伸ばした手は
「───天賦『万能なる模造品』!」
と、かっこいい技名なんか言って見栄を切ってみたもの、私の能力はそういうやつじゃないんだよね。私の天賦も空ちゃんみたいに必殺技みたいになっていればよかったのに。
さて、第一ゲーム終盤のラリーは空ちゃんに見事に奪われた。
私の足は動かなかった。空ちゃんの天賦『空隙探察』だ。一度食らえばわかる。これまでとは技のキレが段違いだった。空ちゃんは試合中に何かを掴めたのかもしれない。吹っ切れているといいな。
気を取り直して得点板を見直す。まだ第二ゲームは始まったところで両者得点は無い。一ゲーム取っているアドバンテージはあるけれど、戦況としては実はかなりピンチだった。
私の天賦こと『万能の模造品』は、文字通りあらゆる技や能力を模造する万能コピー能力、漫画に例えれば常時発動型の能力……というか私の得意技だ。私の圧倒的なフィジカルによる力技とも言う。
普段は私の好きなバドミントン漫画に出てくる高速移動と高速スマッシュを模造して使っている。早い話が、私は好きなキャラのモノマネで戦っているわけだ。
私の卓越したフィジカルとセンスなら模造できない技はほとんどないだろうけれど、激しい動きや強力な技を繰り出すには相応の体力を要する。特に今のように攻撃力と速度と精度を極限まで高めた状態は、空ちゃんが見抜いた通り持久戦ができないほど消耗が激しい。
普通に試合をするだけなら、相手に得点をさせないことで体力の消耗を最低限に抑えることでケアできるけれど、大会の試合数で、それも身内戦ばかりとなると話が違った。
決勝トーナメントに入って、紗枝、舞歌ちゃん、そして空ちゃんの部員三連戦をしてきた。一年一緒に部活をしてきた紗枝は私の弱点を知っている。舞歌ちゃんは私の弱点を突き止めてきた。この二人は揃って私に持久戦を仕掛けてきていた。そして空ちゃんもさっき私の弱点に気付いてからはラリーの構成を持久戦に傾けている。
部員三連戦は運命の悪戯というほかないけれど、どいつもこいつも持久戦を仕掛けてくるせいで、私の体力はエンプティライン寸前だった。もしもこの第二ゲームを落とすことがあれば、私は第三ゲームを戦いきれずに体力切れで敗北するだろう。
カッコ悪いからそれは避けたいなあ……。
体力が切れた私がどうなるかを思い出しながら、ラケットを構え直す。
空ちゃんはお腹の前でラケットとシャトルを構えていた。バックハンドで小さくラケットを振る、バックサーブの構えだ。集中しているのか、目を閉じて深呼吸をしている。
はて?
空ちゃんがその構えをしているのを初めて見るような気がする。空ちゃんがシングルスでサーブをする時は決まって、体の外側でラケットを大きく振るフォアサーブだった。
空ちゃんはこのサーブに何か仕掛けてくるつもりらしい。
ショートサーブ? それとも構えがフェイクでロングサーブが飛んでくる?
何が飛んでくるかわからない緊張と好奇心に胸が踊るのを感じながら、私は空ちゃんの隠し球を待って、一秒、二秒、三秒……。
一閃!
私はその瞬間、空ちゃんのラケットが高速でシャトルを押し出すのを見た。
空ちゃんのサーブは、私が想定していたよりもずっと速く、弾丸のようにこちらのコートに飛んでくる。これだけでも結構意表を突かれたけれど、その弾道はさらに予想外だった。シャトルはネットのギリギリ上を通り、私の左側を、肩の高さで抜けていく。
ラケットが回せない!
私は一瞬のうちに空ちゃんのサーブの狙いを悟った。私がラリーの主導権を奪われたことも。
悪あがきにラケット振ったラケットがシャトルを掠めるけれど、不恰好なスイングでまともに返せるわけもなし。
無様に浮いたシャトルを空ちゃんが叩き、ポイント1-0。空ちゃんにしてやられた。
バドミントンのサーブにはお腹より上で打てないルールがある。故にサーブで強打などできず、サーブで一撃必殺など、失敗するリスクを考えれば誰も狙わない。
しかし空ちゃんは、ラケットと手足の長さの都合レシーブをしにくい私の左側中段を射抜くように高速のサーブを放った。私が反応していなければ、威力が高すぎてアウトしたかもしれない。しかし予想外のコースを突かれ、私は反応してしまった。
あのサーブ、考えれば考えるほど邪悪な奇襲技だ。空ちゃんは随分とタチの悪い隠し球を持っていたものだ。
今はもう取り返せないあのサーブの本来辿った弾道をあれこれ想像して、意味がないことを思い直し私はため息をついた。考えるのはよそう。サーブとレシーブで済んだなら、体力の消費はさほどでもない。
「……!」
空ちゃんの拳がきゅっと結ばれて小さな小さなガッツポーズに、変わらず仄暗い表情がどこか得意になっていた……ように見えた。
瞬きをする間にそれらは元に戻ってしまったけれど、見間違いではなかったと思う。
空ちゃんもこの試合に、辛い気持ち以外の何かを感じてくれている。
「……もう一踏ん張りだ」
そう呟きながら、私はシャトルを空ちゃんに返して、お互いにラケットを構えた。
空ちゃんが深呼吸をしている。……まさか。
一閃。
先ほどと同様、高速で飛来したシャトルは、しかし次の瞬間には空ちゃんのコートに叩きつけられていた。……私が、空ちゃんのサーブがネットを超えたその瞬間に叩き返したのだ。
空ちゃんはまさかカウンターされて一打で決められるなどとは思っていなかったらしく目を見開いている。甘いぞ。
空ちゃんの高速サーブ───スタブ・サーブと名付けることにしよう───は奇襲攻撃として優秀だけれど、二度目が通じるほど私は甘くない。……少なくとも集中して深呼吸する癖が直らない内は。
これに懲りたら、空ちゃんはしばらくスタブ・サーブを打てないはずだ。
「───こうして、こう、ううん、違う……」
空ちゃんはラケットを構えて、私のコートの上に忙しなく視線を巡らせた。
さて、次はどう来る?
***
部長のコートと、空のコートの間をシャトルが行ったり来たりしている。アタシたちは黙って見つめていた。
第二ゲームも中盤に差し掛かり、スコアはほとんど互角で進行している。
部長と戦うまで苦しい表情しか見せなかった空が、喜んだり悔しがったり、僅かにだけど、苦しむ以外の感情を見せ始めている。アタシにとっても嬉しいことなのに、アタシは思わず歯噛みした。
「幸村と私、同じ気持ち?」
隣で一緒に試合を観ていた舞歌ちゃんが、アタシの顔を見ていた。悪戯っぽい薄笑いをそう言った。
「……そうだな」
空と戦うまで一点も相手に与えなかった部長を、空が徐々に追い詰め始めている。
部長も点数を奪われるばかりでなく、圧倒的なスピードとパワーを見せつけている。
目指す相手が違えども、あれはアタシたちがやりたかった試合だ。
アタシが空の気持ちを動かしたかった。
「どうしてあそこに立っているがアタシじゃないんだろうな」
言葉にせずに、口に出さずにいられなかった気持ちが漏れ出す。
「私だって、さっきの試合でアイツを討ち果たすつもりだったのに」
舞歌ちゃんが地団駄を踏んだ。試合に配慮して、足を打ち鳴らさずに寸止めをしているけれど悔しさは本物だ。
「僕だって、あのコートに立ちたいよ。いつか……!」
いつの間にかギャラリー席から下りてきていた大和撫子……もとい初君が隣で呟いた。初君もアタシたちと同じか。
舞歌ちゃんが眉をひそめながら同志初君の気持ちに水を差した。
「アンタ男子だから無理でしょ……」
「わかってるってば! そのくらいの悔しい気持ちってことだよう! 僕は早く強くなりたいの、ばか!」
初君がこの二週間で見せたことないほどに感情を荒ぶらせて言った。今のは舞歌ちゃんが悪いぞ……。
「部長へのリベンジマッチは学年順ですよ。私とて悔しいのです」
初君のさらにその隣で紗枝枝先輩が微笑んでいた。これで、部員が全員コートに集まった。
「あ、トーナメントでいっちゃん最初に脱落した先輩おっすー!」
「張っ倒されたいんですか」
「お前なんでさっきから来る人来る人煽ってんだ!?」
温厚な紗枝先輩は微笑みを崩さぬまま角を立てた。舞歌ちゃんは機嫌がめちゃくちゃ悪いのか?
「大体、当たり順の違いでしょう。部長と最初に当たった運が悪かっただけです」
舞歌ちゃんが煽るから、紗枝先輩は拗ねたようにぶつぶつと言い訳をし始めてしまった。
「どっちが勝つんだろうな」
試合は終わりに近づいているのに、結末は逆に読めなくなっていく。部長は連戦で消耗しているみたいだ。ミスもだんだん増えてきている。部長が手強いことには変わりないが、もしかしたら、と思わされる。
「佳川ーッ、ぶっ潰せー!」
舞歌ちゃんが大声を上げてどちらに勝ってほしいか、その気持ちを表明した。
「私は部長が倒れるところが見たい。本当は自分でやりたかったけれど」
邪悪に口角を釣り上げて舞歌ちゃんがヒヒヒ、と笑う。美少女のしていい顔芸ではない。
「えー、……オホン、不本意ですが、実は私も同じ気持ちです。佳川さん頑張って!」
紗枝先輩が申し訳なさそうに断りを入れてから、空を応援し始めた。紗枝先輩には紗枝先輩で、アタシたちの知らない間に積もった気持ちがあるのだろう。
「僕は部長に勝ってほしいです。……いや難しいな、ラケット選びの恩もあるし……空ちゃんにも勝ってほしい……」
初君はそう言って手に持ったラケットを見つめてきゅっと握りしめた。基本的には部長を応援したいみたいだけど。そういえば、初君がバドミントン部に入った理由は、何だったかな。もしかして、部長に関係しているのかも。
部員のみんなにそれぞれ過去があって、今ここに集まっている。いつかみんなの話も聞いてみたい。そう思った。
「幸村はどっちに勝ってほしい?」
賭けの胴元みたいに舞歌ちゃんがアタシに立場の表明を促してきた。アタシは……。
コートの上では、ちょうど空が部長に攻撃をしている局面だった。部長の堅い守りを打ち崩すように、様々な場所にシャトルが撃ち込まれていく。
次の攻撃を構えようとした空が、一瞬何かに気付いたようにラケットを見た。すぐに攻撃動作に戻って攻撃を続けるものの、その動きには明らかな動揺が含まれていた。
「まさか、ガットが切れたのか?」
ここからでは見えないけれど、おそらくラケットの生命線でもある弦が切れていた。その証拠に空のスマッシュから鋭さが消えている。
バドミントンのガットは消耗品だ。ある程度打っているとそのうち切れて、交換が必要になる。空のガットは一週間前にみんなで行った店で張ったもののはずだ。一週間はガットが切れるにはあまりに短い期間だけど、ありえないほどではない。
「替えのラケットは……ないよな」
空はラケットを一本しか買っていない。中学校の時に(そして新しいラケットを買うまでの練習の時に)使っていたオンボロを持ってきてもいないはずだった。
当然ながらラケットは選手の動きや打球を大きく左右する。ラケットの重さのバランスやガットのテンションがそれぞれ違うためだ。
部長と一進一退の攻防をしているこのタイミングで切れるなんて、なんたる不運か。空が打球のキレを失ったことで、空が持っていたラリーの主導権がジワジワと部長に奪われつつある。
急ぎラケットを交換させたいけれど、アタシのラケットはギャラリー席の上だ。
「あの、えっと、こころちゃん!」
悩むアタシにラケットを携えて手を差し伸べる天使がここにいた。
「僕のラケット、使ってもらったらどうかな」
初君が剣の如く銀色に輝くラケットを差し出した。彼のラケットはガットのテンションが空と同じ。初心者向けのラケットは誰にでも扱える使いやすさを意味している。パワー寄りのチューンがされたアタシのラケットを貸すよりもよほど良い選択と言えた。
天啓だった。
「でかしたぞ初君っ!」
「ラリーが終わったら渡してくるね」
「……いや」
アタシがそれをよしとしなかったことに、初君は首を傾げた。
空はガットが切れてもなおラリーを戦い続けているのだ。
「今渡してくるぜ」
***
空ちゃんのラケットのガットが切れていることには、私も気付いていた。不運だけど、試合中、ひいてはラリー中にガットが切れること自体はよくあることだ。そしてそれによってラリーが中断されることも認められない。
シャトルを低く打つ限界にぶつかった空ちゃんが、とうとうシャトルを跳ね上げた。私のチャンスボール(バドミントンは羽を打つ競技なのにチャンスボールと言うのには疑問が残るけれど)だ。
ふふふ、どこに打ち込んでやろうか。
シャトルが落ちてくるまでの一瞬の間に。空ちゃんのコートを観察する私の目が、その時信じられないものを捉えた。
「空、ラケット!」
コートの外からこころちゃんが声を張り上げ、銀色のラケットを空ちゃんに向けて放り投げていた。空ちゃんもまた、手にしていた自分のラケットをこころちゃんに向かって放り投げる。
離れ業だった。
バドミントンでは、一人の選手がラケットを二本持って戦うのは反則とされるが、反面ラケットの交換自体はラリーの最中であっても認められている。
だからとて、ラリー中にラケットを投げ合って交換するなど、漫画の中でも見たことがない。
私がその様子に唖然とする間にもシャトルは落ちてくる。
慌てて打ち込んだシャトルは確かにスマッシュの形になったけれど、その実普段の私のスマッシュには程遠い威力になってしまった。くっ、私の『万能の模造品』に綻びが(言いたかっただけ)!
空ちゃんはそのスマッシュを正面からレシーブして弾き返した。
「うおっ!」
その瞬間、私の足は硬直する。すっかり存在を忘れていた、空ちゃんの『空隙探察』だった。
離れ業に気を取られた私のコートにはさぞかし大きな隙が見えていたことだろう。やられた……。
ガットが切れる不運に見舞われてなお、空ちゃんはラリーを、得点を手放さなかった。それがこの一点を引き寄せたのだ。
空ちゃんがサーブを構えてラケットを大きく振りかぶるその瞬間、「ファイトー!」と大声の声援が空ちゃんにかけられた。部員たちかと思ったけれど、声の数が明らかにうちの部員の数よりも多い。不思議に思って一瞬ギャラリーに目を向けると、空ちゃんを応援するうちの部員ではない一団がそこにいた。ほんの少し見覚えのある一団は、さっき舞歌ちゃんの応援をしていた舞歌ちゃんファンクラブの人たちだ。
舞歌ちゃんが空ちゃんのために呼びかけたのだろうか。いや、空ちゃんのためというよりも、打倒私のためか。
紗枝が私を削り、こころちゃんが背を押し、初君が剣を与え、舞歌ちゃんが応援で底上げする。今の空ちゃんは部員みんなの力を得て立っていた。
ただの市民大会だ。私たちのどちらが勝っても負けてもこの先の大会や部活動に影響はないけれど、空ちゃんは私との試合の中で、確実に大事な何かを掴みつつある。あるいは、掴んでいる。ここで私に勝つ方が漫画っぽくて泣ける展開かもしれないともちょっと思った。
体力切れを警告するように腕や足が疲労を訴えていた。私の体力の限界はすぐそこまで迫っていた。
こんなに追い詰められたのはいつ以来だろう。
でも、そう簡単に負けられない。今の空ちゃんは、私が全力で勝ちたい強敵だ。
空ちゃんがサーブを構えてラケットを大きく振りかぶる。
大きく飛ばすロングサーブ───だと思って足を後ろに運ぼうとした瞬間、空ちゃんのラケットが急激に減速して、シャトルをふわりと優しく押し出した。
フェイントだ!
普段なら苦もなく取れる程度のフェイントも、消耗しきった今の私には相当に堪える。私は苦心して捕球し、シャトルを大きく跳ね上げた。
試合をしていて気付いたことがある。
空ちゃんのバドミントンは、めちゃくちゃ性格が悪い!
バドミントンの基本とも言える前後左右に振り回すようなショットや、人体やラケットの構造上返しにくい部位への攻撃に始まり、フェイントも使ってこちらの消耗を狙ってくる。かと思えば忘れた頃にスタブ・サーブや空隙探察を打ち込んで一撃必殺を狙ってくる。勝つためには手段を選ばないと言うように。
極めつけに空ちゃんは驚くべき戦い方までし始める。
ラリー中、私の足が止まった。空隙探察で私のコートの隙を射抜かれたのだ。しかし、硬直は一瞬だけで、意外にもすぐ解ける。大きな隙ではなかったのか? それならば空ちゃんもこの攻撃で決めることはできないとわかっていそうなものだけれど……。
私は疑問に思いながらもすぐにシャトルを追いかけ、返球する。
そこで私は気付かされた。空ちゃんがコートの真ん中で、悠々と私の返球を待ち構えていた。私の反応が遅れた分、空ちゃんの方に余裕ができたのだ。
硬直。私の足が再び、ほんの一瞬だけ止まる。また、空ちゃんの天賦による攻撃だ。私が出遅れた分だけ空ちゃんに余裕が生まれ、稼いだラリーの有利をチャラにされる。
この子は今、必殺技としてではなく、ラリーを長引かせるためだけに、私の残り少ない体力を削るためだけに空隙探察を使っている。
汚い……そう、勝ち汚すぎる!
空ちゃんの普段の大人しい気性からは想像できない邪悪な攻撃だ。
これが本来の空ちゃんの全力の戦い方なのか。
「ふふっ……」
ラリーが途切れ、空ちゃんが笑う。こんな風に笑うのは初めて。初めて見るその笑みは明るく楽しげでもあり、底知れず不気味でもある。
「バドミントンは好き?」
脈絡も無く訊いたけれど、空ちゃんは淀みなく答えてくれた。
「いいえ。相変わらず、嫌なことばっかり思い出しそうになります」
「そう……」
でも、と空ちゃんは続ける。
「なんだかどうでもよくなってきちゃいました」
「……当然さ。私たちは世界で一番楽しいゲームをしているんだから」
きっと今まで、こんな風に全力をぶつけあって心も身体も削り合うような熱い試合なんてしたことはなかったんだろう。私という全力をぶつけてなお壊れない相手を見つけた今、空ちゃんは今までで一番楽しいゲームができているのかもしれない。
これは、これは、これは───?
どの技がどれだけ私に通じるか実験するみたいに、楽しそうにタチの悪い球種を次々に浴びせてくる。
本当に性格が悪い。
でも、わかった。私があの日試合をして感じたものは何か。空ちゃんにバドミントンをしてほしいと思った理由は何か。この子の邪悪なバドミントンを、優しく大人しいヴェールの下に隠された凶悪な性格を、好きになっちゃったから。空ちゃんはきっとこうして誰よりも楽しくバドミントンをできると思っちゃったからなんだ。
いいよ、私が空ちゃんの『おもちゃ』になってあげる。
だから全力で振り回せばいい。
「もうすぐ試合もおしまいだね」
「いいえ、もう一ゲームありますよ」
本当に楽しそうに、ある種の狂気さえ感じさせる凄絶な笑みで空ちゃんが言った。
おそらく私の状態や気持ちなんかすっかり見透かしていて、なのにそんなことを言うのだ。
本当に悪い子だ、この子は。
「そうはいかない、───ここからは一気呵成にぶっ潰す」
「まだ終わらせない、───ゆっくりと楽しみましょう?」
***
落ちたシャトルがその勢いのまま床を滑っていく。
シャトルに伸ばしたラケットは僅かに届かなかった。
「20マッチポイント、19!」
先にマッチポイントに至ったのは部長の方だった。あと一点奪われれば、ゲームは終わる。
「ラストーーーッ!」
部長を応援する初君からも、ここで決めろという意味のコールがかかる。
「最後の一球だ」
ラケットを構えながら、部長が告げる。 私の点数は十九点。あと一点取れば、デュース───二点差が着くまでゲームを続ける延長戦に持ち込める。延長戦に勝てれば勝利の可能性はぐっと上がる。あるいは、希望的観測だけれど、もしかしたら第三ゲームに持ち込むまでもなく、デュースに持ち込んだ時点で勝利ができるかもしれない。部長が満身創痍であることは、私の点数からも明らかだ。
まずは、私があと一点を必ず奪う。
半身になってラケットを引く。強い気持ちを込めて睨みつけるように、部長を見据えた。
「まだやれますよ」
部長が大きくラケットを振り、シャトルが打ち上がる。
私はシャトルの落下地点に素早く潜り込み、大きく跳ねた。私の届き得る一番高いポイントを目指して、ラケットを力一杯振るう。ジャンピングスマッシュだ。そういえばこの大会中、ジャンピングスマッシュは初めて打ったかもしれない。スマッシュの威力ではあまりアドバンテージの取れない身体であるから、私はあまり打たない。
部長ほどの威力はもちろん出ないけれど、突然のジャンピングスマッシュに部長も虚を突かれたのか、レシーブがやや甘い。
私に風向きが向いている! これを押し込めれば!
コートの半ばに浮かび上がった球も、前進する勢いを乗せて叩く。再び上がってきた球を叩く、叩く、叩く、叩く!
スマッシュをあちこちに打ち付ける。右に、左に、左に、右に、そしてボディに!
部長が待っていたのは、それだった。
ボディに突き刺さるはずのスマッシュを、しかし部長は前進しながら体を下げ、まるでスマッシュをするように全力で叩き返した。
その一球で、風向きが変わる。
強烈なカウンターに対して、私は球種もコースも選ぶ余裕などない。かろうじて打ち返したシャトルは、ネット前に間の抜けたように浮かぶ。部長はそこにラケットを伸ばした。
叩くのではなく、当てるだけ。優しくネット際に落ちるシャトルは、しかしそれだけで私を窮地に陥れる。
ネット際ギリギリを落ちるそのシャトルを、ネットに触れずに返球できるか。
シャトルにラケットが届く。吸いつけるようにシャトルを受け止める。ネットに触れないように極限の集中を保ってゆっくりとゆっくりと持ち上げる。
針の穴を通すような一瞬は永遠にも似ていた。
持ち上げる腕が、ラケットが、シャトルが、ネットを超えた───!
「はっ───!」
気合い一閃、シャトルをコートの奥に押し込む。
ネット際に出てきていた部長は、急速に体を反転させてシャトルを追った。弾道は少々浮いているけれど、この局面ならば、部長は強打を打ち込むことができないはずだった。
強打の代わりに私を襲ったのは、思いがけない打球だった。
ただのスマッシュだ。速度を極めた剛速球でもなければコントロールを極めたピンポイントシュートでもない。なのに突如として私の足が、凍り付いたように、あるいは地面から生える蔓に絡め取られたように動かなくなる。
思いがけない打球。私が想像だにしていない技。私の───空隙。
まさか。どうして。
ネットの白帯の向こうで、部長が不敵な笑みを浮かべているのが見えた。
当然のことながら、空隙探察を自分で受けたことはないけれど、部長がたった今繰り出した打球は、私と部長が定めた私の力『空隙探察』そのものだと確信できた。
なぜ部長が私と同じ力を使えるのかということはこの際部長だからで片付けてもいい。きっと部長がさっき叫んだ必殺技の効果なんだろう。
私と部長の初めての試合で私の力が部長の足を止めたように、空隙探察は初見の相手に対しては絶大な威力を発揮する。それを今私は身をもって知った。
急速に頭が冷えていく感覚。私の身体に籠っていた熱がすっとなくなっていくみたいだった。
ここまで頑張ってきたラリーも、ずいぶんあっさりと決着するんだと私はぼんやり思った。
さっきのネット際の攻防は奇跡的とも言えたけれど、その奇跡も無意味だった。
動かない足と冷めた頭。それらを抱えながら、私は飛んでくるシャトルをただ見ていた。
「諦めんな―――――っ!」
一瞬、音の無くなったコートに叫び声が飛び込んできた。
飛んでくるシャトルの向こう側に、こころちゃんの姿が見えた。
ラリーの最中なのに、そんな大声で応援して。こころちゃんはバカだなあ。
傷付けても、遠く離れても、諦めずに追いかけてくれた私の友達。
一度抜けた熱が、頭に、身体に戻ってくる。
こころちゃんだけじゃない。舞歌ちゃん、初君、紗枝先輩。
この二週間は、この試合は私だけのものじゃない。こんな私を支えて、ここまで連れてきてくれたみんなのものだ。みんながいてくれたから、私がここにいる。
バドミントンなんか大嫌いだ。でも、諦めたままこの試合を終わらせちゃいけない!
打たなくっちゃ!
絶対に打たなくっちゃ!
足が動かなくても、手を伸ばして。そうしたら届くかもしれない。
「────────────!」
声にならない叫びを上げて私は精いっぱい手を伸ばした。
体をいっぱいに伸ばして、腕も伸ばして、ラケットを伸ばして、振るう。
シャトルが部長のコートへ、大きく放物線を描いて飛んでいく。
───また奇跡が起こった。私の手は、届いたんだ。
部長が獲物を前にした獣のように笑みを浮かべた。返ってきたシャトルの下に滑り込んで、足に力を込める。身体全部バネにして、大きく跳ぶ。
私は急いで体勢を立て直し、スタンスを開いて体の中心でラケットを構える。
今度飛んでくるのは、私の力の模造品などではない。部長が打てる全力の一撃だ。
私の目がコート全体に広がる部長の空隙を捉えた。その意味するところを私は悟る。
すなわち───打ち返せれば、どこに返そうとも私の勝ち。
返せばゲームは繋がる!
全ての感覚を研ぎ澄ませ!
シャトルが落ちる。
跳ねた部長が、ジャンプの最高地点で一瞬静止する。
私はラケットを強く握りしめる。
部長のラケットがシャトルに届くのが、スローモーションに見える。
一撃。
爆発的な力を得てスマッシュが弾丸のように打ち出される。目が捉えられたのはその瞬間まで。
あとは賭けだった。
賭けられるのは一点だけで、残りは敗けのとっても分の悪い賭け。
どこに飛んでくる!
ラケットを振り上げたのは、勘よりも私がそうしたかったからだった。
もう一度伸ばした手はきっと、奇跡を起こせる。
一閃!
部長のスマッシュと、私のスイングが刹那の内に交錯した───。




