ういそら・ここまい
ダブルスの練習ということで、とりあえず一年生の四人には二人組になってもらった。
初心者の初君に教える都合を考えて、初君・空ちゃんペアとこころちゃん・舞歌ちゃんペアである。
「ちょっと幸村、オーラが暗いわよ!?」
「だってぇ……空とダブルスなんてアタシ組んだことないんだぞぉ……初君に先越された……」
空ちゃんたちとは反対側のコートに立ったこころちゃんが、悲しげな声で恨み節を連ねていた。
「泣くなこころちゃん、初君のためなんだ。あとでいくらでもペアを変えて打ち合うから、今だけは我慢してくれよ」
「くすんくすん……」
いつも快活なこころちゃんに、泣きそうな顔で見つめられるのはなかなか胸が痛む体験だが。基礎打ち練習の間だけだ、許せ。
はて、そういえばこころちゃんが興味深いことを言っていた。
「空ちゃんとこころちゃんはダブルスを組んだことはなかったんだな」
仲のいい二人のことだから、組んだことくらいはあるだろうという先入観を持っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。私の言葉を受けた二人はそれぞれに明後日の方向へ視線を向け表情を暗くした。
「シングルスの実力が必要だったから、あの頃はそれどころじゃなかった……」
「ダブルスを組む前に空がいなくなった……」
私は頭が痛くなるような気持ちになった。
シングルスをさせて強い選手から何人かでチームを組む方針自体はそう珍しくはない。だけどその方針によって紆余曲折を経て、空ちゃんを退部させるわ二人からダブルスの機会を失わせしめるわで、二人にしてみれば散々な結果を招いたと言える。あーもう、空ちゃんとこころちゃんの学校の先輩とやらと、それから顧問。もしも出会うことがあれば一発殴りたい。
「やったことないのに教えられるの?」と言う舞歌ちゃんの疑問はしかしもっともだ。教わる方の初君も不思議そうに空ちゃんを見つめている。
「大丈夫、知識としては完璧に頭に入ってるし試合もたくさん見てるから動けるよ。私、アレなんだ、えっと……」
空ちゃんはちょうどいい言葉を探すように首を捻り。
「頭でっかち?」舞歌ちゃんが答えた。
「そうそうそれそれ……舞歌ちゃん?」
空ちゃんは舞歌ちゃんを厳しく睨みつけた。自分が伝えたかったニュアンスから遠くない言葉であるとわかりつつも、仄かに納得がいかないようだった。
この場合なら知識先行型、とか理論家、とか言ってあげるのが適切だったかな。
気を取り直した空ちゃんが初君に説明を始めた。
「バドミントンのダブルスでは、フォーメーションは大きく二つだけなの」
未経験ということだったけど心配は杞憂に終わりそうだ。空ちゃんの説明はいつもと変わらずそつがない。両手の拳を選手に見立てて、空ちゃんは手を縦に並べた。
「前後に分かれて相手を攻撃するための態勢、『トップ・アンド・バック』」
前衛がネット前を守り、後衛が上がってきたシャトルを強打して相手を攻めるフォーメーションだ。トップアンドバック、通称トッパン。
次に空ちゃんは縦に並んでいた両手を横に並べた。
「左右に分かれて相手の攻撃を防ぐための態勢、『サイド・バイ・サイド』」
こちらは二人の選手が左右で広範囲を守備するためのフォーメーション、サイド・バイ・サイド。通称サイドバイ。
「もう聞くからにかっこいいね!」
説明を聞きながら初君が嬉しそうに言った。耳慣れた私たちにとってはなんてことのない言葉だけれど、初めて聞く用語だとそう感じることもあるのだろうか。私が初めてこの用語を聞いたときはどう感じたっけな。
そしてひとしきり感心した後に、無邪気な顔で初君は私に尋ねてきた。
「それで、その二つは漢字ではどう書くの?」
「部長の造語じゃないからね!?」
空ちゃんが慌てて初君の勘違いを否定した。
万能の模造品、空隙探察に並ぶ、トップ・アンド・バックとサイド・バイ・サイド。
なるほど確かに私の天賦の命名センスに通じるものが無いこともないかもしれない。
縦列攻勢、並列守勢とかどうだろうか。
「部長も真面目に考えなくていいですから!」
空ちゃんはそれ以上この話題に構わず、シャトルを取り出して練習の開始を促した。
二、三短くダブルスの動きを初君に伝えてから、空ちゃんはラケットを振りかぶった。
「習うより慣れろ、だよ。とりあえず打ってみよう。ドロップ交互で」
あとの三人もラケットを構え、ラリーが始まった。
ドロップ交互とは、シングルスの練習でも行う基礎打ちの種目の一つだ。ドロップショット、ヘアピンショット、ロブ、そしてドロップショットに戻る順番で、ラリーを繰り返す。これでお互い交互にドロップショットを打ち合う練習ができるのだ。
こころちゃんと舞歌ちゃんはさすが経験者だけあって、スムーズにフォーメーションを切り替えてコート上で動けていた。時折どう動くかどちらが取るか悩ましい打球があっても「右に下がるわよ!」「アタシが取る!」などと声をかけあって動けている。
二人の選手のコンビネーションの隙を狙うことはバドミントンの定石の一つだ。こうした攻撃に対してはこうして声かけをしあうことが非常に有効になる。
対して空ちゃんと初君のペアはと言えば。
「ロブを上げたら下がってサイドバイ!」
ラリーをしながら、一球ごとに空ちゃんが初君に指示を出す。
バドミントンのダブルスは、試合をするにはコンビネーションが必要だけれどその実、動きの仕組み自体はそう複雑ではない。
相手から打球が上がってきているときはトッパンで後衛が強打して前衛がネット前で相手の返球を待ちかまえる。逆に相手に打球が上がってしまったときは、相手からの強打を防ぐためにサイドバイで備える。ものすごく簡単に言うとダブルスの動きはこの二つしかないのだ。
初君の理解も早く、だんだん空ちゃんが指示しなくとも動けるようになっていた。
慣れるにつれ、お互いのドロップショットやヘアピンの角度が急になっていき、ラリー全体の球速も上がっていく。初君の打球も動きも、経験者同士で組んでいるこころちゃんと舞歌ちゃんペアに負けないものになっている。
「部長、あの二人すごいです、もうあんなに早く動いてますよ!」
私と共に静かにコートを見つめていた紗枝が、空ちゃんたちの動きを見て驚いている。
「二人のダブルス、いけますよ!」
これはまだパターン練習の段階だから、実際の試合ではこう上手くはいかないだろうけれど、それでもこれからの成長を期待させるほど二人の息は合っていた。
それだけに惜しい。
「……だが男だ」
息が合おうとも、あの二人のペアで出られる試合は無いのだ。




