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ねぇ、神様、いつか、きっと  作者: ジアルマ
第二章
11/13

キボウノツバサ

幼い頃 翼を下さいと 夕焼け空 丘の上で叫んだ

童話で聞いた 天使のような どこまでも飛んでいける白い羽が欲しかった

空の向こうの天使 少しはにかんで

「諦めるな」と 告げて消える


何度朽ちてもいい 翼を求めてもいい その心が翼になるんだ 


Fly high 翼を求めて Fly high 翼を広げて

どんな暗い世界も ほら きっと今は綺麗色

だから もっともっと高く もっともっと速く

空へ もっともっと羽ばたいて

Over the sky...さぁ 希望の翼羽ばたかせて 





「……」


なんとなく深呼吸をした後、なんとなく手元にあったペットボトルに手を伸ばす。どれだけ水を飲んでも、喉の渇きが癒えないような気がする。それでもペットボトルを一気に空にする勢いで水を飲み干した。


何とも言えぬ、脱力感に包まれていた。

右手に握られているのは、ウォークンと呼ばれる携帯音楽プレーヤー。ピンク色で装飾されたそれは、男性が所持する物としては随分と悪趣味であるカラーだ。

画面に表示されている曲名は、キボウノツバサ。偶然にも、アイリから貰ったウォークンに入っていて、唯一俺が耳にしたことがある曲。

両耳のイヤホンから流れ出る音は、まるで神経が繋がっているかのように鼓膜を通して脳内に侵入し、泡のように少しずつ溶けていく。開放感や、虚無感、脱力感。様々な何かを残して、やがて曲の終幕と共に姿を消していく。

これが、音楽か。音を楽しむということなのか。


車窓から見えるオレンジで塗り潰された景色も、先程までとはまるで別の景色のように思える。たった一曲を聴くだけで、世界そのものがどこか歯車がズレたように動いた気がした。

そういう、ものなのかも知れない。時の流れを刻むように毎日姿を現してはどこかへ消えていく雲一つでも、そこに特別を感じてしまえば、その人にとって特別な雲なんだ。己の意識次第で、世界はきっと、どこまでも特別なものに姿形を変えていくし、掛け替えのないものへと変化していくのだろう。

よう、赤トンボ。こんなところで偶然出会うなんて奇遇だな。良かったら俺の指に止まって休憩でもしていかないか。そうか、止まってくれないか。いや、いいんだよ。お前が止まっている暇なんてないと言うなら、とことん前に進めばいいさ。じゃあな、赤トンボ。お互い落ち着いたら、どこか地平線で視界を埋め尽くされた芝生の上で寝転んで語り合おうじゃないか。……ってな具合でさ。どんどん離れていく偶然見つけた赤トンボ。他人からは、ただの赤トンボ。俺からしてみれば、特別は赤トンボなんだ。


この曲、キボウノツバサだって、そうだろう。幼い頃から絶望に打ちひしがれて、それでも歯を食いしばって前に進み続けた。その結果、翼を見つけた。誰もが手にする事が出来る、奇跡の様な翼が、この世には確かにあるのだと。だから、くじけるな。前に向かって進み続けるのだ、と。

もっとも、この歌が生まれる過程で、作曲者からそういう想いが込められていたかどうかは定かではない。これは、俺の勝手な妄想だ。それでいいんだ。キボウノツバサは、特別な歌なんだ。俺にとって、特別な歌になったんだ。この曲を聴くだけで、俺の中の世界はどんどん広がっていくのだ。


「……こんな気分になったのは、初めてだな」


思えば、物心ついた時から、常に何か焦燥感に駆られていて。こんな穏やかな気持ちで過ごしていた時期なんて無かった気がする。

マグロという魚類の生物は、常に泳ぎ続けていないと絶命してしまうらしい。そこに意志などない、目的など無い。群れを成して泳ぎ続けることが、神経に刻まれているのだ。そんな知識を、本から得ていた。


最近、こういう『初めて』な気分に浸る時が多い。


それもこれも、こいつが原因であるのだろうか。




―――――――


ファミレスで予想外の出費をした後、都内の色々な場所を見て回った。「金が勿体ないから帰ろうぜ」などと言ってみたら秒速で頭を引っ叩かれ、アイリに引きずられるようにして買い物をした。買い物と連呼していたらショッピングだ、と訂正されるのも初めてだった。

服を売っている店なんて初めて見た。なんと試着可能だという。途端に、なんだか居心地の悪さを感じた。「これなんかタケト似合うんじゃない?」と、やたらはしゃいでいるアイリから手渡された何着もの衣類も、不特定多数の人間が既に一度は身に纏った可能性があるのだ。ほんの少し前まではゴキブリと共に生活していたような環境で生きていた人間にしては、短期間で随分と潔癖症になった気もするが、こういうキッチリした場所に来ると心境の変化もまた起こるのだ。結局、時々文句を垂らしながらも3着程服を購入する羽目になったのだが、服という物は、意外とかさばる。色々な意味で、今度服を買う時は、通信販売、もしくは一人でひっそりと買いに来ようと決心した。そんな出来事だった。


途中、香ばしいソースの香りを辿っていくと、タコ焼きとやらを売っている屋台を見つけた。タコを丸ごと焼いてソースで味付けするのか、粋な料理もあるもんだ。そんな期待を胸に鉄板を覗くと、はて、どうも想像とは異なる光景だ。

「おいアイリ、これは小麦粉を溶いた物を焼いてその中に小粒のタコの足を入れただけじゃないか?」

「……や、だからそれがタコ焼きじゃん」

「……え?」

「え、いや。だから――」

と、そんな会話を屋台の目の前で繰り広げていたのを覚えている屋台の親父の微妙に引きつった表情は、今でも妙に覚えている。

あまりに無知な俺の姿に嫌気が刺したのか、はたまた別の理由か分からない。

俺と屋台の親父が作り出していた無言のギスギスした雰囲気に耐えられなかったのか、一緒に食べてみよう、とアイリがタコ焼きを奢ってくれた。無言で租借する俺だったが、思わず顔に出ていたらしい。屋台の親父は、どこか突き放したような取っ付きにくい雰囲気を醸し出していたが、少しだけ、打ち解けたような気がした。


ショッピングを一通り終え、最後にアイリがどうしてもというのでゲームセンターなる場所に連れて来られた。中々に騒々しい場所で「暗殺には最適な場所だな」とポツリ呟いただけ後頭部にゲンコツを喰らった。前々から思っていたが、アイリは口より先に手が出るタイプらしい。

パンチングマシーンなるものがあった。サンドバッグを殴ってより強い衝撃を与えられるかを競うゲームであり、記録を塗り替えると賞金がもらえるという。下手すると定期的にこのゲームに挑戦し続ければ小遣いに困らないのではないか。そんな浅はか過ぎる期待は、マシーンそのものと共に砕け散った。元暗殺者さんも、腕力は現役だったようだ。弁償は免れただけ運が良かったと思っておこう。


プリントクラブ、略してプリクラ(アイリ曰く)。とまぁ、そんな名前の写真撮影をするだけの機械で、アイリと共に写真を撮った。写真を撮るだけなら携帯端末で事足りると思ったが、恐らく野暮というものだろう。沈黙を貫くことにした。

しかしわざわざ高い金払って対価がちっこい写真とは、いやはや何故こんなものが人気なのかわからんものだ。適当に菓子でも買った方がまだ生産性のある金の使い方だと思うのだが。

出来上がった小さな写真に浮かぶアイリの笑顔は、自然だった。純粋無垢で、にかっと歯を覗かせる子供の様な笑顔。反対に俺は、少しだけ口角の吊り上がった、妙に引きつっている顔。

笑い方なんて、すっかり忘れてしまった。プリクラで撮った写真は、まるで月と太陽を映しているような、そんな気がして妙にナイーブな気分にさせられた。何より、写真を見たアイリの「……なんかごめんね」という、普段全く気を遣わない人間が放った言葉が、どうしたものか、一番心を抉った。同情にも受け取れるその言葉に対して「気にするな」と投げた事も、まるで毒のように、じわじわと後から効いて来た。


それしても、写真に写るアイリは、加工修正なのかそばかすが消えていた。それでいて手入れの荒いぼさぼさした髪も整っていた。こうして見ると、アイリという少女は意外にも容姿が整っているように思える。化粧一つで女は化ける。たった一手間加えるだけで、麦わら帽子の似合う田舎娘は、簡単に純白ドレスの似合うお姫様へと変身してしまう。

どちらが美しいかは明白だ。ただ、俺は。麦わら帽子の似合う少女の方が、魅力的に感じた。


「……やっぱ、そういうもんなのかねぇ」

「何が?」

「いや。ちょっと磨けば綺麗になる宝石より、岩苔のくっついた小さい石ころの方が好みなんておかしいよな、って」

「何それ、意味わかんない」

「忘れてくれ。単なる戯言だ」

「でも、わかるかもそういうの」

「わかるのかよ。お前も大概どうかしているよな」

「むー、どうかしている人代表のタケトに言われたくないんだけど」

「へーへー」

「そんなどうかしているタケト君にプレゼント!」

「……なにこれ」

「ウォークン。これがあればいつでも音楽を聴く事が出来る優れ物だよ」

「要は小型携帯音楽再生機かよ。別に目新しくも何ともないぞ」

「あーもー、ああ言えばこう言う。素直に好意を受け取るってことを知らないの?」

「しかしな……俺は今まで音楽を楽しもうなんざ崇高な思考を持ち合わせた事なんて一度もないんだぞ。そんな余裕がない程に擦り減った毎日を過ごしていたしな。第一どこから音を拾ってくればいい。CDの一枚も持っていない俺が」

「それなら大丈夫。既に私好みの音楽が沢山入っているから。そのウォークンは、言うなれば私の思い出の欠片なんだよ」

「思い出の欠片……?」

「そう。このウォークンには、私の思い出が沢山詰まっている。あの時あの場所で聴いたあの曲。元気をくれたあの曲。ちょっぴり悲しい気分に浸りたい時に聴くあの曲。今日も元気に張り切っていこうの曲。もうひと踏ん張り頑張ろうの曲。……まだまだ沢山。この中に入っている曲の一つ一つに、私の心の想いが繋がっている。私の思い出が詰まっている。私にとってウォークンは、そんな機械なんだよ」

「ふーん?しかし俺にとっては、猫に小判と言うか。お前の華々しい思い出なんざ全く興味がないのだが」

「あはは、そういうもんだよ。私だって、自分の思い出をタケトに理解してもらおうなんてキモイこと思ってないしさ。ただ、音楽を楽しむだけで、世界はこんなにも変わるんだってことを知って欲しかったんだよ。閉鎖的な小さい世界で暮らしているタケトにさ。ほら、綺麗な景色とかだって、他の人にどんな風に映っているかなんて、わからない。確かなのは、綺麗だと思う心を互いに持っていること。……いや、もしかすると綺麗だと思っているのは一人だけで、もう一人は綺麗だなんて思っていないかも知れない。人間だもの、しょうがない。だけど、その景色を互いに綺麗だと感じたなら。その景色を見ることで、感動したなら。そういう感動を共有できることは、きっと、幸せなことなんだよ」

「……」

「街を歩いて、流れるBGMで興味を惹かれたのでもいい。ラジオで流れた、おっ!?っと思った曲でもいい。出会った曲の数々は、タケトの思い出になる。そして、他の思い出へと連鎖していく。このアーティスト他にどんな曲歌うんだろう、とか。へぇ、君もこの曲好きなんだ!話が合うねぇ!とか。……沢山の音楽と出会う事で、タケトの毎日は、きっと、少しは色とりどりの世界に変わっていくんだから!」

「……よくも公共の場でそんなクソ恥ずかしいセリフ吐けるよな」

「う、うっさいわね!とにかく、私からの心を込めたプレゼントなんだから大事にしなさいよ!」

「心を込めたプレゼントねぇ……。その薄汚れたポシェットの中に入っている新品のウォークンは、心を込めたプレゼントにはならないのか?」

「……てへへ、バレてたんだ。新型が発売されたもんでね」

「ったく、とんだ在庫処分係だ。こんなピンク色が目立つ物、男の所有物にするには勇気がいるぞ」



―――――――



とまぁ、そんなやり取りをしたのが一時間前。

在庫処分品を押し付けた少女さんは、遊び疲れたのか最寄りの駅まで列車で帰ろうと提案した後、すぐさま安らかな寝息を立ててしまったまま動かない。俺の方に寄り添う形で、よくもまぁ、憎たらしい程安らかな顔で寝ていた。

オレンジが刺す夕刻の車両には、乗客は俺達二人しかいなかった。それだけの自由な空間で、真ん中の席で二人くっついて座っている。第三者の視点なら、俺達はどう映るだろうか。双子だろうか、兄妹だろうか、カップルだろうか。そんなことを、考えていた。


「……」


ある程度は、わかっている。アイリは別に、俺に本気で音楽を勧めているわけじゃないことも。アイリ自身、音楽に対してそれ程執着があるわけではないことも。69曲しか登録されいない上に保護シートもカバーも施されていない傷の目立つウォークンは、不器用で、それでいて真っ直ぐなアイリという少女の分身のように見えた。


「……色とりどりの世界、か」


先程、アイリが口走っていた言葉だ。

意味不明な言葉だ、と一蹴するのは簡単だ。しかし、どうだろう。本当に、それでいいのかと思う自分がいる。

こんな風に、俺はアイリという存在から、日々何らかの処方を受けていた。効きすぎる薬から生じる副作用の様な痛みも、同時に受けていた。





ふと、気配を感じた。

振り返ると、ガラス窓付近に一匹の赤トンボの姿が見えた。

先程の赤トンボだろうか。いや、恐らく違うだろう。無数に飛んでいる赤トンボの内の一匹が、たまたま近寄って来ただけだと推測するのが自然だ。


……。


よう、赤トンボ。やっぱり休憩していくかい。



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