10年後、約束
見渡す限り、白と群青色の世界。ここは、オーストラリア。サンゴ礁の破片で出来た白い海底のようなこの砂漠が舞台。
10年はめたままの金色の指輪が太陽と風を反射する。空競遥、彼女は地球上で最大のエア・レースの優勝候補のパイロット。整備士の夫と二人三脚での前回大会の優勝だった。
それから1年。再びこの季節。故郷の日本では、今が夏季。だから、少し肌寒かった。
「遥」
彼女は声のする方へ振り返る。
「良く眠れた?」
白兄鷹銀河だった。
「うん。今までと同じくらい、平気」
「そうか」
彼は少し微笑む。
彼は笑顔が似合うようになった。昔とは違うようになった。あの時から。
もうすぐレースが始まる。
遥は登録済みのマシンへ乗り込む。このレースに登録できるのは、1人用のマシンのみである。
彼女は、ハンドルを握る。
1列目からのスタートで、視界には障害物がない。下方には真っ白い砂漠が続いているのが見える。
2つ目の赤信号が点灯する。
そして、3つ目。
――心の準備はいつだって出来ている。
信号は青を示す。そして、スタートの音が響く。
エンジンから暴風が吹き荒れる。
白い砂煙の中、彼女は姿を消していく。他の皆と共に、煙幕と化す砂によって。
マシンたちの音がだんだん聞こえなくなって行く。ピットウォールスタンドでは、銀河が見守る。
今回のコースは、直線コースが20キロメートルを超える。地球上最大のレースである。
そして、このレースの度に彼女は思い出す。白い砂塵が舞う度に、空の青さが深く揺らぐ度に。
銀河は、2年前のエア・レースの時に起きた、一般参加者のクラッシュに巻き込まれ、後遺症として右足が麻痺してしまった。マシンが操縦ミスによりピットウォールスタンドへ侵入してしまったのだ。
彼女はその時に思い知った、彼がどれだけ強いのか。何かを失っても平然としていられる。どうしてか。
でも、きっと心に何か、穴が開いてしまったのではないかと気がかりで仕方がなかった。だから、次の年は必死だった。彼女は絶対に優勝したかった。
挫折など、知らない彼女。その時もそうだった。努力は、必ずみのるものだと思ってもいいくらいだった。
――銀河の首にメダルをかけてあげた時は、嬉しかった。
彼も笑顔になってくれていたからだ。
――だから、今回も。
毎年、誕生日に花束を贈るかのように、今回も。
――きっと、優勝できる。彼のために。
マシンは長い直線を突き進む。もうすぐ、ピットが見えてくる。遥か上空には、実況ヘリが。そして、ただただ光だけを発しているだけの様な太陽が。
前方で何かが光る。
一瞬、集中力が逸らされた。
次の瞬間、重力が無くなった様に感じられた。
右翼が轟音を発したと思ったら、マシンは左方向に回転していた。
2回転ぐらいしたのだろうか、後続機を巻き込んだ形跡はなく、コースから飛び出して停止した。
……。
――右腕が痛い。
彼女はクラッシュしてしまった。
――失敗だ。
彼女の耳には救急隊の意識確認の呼びかけが聞こえていた。
――答えなくては……。
しかし、痛くて気力が無い。
聞きなれない声が、たくさん聞こえている。
彼女は、思い出す。
10年前の事。
たくさんの人々の声が聞こえていた、その頃を。
「優勝したよ!」
遥は笑顔で銀河のもとへ走って来た。
「あぁ」
銀河は別のことを考えていて、そっけない。
「優勝したら、サテライトチームじゃなくなるんでしょ?」
「あぁ」
「プロのレーサー?」
「それもある」
「も?」
遥はきょとんとする。
「上を見ろ」
銀河は上を見ながら言った。
「え?」
遥も上を見る。
「今日は日食だ」
「あ、ニュースでいってた、金環日食?」
「あぁ」
「なんか、〈あぁ〉しか言ってないよ?」
「日食見たか?」
「見た」
「レース結果の手続きしに行こう」
「え? 最後まで日食見ないの?」
「……これからは毎日、見れるよ」
銀河は少し微笑む。
「え? どうやって?」
一方、遥はきょとんとする。
「左手見てれば、いいから」
銀河はそう言うとくるりと方向転換し、立ち去ろうとした。
「え? ちょっと待ってよー。詳しく意味をー」
遥は銀河のあとを追いかけていった。
次第に辺りが薄暗くなってきた。
救急隊員以外、上空を見上げている。
今朝の情報番組でいっていた。
オーストラリアでは、今日が金環日食だった。
――こんな日に優勝出来ればよかったのにな……。
遥が意識を取り戻したのは、治療がひと段落してから、1時間後だった。
病室のベッドの側には、銀河がいた。
「大丈夫か?」
目覚めた遥に銀河は優しく聞いた。すると、遥は少し申し訳なさそうに言った。
「失敗しちゃった……、ごめんね」
遥は苦笑した。
「こんな時ぐらい、チームじゃないこと考えればいいよ」
銀河も苦笑した。
そして、彼は治療のために外されていた遥の指輪を彼女の薬指にはめた。