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ねぇ、神様、いつか、きっと  作者: ジアルマ
第一章
5/13

明日はきっと、晴れ模様

――「気が付いたかボウズ?」


「……ん」


目を覚ます。


かび臭いテントの中で、俺は寝袋に包まって寝ていたらしい。

テントの中を見渡せば、妙に生活感を感じる粗大ゴミで生成されたような部屋。その割にゴミらしいゴミは見当たらない。俺は、ホームレスにでも拾われたのだろうか。

目の前のおじさんの風貌が、何よりその予想を確信へと近づけた。ぼさぼさの髪に薄汚れた黒い肌、身に着けている衣類は、よくニュースなどで取り上げられるホームレスそのものだ。


「にしても、ずいぶん妙な顔して寝てたな。ガキってのはもっと朗らかな笑顔を浮かべるもんだぜ」

「……はは、泣きそうだった、か。それでも、涙って出ないものなんだな」

「悲しい夢でも見ていたのか?」

「……どうだろう。……でも、決して悲しいだけの夢じゃなかった気がする」

「なんだ、ハッキリしねぇな」


遠い、夢を見ていた気がする。

あの時の少女の顔を、俺はよく覚えていない。なるべく直視しないように、目を逸らし続けていた。


「おじさんは、ホームレスってやつ?」

「ん?あぁ、世間では、俺達のことをそんな風に呼んでいるな」

「なんで俺を助けたのさ。厄介事が増えるだけでしょ?」

「そりゃお前、住処の前でガキが倒れていて放っておいたら寝覚めが悪いじゃねぇか」

「……ふーん?」

「なんだよ」

「いや」


おじさんを映した視界は、不思議とクリアな色をしていた。

おじさんの身なりや部屋を目で往復すればするほど、人を匿うどころか自分の生活すらままなっていない様子が伺える。以前の俺の暮らしの方がマシな部分すらある。

いるものだな、こんな世の中でも。自分の利益とならない偽善的な行動をする人間が。


「ま、生憎大したもてなしは出来ないけどな。いいだろ別に。俺と違って、お前には、帰る家があるんだろ」

「……いや、ないんだよ。俺には、帰る家なんて」

「……はっ、お前もやらかしたクチか。拾った時、傷が浅いにも関わらずかなりの血を浴びていたから不思議には思ったぜ」

「そんな子供を簡単に助けるおじさんも随分不思議だよ」

「言いやがる。どうした、親でも殺したか」

「そんなところ」

「ははっ、随分肝が据わっているじゃねぇか」

「殺人者と知って動じないおじさんも大概肝が据わっているよ……」


なんだろうか。やっぱりホームレスは一味違う、そんな変なことを思ってしまった。

しかし、目の前のホームレスでしかない薄汚いおじさんの芯の抜けたような態度から、どこか温もりにも似た和らいだ雰囲気を感じていたのも事実である。中々面白いもので、こんなにもきな臭いおじさんだが、不思議と陽気な気分にさせてくれるものだった。


「ほら、あんま大した飯は出せないけど、とりあえず食え」


そう言いながら、おじさんはツナ缶を二つ取り出す。

ツナ缶自体高価な物ではないが、これまた不思議なもので食物を見た途端、これまで全く気にしていなかった空腹を急に感じた。


「こいつにな、胡麻油を少しと、ポン酢をかけて食うとうめぇんだ。やってみな」

「へぇ」


ツナ缶を開けると、テントの中にツナの臭いが充満する。元々漂っていたドブのような臭いと相まって、ゴミ捨て場で飯を食っているような気分だった。

どこから拾って来たのか、ビニール袋に入った割り箸を渡される。こういう限界の様な環境で、限界の様な食物を食すのも、ある意味では一興であるように思えた。


「うめぇだろ」

「……ああ」

「んだよ。だったらもっとうまそうに食えよな」

「……」


正直ツナ缶の味なんてあまりよくわからなかったし、口の中を切っていたので痛みすら感じた。

だけど、どこか心地よかったし、美味しいと感じた。

こんな風に人と飯を食うのは、考えてみれば初めてだった。


「おいしいね」

「おう!どんどん食え……ってわけにはいかねぇが、まぁいい。どんどん食え!」

「ははっ、どっちだよ」


ツナ缶一つで、こんな気分になれるなんてことを知った。きっと昨日食べた給食の方が遥かに美味しかったし、食べる環境である教室も掃除が行き届いていて綺麗だった。だけど、油と調味料の味しかしないツナ缶は、それ以上に美味しかった。

きっと世の中は、こんな風に、俺の知らない初めてなんて沢山ある。

ツナ缶一つで、どこか心のモヤが晴れたような気がした。






――「……へぇ、お前も大変だったんだな」

「まぁ、恵まれていないとは思うよ。色々とね」


どこから拾ってきたのか、少し色褪せたパッケージの缶コーラを飲みながら、ホームレスのおじさんに簡単に身の上話を打ち明けていた。

おじさんは、笑いもしなかったし、悲しみもしなかった。時々欠伸をしたり、背中をかいたり、そんな態度で話を聞いていた。

それでも、おじさんを映す視界のクリアな色は変わらない。きっと、おじさんにとっては、俺みたいな人間は特に目新しくもなんともないのだろう。いつもの日常に、少し変わり種が混ざり混んだだけ、そんな感じ。


「たった一度の過ちで、お前も随分色々なものを失ったんだな」

「うん……そうだね」

「理不尽だ、って思うか?」

「思う……って言ったらおじさんに怒られそうだから、別にそんなこと思わない、って言っておく」

「なんじゃそりゃ」

「おじさんはどうしてホームレスになったの?」

「なりたくてなったと思うか?」

「や、全然。でも家から出たいって気持ちはわかるかも」 

「バカ、そんなんじゃねぇよ。……お前と同じ、たった1つの過ちで、ホームレスにならざるを得なくなったんだよ」

「ふーん?」

「……それ以上は聞かないのか?」

「うん。なんだろう、嫌なことを人に言いたくなる気持ちも、無闇に踏み込んで来られたくない気持ちも、ちょっとだけわかるから」

「はっ、そうかよ。というか、それなら最初からそんなこと聞くなっての」

「ははっそれもそうか」


おじさんは言葉を切り、ポケットからタバコを取り出す。そのタバコは、妙に小さかった。きっと、他人の捨てた吸い殻だろう。灰と化した部分を切って、吸えるところだけを残した、1本のタバコというよりはゴミに近いそれを吸い始める。煙が充満し、テントの中は一気に煙臭くなった。 


「こう見えて、昔は結構金持ってたんだぜ。その金も、たった一度の失敗で消し飛んでしまったがな。今思えば、運が悪かったんだ」

「おじさんが悪かったんじゃないの?」

「勿論それもある。けどな、案外完璧に生きるって難しいんだよ。その都度その都度、正しい選択をするのってのは、本当に難しい。……大抵のやつは、少しずつ汚れたり、少しずつ大切なものを失いながら、それでも枠をなして生きていく。人間の生き方なんてそんなもんだ」

「おじさんは、汚れたんだ」

「ああ、一度だけ汚れる道を選択した、寄り道程度にな。そのたった一度の汚れが、目立っちまった。世の中なんて、何人も汚れてる。たまたま俺の汚れが光ってしまっただけで、堕ちちまった。……お前もそうだろ、たった一度汚れてしまっただけで、大切なものを失ったんじゃないのか」

「……」

「ま、今は別の意味で汚れまくってるけどな。何せ死んでしまうからな、泥水すすってでも生きていかなきゃならんのだ」

「……ねぇ」

「あん?」

「そこまでして、生きる意味ってあるの?」


過酷な毎日を消化するように過ごして、そういう生活から逃れるための最大の救済は、自殺なんじゃないだろうか。

そんなことを、ふと、思ってしまった。

死んでしまえば、何もかもが関係ない。辛いと感じることも、幸せと感じることもなくなる。その代わりに、無が訪れる。

それでも、絶望より、無の方が、まだマシだ。

そう、思うから。


「生きる意味ねえ、そんなのわかんねぇよ」


ふーっ、と煙草の煙を吹かしながら。

おじさんに期待したその答えは、予想していたものとは違ったけど、想像を越えるものではない、ごく普通の答えだった。


「大体お前、自殺するならもっと早く死ねば良かったじゃないか」

「うるさいなぁ、勿論考えたよ」

「じゃあ今自殺しろよ。缶詰用のナイフなら持ってるぜ」

「そんななまくらで自分を刺すくらいなら溺死した方がマシだ」

「御託はいいんだよ。下らないこと抜かしやがって」

「……今は……駄目だ」

「何故だ」

「きっと……駄目なんだ。俺が殺してしまった人の為に、もう少し生きなければいけないんだ……」

「何故だ」

「何故……って。……そんな気がする、だけだよ」

「……はーっ、ガキだねぇ。言っておくが、この世界にいる限り、お前が殺しちまった人の為にしてやれることなんざ、何一つとして存在しないんだぜ。お前が懺悔したところで、そいつは何か救われるのかい?」

「……じゃあ、どうすればいいんだよ。何かを思うだけで胸が張り裂けそうになるこの状態から解放してくれる術を、誰が教えてくれるんだよ」

「生きるのが辛い、だからって、死後の世界が幸せかどうかなんてわからない。死んだ後の方が、案外苦しいかも知れないぜ?」

「……そんなのわからない。でも、今だって苦しい。だったら死んだ方がマシだって、思う。でも、死にたくない気持ちも、確かに存在する。その選択が、自分の為なのか、あるいは人の為なのか。……それは、わからないんだけどさ」

「ほーん。……なら、明日空から金が降って来る、と思ったら少しは生きてみる気になるか?」

「……少しだけ。でも、ありえないじゃん」

「わかんないぜ?世の中何が起こるかわからない。例えば、そう。今日のお前の体験は、ありえないものだっただろ?」


確かに、そうだ。

いつかこんな日が来るような気がしていた。ただ、今日だとは思わなかった。こんな日になるなんて、思ってもなかった。


「逆になんだ、生きる意味がないと、お前は生きられないのか?」

「……」

「じゃあ、あれだ。今からお前はやりたいことだけをすればいい。飯屋に忍び込んで、冷蔵庫の中身全部食い散らかしてもいい。いい女がいれば食ってしまえばいい。正義か悪かなんて関係ねぇ、やりたいことをやっちまえばいい。……死ぬのは、それからでも遅くないだろ?」

「ははっ、流石にホームレスさんは言うことが違う。……でも、おっさんは違うよね。そんな戯言を説いておきながら、自分はカビ臭いテントの中で毎日を送ってるじゃん」

「何故だと思う」

「またそれか。いい加減何故は聞き飽きたよ」

「それは、お前より何年も多く生きているからだ」

「……理由になってなくない?」

「その返事が、理由になってんだよ。俺はお前より多くの景色を見てきた。いくつもの経験をした。だから自分の中の分厚い教科書なんてものが、ぼんやりとある。その教科書によると、やっぱり悪いことはできねぇな、ってな。これ、教科書の終わりの方に書いてあんだ。これを覚えていなかったから、ホームレスになっちまったんだからな」

「俺にだって、ぼんやりとある」

「まだ歳が二桁になったばかりのお前の教科書なんてペラペラの紙みたいなもんだ。……だから、生きろ。幸せを求めて駆け続けろ。Fly high――翼を求めて。Fly high――翼を羽ばたかせて。俺の好きな歌のフレーズだが、今のお前にゃピッタリだ。……死んでみるのは、もっと遅くてもいいだろ?」


そう言って、おじさんは殆ど吸うところのない燃えカスと化したタバコを揉み消す。おじさんはそのまま二本目に手を付けようとしたが、何を思ったのか突然伸ばした手を引っ込めた。


おじさんの、あまりに詭弁だらけでふわふわとした雲のような実態のない言葉遊びは、妙に心地よかった。

きっと、言葉だけじゃない。視界に映る、クリアな色が。

綺麗事でしかない言葉が、俺の中ではとても綺麗に映っていた。


「……ま、そういうわけだ。もちっと人生楽しもうじゃないか……俺と一緒にな」

「……もう少し、綺麗なところに住みたかったな」 

「バカヤロウ」


おじさんに小突かれ、そして互いに少し笑い合う。

二人並んで、テントの中で横になる。今まで生きて一番寝心地の悪い場所で、一番いい夢が見れそうな気がした。

俺の明日は、どんな明日だろう。明日が来るのが、楽しみだった。


神様。


いるのかどうかわからないけど、一応報告しておくよ。


神様、俺。生きるってどういうことか、ほんの少しだけわかった気がするよ。














――三年後。


俺が殺した人の数は、ようやく100人を越えていた。


外見の幼さとは似ても似つかぬ無慈悲な性格。捉えた得物の亡骸には一切振りむくことなく、気付けば姿を消している。


『黒豹』――。


黒髪の少年は、世間でそんな風に呼ばれていた。



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