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はねたま☆イミテーション!  作者: 創作少女
空隙のソラ-Blank Seeker-
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佳川空の傷痕

【バドミントン】

 羽のついた(シャトル)をネットを隔ててラケットで打ち合い、得点を競う球技。

 発祥はイギリスという説が有力。

 

 日本での競技人口数は八百万人を超えるとされ、サッカーやバスケットボールなどのポピュラーなスポーツを凌ぐ人口数を誇っているが、テレビ中継などはそれらに比べて少なく、まだまだマイナースポーツの域を出ていないのが現状である。

 深水高校の玄関口は多くの生徒が行き交い賑わっていた。

放課後の新入生を勧誘しようとどこの部活も躍起になっている。

「バレー部をお願いしまーす!」

「初心者歓迎ですよー! テニス部どうですかー!」

「ブラスバンドやりませんかー! 初心者も優しい先輩たちが教えますよー!」

「キミ本好きそうな顔してるね、文芸部に入らないかな!」

 私は勧誘される方。つまり新入生だ。制服のリボンの色を見て次々と勧誘の人たちが寄ってくる。それらを避けながら出口を目指すけれど、人が多過ぎて全ての人を避けるのは難しい。そのうち私は、ほとんど正面衝突するような形で人込みのうちの一人とぶつかってしまうことになった。

強くぶつかったのに、その人は柱のように微動だにせず、逆にぶつかった私は反動で尻もちをついてしまう。

「申し訳ない、大丈夫かい?」

 ぶつかったのは私の方なのに、相手は謝罪と共に私に手を差し伸べてくれた。口調は中性的だけれどその声は高く穏やかで、そこで私は初めて、ぶつかった相手が女子であることに気付いた。

「こちらこそすみません」

 私が差し出した手を取ると、相手はその手を強く引き、私を助け起こしてくれた。立ち上がると、相手の全貌がよく見えるようになった。リボンの赤色は三年生を示していた。身長は私よりもずっと高く、百七十センチはゆうに超えているだろう。すらりと伸びた長い足、女性的な起伏に富んだボディ、艶のある長く黒い髪、そして何より───顔がいい。

 美人、と言って差し支えない。絵画の世界から出てきたような端正な顔立ちの先輩に、同じ女子であるというのに、私はしばし見惚れてしまっていた。

「部長、大丈夫でしたか」

 彼女の隣にいたもう一人の女子が私のぶつかった美人さんに声をかけた。私はそこでようやく、この二人も部活動の勧誘をしているのだろうというところに思い当たった。

「私は大丈夫、それよりも……」

 部長と呼ばれた女子は、握ったままの私の手を興味深げに見つめてから、問いかけた。

「君は……もしかしてバドミントンをやっているんじゃないか?」

 その言葉を聞いた瞬間、私の背筋から、ぞっとする嫌な感覚が押し寄せた。

「私たちはバドミントン部なんだけど、よかったら───」

 押し寄せる暗い感情に、血の気が引いていく。肌が泡立つ。指先が震えるのを隠すように私は彼女の手を振り払い、踵を返して離れた。

「ごめんなさいっ……バドミントンなんてできません……ごめんなさい!」

「あっ、ちょっと!」

 部長が何かを言おうとするのも聞かずに、かろうじて言えた謝罪の言葉だけを置いて私は人込みをかき分けてその場を急いで去った。

 人もまばらになってきた廊下で、私は呼び止められた。さっきの部長とは違う声だ。

「待って!」

 部長と一緒にいたもう一人の女子だ。彼女もおそらくバドミントン部だろう。

 私は急ぎ足から駆け足にギアを上げてその声から遠ざかる。

「なんで逃げるんですか!」

 しかしその声も私を追いかけてくる。私はさらに足の動きを早めた。

 まるで時代劇かファンタジーかサスペンスか、そんな物語の中にでも入り込んだような気分だ。今は二十一世紀、ここは高校、私はしがない新入生。私が追われている理由は……一つしかない……。

「こらーっ、止まりなさーい!」

 先回りされた!

 駆け抜ける廊下の先には手を広げて通せんぼを決め込む女子の姿。スクールカラーは緑、一つ上の先輩だ。というか、……部活動の勧誘をしていた、おそらくバドミントン部の先輩だった。

 私は急ブレーキをかけて今来た道を全力で駆け戻る。私は階段を下り、再び出口方向に向かって走る。

「なんで逃げるのー!」

 それは恐ろしい剣幕の恐ろしい相手がいるから。

 先ほどと同じように、私の行く先に先輩がいた。

 急ブレーキ。また私は踵を返し来た道を戻って行く。

 先輩は追ってこなかった。ここまで追走を続けてわかったことだけど、短距離での走力はわずかに私に分があるらしい。だから彼女は先回りして、また私の通る道で待ち伏せをしているのだろう。

 もう一つ階を下って一階。曲がり角の影から廊下の先を覗く。またしても先輩が待ち構えていた。

 廊下に掛かる校内図を見る。迂回路は無いようだ。先回りされ続ける限り、先輩を抜く以外の道は無い。このまま持久戦に持ち込むか。いや、短距離では私が勝っていても、持久力では現役のバドミントン部員には勝てる見込みは薄い。

 となれば。

 私は影から踊り出た。先輩に向かって速度を上げていく。先輩も私が向かって行くのを見て取って身構える。

 私はさらに距離を縮め───廊下に連なる教室の一つに、勢いよく飛び込んだ。

「なっ───」

 先輩が驚愕に声をあげるのが聞こえる。一秒、二秒、遅れて先輩が同じ教室、もう一つの扉から教室に突入してくる。が、その教室はすでにもぬけの空。

 廊下を一気に駆け抜ける。教室の中にいるはずの私を探して硬直する先輩を一瞬横目に見ながら。

 私は先輩が突入してくる瞬間を読んで、先輩が突入してくるのと同時に飛び出して教室から姿を消した。先輩は教室の中に私を見つけられず、動きを止めた。

 事態に気付いた先輩が教室より出て追いかけてくるが、私はもうすでに逃げ切るのに十分な距離と速度を稼いでいた。


   ***


「逃げられたー……早く捕まえないと、もう時間もあまり無いのに……」


   ***


 枕元のスマートフォンが刻むアラーム音とバイブレーションで目が覚めた。午前六時五十分。

「ん……、んっ!」

 ベッド上で身を起こして右に左に伸びをする。深水高校は私が通っていた中学校よりも遠い。だから必然、朝起きる時間も少し早くなる。

 まだこの時間に起きるのに少し慣れない気がする。あと五分でも十分でも寝ていたいような気分になるけど、私は知っている。起きるのが辛いのはその後も変わらないこと、早く起きればその分そのあとの行動に余裕が持てること、そして早く起きたほうがお母さんに都合がいいことを。私は尊くも無意味な睡眠のおかわりを諦めて学校へ行くための身支度を始めた。

「空ちゃん起きてきたね。おはよ」

 一階へ降りて行くと、お母さんが朝食を作って待ってくれていた。

「起きる時間早くなったっていうのに、毎朝一人で起きてきてすごいわねぇ」

 お母さんが感心したように言う。自分では全く「すごい」と思ってなかったので、私は面食らってしまった。それにそんなことを言ったら、私より早起きして毎朝朝食を作ってくれているお母さんの方がすごいと思う。

「そんなことない」

「いやあ、すごいわよ。私が空ちゃんくらいの頃には一人でなんて起きれなかったもん」

 私よりすごいと思うお母さんがそんなこと言うから私はまた面食らってしまう。

「でも空ちゃん、なんか疲れてる?」

 お母さんがお皿を洗う手を止め、聞いてきたのはそんなことだった。

 目玉焼きをゆっくりと咀嚼しながら思い当たる節を考え、飲み込んでから私は答えた。

「……久々に激しい運動したからかな」

「あら、部活動?」

 お母さんが少し嬉しそうな顔をするけれど、真実はそうではないので私はきっぱりと否定した。

「いや、バドミントン部の先輩に熱心に勧誘されて追いかけっこしてただけ」

 それを聞いてお母さんは、穏やかだった表情を深刻なものにした。

 過去、私とバドミントンの間にあまり愉快じゃない出来事があったことを、お母さんは知っている。だからこそお母さんは私を心配しているのだ。

「そんな顔しないでよ」

「だって……」

 お母さんが深刻に思うほどのことはないのだと努めて明るく言ったけれど、お母さんの表情は晴れなかった。そのことが逆に私を心配させたけど、家を出る時間が来てしまったので、仕方なく私はそのまま家を後にした。

 あんな話をしたから、昔のことを思い出したから、ふいに、私の心にほの暗い気持ちが湧き出した。その気持ちを追い出すように私は首を振って誰にともなく呟いた。

「バドミントンはしない」

 それは私の決意。

 見上げた空は青いけれど、もくもくとした雲がうっすらどこまでも広がっていた。

 もしかして、今日もあの先輩に追いかけられるのかな。そうでなければいいのだけれど。




 年度の初めには、新入生を集めて学内の部活を紹介する部活動説明会と、それから二週間の間新入生が部活動を体験できる仮入部期間が設けられている。今日は仮入部期間の最終日だ。クラス中で部活動について、どこに入部したとか、自分と一緒に入らないかとか、休み時間ごとに話されていた。

 授業の合間の十分休み。今日最後の授業の準備をしていた私を訪ねてくる人がいた。

「佳川さん?」

 呼び声に振り返る。呼んでいたのは、クラスメイトの女の子だった。一回話した覚えはあるけれど、名前はなんだったかな。

「邪魔したらごめんね? 佳川さんってさ、歌は得意?」

「得意……ってことはないけど、普通だよ」

「ってことは普通に上手いんだな」

 彼女はうんうんと得心したようににやりと笑った。この質問をすると大概、上手い人は普通と答えて下手な人や自身の無い人は下手だと答えるのだと言う。

「合唱部の部員募集してるの」

「私合唱なんてしたことないよ?」

「経験無くても大丈夫だって、先生言ってた。うちは仮入部期間終わっても受け付けてるから、もしよかったら来てね」

 彼女はそれだけ言って、部活動が決まってなさそうな別の子に声をかけに行った。

 合唱なんて考えたことも無かった。カラオケ以外で歌を歌っている自分の姿がこれっぽちも想像できなくて、私はしばし考えこんでしまう。あんまりピンと来ないけれど、せっかく声をかけてもらったし、見学くらい行くべきかな。

 そんなことを考える私の意識新たな呼び声に引き戻させる。

「空!」

 今度は苗字ではなく、下の名前で呼ばれた。私を下の名前で呼ぶような相手は、この高校には一人しかいない。

 波打つくせっ毛と猫っぽい目の女の子。鋭い犬歯を見せて、その目からはギラリとした強い力が漏れ出ている。

「こころちゃん」

 幸村こころ。私と同じ中学校の……知り合い。同じ高校に入学したのは知っていた。けれど、入学してから一度も話をしていない。ううん、それよりもずっと前から……。

「あのな、空」

 声は落ち着いているようだったけれど、目から漏れるギラギラしたものが隠せていない。何を言われるかはわかった。だから、最初から私は断じた。

「……部活の勧誘ならお断りだよ」

「クラスメイトの誘いは聞いてただろ」

「それはそれ、だよ」

「聞けよ!」

「……バドミントンしよって言うんでしょ」

 絞り出した声は思っていたよりも低く、自分でも驚くほど冷めていた。ロクな顔していないのが自分でもわかって、私をまっすぐ見つめるこころちゃんから目を逸らした。私は手のひらで目を覆って、鬱屈した溜息をついた。

「アタシはもっかい、空とバドミントンがしたいんだよ」

「無理しちゃって」

「無理なんか……」

 していない、というにはこころちゃんの声は動揺や焦りが滲みすぎている。

「また怖い思いするだけじゃないの」

 私も。こころちゃんも。

「……っ!」

 こころちゃんはさらに言葉を返そうとしたけど、次の言葉は出てこなかった。

 お母さんといい、こころちゃんといい、どうしてそう深刻に考えるかな。そんな問題じゃないのに。

「私はもう、見てるだけでいいんだよ」

 私は笑ったけれど、こころちゃんはチャイムが鳴って隣のクラスに帰るまで何も言わず悔しそうに歯噛みしていた。

 私は、ため息をついて机に突っ伏した。

 一体何をしているんだろう、私は。



 こころちゃんせいで思い出したくないこと思い出した。重い気分のまま、私は終業のチャイムを聞いた。そのせいか、日直の仕事(と言っても日誌に日付やらその日の出来事を簡単に書く程度だ)にも集中できなくて、終わる頃には教室からは誰もいなくなってしまった。

「おー佳川か」

 職員室の担任を訪ねると、そこには書類整理に耽る若い女教師がいた。私の方を一瞬見てすぐに手元の書類に目を落とした。

「遅くなりました。日誌の提出に」

「置いといてー」

 担任は目も向けず自分のデスクの端をポンポンと叩いて示した。

「忙しそうですね」

「教師ってのはやることだらけなもんよ。特に今は部活関連の書類を弄ってるんだけど。そういえば佳川は部活何か入ったんだっけ?」

「いえ、まだ決めていなくて」

「今日が仮入部の最終日じゃん。部活やる気があるなら急ぎなよね」

「はい、すみません」

「中学では何やってたんだっけ?」

 その問いに、私の心臓が跳ねるように大きく脈打った。

「……運動部を……途中で辞めました」

 何部だったのか、私はあえて言わなかった。

 担任は顔を上げて私の顔を見た。それからゆっくり、穏やかに笑った。

「そっか。まあ、新しいことしてもいいし、前と同じことやり直してもいいし。やりたいこと頑張って探しなね」

 歯切れの悪くなってしまった私に、先生も察してくれたようで、優しい声音で励ましてくれた。

「そういえば、ウチの部も人数が足りなくって二、三年が奔走してたよ。ウチも部員募集してるよ。いつでもいいから、もし気が向いたら見学にでも来な」

 担任はニッと歯を見せて笑うと私の背を強く叩き(ちょっと痛い)、

「そうと決まれば、仮入部行ってこい!」

 と言って私を送り出した。そうして職員室を出てから、私は担任が何部の顧問をやっているのかを聞きはぐってしまったことに気付いた。聞きに戻ろうかと思って、担任の抱える仕事の量を思い出して踏みとどまった。

「部活、どうしよう……」

 教室に向けて廊下を歩きながら、一人ごちる。

 不意に昨日のこの時間の出来事を想起する。

「……今日はあの先輩は来ないのかな」

 もしかしたら、その言葉が引き金だったのかな。後になってはそんなことを私は思う。

 私が教室を空けている間に、どこかの部活の人が教室を使い始めてしまったらしい。邪魔にならないように教室の後ろからそっと入る。けれど教室のドアは大きな音がたつものだ。気付いた部員たちが振り返る。その内の一人と目が合い、戦慄する。

「グォニンメェ……」

 目を爛々と光らせて恐怖を煽る鳴き声を発する、まるで獣のようなそれ。

 教室の中には、緑のスクールカラーを纏う───天敵がいた。


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