着替えて学校を後にした。
「お願いします」『ファイトーっ!』
怒声のような掛け声が体育館に響く。
「次、空ちゃん入って‼」
部長に促されてコートに入る。今は百本ノックの練習中だ。
四方八方、矢継ぎ早に打球が繰り出される。それらを返球することはけして楽ではない。でも───。
『空ちゃんはいつもその丁寧さを忘れないでね』
部長に言われた言葉を思い出す。
丁寧に───。
「ナイスショット!」
相手のコートをよく見て───。
「良いよー空ちゃんその調子!」
相手の隙を突く───!
シャトルは絶好の高さに滞空している。
相手のコートの一点に光が見える。
私はそこ目掛けてシャトルを───。
「───インチキ」
地面が崩れ去ったような衝撃。
立っていることができずに私は落ちていく。
時間が限りなく長く引き伸ばされて、スローモーションになる。
シャトルは私のラケットからこぼれ落ちて消えていく。
助けを求めるように目を向ける。
ネットの向こう側に私を疑う部長がいる。
「どんなインチキを使ったのかな」
「空、アタシ、やっぱり怖いんだよ……」
ネットの向こう側に私を嘲る舞華ちゃんが立っている。
「嫌ならやめちゃいなよ」
ネットの向こう側に私を蔑む初君が立っている。
「そんな風に戦って楽しいの?」
ネットの向こう側に私に怒りを向ける紗枝先輩が立っている。
「もう来ないでください」
ネットの向こう側にもう一人が立っている。
「ウチらはインチキする人は認めないから」
部長、私の、中学の──────。
私はベッドの上で目覚めた。
息の仕方を忘れていたような苦しさが胸に詰まっている。ゆっくりと息を吐いて、吸う。
身を起こすと、嫌な汗で背中と髪がぐっしょりと濡れていた。
───夢。
全ては、私の見た夢。
どうしてこの夢を見たのか、よくわかる。
この夢は、私の恐れそのものだ。
私、みんなにああ言われるのが怖いんだ……。
汗ばむ右手を開いて握って、開く。
バドミントン部を辞めてから一年半も経つのに、あの力はまだ私の手にあった。
私の力が一体何なのか、私にもわからない。
今のバドミントン部のみんなは、とてもいい人たちだと思う。まだ、夢で見たようなことは言わないと思うけれど、この先私が無意識的にしろこの力を使えば、何を言うかわからない。私はそれが怖い。
『インチキ』という言葉は、本当にあった現実なのだ。
胸にまだ苦しさを感じて、私は胸を強く押さえた。
「空ちゃーん、起きてるー?」
階下よりお母さんの呼び声がした。枕元のデジタル時計は午前九時を示していた。
今朝は私にしては遅起きだけど、それでも休日の朝に私に声をかけることは珍しいと思った。何か用事かな。
「友達が来てるよ、たくさん」
「おっす空」「おはよう佳川」「おはようございます」
『たくさんの友達』の内訳は、こころちゃん、舞歌ちゃん、初君の三人だった。こころちゃんと舞歌ちゃんはラケットまで装備している。
悪夢に出てきた顔ぶれを見たことで、私はまた胸に苦しさを覚えた。
どうしてこの三人が私の家に? 寝起きであることも相まって思考がイマイチ追いつかない。
「おー、空がどうしてって顔してる」
人の顔を見て面白がってるこころちゃんはとりあえず無視した。私は舞歌ちゃんに目を向ける。「初君がお願いがあるそうよ」と、舞歌ちゃんがニヤニヤしながら目配せをした。
「あ、あの……」
私服の初君が赤くなってもじもじとしている。
この子は私服になっても可愛い。着てる服は女物ではないのに、彼の小さい体と可愛い顔立ちがそうは見せてくれない。どう見ても、『ボーイッシュなファッションの普通の女の子』が良いところだった。
して、その用件とは?
「……付き合ってください‼」
頭を抱えるべきか、きゅんと締め付けられる胸を押さえるべきか、私はしばし悩むことになった。
落ち着いて聞けば何のことはない。買い物に付き合ってほしいというだけの話だ。
ちなみに初君にああ言わせたのは部長だそうだ。……あの人は。
「ラケットを買いに行きたいんだけど……」
「そっか、まだ初君はラケット持ってないんだっけ」
そういえばそうだった。初君はラケットを始めとした、バドミントンに必要なアイテムを持っていない。ラケットは部長のものを借り、シューズは学校指定の体育館履き、練習着は毎度体操着を着ている。
「ラケットもたくさん種類があるよね。何を買っていいかわからないから、経験者の意見を聞きたいんだ」
「でもそれなら私たちのうちの一人でもいいんじゃ?」
私以外の経験者二人を見やって言う。二人のどちらかでも、ちゃんと初君の力になれるはずだ。
「いろんな意見があった方が面白いいかなー、と思って」
たはは、とこころちゃんが笑って頬をかいた。
……それ、下手したら初君が混乱する原因になったりしないかな。
私が疑念に眉をひそめたのを受けて、こころちゃんは「それに」と付け加えた。
「今日の予定は買い物だけじゃないっ!」
叫ぶこころちゃんは、懐から何かを取り出して天に翳した。
「それは?」
「駅前のスパの無料チケット。もらいものなんだけど、六人分あるからバドミントン部みんなで行こうと思って」
きっちり六人分だなんて、そんなご都合主義な。
「ラケット選んで、ガット張ってる間にお茶して、ラケット受け取ったらスパ行こう」
「過密スケジュールじゃない」
「いいじゃないかよー、女子会しようぜー!」
男子が一人いるのを忘れないであげてほしい。
しかしそれならそうと、昨日のうちに誘えばよかったはず。私の予定を聞いたのはもうお出かけをする腹積もりだったからだろうに……。
「でも残念だったなー、空に目覚ましドッキリを仕掛けようと思ったのに、寝起きドッキリに降格しちゃった。あ、そういや空、可愛いパジャマだな」
…………。
私はかかとでこころちゃんの足の甲をぎゅっと踏みつけた。
「出かける準備にちょっと時間かかるから、リビングで待ってて」
足を押さえてうずくまるるこころちゃんを尻目に私は風呂場を目指した。
「部長たちは?」
「二人は夕方まで予定があるって言ってた。スパから参加するってさ」
「そう」
私たちは電車を乗り継いで、スポーツ用品店に向かって歩いていた。ただの店なら駅近くにもあるけれど、舞歌ちゃんがガットを早く張ってくれる店を知っていると言うので、私たちは少し足を伸ばした。
私は財布の中を覗いた。紙幣入れのスペースには、高校生にはやや不釣り合いな額の紙幣が入っていた。
……もらっちゃったなあ。
私が初君の付き合いでラケットを買いに行くと伝えると、お母さんは喜んで「空ちゃんも新しいの買ってきなさい」と言い、私にお小遣いを握らせたのだった。あと一週間しかバドミントンをしないと言っても聞く耳を持ってくれなかった。
「いいじゃないの、買ってくれるってんだから」
「もったいないじゃん、あと一週間しかやらないのに」
「じゃあもっと続ければ」
「それは……」
苦しさに言葉が切れる。脳裏によぎる悪夢の残滓が、私の胸を締め付けた。
「……私はバドミントンが嫌いだから」
絞り出すように呟いて、私は舞歌ちゃんから目をそらした。
「……奇遇ね」
え、と呆けた声で聞き返してしまう。舞歌ちゃんから返ってきた言葉は私のまったく予想していないものだった。
私の反応を見て取って舞歌ちゃんはアイドルらしからぬ皮肉っぽい笑みを浮かべた。雑誌では見たことのない舞歌ちゃんの顔だった。
「意外そうな顔ね」
だって、舞歌ちゃんはバドミントン業界のサラブレッドで、モデルで、アイドルで、いつか読んだ雑誌のインタビューでだってそんな様子は───。
「アイドルってそんなもんよ。親が親だから周りはたくさん期待するでしょ。でも私には才能が無かった。嫌いになるのには十分な理由だと思わない?」
才能、と言う時に舞歌ちゃんは自分と私の頭を指して背比べのジェスチャーをした。
練習や努力で手に入らないもののことを才能と呼ぶのなら、身長や体格もまた、才能と呼べるだろう。事実、舞歌ちゃんの身長は同年代の女子と比べて大きく劣る。そしてそれが影響して、舞歌ちゃんはパワーにおいても難がある。
バドミントンというスポーツに最適な身長がどれくらいかというのは難しい問題だけれど、少なくとも舞歌ちゃんの身長ではありえない。
それでもサラブレッドだからと期待されて、努力しても力はついて来なくて……。そうしたら、バドミントンを嫌いになってしまうことも、そうおかしなことではないのかもしれない。
でもそれなら。
「ならどうして舞歌ちゃんは───」
「店あったぞー!」
私の疑問は先を歩いていたこころちゃんの能天気な叫び声にかき消されて、答えてもらうことは叶わなかった。
「行きましょうか」
そう言ってこころちゃんを追う舞歌ちゃんは、私の視界の中で、雑誌で見たよりもずっと大きく、ずっと大人びて見えた。
「わあ……! ラケットがいっぱいある!」
初君のはじめてのスポーツショップ入店だ。
ラケットを見比べる初くんをこころちゃんが優しい目で見つめていた。
「初々しいというか……アタシらにもあんな時代があったよな」
「私あんなにはしゃいだことないわよ」
「こころちゃんが中学生の時はもっとこう……落ち着きが無かったよ」
「空はちょっとオブラートが薄いな?」
こころちゃんはもっと自分を省みた方がいいと思った。
「ラケットを選ぶ時って、どういうポイントを見るべきなの?」
初君が数十種のラケットを前に首を捻った。
「重さが一番!」と舞歌ちゃんが早押しクイズみたいに素早く答えたけれど、答えが端的すぎたせいで初君は余計に考えこんでしまった。
バドミントンのラケットの重さは、一般的に七十から百グラムほど。手に持っただけではその差はほとんど感じられないだろう。
「ラケット自体の重さもそうだけど、重さのバランスが違うんだよ。ラケットの頭の方が軽ければ振りやすいし、重ければ振りにくいけれどパワーが出る。初君は初心者だし、こう、手元で小さく振ってみて振りやすいと思ったものがいいと思うよ」
見かねて、私はつい解説をしてしまった。
「そうそう、それが言いたかったのよ」
舞歌ちゃんがうんうんと力強く頷いている。いや、言い出しっぺが説明してよ。それでもコラムニストか。
「あとは、値段も見た方がいいよな、一応」
こころちゃんがもう一つのポイントを提示してくれる。そう、値段も選ぶ上で外せないポイントだ。
バドミントンのラケットは安いもので数千円、高いものなら数万円になる。それに弦やグリップテープといった消耗品も合わせたら、なかなか馬鹿にならない金額になるので、値段を考えるべきだというこころちゃんの主張は正しかった。
「初君、今日の予算はいくら?」
「えっと、……貯めてたお小遣いとお年玉から三万円持ってきました」
「「お小遣いから……⁉」」
こころちゃんと自然に目を合わせた私たちは、声を潜めながらお互いの常識を確認した。
「(ラケット買う時こころちゃんはどうしてる?)」
「(親に土下座してるに決まってるだろ、空が前にラケット買った時は?)」
「(私だってお母さんに頼んだって)」
私とこころちゃんの経験者同士の内緒話に初君が怪訝そうにしている。
「どうしたの? もしかして、これでも足りなかった?」
「いや、違う」
「アタシたちにはお前の姿が眩しすぎるんだ……」
私たちでもラケットを買う時には親を頼るのに、初心者で、初めてのラケットで自分の貯金から大金を出す初君の覚悟に私たちは震えるしかなかった。いったい何が彼をそこまで駆り立てるのか……。
「あとは……ガットを張るテンションの話もしておく方がいいんじゃないか」
気を取り直したこころちゃんがラケット選びとまた別の大事なことを思い出させてくれた。
「テンション?」
「店員さんにテンション高く張ってくださいって頼むと、歌って踊りながら張ってくれるわよ」
「ちげーよ! なんでいつも初心者を混乱させること言うんだお前もう帰ってくれよ!」
得意顔の舞歌ちゃんをこころちゃんがべしべしと叩いて窘めた。
初君は歌って踊りながらラケットをいじる店員の姿を想像しているのか、肩を震わせている。
「テンションっていうのは、バドミントンのガットを張る強さのことだよ」
ガットのことは、ピンと張った糸のことを想像してもらえばわかりやすい。私は両手の人差し指をくっつけて弦を再現して見せた。
「ガットをゆるく張ると、ガットがよくたわむから、ラケットのどこに当ててもシャトルがよく飛ぶし、思った場所に飛ばしやすくなるの」
うまく説明できているかそんなに自信は無かったけれど、初君はうんうんと頷いて聞いてくれていた。
「逆に強く張ると、ガットがたわまないから、すぐシャトルを弾く分早く打球を返せるわけ。ラケットの真ん中で打てないとまともにシャトルを飛ばせなくなるけどね」
時間にすればコンマ数秒の差だけれど、時速三百キロの打球をやりとりするのだから、それが勝負を分ける、こともあるかもしれない。
だから、初心者には標準の二十ポンドか、それより緩めの十六~十八ポンドあたりでガットを張ることが推奨される。まあ、ガット張りを注文する段になってからもう一度説明してあげた方がいいかな。
こころちゃんが私の袖をくいくいと引っ張って聞いてきた。
「空は選ぶ基準、何かないのか?」
そういえば何で選ぶか、ちゃんと考えたことは無かったけどやっぱりこころちゃんや舞歌ちゃんが言ってるのと同じところじゃないかな。私は今あるラケットとその前に使ってたラケットを買った時のことを思い出す。そう、あれらを買った時の決め手は───。
「色……かな」
「性能関係ないじゃんか!」
色も大事だよ?
「自分が好きな色とか、いいと思うデザインのラケットやシューズを使うとモチベーションが上がるし、見た目もちゃんとした選ぶポイントだよ」
「どーだか、もっともらしいこと言って……」
こころちゃんは私に疑念の眼差しを向けた。
私たちが話してる間に、舞歌ちゃんは初君にラケットを勧めてあげてるようだった。
「これなんかどうかしら」
「わ、すごい軽い、振りやすい!」
順調に選べてるみたいでよかった。
「私も同じの使ってるんだけど、このマッハスピード8000は最新のカーボンテクノロジーを組み込んで作られていて、信じられないほど軽いのにとても丈夫なのよ」
うん? 確かそのラケットって───。
「@イグニッション社の最新モデル」
「27800えーーーん!」
思わず私は舞歌ちゃんに裏拳でツッコミを入れた。
「いったあ、何すんのよ」
「予算聞いてた? 値段見た? まだシューズもガットもあるのに最新ハイエンドモデルなんか買えるわけないでしょ」
「あー、値段かぁ……。長らく値段を見てラケット買ってなかったから」
「いつもどうしてるの……」
「モデル代があるからね」
舞歌ちゃんはしれっとそう言った。これだからアイドルプレイヤーは……。
とにかく、彼女の金銭感覚は崩壊していることがわかった。私は高級ラケットを元の場所に戻させた。
それからラケットを買うだけで一悶着も二悶着もして、シューズの時も一悶着してやっと初君はアイテムを揃えた。
私たちもそれぞれにラケットを一本ずつオススメしたけれど、どれにするか最後に決めたのは初君自身だった。
こころちゃんが悔しそうにいくしゃくしゃと髪を掻き乱しながら言った。
「アタシのオススメ、自信あったんだけどなー! 何が決め手だったんだよ」
「振りやすさも、もちろん値段も見たよ」
初君は私をちらりと見た。
「みんなすごく良かったから、最後は色だったな」
「アタシは色に負けたのかーーー!」
こころちゃんは頭を抱え、それを見て初君はクスクスと笑った。
ガットを張ってもらったラケットを店員から受け取る。
渡されたばかりのラケットをケースから抜いて、初君は天に掲げた。新品の輝きを放つそれを見て初君が「わぁ」と感嘆の声を漏らした。
「『はじめての剣』って感じだ」
それを見たこころちゃんのRPG的な感想はなかなかしっくりと来てくすりと笑えた。
操作性に優れるスタンダードな初心者向けのラケット。価格もそう高くはない。銀色に輝くそれは確かに初々しい駆け出し冒険者の剣にも見えた。ちなみにガットのテンションは私の勧めで、私と同じ十八ポンドで張ってある。
「佳川のはどうなったのよ」
そう、私も自分の新しいラケットを買った。初君と同じく渡された一振りを、私も抜く。
初君の軽いラケットよりもさらに軽い、操作性特化の超軽量モデル。ガットとラケットで揃えた青が鮮やかに映える。
胸の奥がじわりと熱くなって、手足に伝わっていく。
買っちゃったのだ。高かった。なんと無駄な出費だろう。私はあと一週間しかバドミントンをしないと言うのに。
「嬉しそうだな」
「嬉しそうね」
「嬉しそう……」
「ばっ……バドミントンは嫌いでも、ラケットに罪は無いからっ!」
三人の「そういうことにしておいてやるか」見たいな生暖かい目に私は納得がいかなかった。