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ねぇ、神様、いつか、きっと  作者: ジアルマ
第一章
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神様に選ばれなかった少年

――「タケト君、悪いんだけど荷物運ぶの手伝ってくれない?」


背後から、聞き覚えのある声。振り返れば、担任の先生が、やや繕った笑顔を浮かべて立っていた。


またか、と内心呟く。


小学生の昼休みの時間。カラーボールを使った手打ち野球やドッヂボールなどは鉄板だ。中にはオセロをしたり、本を読んだり。その辺りは人によって様々であるが、ある程度自由な時間であることは間違いない。

ここで問題なのは、そういう時間に嗜む種目などではない。早急に給食当番の仕事を片付け、「さて、これから行くぞ」という時に面倒事を押し付けられたものだから、俺の返事は当然、


「今急いでいるんです。他を当たって下さい」


という、目の前にまとわりつく煙を払うようなものになる。


「……そう。悪かったわね、呼び止めちゃって」

「……」


見なければ良かったと。出会った途端、窓の外の景色だけを眺めていれば良かったのだと後悔する。

感じ取ってしまった。目の前の先生の、胸の内にある感情を。

視界に少し紫色が混じり始めた。色の濃さに比例して、身体もズシンと重くなる。全身の血管が押しつぶされるような錯覚に陥る。早く楽になりたいと全身が叫んでいる。


「昼休みだからって、あまり羽目外して怪我しないようにね。それじゃ」

「――待って下さい。やっぱり荷物運ぶの手伝います」

「え、でもいいの?タケト君、昼休みなんじゃ……」


なら最初から俺に声を掛けるな、と思ったが口に出せば角が立つのが明白なので黙っていた。いつもそうやって、喉元まで登りかけた言葉の塊を胃に流し込んでいた。


「いいですよ、早く済ませましょう」

「ありがとう……、それじゃこのプリントの束と……」


徐々に紫の色が薄くなっていく。それに比例して、気分も晴れていく。身体が、元通りになっていく。


俺がプリントの束を運び終わる頃には、視界は完全にいつもの景色に戻っていた。


「……やれやれ」


黒板消しの隣に置いてあった新品のチョークを一本折ってみたが、何の気晴らしにもならなかった。


何となく屋上に足を運び、高い所からの景色を眺める。

屋上はいい。誰もいない。

誰もいなければ、視界が色に染まることはない。存分に孤独を楽しめる。


「なんで、こう。疲れながら生きなきゃならないんだろうな」


空を見上げる。雲一つない真っ青な空は、まるで自分を嘲笑っているようで、なんだか無性に苛ついた。

なんで、空は青いのだろう。多くの人は、そんなことに意味などないと言うと思う。

だけど、仮に。神様が、この世界を創ったとしたなら。きっと、あらゆることに、意味があるのだと思う。

宇宙が暗いのも、太陽が真っ赤なのも、空が青いのも。そんなふうに、まるで物語のように考えないと説明が出来ないものが、この世界にはあまりに多すぎると思う。


だけど、こう考えたらどうだろう。

この世界は、所詮神様が盤上で遊んでいるだけに過ぎない。宇宙という広大な盤上の中の地球というステージで神様がゲームをしているだけ。俺達は、そのゲームの駒でしかない。地球という環境は、駒を動かすフィールドだ。神様がそれらを使って、そこで起こる物語を楽しんでいるだけに過ぎないのだ。


そう考えれば、不条理な体験も、納得できない事実も、少しは納得できる。そう、思わないか。

俺は、神様に選ばれなかった少年なのだ。







タケト・アルダルク。

本来ランドセルなんか背負って、ぴかぴかに輝いているはずの年齢。しかし残念ながらランドセルを背負って登下校していた過去など一度も持ち合わせていなかった。

原因は、我が家にある。俺の家は、果てしなく貧乏だ。ランドセル一つまともに買えないほどに。


貧乏であることの代償なのか、もしくはその延長線上にあるのか。

俺は、どういうわけか他人の感情を読み取る力が発達していた。

理由は不明。きっかけとなったのは、親父に虐待まがいの暴行を何度も受けていたある日から。

ある日、いつも通り酒を浴び仕上がっていた親父から、いつも通りの暴行の嵐を浴びせられていた時、何の前触れもなく視界が真っ黒になったのだ。

その、ある日からだった。人の心が大きく変化する時に、それが色として視界に表れるようになったのは。

定義や理屈は不明。ただ、何度か経験する内に、その色が何を表しているのか、手に取るように理解できるようになっていた。

他人の感情が、明るい方に変化したのなら、それはオレンジや緑など明るい色が映る。反対に、暗い色が映ったのなら、それはそういうことを表していた。

一見便利と思えるこの能力だが、厄介なのは、暗い色を視界に映し続けると、俺が苦痛を味わうということだった。気がズシンと重くなり、胸を締め付けられるような苦しさを感じる。最悪の場合は呼吸困難まで陥る時もあった。病院に行けば何かこの能力について判明したのかも知れないが、生憎そんな金なんて我が家には残されていない。

――いや、残されてはいたのだ。それこそ親父が酒を浴びるだけの金が。ババアが毎日玉を弾いたりメダルを投入できるだけの金が。馬の競争を眺めて興奮する娯楽につぎ込めるだけの金が。ただ、その金が俺の為に動くことはなかっただけの話なのだ。金をせびっても両親は眉を吊り上げるだけ、また視界が黒くなる。結果的に、俺の為に我が家の金が動くことを一番に嫌うのは、俺自身だった。皮肉にもほどがある話である。


能力からの苦痛を早急に対処したい。その為には、目の前の人が感じているマイナスの感情を打ち消す善意のある行為が必要だった。

だから、俺は。必死に都合の良い人になろうと努力した。誰の為でもなく、自分の為に良い人を演じていたのだ。

クソ親父が酔っぱらって瓶を振りかざすなら、俺は何度でもそれを受けた。反発などするものなら、視界が更にドス黒くなる。そうなれば苦しむのは俺だった。だから、色が薄くなるまで瓶を受け続ける。拳を、蹴りを受け続ける。その都度血を流しながら、何度も何度も。血を流しても、病院に行くことはない。小学校からくすねた雑巾でそれを拭き取り、これまた小学校の保健室でくすねたガーゼなどで応急処置をした。

学校で人と触れ合う中で、少しでも暗い色を感じたのなら、その人に親切に接した。悩みがあれば真剣に聞いた。手伝いを求められたのなら一度も断らなかった。誰とも角を立てずに上手に付き合える術も身に着けた。誰にでも笑顔を振りまかねばならなかった。誰の為でもなく、俺自身の為に。


幼いながらも、俺はこの能力のせいで突き付けられる嫌な事実は多かった。

予想以上に、人間は表情を繕っている。歳を重ねれば重ねるほど、表情と言葉の内容は合致していても、表情の裏側に秘めている本当の仮面の色は中々合致しないものだ。学校という大人と子供が交わる場において、その傾向は顕著なものだった。

それに、人の想いを断る辛さも。想いを伝える勇気より、想いを断る勇気の方が遥かに重い。それは、想いの強さに比例する。上手な断り方を模索するより、とりあえず受け入れてしまう方が遥かに楽なのだ。

二階から落下しても軽傷で済むが、最上階から落下したら傷を負うどころの騒ぎではない。死なない寸前の階で、共に落ちていく。そうして互いに傷を負う。そんな風に生きる人間を、何度も見て来た。




――いつも通り、学校の授業を終えた後は帰宅する。木造のボロい家に帰宅する。道草など一度も食わずに、真っ直ぐに帰路に就く。誰も帰りを待っていない、冷え切った場所へと戻っていく。

本当は家を出て一人で暮らした方がいくらかマシだとは思うが、それでも一応ドラム缶風呂もあるし雨風を凌ぐ屋根と毛布があるのは重要だった。布団はない。我が家の洗濯は俺の仕事だが、衣類を洗濯できる環境があるだけマシなのだ。何より、学校に通えなくなるのが辛すぎる。給食で腹を膨れさせることが出来るのもそうだが、俺はあの場所にオアシスを感じてるし、あの場所で俺自身にオアシスを感じている人も少なくないだろう。オアシスがあるということは、幸せなのだ。

帰宅したら、すぐに洗濯だ。そもそも持ち合わせの衣類が少ない俺は即全裸になり、今日着ていた服を洗濯する。ついでに――といっても、こっちがメインなのだが。洗濯籠に乱暴に投げ込まれている煙草の臭いが染みついた両親の服を洗濯する。

洗濯機なんて豪華な物はない。あるのは大きい桶と水と洗濯石鹸だ。それらを使い、俺は3人分の洗濯物を済ませる。

両親の洗濯物は干しておく。俺の洗濯物は直ぐに着る。水浸しの状態だが、絞ればそれなりに着れるものだ。


洗濯が終わったら、近くの工場に行く。そこで少しだけ働く。

仕事内容は永遠と流れ続けるベルトコンベアの上に乗っている蒸しパンの上にレーズンを1粒ずつ乗せ続ける仕事。これを3時間ぶっ通しで続ける。

本来幼い俺が工場でバイトまがいの行為をするのは当然違法なのだが、工場の人間はそれを黙認してくれている。どこで働こうとしても雇ってくれない中、やっとの想いで見つけた場所だ。俺を雇ってくれたおじさん曰く、「君がしているのはバイトでもないし、労働でもない。だから当然契約書など存在しない。君がしているのは、近所のおじさんに肩たたきをしてあげて、御駄賃として10センもらうのと同じことなんだ。わかるね?君は、この工場で作業員さん達に3時間肩たたきをしてあげているんだ。その御駄賃として、私達は君に3000センをあげる。こういうことなんだ」とのこと。

屁理屈もいいところなのだが、俺としては当然ありがたい話だった。それに、雇い主から映る視界の色は、明るい黄緑色。俺の境遇を知ってか少し同情したいるのだろう。そんな生温かい想いを、無碍にしたくなかった。

今日も3時間工場で肩たたきをする。工場の人達はお礼に御駄賃として3000センの入った封筒をくれる。それでいいんだ。




――工場での肩たたきを終えれば、既に日は落ちている。

肩たたきの御駄賃の延長でもらったレーズンの乗っている蒸しパンを齧りながら帰宅すれば、大抵クソ両親も帰宅していた。因みに、家に帰っても食事は用意されていない。この甘すぎる蒸しパンが毎日の夕食だ。


「……ただいま」


帰宅するや否や、クソ両親の座っているテーブルの上に給料の入った封筒と置く。1センたりとも俺の手元に残らない。こうして、俺の稼いだなけなしの給料は、明日の両親のギャンブルの軍資金へと変わり果てる。


その後の時間は、クソ両親のギャンブルの結果で左右される。

勝って帰って来た時は、大抵上機嫌で酒を飲んでいる。俺に危害を加えることはない。乾き物と度数の高いウィスキーを楽しんでいて、暫くすると泥のように寝ている。そして、次の朝には金を握りしめてギャンブルへと出掛けるのだ。そういう日は、ゆっくりとドラム缶風呂に浸かることが出来る。風呂に浸かると身体のあちこちにあるクソ両親から受けた傷に染みて気が遠くなるほどに痛いのだが、それでも「今日は平和だった」という事実に安堵する。風呂とは、そうやって一日を噛みしめる貴重な時間なのだ。

負けて帰って来た時は、大抵大荒れして酒を飲んでいる。そもそも、両親を見た時に視界に映る色でギャンブルの結果がわかってしまう俺は、黒い色を映した途端に覚悟を決める。暴行を加えるのは親父の方で、ババアの方は負けても比較的大人しいのだから、正直置物と同義である。勝っても負けても、ババアの場合は、その結果が俺に関与することはない。厄介なのはクソ親父の方だ。負けた日には暴行の雨が降り注ぐ。缶ビールを飲んでいる日は拳や蹴、投げた空き缶くらいが精々なのでまだマシである。酒瓶を持っている日が危険だ。酒瓶が攻撃手段となるから殺傷力が段違いであり、最悪意識が飛ぶくらいのダメージを負う。勿論酒瓶で頭を殴られる、なんて行為は流石に頭の飛んでるクソ親父でもやらないのだが、一度だけ頭部目がけて酒瓶が飛んできた事がある。咄嗟に避けて事なきを得たのだが、俺が避けたのが気に入らなかったのかクソ親父は「んで避けてんだテメェ!」と叫びながら首を絞めてきた。そんな理不尽に、「ごめんなさい」という言葉を連呼する事でしか難を逃れる術がなかった俺は、心のどこかで泣いていた。それでも、実際に涙を流さなかったのは何故だろうか。心は泣き叫んでいたのに、目から涙が流されることはなかったのだ。


結局、どうあがいても両親を好きになどなれないのだが、たった一つだけ感謝していることがある。

奴らは、俺を産んでくれたのだ。この世に、俺を存在させてくれたのだ。

たったこれだけ、されどこれだけ。これだけで、俺が両親に感謝するには充分過ぎるくらいだった。

家族の縁ってのは、厄介だ。そんな事を思ったりもする。

所詮人と人である。街を歩いている適当な二人が同居しているだけ、そんな風に他人からは見えてもおかしくない。

俺達は家族である。たったそれだけの事実で、共に暮らす。両親に対して、何か特別な感情を抱いたりする。人の縁とは、そんなものであるし、そもそも縁とはそんなものだ。心のないロボットには決して芽生えない感情。だからこそ、人は厄介であるとも言えるのだ。





――人の縁について、身近にもう一つ厄介だと思わせるものがある。


「――あ、また一人で屋上にいる」


この厄介な幼馴染の存在だ。


サラ・アイネス。性別は女。幼馴染。身長低め。容姿はそこそこ。家はお金持ち。

皆から慕われる人気者であるが、何故か俺の様な偏屈な男に構う変人だ。


「時々皆と遊んでいるだろ。一々俺に構うなよ」

「暇なら私と遊んでって言っているの」

「他を誘えよ、お前友達多いだろ」

「タケトと遊びたいから、わざわざ探したんじゃない」


とまぁ、何故かと言いつつ構われる理由は明白で、単純に好意を持たれているからではある。能力を使っても、視界に映るのは陽気なピンク色。明るい色を映せば、自然に気が休まるのも事実ではあるので、サラと一緒に過ごすのは嫌いではなかった。それでも、一定以上の距離を保つ。これを原則としていた。


「私のこと、キライ?」

「別に」

「じゃあなんで時々私から目を背けるの?」

「……いいだろ別に」

「私の顔は嫌い?」

「いや、顔はむしろ好き」

「何よそれ。大体さ、誰にもそれなりに温かく接するくせに、私にだけ適度に冷たいって酷くない?」

「だから俺に付きまとってもいいことなんかないぞ、って何度も言っているじゃないか」

「むふー。でもそこがいいんだけどね。私だけ、タケトの特別なんだって実感できるし」


今度から温かく接してやろうか。そんなことを一瞬思ったが、それはそれで喜ばれそうなので止めておいた。ある意味俺は、こういう部分でサラに強く出れないので負けているらしい。


「昨日の夕方家に送った夕飯の残りのお惣菜、美味しく出来たでしょ?」

「お惣菜?」

「あ、タケトはいなかったっけ。でもタケトが帰ってきてから一緒に食べて下さい、っておばさんにお願いしたんだ。あのコロッケ、自信作だったんだよ」

「……」


サラは、俺の家が貧乏であることは知っている。だが、何故俺の家が貧乏であるのかまでは知らない。小学生の女の子が、好きな人の為に作ったコロッケを、俺に黙って食べてしまうような両親が住んでいるような家だということを知らない。


「ああ、美味しかったよ。サンキュな」

「……」

「なんだよ」

「私、タケトのそういうところが好き」

「……は?」

「おばさんにお願いしてあったの。タケトが食べる分のコロッケは砂糖と塩を逆にしてあるから、もしマズイって愚痴を言ったら交換してあげて下さいって」

「……子供かよ、そんなことするなんて」

「いやいや、実際子供ですし……」


相変わらず、サラは知らない。その悪戯コロッケが、誰の胃に吸い込まれていったのかを。俺が、平気で噓を付けるような偽善者だということを。


「隣、いい?」

「好きにしろ」


フェンスに腕を乗せ、景色を眺めている俺の隣にサラが腰掛ける。

二人で同じ景色を眺める。隣のサラが眺める景色を見てみたい、と少しだけ思ったりした。

穢れた俺の視界ではなく、毎日が輝いていそうなサラの視界を、見てみたいと思ったりした。


「いつも思うんだけど、そんなに屋上で景色を眺めるのが好きなの?」

「いや、別にそこまでは。ただ、何も見なくて済むのが好きなんだ」

「なにそれ、意味わかんない。私のパンツとかで良ければいくらでも見せてあげるのに」

「……お前、時々下品だよな」

「そんなの、前から知ってたじゃん」

「……それもそうか」


確かに、知っていた。それ程の時を、サラと過ごした気がする。過ごしてしまった、気がする。


それから、昼休みの終了を知らせるチャイムが鳴るまで、俺達は屋上からの景色を眺め続けていた。決して、サラの方を向かないように注意をしながら。逆にサラの方は、時々俺の方に視線を向けながら。

俺達は、そんな風に時を過ごしていた。

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