人魚ですが、歌うのは苦手です
「心臓が止まるその瞬間まで、君の声をきけたら――後悔もなく死ねるのに......」
一筋な涙を流しながら、彼は静かにそう言った。
****************
広大な海には、島々が無数に存在し、大きな島の塊があれば、人間はそれを大陸と呼ぶ。
そこで人間は、生きるための場所を作り、仲間とともに身を守るため集落を構え、やがては国と呼ばれものを建てた。
国ができて、次に人間が求めたのは豊かさであった。他人の大地を貪欲なまでに求め、自分のものへとしていく。
その侵略の足音は、たとえ時がたとうと、やむことはなかった......。
住む大陸をあますことなく侵略し終わった人間たちが、次に目をつけたのは、海に浮かぶ島々だった。
豊富な資源、手が加えられていない大地は、まさに格好の糧であったのだ。
そんな中、ある一つの島だけは、人間の侵略を簡単になぎ払った。
島に近づくだけで、船は難破し、海の藻屑となって消えていく。
そう、島にはいたのだ。
人間などには到底及ぶはずもない力を持った伝説の種族――人魚と呼ばれる存在が......。
****************
「さあルナ、今日はあなたの十七歳の誕生日です。国民の皆があなたの歌を待ち望んでいます。普段歌わないあなたの歌声がきけるから、母の私も楽しみで仕方がありませんよ!」
「ククッ、私も妻と同じ気持ちだ娘よ。ここ最近、ずっと歌はきいていなかったが、今日は遠慮することなどないぞ。好きなように歌え」
「お母様、お父様。私は......」
両親と、城のバルコニーの上から見える民衆の期待の眼差し。
その視線からルナはそっと目をそらした。
――歌いたくない。
海の上に浮かぶ小さな王国の姫として生を受けたルナは、この国の王族に課せられた古くからの成人の儀式を受けねばならかった。
人前で歌うだけの簡単な儀式で、とりわけ難しいという内容のものではなかったが、ルナには苦痛だった。
「震えているの? ねぇ、あなた大丈夫かしら?」
「心配するな。緊張してるのだ。まぁ、それも分からないでもないが......。だが今日は、人魚の寵児たるお前の成人にふさわし日だぞ! 存分に歌えば、緊張など吹っ飛ぶ!!」
父に力強く鼓舞されるが、澄み渡る空や海とは反対に、気持ちは一向に晴れない。
人魚の寵児とはよく言ったものだ。
今は人間の姿でとっているが、下半身が魚の尾びれであるメロウの母と、背中に大きな翼を持つセイレーンの父。
人間の姿をしていたとしても、彼らは海を支配する種族で、美しい歌を用いて水を自在に操る。
そして二人の娘でルナは、一つの姿しか持てなかった二人とは違い、メロウとセイレーンの両方の姿を持っていた。
どちらか一方の種族の血に引きずられることなく、どちらの血も受け継いだのだ。
つまり人間の姿を加えると、三つの姿を持つ奇跡的な自分に与えられたもう一つの名が"人魚の寵児"。
名誉ある二つ名だというのに、重荷でしかないその名が嫌いで仕方なかった。
「存分にね〜。私が若い頃歌った時は、力で海が荒れて、儀式どころではありませんでした。懐かしいですわ」
「ん、確かにそんなことがあったかもしれん。お前が引き起こした波を私が沈めたはずだ。少しは手加減をしろ、と怒鳴ったのを未だ覚えてる」
「ええ、言われましたわ。でも思うがままに歌えて幸せでした。だからね、ルナも心配しなくていいのよ? お父様が命をかけて止めてくださるわ。フフフ」
「そ、そうだな。存分に歌うことに越したことはないが、手加減しても良いからな! なっ!」
会話の内容は物騒であるものの、暖かい空気が辺りにしめているのを感じる。そんな雰囲気につられてか、国民からも笑い声が響いた。
だけどこれから起きることを考えれば、もっともその暖かさは信じられなかった。
「......どうして、笑ってなんかいられるの? どうして、誰もこんな儀式を止めないの?」
「......ルナ??」
娘のおかしい言動に、両親は眉を顰める。自分に対し期待していた先ほどの眼差しに、戸惑いが生じるのが分かる。でも我慢できなかった。言わずにはいられなった。
「みんなおかしい! 私は......私はっ、怖い! 思うがままに歌え? 歌ったら、誰かが死ぬかもしれないのに、どうして歌えなんて言うの?!」
「っ?! ルナ! 落ち着けっ」
「こんな、儀式っ!!」
取り乱した自分を落ち着かせるために触れてこようとする父の手から、咄嗟に逃れる。
ルナには、十二年も前のことなのに、脳裏に焼き付いて、ずっと離れない光景がある。
物事の道理をなんとなくだが分かり始めていたその頃のルナは、自分の歌に誇りのようなものがあった。
力の強い両親の間に生まれ、思うがままに歌えば、海が従うように波を立てる。
誰もがルナの歌を称賛し、自身も楽しくて楽しくて毎日のように歌っていた。
だから仲間の人魚が、「外から人間がきたぞ!」とうるさく騒いでいたあの日も、むしろ自分の歌を外の人たちにも聞かせてあげたいと思って一生懸命歌った。
すると、ルナの力は突如暴走し、海は酷く荒れ、人間たちに牙をむいた。
歌うのが当たり前だと思っていたからこそ、無邪気に歌い、そして作ってしまったおぞましい光景。
何隻のも船が積み重なって海に沈む中、周りにいた仲間たちは私の力を素晴らしいと褒めた。
人の命を簡単に奪ってしまうこの力を......。
――こんな力、素晴らしくなんかないッ!
背中に純白の翼があらわれ、ルナの体が宙に浮く。
「ルナ待て! どこに行く?!」
「ルナ!!」
バルコニーの欄干から身を宙に投げ出すと、自分を掴めなかった父の手が虚しくも宙を掻いた。
母は手元にあったグラスの中の水を宙にぶちまけ、それを操って体を拘束しようとする。
だが、その水もルナに触れるや否、母の支配下から解放されたかのように拡散した。
「「なっ?!」」
娘を止められないことに両親は唖然とする。制御できずとも、ルナの力はすでに両親を上回っていた。
「私は歌わない。誰かを傷つけてしまうようなこと、もうしたくない!!」
両親や民衆に背を向け、ルナは大空に自由を求める。
あの叫びはルナにとってただ一つの願いであり、
また、誰一人、本当の望みに気づいてくれないという悲痛な心の表れだった。
****************
あれから、長い時間飛び続けたルナは、人間の城が近くにある人気のない浜辺に舞い降りた。
家出するときは、決まっていつもここに来る。
城からは毎日のように音楽がきこえ、それを一人で聞くのが、心の慰めとなっていた。
「今日もきこえる」
ながれる音楽に合わせ、少しだけ声を出す。言葉はない、音だけの歌。
こんな微かな声などきいたら、父や母は笑うはずだ。だが、ここで自分が本気で歌ったら、あの巨大な城など簡単に消えてしまう。全てが海の水の下に沈む。
――......これで、いい
こんな歌とも言えないものを、聞いてくれる人などいないし、ましてや、それがいいなんて言ってくれる人はいないと思う。
でも、誰かを傷つけてしまうよりはずっとよかった。
絶え間なく流れ続ける演奏に、微かだが声をのせる。時間が経ってしまうのを忘れるくらいにそうやって過ごした。
怖いという思いもあったが、歌うこと自体が嫌いなのではない。
やはり元が人魚であるせいか、歌は嫌いになれなかった。
だが、ルナはこの時知らなかった。その未練が、仇となるとは......。
「♪~......はぁ、足りない、もっと歌いたい」
「足りない? なら歌えばいいのに」
突然きこえた声に驚いて、歌が止まる。集中しすぎて、誰かが近づく気配にすら気づかなかった。
――に、人間っ
ぎこちない動きであるものの、声がした方を振り向くと、人間が着るような服装をした青年が一人立っていた。蜂蜜色の髪を海風に揺らし、端正な顔にある澄んだ空色の瞳に、好奇な色を宿しているのがわかる。
「ッ!!」
声を聴かれた相手が人間だとわかるや否、ルナは海へと全速力で走った。
人間に捕まったら、見世物または奴隷にされるかもしれない。どう転んでも、碌なことにならない未来が存在していた。
とにかく早く逃げなければ、と思ったその瞬間、ルナは足がもつれ、勢いよく転んだ。
「......」
「ぶっ!? アハハハーーッ!!」
転んで黙るルナに対し、青年は腹を抱えて笑う。
悪意など微塵も考えておりません、という純粋な笑い方のような気がし、即座に違うと頭を振った。
――油断させて捕まえるのが、作戦かもしれない!!
こういう相手に弱気な姿勢を見せたら負けだ、と自分に言い聞かせ、震える足でルナはなんとか立ち上がる。
転んだとき足首を挫いたのか、ズキズキと痛んだが、顔に出すまいと耐えた。
「わ、笑うな! 石に躓いて転んだけだッ! 石が悪いのよ!!」
「石?? そんなの落ちてないけど......ご、ごめん。そう睨まなでよ。笑いが止まらなくなるから」
落ちていない石を、わざとらしく探そうとする青年をキィっと睨む。
この砂浜に石が落ちていないのは、自分が一番知っている。なんせ転んだ原因は、ルナ自身にあるのだから。
それをわかっているくせに探そうとするのだから、爽やかな顔とは裏腹に、青年の心はひどく歪んでいるように感じた。
「ごめん……フゥ〜、もう笑わないから。でも、派手に転んだね。立ってるの辛いでしょ?」
「ち、近づくな!! それ以上近づいてたら怒ってや、~~ッ!!」
近づいて来ようとする青年を威嚇し睨むが、お構いなしに近づいて来られる。
そして青年が目の前に不意にしゃがみ込んだ次の瞬間、痛む足首に前触れなく触られた。
拒否しようにも遠慮なく触ってくるせいで、痛みに抗えずルナは地面に崩れ落ちる。
「痛いよね? 骨折はしてないと思うけど、固定しておくか」
ルナの反応を見た青年は、自身のシャツの裾をちぎり、それを痛む足首に巻き付けてくる。
逃げないように両足を縛る目的ではないと安心したが、不安はすぐに発生した。
――いや待って。私に恩を売って、このあと仮をかえせといってくる可能性があるんじゃ?
ある一つの可能性に気づき、ルナの顔は一気に青ざめる。
断りにくい状況を作ってから、確実に捕まえる。抵抗されるよりも、相手の良心につけ込む効率的な方法だと思うのと同時に、危険が迫るのを感じた。
「こ、こんな布きれいりません! なくても歩けます!」
「はぁ? 少し触ったくらいで悲鳴上げるくらい痛いんだから、固定したほうが楽だろう? 素直になったら?」
「そ、そうやって、私に恩を着せる気ですね! 手口が透け透けです!」
「......恩を着せる? 君の僕に対する評価はどうなってるんだ、まったく」
「……油断させて私を捕まえる作戦をたてる人です」
「はぁ? なぜそうなるんだ」
「そ、それは......」
顔を歪められ、露骨に不愉快だと言われているような気がした。
だが疑ってしまうのは仕方ないことだろう。なんせ自分は、人間ではなく、人魚なのだから。
「だいたい何故僕が君を売る? たしかに君の容姿は人間離れしてて不思議だけど......」
青年は、黙るルナを興味津々といった感じで観察してきた。
一見、白銀一色にみえるルナの髪は、よく見ると、先端に行くにつれ淡い珊瑚色に変化している。
瞳は緑色であるが、服には七色の光沢が帯びていた。
つまるところ、この地上では見ないような色をルナは身に纏っている。
「それに、異様な物言いだし、君は人間ではないのか?」
「ッ?!」
核心の突く言葉に、やはりこの青年は自分を売る気になったのだ、と絶望的になる。
――逃げるためには、もう、歌うしか......
人間に捕まって酷いことをされるのは、死んでも嫌だ。
ルナは目を閉じて、歌うためにゆっくりと息を吸った。
人魚の力は、歌の中に言葉を紡ぐことにより発揮する。
声をただ出せばいいというわけではなく、自分の意思を歌にする必要があった。
青年が追ってこないよう、妨害するだけの波を起こす言葉を紡げばよい。
それなのに、不運にも、幼いとき自分が作りあげてしまった光景が脳裏にちらついた。
早く歌わねば危ないと思うのに、また誰かを傷つけてしまうのでないか、という恐怖が邪魔をする。
――......歌え、ない
こんな状況だというのに、喉から漏れるのは震える吐息だけだった。
みじめだなと我ながら思う。身を守るにも、歌うことすら出来ない。
このまま自分は、人間の手に落ちて一生苦しんで暮らすのだろう。
沢山の人の命を、歌を歌いたいという無邪気な心で奪った自分に対する罰だ。
そう嘲笑していた時、「ブッ......フッフフフ」というような変な声がきこえた。疑問に思い視線をあげると、肩を震わせている青年が目の前にいた。
「ちょっと、何して......」
「す、すまない......もう、限界......アハハハハ! ハァハァ、グフッ......」
ひどく悲壮感に漂っていたのに、そんなのお構いなしに、青年は砂浜に蹲り、地面をたたいてる。
その様子に、ルナは拍子抜けしてしまった。
「なにが可笑しいの?」
「あぁ、深刻そうな顔をしているから、なんか無性に笑えて」
「......深刻そうにしてると思うなら、気遣ったりとかするんじゃなの?」
「だって君が深刻になるのは、僕に対して間違いな印象を持っているからだろう? 普通なら売ったりするとか思わないよ」
「そ、それは、人魚なんだから仕方な、ハッ!!」
咄嗟に口を両手で覆うがもう遅い。興奮しすぎて、自分の正体を言うという墓穴を掘ってしまった。
「......やっぱり君は人魚なんだ。そんな気がしてた」
「~~~~ッ!! な、な、何のことでしょう??」
必死のとぼけてみせるけれど、青年の顔から笑みは消えない。まるで悪魔の微笑みのようで、ルナは冷汗が止まらず、顎を伝ってそれが落ちていく。
そんなルナの焦る様子に気がづいた青年は、空色の瞳を大きく見開き、そして口の端を悪人面のように吊り上げ......るのではなく、肩を盛大に振るわせた。
「ブッ、フフフ! アハハハハーーッ!! ほんとに売ると思ってるの? そんな気、これっぽちもないのに」
「だ、だって! 私を売れば一生遊んで暮らしていけるかもしれないのよ」
「確かにね。人魚は歌が上手いって有名だから、欲しがる人は沢山いると思うよ」
「だ、だったら......ッ!!」
なぜ、青年が自分を売ろうとしないのかわからなかった。
ルナが気付かないだけで、本当は売ろうとしている魂胆を隠しているのだと思った。
なら青年が抱く魂胆を暴いてやりたい。
そう思ったルナが口を開くより先に、青年の優しい声音が響いた。
「売ったら君は誰かに歌わせられるんだろう? でも僕は思うんだよね。人に歌わせられた歌なんかきいても、悲しくなるだけだって」
「っ......?!」
頭を殴られたかのような衝撃がはしる。
何を言っているのか理解できず、言葉を頭の中で何度も繰り返す。
「歌いたいって思うから、歌は綺麗にきこえる。意思がない歌なんてきいても心が痛くなる......って、泣いてるの?」
「え......? あれ、なんで......」
青年に目元を触れられて初めて、ルナは自分が泣いていることに気づいた。
とにかく止めなければと思うのに、涙は止まってくれない。そんな自分にルナは戸惑いを隠せなかった。
――この人は、私に歌えなんて言わないんだ。
沢山の人の命を奪ったあの日から、歌うのをやめたルナに、周りは「気にせず歌え」としか言ってくれなかった。
人間に捕まったとしても、当然のごとく自分は歌わせられるだろう。
今までのように、ルナの意思など関係なく。それが運命なのだと思っていた。
だから目の前の青年の言葉が、閉ざしていた心の深くまで侵入してしまう。
「あなたが、私に歌えと言わないからです」
「え? 俺のせい? でもなんでそんなことで......」
「歌うことが当たり前なのですよ、人魚は。歌いたくないという私の想いなど、誰からも理解してもらえません」
青年が息を吞むのがわかる。ルナの歌いたくないという言葉に驚いているのだろう。
普通人魚は歌を得意とし、むしろ歌うことに喜びを感じる。よく知られていることだからこそ、ルナのような存在に困惑しているはずだ。
「歌うことを躊躇う人魚なんて普通いません。でも私は違います」
ルナは幼いころの出来事を、青年に話した。
名前も知らない人間に、身の上話をするなど絶対に無いのだけれども、この人なら大丈夫だという確証があった。
たとえ理解してもらえず笑われたとしても、一度は歌わなくていい、と言ってくれた。
それだけで満足だった。
「私は沢山の人を殺めました。あの頃に比べ、自分の歌を制御できるようになりましたが、それが返って恐ろしいのです」
「恐ろしい?」
「だって......またあの頃のように、私に歌っていいと言っているようではありませんか?」
自然と口元に笑みが浮かび、ルナはそう言っていた。
大人に近づくにつれ、力を自分の意思で扱えるようになっていた。
やろうと思わなければ、昔作り上げてしまった大波など作らないだろう。
でもそれは、また昔のように歌ってよいことへの言い訳になる。
我を失えば力が暴走する歌など、歌わないほうが良いのだと思った。
「私が思えば、あなたの命を奪うことなど息をするも同じことです。恐ろしいと思いませんか?」
今までルナの力を恐ろしいと言った人はいない。
だからからか、自分の歌は恐ろしいと言って欲しくて、青年にそう言ってしまった。
「僕は君の歌は恐ろしくない。むしろ......」
「えっ?」
だが予想外にも青年は、一瞬目を見張ったあと、ルナの言葉を否定した。
恐ろしいと言われるとばかり思っていたため、ルナはその反応に戸惑う。
「む、むしろ、なんでしょうか? 気を遣ってくださるなら、私自身恐ろしいと思っているので大丈夫ですよ」
「気は遣ってはいない」
「あ、あの、ごめんなさい。理由がわかりません。伺いし......ッ!?」
真意を聞こうと思って、ルナはおずおず視線をあげる。
彼の表情から何か読み取れるのではないかと思っての行動だったが、それはできなかった。
背中に手を回され、青年に体を引き寄せられる。
逃げようと抵抗としても、より強い力で彼はそれを拒んだ。
「な、なにをッ――」
「んー、君が人の考えてることを勝手に決めつけないため?」
「なっ、決めたりなんか......」
決めつけたりしないと言い返そうとするも、先ほど青年に対し抱いていた気持ちを思い出す。
捕まえる気満々だと決めつけていた自分がいた。
「あ、あれはすみませんでした。でも! 抱きしめる理由にはなりません!! 離してください」
捕まえないどころか手当までしてくれた青年に謝罪するが、抱擁とは別の話だ。
理由もなく異性を抱きしめるのは感心できることではない。
そう口にすると、彼は「理由が欲しいのか?」と言った。
「理由ならある。僕は君に言っておかなばならないことがある」
「べ、別に、抱きしめて話す必要はありません!」
「いや君は、これを聞いたら逃げるから。絶対に」
「っ?! そんなに言うのなら、話してみてください。私は逃げませんから」
「......十二年前の事、と言ったら?」
「ッ!?」
顔が、体が強張るのを感じる。
彼が何を言い出すのか分からなくて、不安が襲った。
「十二年前の事など今更っ……」
過去のことについて、とても悔いている。だが他人にそれを、言及しては欲しくなかった。
もっと責められなければならない立場にあると分かっていたが、彼から言わるのは嫌だった。
「ほら、やっぱり逃げようとする。君は人の話をちゃんと聞いたほうがいい」
青年は苦笑しながら体を離した後、ルナの両頬を温かい両手で包んだ。
「僕は別に君のしたことを美談にするのではない。でも君がやらなかったとしたら、誰かがもっと沢山の人の命を殺めていたよ」
意味が分からず困惑するルナに対し、彼はある亡国の話をしてくれた。
昔一つの愚かな国が存在した。
その国は資金が豊富にあり、娯楽代わりに最高の芸術を求めたと言う。
そんなある時、ある有名な吟遊詩人が、人間など到底及ぶこともできない美声をもつ種族がいると謳った。
その種族というのが”人魚”だった。
当然、その国の愚かな王は、最高な美声を持つとされる人魚を求めた。
漁師の網に人魚がかかると、高額な値段で買い取り、その人魚を王宮で歌わせたという。
実際、吟遊詩人が言ったように、人間離れした美声に誰もが息を呑んだとされている。だが王はそれでは満足しなかった。
捕まった人魚はルナの国においての民、つまり綺麗であっても最高を持っているわけではなかったのだ。
何につけても最高を求める王は、人魚でさえ羨望の眼差しを向けるという存在——人魚の王の存在を、捕まった人魚の口から強引な手を使って吐かせた。
そして、上がいると知った王は、すぐさま人魚討伐を名目に人を募った。
人魚の王族には力があり、危険がともなうため、王国の軍だけでは心許ない。
それ故に、高額な懸賞金を餌に国民を釣った結果、沢山の国民が船に乗り、人魚の島を目指した。
多少力を持っていたとしても、漁師の網に捕まる人魚など我々の敵ではない。そう思い込み人間たちは港を出港し、絶望の淵に叩き落された。
それが十二年前の事だった。
十二年前のことで、沢山の船がある島を襲った。昔話のようで、それは紛れもない事実であった。
――私が殺めてしまったのは、私たちを捕まえようとしていた人々......
「......これで分かったと思う。君が殺めてしまったのは、欲に目を膨らませた人々だ。
他の地域を侵略し、そして返り討ちとなった。
君は自分のことを責めているけれど、守る側からすれば君のしたことは当たり前の行動だ。
仮にやらなかったとしても、誰かが彼らに鉄槌を下していた」
だからと彼は言葉を続けた。
「自身の敵を排除する上で手加減など大抵しないし、ましてや死んだ者に遺憾を覚えたりはしない」
彼の言葉にずっと抱き続けていた後悔の塊が溶けていく感じた。
でも、後悔というのは絶えずルナを支配する。
そう人の命を簡単に奪ってしまった自分への怒りが、完全に消えるわけではなかった。
敵から仲間を救う方法として、彼らを生かして返す方法があったと思ってしまうのだ。
命を奪うのは最後の手段であった、と。
「フッ、もしかして他の方法で彼らを救うことができた、と思ってる?」
ルナの顔が少し歪んだのを見て、彼は何か察したようだった。
優しい手つきで、ルナの頬にある涙の痕を拭う。
そして、聞き分けのない子供を慰めるように「君は良くも悪くも純粋すぎる」と、彼は笑って言った。
****************
あらからルナと彼は何度もあった。
彼は、レヴィというらしい。もう少し長い綴りだったのだが、言いやすくルナは「レヴィ」と呼んでいる。
ここ最近話をしていて驚いたことと言えば、レヴィはあの丘にそびえる城に住んでいるということだった。
王子という立場にあり、ルナと同じく王の跡取りで、今いるこの浜辺は王族専用のものだそうだ。
また、この浜辺にレヴィ以外の王族が訪れることはなく、ルナは安心して会いに来ることができた。
レヴィといろんな話をして、ルナは自分が世の中を知らなすぎていると自覚した。
だからかレヴィと話すことは、狭かった世界を広げるようで、ルナは楽しかった。
今まで素のままで話すことができなかったせいか、レヴィという存在はルナの中で大きな存在になっていた。
そう、かけがいのない存在になるのは時間の問題であった......。
「レヴィ今日は何の話をしてくれるの?」
レヴィとの会話は、ルナが彼に外の話を聞かせて欲しいとねだるところからいつも始まる。
出会った当初は、レヴィを警戒していたが、彼に邪心がないと気づいてからは、むしろルナから彼に話をしに行っている。
外の世界は興味深いことであふれ、何よりレヴィの口からそれが語られるのは心地よかった。
「......」
「レヴィ? 具合が悪いの?」
「あっ、ごめん。考えごとしてて......」
ただ、今日のレヴィはいつもの彼とはどこか違った。
いつも前だけを真っすぐみて、空色の瞳を眩しいくらいに煌めかせるのに、今その瞳は何か諦めたかのような、そんな感情が読み取れる。
今までそんな表情をしなかったせいか、ルナはどうしたら良いのかわかずにいた。
――彼は、私を救ってくれた。私も彼に何かを返したい!
自己嫌悪に陥るルナを、レヴィは少しずつ変えていってくれた。
時には死者を悼む鎮魂歌と呼ばれる歌をきかせてくれたり、教えてくれたりした。
言葉の意味は分からずとも、鎮魂歌には力のようなものがあって、ルナ自身を救うような優しさや温かさがある。
初めてきいたときは涙が出てきてしまって、歌い終わったあとレヴィが嗚咽が治まるまで背中をさすってくれた。
彼の手つきはどこまでも優しく、傷つき狂いかかっていたルナを包んだ。
――レヴィに何か困っていることがあるのなら、今度は私が彼を救おう。
「レヴィ、何か悩み事でもあるの? 私にできることがあるなら、力になりたい」
だからルナは、呆気にとられるレヴィを力強く見上げた。
自分にできることは小さいことかもしれない。
レヴィが望むことを、叶えてあげることは難しいかもしれないという不安もあったが、何もしないで、彼の苦しそうな表情を見ているだけの存在にはなりたくなかった。
「レヴィにとって私は、頼りないかもしれない。でも私、これでも人魚の寵児とまで言われたの。だから、私はレヴィを——」
「ルナ!! 僕はっ——」
グッと苦しいくらいに強く抱きしめられ、ルナは戸惑う。
耳元にレヴィの押し殺した吐息がかかり、彼自身何かと葛藤しているのだと感じる。
それを自分に言って欲しくて、ルナはレヴィの腕の中から抜け出し、空色の目と視線を交わした。
レヴィの空色の瞳は、ルナの視線を受けて酷く揺れていた。
「一人で抱え込もうとしないで。レヴィの苦しみを私にも分けて」
「......僕の願いが君を苦しませてしまうことだとしてもか?」
「? 私が苦しむこと??」
何故自分が苦しむのか分からなかった。だが、自分にはできないと一方的に決めつけられているような気がして、ルナはレヴィに怒りのようなものを感じた。
「なによ、決めつけないで!」
「君は僕を憎むよ。僕の願いは君のことを裏切る」
「だ、だから、それはあなたの決めつけよ! 自分で言っておきながら、あなたは私を決めつけている!! あなたは弱虫よ。自分はそうやって逃げるんだからッ」
力強く言葉を重ねたルナに、レヴィは小さく笑った。
何もかも、自分はもう諦めたと言いう表情に変わりはなかったが、そこには何かに縋りつきたいという願いのようなのもが見えた。
「......君が、そこまで言うのなら——」
レヴィはルナに近づくと、耳元で小さく呟いた。
君に歌って欲しい。それが僕の願いだ——と。
ルナは言葉失い、レヴィから視線をそらした。自分は今、ものすごく酷い顔をしている。
自分に対する彼の裏切りともいえる言葉に対して......いや違う。
レヴィは自分の願いをルナに言われるまで口にはしなかった。むしろ彼は、自分の願いがルナを傷つけるとしっていたから、言わないでくれた。
なら今自分が抱いているこの悲しさはどこから来るのだろうか。
――私は、彼を信じていたんだ。彼だけはほかの人と違う、と。
今まで出会ってきた人と違って、レヴィはルナ自身を見てくれた。他の人魚と違う自分、歌うことが苦手で、同属からも理解されなかった感情をもつ自分。
レヴィだけが見てくれたから、一方的に信じて、そして裏切られたのだと勝手に思い込む自分がここにいた。
――私がレヴィを勝手に信じて、裏切られた。レヴィのせいじゃない......
レヴィにこのどうしようもない怒りをぶつけそうになっていた自分に、ルナは嫌悪した。
沢山の人を殺めてしまったことを、昔よりも許せるようになったのは彼のおかげだ。狭かった世界を広げれたのも、全部全部レヴィがいたからだ。
なら自分は、その恩返しに、レヴィのこの願いを聞くべきだと思った。
「歌うことがあなたへの恩返しになるのなら......」
そっと呟いたルナの言葉に、レヴィが目を見開く。その瞳には驚きの色が見て取れた。
苦しくなりながらもルナは胸いっぱいに息を吸い込んだ。
歌う。
歌うのは、人魚が海の神様に捧げる歌として、古くから歌ってきた歌だ。
自分の胸の中でうねる人魚の力を制御しながら一つ一つ言葉を紡ぐ。
途中歌っていることがつらくて、声がかすれる。やめてしまいたい、逃げたい、そんな感情を押し殺して、ルナは歌った。
彼が望んだことだ、と。
「......これが私の歌。あなたの望んだ歌だった?」
ルナとレヴィを避けるように波が砂浜をぬらす。力を抑えながら歌ったが、海から押し寄せる波のしぶきはルナの横顔を濡らしていた。
レヴィに自分の力を知られたくなくて、恐ろしいと思って欲しくなくて、力を身の内に必死に抑え込んだけれど、力は溢れてしまった。
レヴィはこの力をどう思うだろう。分かり切った問いだというのに、ルナは彼の口からききたいと思ってしまった。
「ルナ......ありがとう。誰よりも君の声は、綺麗だった」
だが彼から返ってきた言葉はルナの思っていたものと違った。
「どうして......」
——あなただけは、いつも違うの?
恐ろしいと言われるばかり思っていた。それなのに彼は、ルナの声を綺麗だと言う。
悲しいわけでも苦しいわけでもないのに、熱い何かが頬伝った。
「はぁ、君を泣かせたいんじゃないのに。歌いたくなかっただろうに、ごめんね」
ルナに歌わせてしまったと自分を責めるレヴィに、歌ったのは自分の意思だと伝えたい。それなのに、口から漏れるのは、嗚咽だけだった。
「僕はもう、君に二度と会わない。歌いたくないって知ってるのに、君を歌わせてしまったから」
――......違う
「君の会う資格すらない」
――違うっ!!
「私は、っ!?」
自分の意思で歌った! と言おうと顔をあげて、ルナは言葉を失った。
彼の空色の瞳からは、透明な何かが流れていた。
「心臓が止まるその瞬間まで、君の声をきけたら――後悔もなく死ねるのに......」
レヴィはそう言い残して、ルナの前から消えた。
****************
「おい、女がいるぞ。はは、上玉だ」
「それに逃げないぜ。捕まえて売っちまおうぜ」
レヴィが去ったあと、ルナはその場から動けずにいた。
自分に近づいてくる男がいて、ハッと我に返る。
彼以外の人間がどうしてここにいるのか分からなかった。
だが、逃げる気力すらルナにはなかった。
レヴィの最後の悲しそうな顔が脳裏に浮かんでは消えを繰り返し、今のルナを空っぽのような状態にしていた。
ただどんどん近づいてくる男たちを見て、醜いとだけは感じた。
「なかなか良い女だな」
「少しくらい味見したって、値段は落ちないよな、こんな美人」
近づてきた男の一人に腕を捕まれ、ルナは砂浜に押し倒される。
「こいつの服どうなってんだ? 破いたほうが早いか?」
服の上から自分の体を触れてくる無骨な手に嫌悪を抱いたが、苦しくて動くことすら出来ない。
もう自分は駄目なのだと、ルナは男たちの下で静かに目を閉じた。
浮かんでは消えてしまうレヴィの最後の顔を、自分の瞼に焼き付けるように。
「早くしろよ、ったく。ちんたらしてるなら俺が先に、グエッ!?」
「変な声出してどうした、って、ひぃ」
「触るなよ、クズ共。わが娘が穢れるだろう」
「海の藻屑にでもなりたいかしら?」
だが何かに殴られたようた音のあと上にのしかかていた重みがなくなる。
そして聞き慣れた声がきこえ、ルナはゆっくりと目を開いた。
「お父様、お母さま......どうしてここに」
珊瑚色の髪を海風に靡かせる女性と、白銀の髪の男性がルナを優しい目つきでみる。彼らの目には、大切な何かを見つめる親愛の情があった。
「お前の声がきこえてな。心配したぞ、娘よ」
「フフフ、あなた母の私よりも力が強いのね。驚いてしまったわ」
そこにいたのは、ルナの父と母だった。ルナの歌を聞いた彼らが助けにきてくれたのだ。
「な、なんなんだよ......クソッ」
先ほどまでのしかかっていた二人の男の体には、羽根があちこちに突き刺さっていた。セイレーンは自分の翼の羽根を武器とすることができるため、父がやったのだろう。
「捕まえようとしてた女が、人魚なんてついてねぇ」
「せっかく馬鹿な王族が死ぬっていう日なのによ」
「......っ?! それってどういうこと?」
一人の男の言葉にルナは目を見開く。レヴィは自分を王子だと言っていた。もし男の言っている王族がレヴィに当てはまるのなら、彼は今日死ぬということになる。
「あぁん? なんでそんなこと答えないと、ひぃ!! わ、分かったから、言うから刺さないでくれッ!」
父が無言で翼を動かしたのをみて、男は悲鳴を上げる。
「あ、あの丘の上で、今日王族が処刑されるんだ! 一部の貴族共と民が、自分たちを苦しめてきた王族を殺して、新しい国をつくる。は、話しただろうッ!」
びくびくしながら男は、今日行われる処刑について話した。
男がさす丘の上とは、城がある丘のことだろう。レヴィはあの城に住んでいる。つまりそれが意味するのは、彼の死だった。
「レヴィが死んじゃう......ッ!?」
「る、ルナ、どこへ行くんだ!!」
「あなたそっちは、人間たちがッ!」
両親の制止を無視して、ルナは丘の上にある城へと走った。
****************
「ハァ、ハァ......」
王城に到着すると、門は既に開けられ、広場は沢山の民衆で溢れていた。
人々の顔には笑顔が浮かび、今日というこの日が彼らにとって、特別な日なのだと思い知らされる。
身動きが出来ない程人がいるせいで、レヴィがどこにいるのか分からず、ルナの背中に嫌な汗が伝う。
一心不乱に周りを見回していると、木で作られた処刑台のようなものが遠くに見えた。
「レ、ヴィ......?」
遠くにいる人々にも見えるようになっている処刑台の上には、数人の人間が跪いていた。
その中に、蜂蜜色の髪を風に揺らし、白の簡素な服に身を包む彼を見つけ、ルナは酷く安堵した。
彼はまだ生きているのだ、と。
「早く殺せッ!! 俺たちを苦しめた罰だ!! ザマァ見ろ!」
「自分たちばかりいい暮らししてきてさー、あたしらを嘲笑ってきたんだろ? いい気味だよ!!」
民衆から罵倒を浴びせられ、処刑台で跪く人々は泣き叫び、許しを請う。そんな中、レヴィだけは、静かにその時を待っていた。
空色の瞳を閉じて抵抗もしない彼に、ルナは黙っていられなかった。
「なにしてるのよッ!! レヴィっ!!」
喧騒の中、ルナの声は埋もれてしまう。だが、レヴィはルナのその声をきこえたように目を開いた。
そして、沢山いる人々の中からルナだけを見つけ、微かに表情が動いたのが分かった。
レヴィが自分に気付いて、ルナはさらに言葉を続けようと思った。
だが言葉を紡ごうと思ったその瞬間、ルナの喉が引き攣った。
「なによ、それ......」
レヴィがゆっくりと口を動かす。声はきこえずとも、ルナには彼が何を伝えたいのか分かってしまった。悲しそうに笑う彼の言葉が。
――ありがとう
言葉を何度も何度もルナは繰り返す。
死を覚悟した彼が、ルナに残す最後のような言葉に胸が痛くなり、頬を熱い何かが流れた。
「なに死のうとしてるのよ......。ねぇ、なぜ、彼は死ななければならないの?」
「はぁ? なに言ってんのさ」
どうして民衆が、レヴィを殺せなど言うのか、ルナには分からなかった。
その答えを探すように、ルナは近くにいた女性にそんな問いをなぎかけた。
「はぁ、なぜってねぇ。
あの男は自分の父親が悪政をしてるって分かってたのに、何もしなかったんだよ。
民が目の前で苦しんでるのに、何もせず傍観してるだけの役立たずなのさ」
「......」
威張るように話す女性の言葉に、ルナは言葉を失った。
「まぁ、あの見た目だから隣国の王女に見初められて、婚約さえすれば本当は死なずに済んだのさ。
だが、首を縦に振らなかったそうだよ。
なんでも、心に想い女がいて、その人しか愛せないらしいわ。バカよねぇ」
「想い、女......」
重くその言葉がルナにのし掛かる。
自分の命を捨ててまで、彼が想いを貫こうとした相手とは誰なのだろう。
嫉妬のような黒い感情が自分を支配するのを、浅はかで愚かなのだろうと責めた。
今自分がすべきなのは、彼の命を救うことなのだと頭を振る。
「すみません、どけてください!!」
「イテェ!! 何するんだ! おい!」
「ぬかすんじゃないよ小娘!!」
彼に近づこうと人垣をかき分けると、髪を引っ張られ前に進むことができない。
自分たちを苦しめてきた王族の処刑、それを誰よりも近くで見たいという不純な気持ちを、民衆は抱いているのだ。
あと少しで手が届くのに邪魔をされてできないそのもどかしさに、心で何かが切れた。
「......ないで」
「はぁん? 順番をまも」
「邪魔しないでよ!!」
「「「ヒ、ヒィイーッ!!!!」」」
邪魔をする人間に対し、ルナは声を張りあげていた。
歌わない限り、人魚の力はあらわれないのだが、怒りからか、声には覇気が含まれている。
その気迫に髪を引っ張った女は、無様に尻もちをつき、ルナの周りにいた人間が恐怖で立っていることができなかった。
人垣をかき分ける必要もなくなり、ルナの前に処刑台の下へとつづく一直線の道ができた。
「何をしてるんだ!!」
処刑台へとたどり着いたルナが、それによじ登ろうとすると、兵隊らしき男性が止めにかかる。
手が触れそうになった瞬間ルナが睨むと、小さな悲鳴をあげ、男は逃げた。
見た目が人間といえど、人間には持ち合わせない化け物の恐ろしさというものがルナにはあった。
「......レヴィ」
レヴィの前に立ち、ルナは名前を呼んだ。
間近で名前を呼ばれ、レヴィは空色の瞳にルナをうつす。
「どうして、ここに......早く戻れッ」
「言われなくても戻るわ。あなたを連れて......」
目を見開き驚くレヴィの前で、ルナは息を吸い込んだ。
肺が空気で満たされるのを感じると、背中に一対の翼があらわれる。
力を最大限に引き出そうとするには、人魚の姿になるのが一番であった。
目を閉じて、幼いころ歌った歌を声に出す。人魚が古くから歌い続けてきた破壊の歌を。
大波を呼び、大地にあるもの全て無にかえすその歌を。
一刻も早く逃げなければならないのに、人々は少女の歌の美しさに耳を貸すばかりで、逃げようとしなかった。
「なんて、美しいんだ」
「天使様、なのかい?」
彼方此方で、感嘆の声が呟けれる。
歌には破壊を呼ぶとは到底思えない美しさと、優しさがあった。
「て、天使? 天使は歌わないんじゃ……っ?! お、おい、あれは人魚だ!!」
歌が終わると、無音が世界を支配する。そんな中、一人がルナの正体を口にした。
天使とセイレーンは瓜二つの姿であるが、二つの種族には根本的に異なる特徴があった。
人魚であるセイレーンが歌を歌うのに対し、天使は歌ったりなどしないのだ。
そして人魚が歌えば、全てを飲み込み大波が来る。有名な話であった。
人々は慌てて「に、人魚だと......」「大波が来るぞッ!! 逃げろ!!」と、広場から一斉に逃げ始めた。
処刑台にいた罪人たちも、いつの間にか縄が解かれ、死に物狂いで人々と共に逃げた。
「人魚を殺せ!! 弓部隊!! 放てぇー!!」
そんな中、勇猛果敢にもルナに矢を構える兵隊がいる。だが矢が放たれる前に、どこからと水が湧き、放つの阻んだ。
殺せないと悟っあ兵隊たちも、この場を逃げ去り、閑散とした広場には、ルナとレヴィの二人だけが残った。
「ルナ、どうして助けるんだ。民の怒りを鎮めるためにも僕は死ななければならなかったのに......」
「......」
何か言ってやりたいと思っていたのに、困ったように笑うレヴィを見たら、それができなくなる。
どうして助けた? あなたのことを好きだから助けたと、そう言いたい。
だが、先ほどの女性の話が、ルナにそれを許してくれなかった。
――私の彼への想いは、彼を困らせる......
正直レヴィが死にそうになっていたというのに、助けに来なかった彼の思い人を許せない自分がいる。
しかし、その気持ちの裏には、嫉妬する醜い自分がいることも、ルナは理解していた。
「......ッ!?」
そんな時、海の強い潮の香がして、ルナは我に返った。
自分が呼んだ津波がそこまで来ているのだ。このままここにいれば、人間である彼は死んでしまう。
「ルナ? ......ッ!! やめろ、離せッ!!」
ここに残ろうとしていたのか、レヴィの手を掴もうとしたら振り払われた。
拒絶されたかのような気がして、胸が痛くなる。
――ごめんなさい。でも、あなたをここには残せない
ルナはその痛みを胸の中に押しのけ、レヴィの背後にまわった。
抵抗する彼の肩の下に自分の腕をまわす。
翼を広げ、はためかせれば、二人の体は宙に浮いた。
「ルナ、おろせ!! 傲慢だ!! 君は僕に選択肢すらくれないのか!?」
「ごめんなさいっ」
抵抗する彼を無視して翼を動かす。
彼に生きて欲しい。でもルナに彼を止める力はない。
もし彼の想い人だったなら、止められたかもしれない。でも自分は違う。
そうであったらと願ってしまう自分が醜いと思った。
「......ごめん、なさ、い」
漏れそうになる嗚咽を、必死に下唇を噛んでころす。彼に気付かれたくない。こんな自分を。
だがそんなルナの思いも虚しく、抑えようとすればするほど涙で視界が霞んでしまう。
「......泣いてるのか?」
ついには、気づかれたくなかったのに、抵抗をやめた彼が問いてきてしまった。
「なぜ、君が泣くんだ」
「......ち、ちがう。これはっ。
こ、こんな私なんかに助けられて、あなたがかわいそうと思ったの」
本当のことを言えなくて、思ってもいない言い訳をする。
――私のために生きて欲しい
そう口にできたら、どれほど幸せなのだろうか、と思う。
「可笑しいわ。私が泣くわけないじゃない。あなたか死んだら、後味が悪くなるのよ」
「......」
「だから、死ぬのはやめて欲しいわ......あぁ、そういえばあなた、好きな人がいるそうじゃない。その人のところへ連れってあげる。嬉しいでしょ?」
思ってもいない言葉が、次から次へと出てきてしまう。話すことをやめてしまったら、困ると分かっているのに、彼に縋ってしまいそうだった。
「助かる方法があったのに、その人が好きだから断ったんでしょ? ほんと好きなのね」
「......」
「私、あなたには助けられから仮を返したいの。だから」
「......」
「遠慮なく、言ってちょうだ——」
「僕の好きな人は、人間じゃない」
黙っていたレヴィが、ルナの言葉を遮るようにして口を開いた。
「え......」
レヴィの言葉にルナの頭は真っ白になる。人間ではないとは、どういうことだと必死に考える。
「僕の好きな人は、人の考えを勝手に決めつけるし、やたらと傷つきやすいんだ。
それに、人が頼んだことは、例え嫌でも断れない。それを優しいで片づけてもよいが、僕からすればアホだ」
「そ、そう」
「あぁ。好きでもない男に好きだと言われても、絶対に応えてしまうと思うよ」
「好きでもない人を受け入れるの?」
「あぁ。試してみるかい?」
そう言うと彼はいきなり、上を向いた。レヴィを後ろから抱きしめていたルナは、彼との近さに息を呑んだ。
「助けたのはルナ、君だ。諦めようと思ったのに、ルナが僕を引き留めたんだ」
「ッ!!」
「ねぇ、責任を取ってもらってもいいかな?」
言葉は強気なのに、どこまでも優しい瞳がルナだけを映した。彼にとっては責任だったが、ルナにとっては彼が生きてくれるということが嬉しかった。
「責任なんか取らない。でも助ける」
「そ、そうか。アハハ、振られちゃったかな」
悲しそうに笑うレヴィに、決めつけないでと、ルナは首を横に振った。
「......私の意思でレヴィを助けるの。私は、レヴィのことが好きだから。だから、レヴィが出てきたくなったら、その時は行きたいところに連れていくね」
「......やっぱり、ルナはアホだ」
「ッ!! さっきからアホばかり言わないで、~~ッ!!」
「僕がルナを離す訳なんてないよ」
いきなりのことに顔に熱が集まって真っ赤になる。
レヴィが不意打ちを突くように、ルナの唇に吐息をかけたのだ。
驚いたルナの腕の力が弱まり、彼を宙に落としてまう。
「ふざけないで!!」
にこやかに笑うレヴィを睨む。
落ちていく彼をなんとか掴むことができたが、焦るルナと反対に、レヴィの顔は清々しいまでの笑みを浮かべている。
向き合う形で飛んでいるせいか、彼の顔が嫌でも目に入ってきた。
「状況を分かってるの? 下に落ちたら危ないのよ」
「そうだね。でも言わずにはいられない。
君には謝らないと。僕も君に好かれるはずがないと、決めつけていた。」
「ッ!?」
「好きだよ。君を最初に見た時から」
「レ、レヴィ......」
彼に苦しいくらい抱きしめられ、自然と唇を塞がれる。何度も角度を変えられて口づけされるせいか、息が続かなくなった。
「こんなこと、してる場合じゃッ!!」
飛べなくなると言葉を紡ごうとしても隙間なく塞がれ、声を上げられない。だんだんと翼を動かす力も弱くなり、二人は海へと落下していった。
海面にたたきつけれる瞬間、レヴィが自分の体を下になるように体制を入れ替えた。
息を乱すルナの額を、自身の胸に押し付ける。
衝撃が伝わらないようにする彼の優しさに、ルナの心は温かくなった。
――ありがとう、私の方があなたよりも強いのに
嬉し涙など絶対に流さないと思っていたのに、今自分の頬にはそれが流れる。
彼のせいで、沢山傷ついた自分がいたが、幸せを教えてくれたのも彼だけだった。
「ルナ、また泣いてるのか? 君は泣き虫だ」
彼の心地よい笑い声が聞こえてくる。それだけでルナの体は、喜びで震えた。
「あなたが、私を泣かせるのよ。悲しくて泣くのも、嬉しくて泣くのも、全部あなたのせいよ」
落ちる二人を、海は優しく受け止める。
人々に破壊をもたらすと言われた波は、その瞬間だけ、深い深い慈愛に満ちていた。
他の長編小説を書いていたのに、燃えつき、浮気して短編を書いていました。これを機に、少しずつペースを戻していけたらなぁ、と思っています。
今回の短編はふと思い浮かんだものを書いて見ました。最後まで読んで頂き、ありがとうございます。