幕間・届かないもの
どちらかと言えば、私は欲張りな方の人間だ。そしていわゆる影響されやすい人間でもある。
漫画好きの母の影響でたくさんの漫画を読んだ私は、そのたびそれらの漫画の影響を受けた。
料理漫画を読んで、主人公と同じ料理を自分で作ってみた。時々漫画の通りに作ったのに全然美味しくない料理ができあがるのがなかなか面白かった。
音楽漫画を読めば自分で演奏したくなって、ピアノをこっそり練習した。もちろんそれを専門とする人たちには及ばないながらも、そこそこ上手に演奏できるようになったと思う。今でも気に入った曲があると耳コピして演奏したりする。
漫画自体に興味を持って自分で漫画を描き始めたこともあった。あれはあまり思い出したくはない。絵自体はまあまあ描けたと思うのだけど、肝心の物語が自分の内面を反映しすぎているような気がして恥ずかしくなってしまったのだ。今でもアレは机の奥底に封印してある。
影響と言えば、漫画は私の性格にも影響を与えているかもしれない。ずっと昔に読んだ漫画のキャラクターの一人、強くて飄々としている彼女に私は強く憧れて、私はそれを目指した覚えがある。三つ子の魂百まで、ではないけれど、今の私の性格やら話し方や何かが他の人と違うところがあるとしたら、きっと彼女の影響を受けたからだと思う。
そんな私が、バドミントンを始めたのは、小学生の時に例によってスポーツ漫画───バドミントンの物語を読んだからという偶然でしかなかった。
近所でやっているバドミントンのクラブチームを見つけて、私はすぐに参加した。
傲慢を承知で言えば、私は何でも人並み以上にできるタイプの人間でもあったので、料理や音楽や漫画と同じように、バドミントンもすぐに上達した。
クラブにいた同年代の子供たちをすぐに追い抜き、大人に混ざって練習していくうちに私はさらに腕を上げ、大会で優勝するようにまでなった。
しかしそれで私の心は料理や音楽や漫画の時のように満たされなかった。
私が真に求めていたのはバドミントン自体ではなく、部活動だったのだと、気付いたのは、チームの同年代の子たちが強くなりすぎた私を疎みだした頃だった。
私は仲間たちと特訓したり、遊んだり、チームを組んで戦ったり勝って負けて一喜一憂する、どのスポーツ漫画でもそうであるようなありふれた活動がしたかった。その気持ちに気付いたとき、私の周囲に私とそれができる子はいなくなっていた。
中学校に進み、バドミントン部に入っても状況は変わらなかった。
私の気持ちと相反するように、私の行き過ぎた力は、けして強豪ではなかった中学のバドミントン部でも疎まれた。
強い相手に刺激されて必死で練習して強くなる、というのはそれこそ漫画の世界の話だ。あの子たちは強さなど二の次。仲間内で身の丈に合わせて楽しいバドミントンができればそれで良かったのだろう。皮肉にも、それは私がやりたかった部活動に近かった。
スポーツとは競技であり、競技とは競う相手がいなければ成立しない。チームもまた然り。
自分が楽しむためにどんなものでも模造してきた私は、初めて一人では作れないものに行き当たることになる。
本当に欲しいものほど、手が届かないものなのか。手が届かないものだからこそ、人は本当に欲するのか。鶏が先か卵が先かみたいなそんな疑問を抱えながら、それでもいつか漫画で見た青春を模造できるんじゃないかと儚い望みを抱いて、競技自体を変えることもできずに、私はバドミントンにしがみついて、時たま一人で辻斬りのように大会に出たりしてるうちに───私は高校三年生になっていた。
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