前進と焦燥
「すごかったね……」
誰にともなく、何に関してとも言わずこぼれたような空の呟きは、しかし四方から同意の首肯を得た。
何かといえばお昼ご飯……いや、あれは『お昼ご飯』などという庶民的な単語で表現していいシロモノではなかった。何と表現するのだろう、ランチ? いやもっといい言葉を選ばなければいけない気がする。
ともかく、御上山学園から昼食としてアタシたちに提供されたご馳走は高級料理店もかくやという別世界のオシャレな料理であったのだ。
テレビの中でよく見る、大きい皿の上にちょこんと芸術品のような細工の料理が乗っていたり、色とりどりのソースがオシャレにかけられている感じのわかりやすいご馳走だった。
「見た目が美しいだけでなく、味も素晴らしいものだったね」
部長が料理を絶賛するのを聞いて舞歌ちゃんが意外そうな顔を見せた。
「部長のことだからてっきり『合宿のご飯はカレーが良かった』くらい思ってるかと思ったわ」
舞歌ちゃんのからかうような言葉を部長は気にも留めなかったが、かわりにアタシたちを案内してくれている御上山学園の女子が慌てた。
「ええっ、カレーが良かったんですの!?」
あ、お嬢様言葉だ。
「こらっ、失礼なこと言ってくれるな。私は出してもらったご馳走にそんなこと思いはしないよ」
そう言って部長は、お嬢様を安心させるように柔らかな笑みを向けた。
「やっぱりお嬢様学校だけに凄腕のシェフがいるのかな。良かったら伝えてくれる? とっても美味しかったって」
「そ、そうですのっ? ええ……伝えておきますわっ」
お嬢様は照れたように声をややうわずらせながら答えた。照れてるのは顔のいい部長のスマイルのせいだろうか。
彼女はプールまでアタシたちを呼びに来た縦ロールのお嬢様だ。プールでアタシたちの前に現れた直後、上山ゆかりと名乗った。
わかりやすすぎるほどお嬢様らしい風貌と口調。この人が杉立キャプテンの言っていたお嬢様だろうか。
それに名前。『御上山』学園と……上山……。
もしかしてこの人は───。
「着きましたわ!」
アタシが疑問を口にする前に、体育館へと到着し、お嬢様の手によってその扉が開け放たれた。
「ごきげんよう」
各所からお嬢様らしい挨拶があがる。
中にいたのはドレス……ではなく普通にユニフォームや運動着に身を包んだ女子生徒たちが十数人。
「こんにちはー」
各所からあがるごきげんようの中で突如幼い声で至って庶民的な挨拶が出た。声の主はコートで練習していたらしい女の子だ。よく見ると背が低い。舞歌ちゃんと同じか、もしかするとさらに低いかもしれない。
「こら神楽、手はず通りにあいさつなさい!」
「てはずー?」
上山さんの叱責に、神楽と呼ばれた女の子は可愛らしく首を傾げてから「あー!」と何かに思い当たったように声をあげ挨拶をやり直した。
「ごきげんよー」
声と見た目は幼くも、スカート型ユニフォームの裾をつまみ上げてお辞儀をする様は正しくお嬢様といった様子で、この子もお嬢様学校の者なのだとわかる。
それはそれとして。
「もしかしてごきげんようは仕込んでた?」
「お、鋭いねえ」
アタシの疑問に答えたのはいつの間にかそばに寄っていた杉立キャプテンだ。
「御上山も普段は普通にこんにちはで挨拶してるんだけどね。ゆかりが今日は特別な『演出』をしたいと言ってね」
そう言って杉立キャプテンは上山さんとうちの部長を交互に視線で指し示した。なるほどね。深水高校というよりこれは部長へのおもてなしだ。
その証拠に部長は「お、お嬢様学校だ〜〜〜!」などと言って手を合わせ拝んでいる。
「でも部員の皆さんもよく付き合ってくれますね」
「そりゃあウチのゆかりは───」
「キャプテン、無駄話をしている場合ではありません! 練習を始めますわよ」
何か言おうとしたのを上山さんに遮られて杉立キャプテンは肩をすくめた。
「上山さんって杉立さんと同学年ですか?」
「いや、ゆかりは一年生だよ」
「一年生で、キャプテンに対してあの振る舞い……?」
「その辺もうちは複雑なわけがあって───」
「智果!」
上山さんに本気で怒鳴られてようやく杉立キャプテンは練習に乗り出した。
この部のパワーバランスは一体どうなってるんだ……?
基礎トレ、素振り、フットワーク練習と基礎打ちなど、深水とそう変わらない基礎練習をした後、杉立キャプテンは一度両校の部員全員を集めた。
「まずは二複三単の団体戦形式で練習試合をやるよ。……でいいんだよね」
「ああ、助かるよ」
事前に部長同士の打ち合わせがあったのだろう。応えて部長は微笑んだ。
部員数の少ないウチとしてはいつもと違う相手と試合ができるだけでも得難い経験となる。そればかりか団体戦の形式とまでなれば、アタシたちの「チーム」としても価値ある経験になるだろう。
「試合する人も控えの人も、この試合を以て自らの課題を見つけてこの後の練習に活かしてね。じゃあ、お互いに出場順を決めて10分後に提出するように!」
杉立キャプテンの言葉を結びに、両校は距離をとって作戦会議の時間になった。
体育館の一角でオーダー用紙を囲みアタシたちは円になった。
「あのキャプテンってちゃんとキャプテンらしく仕切れたんだ……って痛ぁっ!」
隣でぼそりと失礼なことを呟いた舞歌ちゃんが部長のデコピンをもらっていた。
「さて、作戦会議だ」
痛がる舞歌ちゃんを尻目に部長が切り出す。
「せっかくの機会だ。私としては深水のベストオーダーを出したいと思っているんだけど」
初君を除いて出場できるウチのメンバーは五人、団体戦に必要な人数ちょうど。全員出場は当然としてつまり部長の言葉の意味するところは……。
「空ちゃん、どうかな」
部長は空をまっすぐに見つめ問いかけた。
強い選手が二回戦う方が勝率は当然高い。これからの試合を想定したベストメンバーを考えるなら空にダブルスとシングルスで二回試合させることは定石であると言ってもいい。
ただし空とアタシたちにはそれを躊躇う理由がある。……空の心の問題だ。
かつての心の傷を抱えながらもバドミントンができるようになった空だが、それでもアタシたち以外と戦うことは未だに空の心への負担となる。
空は決めあぐねるように視線を彷徨わせた。答えはきっと、空自身にもわからないのかもしれない。
不安げな空の目がアタシに向き目と目が合う。その目は空がバドミントン部に初めて来た時のそれにも似ていた。
できることは何か、考えが頭の中で言葉としてまとまるよりも早く、アタシは声をあげていた。
「シングルスはアタシがやります」
意表を突かれたように空が目を見開く。
入部以来、アタシたち以外と試合をするのは初めてなのだ。ベストオーダーが惜しくても、ここで迷う空に無理をさせる必要はないはずだ。
部長もいつになく真剣な面持ちで、空の迷いとアタシの決意を推し量るようにアタシと空を交互に見て、やがて納得したように頷いた。
「そうだね、じゃあ───」
「……やります」
空!?
部長が何かを言い切る前に空が声を重ねた。
その言葉にこの場の誰もが驚いたが、空の顔に宿る決意は固いように見える。
「ダブルスとシングルス、どちらもやらせてください」
「私としても、空ちゃんに無理はさせたくないと思っているんだけれど?」
「無理じゃ……ないかどうかは、正直わかりませんが」
心配する気持ちの滲む部長の言葉に空の顔が一瞬曇るが、決意は揺らいでいない。
「こんなにも優しくしてくれるみんなに応えられる私になりたいんです」
静かながら今までにことないほどの強い力を宿した空の声に、やがて部長は納得して柔らかな笑みで返した。
「ありがとう、空ちゃん」
不意に空と目が合う。空は目に強い光を灯したままアタシに微笑んだ。
「それじゃ、空ちゃんと私が二回出場するとして、他のオーダーを決めようか」
強い意思でみんなに応えようとする空と、嬉しげに編成を仕切る部長。そしてさらにそれに応えるべく他の部員たちも身を乗り出すようにしてオーダー表に注目した。
アタシだけが空からもみんなからも、まるで取り残されているように感じられた。
バドミントンが嫌いだと言ってコートから逃げていたのはつい最近のことだったはずなのに、こんなにも早く空は強くなった。
空が絶対勝てないくらいになるまで強くなると宣言したアタシは、あれから強くなれただろうか?
オーダーに集中するべきだと理性は叫んでいたけれど、焦燥感にざわつく胸がそれを許さなかった。




