エースダブルス
「それじゃあ、オーダーを交換して、第一ダブルスからコートに入って始めましょう」
杉立キャプテンの号令で、アタシたちと御上山、それぞれに書いたオーダー表が交換された。
このタイミングで初めて対戦相手の出場順番がわかるというわけだ。
御上山学園高校オーダー
第一ダブルス:杉立智果・上山ゆかり
第二ダブルス:右城野良子・真栄野優子
第一シングルス:功刀藍々
第二シングルス:杉立智果
第三シングルス:上山ゆかり
しかし、いざ見ても……名前だけじゃ誰が誰だかわからん。わかるのはせいぜい杉立キャプテンと上山ゆかりお嬢様くらいだ。
特に第一シングルスの子の名前……これはなんと読むのだろう?
オーダー表を受け取った舞歌ちゃんが眉間に皺を寄せた険しい表情で、おそらくは自分の対戦相手の名前を睨め付けていた。
本人はよく思っていないらしいけど、舞歌ちゃんはファンが観戦に訪れるほどのアイドルプレーヤーだ。さすが舞歌ちゃんほどになるとやはり他校の選手のことにも詳しいんだな。
そのうちふっと眉間の皺を消した舞歌ちゃんがさっぱりとした顔で言ってのけた。
「ふふふ……名前だけ見てもさっぱりわかんないわ」
「いやわかってなかったんかい」
アイドルプレーヤーは関係なかった。
「それより、私を第一シングルスにしたんだから……勝ってきなさいよね」
それまでとまた違う不機嫌そうな表情に変わった舞歌ちゃんは、そう言って鋭い視線をアタシに向けた。
第一ダブルスはアタシと空。
第二ダブルスは部長と紗枝先輩。
第一シングルスは舞歌ちゃん。
第二シングルスは部長。
第三シングルスは空。
これが今回の深水高校のオーダーだった。
このチームのエースである空と部長が出場する試合を最大数取ることで団体戦での勝率を上げる作戦だ。個人に依った作戦ではあるが、これが今の深水のベストオーダーの一つなのは確かだ。
最大で二回戦うことになる空の精神的な支えとなるべく、ダブルスのパートナーにはアタシが選ばれた。
シングルスで強い空と部長が二回出場するため、ダブルスと兼任できないポジションである第一シングルスは必然、誰が出場しようとも勝利が望み薄な「捨て試合」のような形になってしまう。
舞歌ちゃんはそれを理解した上でそのポジションを買って出たのだ。そして、その分アタシに勝てと言っているのだった。
「勘違いしないでよね、アタシは自分が勝つためにこのポジションにしただけよ」
「ええ〜舞歌ちゃん何だいそのテンプレートなツンデレ、可愛いじゃないか」
「ぎゃっ!」
耳聡く聞きつけた部長が、愛でるように舞歌ちゃんの頬を突いたり抱きしめたり振り回したり揉んだりし始めた。
「それにっ……私は負けるつもりもないんだからっ……あっコラ、変なとこ揉むなっ、ふぎゃー!」
抵抗しながら最後の力で決意を示した後、舞歌ちゃんは部長に揉み倒されてしまった。
……戦う前に戦闘不能にならなければいいけれど。
「こころちゃん、始まるよ」
「今行く」
コートの中で手招きする空に応えてアタシもコートに入る。
技量でアタシを上回る舞歌ちゃんや、ダブルスの練習でいい結果を出していた紗枝先輩が空と組むという手もあった。
それでも空や部長はアタシにダブルスを任せた。舞歌ちゃんはそれがチームの最善だと信じて厳しい戦いを選んだ。
それに、アタシがここで勝てば第三シングルスの空に回るまでに部長の試合が二回もある。空が二回戦わずとも
空だけじゃない。
アタシもみんなに応えなきゃならないんだ。
「第一ダブルスは此魅様と空さんかと思ったのですけれど、アテが外れてしまいましたわ」
ネットの向こう側で上山さんがにっこりと柔和なお嬢様スマイルを浮かべて佇んでいた。悪気はなさそうだけれど、その言葉と表情は微かに落胆しているようにも取れる。部長と空のダブルスペアがご所望だったのかもしれない。
その組み合わせの方が強いのは事実だと理解はしつつも苛立たしいような気持ちにアタシはなった。
上山さんとペアを組んでいるのは杉立キャプテンだ。
キャプテンとどうやら一年生ながら杉立キャプテンと同じく部を仕切る立場にあるらしい上山さんのペア。シングルスにも出場することになっている二人だ。掛け値なしにこの学校のエースダブルスだろう。
全く楽観できない対戦相手を前にアタシは改めて気を引き締めた。
「こころちゃん……」
振り返ると空が不安げにアタシを見ていた。
空の不安もわかる。
「大丈夫だよ、頑張るぞ」
サーブ権を決めるじゃんけんと略式の試合開始コールを経て、アタシたちの試合は始まる。ファーストサーバーは杉立キャプテン、レシーバーはアタシだ。
部長は声をあげるでもなく、いつものような絵画の美女の如き微笑でアタシたちを見つめている。
「しまっていきなさいよ幸村!」
「がんばれこころちゃん!」
「落ち着いて試合してください!」
「ファイトー」
部長以外のみんなと有重先生の声援を受けて、アタシは背負うものの重さを改めて感じる。
……絶対に勝つぞ。
これがみんなと戦う初めての団体戦。
目の前に立つのは紛れもない強敵。
心を強く持たなければアタシたちに勝ちの目はない。
声を出せ。気合いを入れろ。
空はともかく、アタシが強敵に立ち向かうためには、そこからだ。
アタシは大きく息を吸い───
「いっ……ぽーーーん!」
気合いの叫びをあげて相手のサーブを待ち構えた。
「絶対ストップ!」
アタシ自身と空を鼓舞するように声をあげる。
第一ゲームもはや終盤。スコアは20-16で、アタシたちは劣勢のままマッチポイントを先取されてしまった。だけどまだ逆転の目はある。
四点を追い上げる!
杉立キャプテンがシャトルを見上げてラケットを振りかぶる。
キャプテンを張っているだけのことはある。彼女は非常にやりにくい相手った。
彼女の打球は、クリアもドロップショットもスマッシュも打つ瞬間まで同じスイングで放たれるのだ。あるいはシャトルが飛んでくる方向さえもラケットの面の向きを巧妙に変えて変化させてくる。変幻自在とはまさにこのことだ。
これではシャトルが飛んでくる瞬間まで何がどこに飛んでくるのかもわからず、ラリーを重ねるごとに反応が遅れていく。
そして今また杉立キャプテンがラケットを振り、───ドロップショット!
「アタシが!」
横に並んだ空とアタシのちょうど等距離の、どちらが捕球するか判断が難しい……落ちる場まで嫌らしい打球が飛んできたのを、アタシは咄嗟に叫ぶように空に合図をして捕球しに行った。
アタシに用意された選択肢は、相手と同じくヘアピンで対抗するか、ロブを上げるかの二つに一つ。
ここで打球を跳ね上げればまた読みにくい杉立キャプテンの攻撃が来る。
一瞬迷った末に、アタシはラケットを振らなかった。手を伸ばしラケットをシャトルに当てるだけのヘアピン。
苦しかったが、その打球はなんとかネットに引っかかることも高く上りすぎることもなくネットを超えてくれた。
そしてネット際に落ちるその打球を受けるべく、今度は上山さんが迫ってくる。
ネットを挟んで上山さんと一瞬目が合った。大いなる自信を秘めたその瞳の強さに気圧され後退りしそうになったのは、錯覚か。アタシは足を強く踏ん張りラケットを掲げ、こちらからも上山さんにプレッシャーをかけるようにさらに前進した。
上山さんは落ちてくるシャトルを打つというよりふわりと受け止めるようにして優しく返球した。叩き落とす隙などない綺麗なヘアピンショット。
空や舞歌ちゃんもヘアピンはかなり上手いけれど……この人も同じくらい上手い!
アタシの脳裏には空とペアを組んだ時の紗枝先輩の姿が浮かんでいた。紗枝先輩のように空をサポートすることができれば……!
「このラリー、絶対にロブは上げない!」
決意を口にして、アタシは相手のヘアピンをさらにヘアピンで返した。
ダブルスは選手の守備できる範囲が広くなるため、シングルスほどあちこちに球を散らすラリーが有効にはならない。代わりに有効になるのはスマッシュなどの攻撃球だ。
そして、自分のチームがスマッシュ打つためには、決して相手のコート高くにシャトルを上げてはならない。自分たちはシャトルを上げずに、相手にシャトルを上げさせる。これがバドミントンのダブルスにおける攻防の鉄則だ。
アタシがロブを上げずにヘアピンで返したのはそういう理由だった。
空には必殺の『空隙探察』がある。アタシが空をサポートして、空が必殺技を打つことができれば勝てる。アタシはそう信じていた。
上山さんとアタシはそれから何打かヘアピンの応酬を続けていたけれど、突如として見切りをつけるようにアタシに鋭い眼光を突き刺し、アタシの返球したシャトルを大きく跳ね上げてしまった。
ロブが上がった!
「空!」
チャンスボール。これで空は相手のコートの好きなところに打ち込むことができる。強打でドロップショットでも、───もちろん空隙探察でも
上山さんに跳ね上げられて上昇したシャトルが今度は重力に引かれて落ちてくる。ネットの向こうで相手が横に並んで防御の構えを取っている。
空が高空のシャトル目掛け弓を引くように構えたところまで見届けてアタシは前を向き空の打球とさらに返ってくるだろう相手の返球を待ち構えた。
ステップを踏む音が響く。地を蹴る振動を感じる。
一拍、二拍、……。
遅れて、強打。
想定していたよりも一瞬遅れて打ち出されたスマッシュがコートの中心へ向かう。が、浅い!
さほど速くもないそのスマッシュは、当然あっさりと上山さんに捕球されてしまった。再びロブが空に上がる。
空隙探察は発動しなかったのか?
空が使うのを躊躇ったのか、それとも……。
考えている間にもシャトルが再び落ちてくる。
まだシャトルが上がってきている以上、有利なのはこちらだ。
「空!」
スマッシュ!
再びの強打が相手を襲うが、これもまたあっさりと捕球されロブの形でもう一度シャトルが空に上がる。今度は上がってくるロブも浅い。
空がシャトルを叩くためにステップを踏み、前に出てくるのが音と振動で伝わってくる。それと連動してアタシも一歩二歩と徐々に後ろに下がっていく。
それぞれに前進と後退をする空アタシの位置がコート上で横並びになる。
ここからならきっと……決められる!
空が叩いたシャトルが高速で相手のコートの中心、おそらくは空隙へと飛んでいく。
「ダメですわ」
優雅さと冷たさを含んだ上山さんの声。
上山さんは、空が空隙に打ち込んだであろう必殺のシャトルを、しかし軽やかに打ち返していた。
そしてそれと同時に、カチン、と金属の錠のかかるような聞き覚えのある音が聞こえた、気がした。
速度があるわけでも難しいコースを狙った打球でもない。それなのにアタシは手も足も動かせず、そばを通り過ぎていくシャトルを目を見張って見送ることしかできなかった。空も時を止めたように動作の途中のポーズで硬直している。
その打球が辿ったのは、アタシたちの想像の外にある高度とコース。
「これって……!」
アタシはこの感覚を知っている。
それは紛れもなく空隙を穿つ打球だった。
こつん、と軽い音が響きシャトルが地に落ちた。
……起こったことが信じられなかった。
だってそれは空の、空だけの力。
部長が解き明かすまで誰にも理解されず、誰にも真似できなかった力。
それが、『空隙探察』が……もう一人…
ラリーの最後に聞こえた冷たい声が嘘のように、ショーを成功させたエンターテイナーのごとき笑顔を見せた。さっき聞こえた声は、幻聴……?
「驚きまして?」
彼女は凍りついたままのアタシたちに問いかけ、そうして答えも待たずに名乗りを上げる。
「これがわたくし、御上山学園バドミントン部一年、上山ゆかりの力ですわ!!」
 




