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ねぇ、神様、いつか、きっと  作者: ジアルマ
第二章
6/13

それでも俺は、元気です

「――よう、まだ死んでいなかったのか」

「お前こそ、まだ死んでいなかったのか」


少しジメジメとした湿気を感じる食堂で、飯でも食おうかと思って来たものの、偶然カレンと鉢合わせたのは正直運が悪いと思ってしまう。


いつものように、互いに顔色一つ変えずに席に着く。食堂に他の人影はない。そもそも食堂で堂々と飯を食える時点で、それなりの経験と実績が必要だ。つまりは、俺と目の前にいるカレンという男は、これまたそれなりの修羅場を潜り抜けて来た人間になる。何度も死にかけたし、自ら死を選ぼうとした。それでも、今ここで飯を食っている。何度も血で染まりながらも、ようやくほかほかの白い飯を食えている。

明日にはこの世から消えているかも知れない人間に対して、社会の道から外れた連中の集うここでは誰も気を遣ったりなどしない。脊髄で繰り広げられるここの会話は、妙に俺の肌には合っているようだ。


「ま、そもそもここで会話するのは俺とお前くらいだけどな。一度だけ顔見た奴の顔を次に見る時は戦死報告の書類ってのが関の山だ」

「……ふふっ」

「なんだよタケト」

「いや、何でもない」


とまぁ、つまりはそんな環境下でわざわざ俺に話し掛けてくる行動の裏にある意味を考えると、少し微笑ましくなってしまう。打算的に行動しない奴だから猶更だ。

目の前のこいつも、今でこそ凌げているが、明日にはもう目の前でガツガツと肉を頬張っている姿を見ることはできないかも知れない。

死とは、そういうものだ。少しのバランスが崩れるだけで、人は簡単に死ぬ。そんなことを、何人も殺して覚えてしまった。遠くから銃一発打ち込むだけで、人は簡単に明日の朝日を見ることは出来なくなる。周囲の人間の人生を、たった一つの銃弾が大きく変えてしまう。

常に、死と隣り合わせ。そんな崖際で生きているのだ、人間という生き物は。


「しかしよ、タケト。俺はこの前の現場で、久々に恋をしたんだよな」

「ほうほう」

「……興味無さそうだな」

「いや、とても興味がある。早く続けてくれ」

「それなら箸を止めたらどうだ」

「やだよめんどくさい。それに恋したって、あれだろ。現場で活動していると時々遭遇するお嬢様系だろ。やっぱり血筋なのかそれなりに見れる容姿の奴が多いしな」

「いや、80歳くらいの婆さん」

「ぶっ――」

「おっ、初めて食い付いたな」

「……いや、カレンお前。婆さんって正気か?」

「マジマジ。滅茶苦茶ときめいたのよ。あの子は絶対死なせない、私の命に代えても!って俺の前に立ちはだかってさ。よくあることだけど、やっぱりクるよな」

「でも殺したんでしょ?」

「そらそうよ。じゃないと俺が殺されちゃうもん」

「……恋ねぇ」

「そういやお前、いつから薬漬け生活になったんだっけ。お前のせいで俺も時々薬投与されるし、結構迷惑なんだけど」

「ふーん、そう。運が悪かったな」


謝罪の言葉なんてのを最後に口にしたのは、いつだったかな。ここでは、そういう言葉を口にした人間から順に消えていく。すみませんでした、なんてのは呪いの言葉だ。

人とぶつかって、トロトロ歩いんじゃねぇよ、と激昂しながら殴り飛ばすくらいで丁度いい。考えて言葉を発する必要なんてない。


「相変わらず、好きなのな。ツナ缶」

「ん?……ああ、これか」

「好物はツナ缶にコロッケにハンバーグやらの惣菜系。後は蒸しパンだっけ。他に美味いもん知らないのか?」

「好物と言うか、幼い頃に食べた記憶がある物がそいつらくらいなんだ。栄養は薬で補っている、別にいいだろ」

「まぁここは完全に世間から切り離された世界だしな……。ここに来るまでの記憶でしか外の世界を知れないのは、時々悲しいと思ったりするよ」

「慣れたけどな。我慢することも、欲しがらないことも」

「そりゃね」


とか言いつつも、このカレンという男はちょくちょく下界に出掛けたりする。実績に応じて自由という報酬を得るここの社会において、自由に外出できる権限を持つまでには少なくとも20年は必要と言われている。そのライセンスを半分の年数でクリアしているところには相変わらず恐れ入る。


こんな風に、カレンと会う時は大体どうでもいい会話をする。しかし、生きる上で重要なのは、このどうでも良い会話をいかに面白く盛り上げられるか、という要素が関係するのも確かである。面倒なものだ。


会話をするというのは、意外に難しいものだ。今まで目の能力を使って人と接してきた俺には、いささか難易度が高い行為であるように感じた。

人それぞれ、会話の波長が異なる。更に気分や色々な要素で簡単に波長は乱れる。相手の波長に合わせるか、自分の波長に相手を乗せるのか。出来る人間は無意識にそれを実行しているのだが、どうにも慣れないものだった。


「ん?そういやカレン、お前本なんか読む奴だった?」

「ああ、これか。いやなに、流行り物らしいから買ってみたんだよ」


カレンのポケットからひょっこり出ているそれは、どうやら一冊の文庫本らしい。


「タイトルは、『翼を捥がれた幼い天使』ってな。……ストーリー自体はありがちだけど、けっこう面白いぜ。読んでみる?」

「いや、俺はいいや」

「またそうやって。この小説、どうやら実体験らしいぜ。両親を殺されて一人身になった少女が、様々な感情を抱えながらも生きていく話。もしかすると、両親を殺したのも俺達の誰かだったりして」

「あり得ない話じゃないよなぁ」

「作者の名前は――マヤ・アリスティア。どうだ、聞いたことある?」

「ないなぁ。それに俺、殺した人間の顔と名前は覚えないようにしているんだ」

「そりゃまたどうして」

「目を閉じたら、瞼の裏に浮かんできそうでさ」

「わからんねぇ」

「殺した人の顔を一々覚えているお前の方がわからんよ。それで時々、あの子は殺すに惜しい存在だった、とか。どんな恋の仕方だよ」

「童貞のお前に言われたかないね」

「殺すぞ」

「殺せるものなら」

「……」

「……」

「……まぁ、確かにそう思う。あの時のことはよく覚えていないけれど、薬漬けのモルモット生活からの方が、感情豊かになった気がするよ。なるようになるさ、ってな。あらゆる面で気が楽なんだ」

「それも薬の副作用なんじゃねーの」

「なんだっていいんだよ」

「ふーん。まぁせっかくだ。聞かせてくれよ。お前の生い立ち、瀬水タケトという男の人生をさ」

「……別にいいけどさ」




―――――――


ホームレスのおじさんとの生活の幕引きは、予想以上に早かった。

俺が初めて人を殺した日の翌日。新たな生活を送る予定だった日。いや、新たな生活を送るという意味では間違っていなかったのかも知れない。

俺が目を覚ますと、身体が拘束されていて、テントの外では黒服の男が数人待機していた。隣で相変わらず短いタバコを吸っていたおじさんを映す視界は、血で染まっていたように赤く、ドス黒かった。昨日までのクリアな視界が映す景色は、もう思い出せなかった。

仕方ないだろう、俺も金が必要なんだ。そう言いたげなおじさんの醜い表情は今でも鮮烈に覚えている。同時に、これが人の本質なんだとハッキリと思い知らされた。綺麗とか、汚いとかじゃない。人間は、こういう生き物なのだ、と。ほんの少し、クリアな世界を見せてくれただけで、随分心を許していたらしい。

おじさんを、恨んではいない。あの日の夜、おじさんが俺に対してくれた言葉は、決して嘘偽りのあるものではないだろう。俺と共に暮らそうと言ったのも、本心であるはずだ。ただ、お金の力に負けただけ。たったそれだけなのだ。

その事に対して、怒りこそあっても、恨むなどは出来なかった。翻って、俺が同じ立場なら、きっとおじさんを黒服に売ったと思う。おじさんは、人間なら当然の選択をしただけなのだ。

ただ、それでも。少しだけ、悲しい気持ちになったのも、事実だった。

別に、どこに売り飛ばされるのかなんて考えなかった。どこに行っても、なるようになる。そんな心構えだった気がする。

撃ち殺されるかも知れない。切り刻まれるかも知れない。臓器をバラバラにされて売り飛ばされるかも知れない。永遠に重労働を課されるかも知れない。薬漬けにされて研究材料として扱われるかも知れない。そんな状況下でも、心は随分と穏やかだったのを覚えている。


テントの中で、黒服の男の一人から「君、殺し屋として働いてみる気はないか?」と話を持ち掛けられた。随分と唐突な話であるし、二つ返事で答えられる質問ではない。と言っても、断れる状況下でないのは明白であったし、何より、それもいいかなと思う俺がいたのも事実だった。

その言葉に了承すると、黒服の男は、手始めにおじさんを殺せという言葉と共にナイフを俺に渡した。

おじさんは少し青ざめた表情をしたかと思えば、急に慌てふためき「話が違うじゃないか!」と黒服に飛び掛かった。話が違うじゃないか、とは中々皮肉が効いているセリフだったと思う。話が違うと思ったのは、俺も一緒だった。俺は、一瞬で黒服とおじさんの間に割って入り、おじさんの心臓を突き刺した。きっと、その時の俺の表情は、俺を売り飛ばした時のおじさんと同じ表情をしていたと思う。仕方ないだろう、俺も生きていたんだ。鏡に映せば、そんなことを言いたげな俺の醜い表情が映っていたと思う。



それからしばらく、俺は殺し屋としての育成期間を過ごした。どこにあるのかわからない地下施設に缶詰にされ、時々実戦で外に出る。まともな食事は与えられず、共に過ごす人間と飯の奪い合いを繰り返す日々。ただ、そんな毎日に、生きているという実感を覚えていたのも事実だった。

最初の2ヶ月は、殺し屋としての基礎を徹底的に叩き込まれた。人体の構造、女装の技術、射撃に必要な計算方式。実践一般常識論なる教科書を渡され、常識というものがどういうものかを学んだこともある。あの教科書、外の世界で売ればそこそこ売れるのではないだろうか、なんてことを思ったりした。

それから、数年後。俺が優秀だったのか、それとも元々そういうレールが敷かれていたのか。早くも現場に出動させられた俺の手の色は、既に何人もの血で塗り替えられていた。一体、何人殺したのだろうか。俺が殺した中には、罪のない人間も存在した。暗殺を命じられた人間がどんな人間なのか知らされることもなく、調査の時間すら与えられなかった。命令通りに暗殺を遂行する人殺しマシーンと化していた。

屋敷に忍び込み、その屋敷にいる人間を全員殲滅しろ、という命令は多かった。老若男女問わず、全ての人間を無抵抗のままに殺した。人の人生を、たった1人の少年が終わらせていた。命乞いする罪無き人間の首をいくつも切り落としていた。

そんな生活を送っていると、時々精神が壊れそうになった。任務を遂行している時の光景を思い出しては、胸の内が張り裂けそうになった。基本的に瞼を閉じても完全に熟睡することは無かったのだが、それでも、時々深い眠りに落ち、瞼の裏で夢を見てしまう事があった。夢の内容は、決して良いものではない。自分の中にあるマイナスの感情が、そのまま具現化されたような世界だった。何度も発狂し、白目を剥いて暴れまわったりもしたらしい。

壊れ物寸前の俺を見かねて、黒服から薬を投与された。まだ開発段階である心を壊す薬。拒否権など持ち合わせていない俺は、その薬を大量に投与された。その薬を、ある意味都合が良いと思っていた俺がいるのも事実であった。

どんなに心を曲げても、欲しかったのだ。人を殺す事に対する免罪符が。揺るぎない正義が。

だから、俺にとって心を壊す薬とやらは都合がよかった。何もかもを考えずに済む。思考を停止してしまえば、何も苦しむことはない。生きる事が楽になる。思考停止は、ある意味では快楽であり、ある意味では虚無である。

悔やむことがあるとすれば、薬の副作用なのか、視界を映す色が徐々に薄くなってきたことだった。しかし、その頃には既に色を映さずとも他人の感情がある程度読めるようになっていた。微かな眉の動き、脈の変化、体温の上昇。おまけに俺の体毛が察知する微かな何か。それらを総合的に判断して、他人の感情を読み取る事が可能となっていた。そして、それらを可能にしたのは、皮肉にも黒服から投与された薬の効用を経て得た能力だった。

試験段階の薬を過剰投与されても正常を保てていた俺の身体は、上層部お気に入りのモルモットとされていた。様々な薬を投与され、様々な強化を施された改造人間。今の俺は、そんな風にして出来上がっていた。


それでも、自殺しようと思う事は無くなった。何があっても、もしかしたら幸せな明日が来るかも知れない。神様が助けてくれる日が、来るかも知れない。生きていれば、勝ちなのだ。

そんなこと、思うから。


――――――――



「――と、まぁそんな感じで今に至るわけなのよね」

「ふーん」


氷上だけは終始興味無さそうにしていたカレンだが、席を立ち上がろうとしない辺り内心それなりに興味を示していたらしい。


「よくある話だな」

「せやね」


そう、よくある話だ。少なくとも俺はまだまともな環境で育った。だって、生きていられるのだから。


「というか、道理でお前性格変わったわけだよ。その特殊な目が原因じゃないか」

「あー、言われてみれば。や、だってどんな暴言を吐こうとも、直接的に俺が苦しむことは無くなったから。なんか饒舌になった気がする、今まで言葉を溜め続けてきた反動なのかも」

「タケトの性格の変化は、あれ、薬によるものだと勝手に予想していたけど、まさかそんな目を持ち合わせていたとはねぇ」

「正直不便だった。目の能力が失われて、ほんの少しいるかどうかもわからない神様に感謝した」

「いつだったか、お前が模擬戦闘で女の服破いた時あったじゃん?」

「あったなぁ。なんか滅茶苦茶嫌われたよ」

「そりゃだってお前、女の裸見て、汚い身体だな、ってないだろうよ」

「すぐにビンタ飛んで来たんだよな。片手で受け止めたら、今度は余ってる方の平手が飛んで来て。それも受け止めたら裸見られた時より顔真っ赤にして叫び出して」

「あるよなぁ、女のビンタって、素直に喰らわないとそれはそれでややこしいんだよ。ま、その女は、もう死んだけどな」

「それな。……そんなもんだよ、この世界って」

「ま、でも人生何が起こるかわからないもんだぜ。気張っていこうや!」


俺の背中をバシンと叩き、カレンは席を立った後、口笛を吹きながら食堂を後にした。

カレンの後姿が、ほんの少しぼやけて見えて「もしかすると、明日辺りに死んでいるかもな」なんてことを、思ったりした。

だって、そうだろう。以前までのカレンは、決して猫背で歩いたりなんてしなかった。背筋をピンと伸ばして、いつ襲われても対応できるように常に周囲に気を張っていた。







――翌日以降、カレンの姿を見ることはなかった。人生何が起こるかわからないもんだぜ。別れ際に放ったカレンの言葉は、皮肉にも、自分自身を刺していたようだった。


カレンが死んだと聞いて、真っ先に抱いた感情が「ああ、そりゃ当然だ」というものだった。涙の一粒も流さなかった。

でも、やっぱり少しだけ。寂しいなぁ、と思ったりした。


ねぇ、神様。それでも俺は、元気です。


もし、神様。貴方が、人間が生み出した空想上の存在ではないのなら。


少しだけ、俺にも夢ってやつを見せてくれませんか。

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