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令嬢エリザベスの華麗なる身代わり生活  作者: 江本マシメサ


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49/50

番外編 ユーインとシルヴェスターの、夜のひととき

 上流階級の紳士たちが集まる社交場──パブリック・ハウスにユーインは呼び出される。

 ここは会員制の酒場で、誰でも入れるわけではない。

 ユーインは今日、シルヴェスターに招待されたのだ。


 入ってすぐ、地下へ繋がる階段が見えた。床には隙間なく赤い絨毯が敷かれていて、他とは違う特別な空間であることを主張しているかのようだった。


 ユーインは一段一段、ゆっくりと階段を下りる。

 扉の前に、ボーイが立っていた。

 無言で紹介状を差し出せば、すぐに中を検める。中にあるものが本物であるとわかれば、ボーイは恭しく頭を下げた。


 ユーインは気持ちばかりのチップを手渡し、中へと入る。


 内部はカウンター席があるばかりで、あまり広い空間ではない。

 マホガニーのテーブルに、黒革の椅子を、照明がほんのりと照らしていた。

 店内は重厚感あり、落ち着いた雰囲気がある。

 壁にはクリスタル製のグラスと、酒のボトルがズラリと並んでいた。


 マスターは白髪頭に口髭を生やした、品のある紳士である。ユーインと目が合うと、にっこりと微笑んで「お待ちしておりました」と声をかけた。


 シルヴェスターは、カウンター席の真ん中に座っていた。

 ユーインを振り返り、にっこりと含みのある笑みを浮かべる。

 何か嫌味の一つや二つ言われるのではないか。そんな微笑みだったのだ。

 ユーインは小さなため息を一つ落とし、カウンター席に向かってシルヴェスターの隣に腰かけた。


 マスターには、何か適当に見繕うように頼む。


 いったい何の用事なのか。ユーインは眉間の皺を解しながら、シルヴェスターのほうを見た。


「一本どうだい?」


 シルヴェスターが差し出したのは、葉巻の箱。

 中には、未使用の六本の葉巻が収められている。


「いえ、私は──」


 煙草は吸わない。そう言おうとしたが、シルヴェスターの表情の変化を見て気づく。

 よくよく見たら、勧められたのは葉巻ではなかったのだ。


「これは……葉巻ではありませんね」

「正解」


 ユーインは目を細める。

 最近、貴族の間で怪しい薬物が流行っているのだ。

 シルヴェスターがそんなものに手を出すとは思えないが、念のため質問した。


「なんですか、これは?」

「チョコレートだよ。よくできているだろう?」


 その答えを聞き、ユーインは本日二度目のため息をつく。

 今回に限っては、安堵から出たものであるが。


「こんなもの、どこで見つけたのですか?」

「エリザベスにもらったんだよ。昨日、サロン・デュ・ショコラに友達と行ったらしい」


 サロン・デュ・ショコラとは、年に一度開催されるチョコレート・マーケットだ。

 世界中から集められたチョコレートの、試食と販売を目的とした催しである。


「そんな催しがあったなんて、知りませんでした」

「女の子の祭典だからね」


 なんのことかピンとこなくて、ユーインは首を傾げる。


「ユーイン、今日はバレンタインなんだよ」

「ああ……」


 女性が意中の男性にチョコレートを捧げる日である。


「実はね、ユーイン。君がエリザベスにデートに誘われるかと思って、邪魔をするために今日、呼び出したんだ」

「そんなしようもない目的だったのですね」

「そうだよ。おかげで、エリザベスに頼まれて、君の分のチョコレートを運ぶ羽目になってしまった」


 シルヴェスターはそう言って、先ほどユーインに勧めた葉巻型のチョコレートを差し出した。


「どうやら、私と君はまったく一緒のチョコレートを用意していたらしい」

「勝手に開封するのはどうかと思いますが」

「まともな神経をしていたら、こうして君をバレンタインの晩に飲みに誘わないよ」

「でしょうね」


 ユーインの刺々しい返しに、シルヴェスターは笑みを深める。


「そうそう。エリザベス──彼女は、バレンタインにチョコレートを渡すことを、錬金術と言っていたよ」

「どういう意味ですか?」

「それはね、バレンタインの日にチョコレートを渡すと、チョコレートの値段以上の高価なお返しがもらえるってね」

「ああ、たしかに」


 世の男性は女性からの甘い罠にかかり、一か月後にはチョコレートのお返しに贈り物を用意しなければならないのだ。


「まったく、大変な催し物だよ。贈り物を間違ったら、ご機嫌を損ねることになるからね」

「それは、まったくの同意ですが──まさか、そんな話をするために、ここに呼び出したのですか?」

「ユーインと話をしたい日もあるんだよ」

「あなたとは、特に話すこともありませんが」

「釣れないな」


 ここで、マスターが酒の入ったグラスをユーインへと差し出す。

 グラスの中でシュワシュワと発泡する琥珀色の液体は、ほんのりと甘い香りを放っている。


「ボランジェのスペシャル・キュヴェだね。君にぴったりだ」


 さすがマスターと、シルヴェスターは絶賛する。


 スペシャル・キュヴェは王室御用達のスパークリングワインで、上品な味わいで柑橘系を思わせる爽やかな風味が特徴だ。


「シルヴェスター、あなたは何を?」

「ジンだよ」


 遠くに避けていたグラスを、ユーインに見せる。

 それは独特で癖のある香りがあるが、見た目は美しいサファイアの名を冠する酒だった。


「マスターが選んでくれたんだ」

「そうでしたか。あなたにぴったりかと」


 シルヴェスター・オブライエンという男の、見た目の美しさに騙されてはいけない。

 中身は策士で、癖のある人物なのだ。


「色は、ユーイン、君の瞳の色にそっくりだけどね」

「そうですか?」

「ああ、そうだよ」


 シルヴェスターはグラスを掲げて言った。


「ユーイン、乾杯しよう」

「嫌な予感がするので、止めておきます」

「残念。君の瞳に乾杯、と言おうとしたのに」

「しようもないことを言うのではと、思っていましたよ」


 そんな話をしながら、男二人で酒を飲む。


 マスターは優しい目で、シルヴェスターとユーインを見守っていた。


挿絵(By みてみん)

『令嬢エリザベスの華麗なる身代わり生活』、オール書下ろしの二巻が発売することになりました。

詳しくは、活動報告にて!


挿絵(By みてみん)

(※尚、書籍版はシルヴェスター編となっております)

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