ユーインの独り言 その二
昨日は……昨日も、と言うべきか。エリザベス嬢のおかげで散々な目に遭った。
男性関係の清算してもらう話をしに来たのに、かつて交際していたカール・ブレイク卿がやって来て刃物沙汰となる。
なんとか助けることができたけれど、反応が一瞬遅れていたら彼女は病床に伏していただろう。
意外に思ったのは、カール・ブレイク卿が取り押さえられたあと酷く震えていた点か。
殺されかけたのだから当たり前であるが、傲岸不遜な噂のある彼女からは想像できない、ごくごく普通の女性らしい怯え方だった。
こうなることを分かっていて不貞を働いていたのではないかと、呆れてしまう点でもあるが。
帰りの馬車の中で、エリザベス嬢は意外な提案をする――婚約破棄をしないかと。
その口振りは、自分のことを言っているのではなく、どこか他人へ勧めるような違和感を覚える。
まるで、もう一人エリザベス嬢がいるような、そんな言い方であった。
もしかしたら、彼女は偽物で、本物がどこかにいるようだ。
自分で仮説を立てておきながら、ありえないと思う。
目の前のエリザベス嬢はエリザベス嬢である。
社交界いちの美貌を持ち、華やかで可憐なオブライエン公爵家のご令嬢だ。このような人物が、世界に二人もいるわけがない。
今ここで、婚約破棄をしたら楽になるだろう。
ここ最近、気付いたらエリザベス嬢のことばかり考えている日も珍しくない。
関係を絶ったら、もう彼女のことで苛まれずに済む。
だけど――婚約破棄の申し出は断った。
このまま、モヤモヤとした気持ちで別れるのは、問題から目を逸らしたような、逃げ出すような気がしてならない。
だから、婚約破棄は受け入れなかった。
◇◇◇
翌日、上司に呼び出される。昨晩あったことについて追及された。
このような展開は予想済みだったので、報告書に纏めていたのだ。おかげで、話は長くならずに終わった。
呼び出しはこれだけではなく、辞令も言い渡される。突然の配属異動だった。
王太子の補佐官にという、とんでもない話である。
おそらく、将来公爵位を継ぐ者としての大抜擢なのだろう。自分自身の実力が認められての異動ではないので、なんとも思わなかった。
上司にも、嬉しそうにしろと注意された。
辞令書はしぶしぶと受け取る。もちろん、王太子の前ではこのような態度は出さないことを誓っておいた。
仕事場に戻ると、祝福する者と冷ややかな視線を向ける者と、二通りの態度に分かれていた。
祝福する者の中にも、心から祝っている者はごく一部だろう。
次期公爵とコネクションを作りたいという下心が明け透けな者もいる。
自分を取り巻く環境が大きく変わった。心の底では困惑しているというのが本音だ。
エリザベス嬢との結婚が決まる前は、自分の実力だけで着々と出世していたような気がする。
しかし、次期公爵という付加価値はすごいもので、いつかはと考えていた高みへ簡単に実にあっさりと辿り着いてしまった。
今まで温めていた実績を踏みにじられたようで、悔しくもある。
こればかりは貴族社会の仕組みであると、自らに言い聞かせるしかない。
荷物の整理や引き継ぎなどに追われているうちに、食事を食べ損ねてしまった。食堂はもう閉まっているだろう。
そんなところに、一通の手紙と包装された箱が届けられる。
エリザベス嬢からの、昨日の事件の礼と詫びの言葉、それから手作りクッキーだった。
作っている姿なんて、想像もできない。嘘を吐くとは思えないので、本当に手作りだろうが。
正直、空腹だったのでありがたかった。
手紙を読みながら食べる。
丁寧に書き綴られた手紙は、心の中もモヤモヤを払拭させるようなものであった。
彼女は悪くなかったのでは? と思うほどに。
それから、クッキーはとてもおいしかった。
◇◇◇
異動一日目から、驚くべき後継を目にする。
なんと、エリザベス嬢が第二王子付きの侍女として働いていたのだ。なぜか、女中の扮装で。いったいどういうつもりなのか。
兄シルヴェスターのためと言うが、真意は別にあるのだろう。考えたけれど、よく分からない。
彼女については、本当に謎ばかりだった。
遠回しに追及しようとしても、蝶のようにひらりと躱されてしまう。
忙しく、エリザベス嬢を食事に誘う時間もない。
よって、彼女についての調査を探偵に依頼した。
まず、頼んだのは、噂の真偽について。
知り合いや交友関係を徹底的に洗い出した結果――噂は本当のようだった。
深く、落胆してしまう。
しかし、意外な報告も聞くことができた。
一つ目は、婚約発表パーティー以後、男遊びをしていいないということ。
二つ目は、知り合いが見かけたエリザベス嬢は、別人のように真面目になっていたということ。
婚約を機に変わったという見方もある。
だが、もう一点の可能性が思い浮かんだ。
今のエリザベス嬢は偽物なのではないかと。
絶対にありえないものではあるが、以前のエリザベス嬢と今のエリザベス嬢では、あまりにも違い過ぎた。
探偵には引き続き、調査を頼む。
◇◇◇
エリザベス嬢と出会って何度驚いたか分からない。
今日の事件はその中でも、一番の大事件であった。
誰もいない執務室でエリザベス嬢が、シルヴェスターの文字を真似て執務に励んでいたのだ。
それだけでもありえないのに、書類にあった計算などはどれも正確で、文官に劣らない仕事をこなしていた。
追及すると、エリザベス嬢は珍しく動揺しているようだった。
しかし、これで疑惑は確信となる。
彼女はエリザベス・オブライエンではないと。
夜、シルヴェスターを交えて問いただしたが、適当にはぐらかされてしまった。
その上、この婚約はなかったものにとも言われる。
悔しい思いを噛みしめる。口ではシルヴェスターに勝てない。
その上、今度は別の疑問が浮かび上がる。彼女は誰なのかと。
これも、探偵に徹底的に調べさせた。
数日後、探偵より報告書が届く。
エリザベス・オブライエンを装っていたのは、エリザベス・マギニスという女性だった。
彼女の曾祖叔母がオブライエン家に輿入れしていたらしい。その関係で、二人のエリザベスはよく似た容姿をしていたようだ。
ホッとした、というのが本音だった。
エリザベス嬢が奔放な暮らしをしていたというのが、どうしても信じることができなかったからだ。
それから、話をしようとしたが、徹底的に避けられていた。
無理はない。
おそらく、彼女は困窮した実家を救うために、シルヴェスターと取引をして身代わり生活を送っているのだろう。
正体を疑っている者には近付きたくもない気持ちは分かる。
エリザベス嬢を救う手立ては他にもある。そう思って力づくで接触した。
気の毒なことに、エリザベス嬢は少し痩せたように見える。
俯いて長い睫毛が肌に影を落とす様子は、なんとも痛ましかった。
一刻も早く彼女を救いたい。そう思って、手を差し伸べる。
だが、その手を掴むことはなかった。
分かりきっていたことだったが、気落ちしてしまう。
最後に、エリザベス嬢は私に言葉を残す。
――ユーイン・エインスワーズ。あなたは将来、この国になくてはならない存在となるでしょう。周囲もきっと、七光理ではなかったと、認めてくれるはずです。だから、この先も頑張っていただきたいと、思っています。
エリザベス嬢の言葉を聞いた瞬間、何かに心臓を掴まれたような気がした。
ドクンと、激しい鼓動を立てる。
同時に、叫びたくもなった。
彼女はどうして、エリザベス・オブライエンでないのかと。
手を伸ばしたのと同時に、彼女は踵を返す。
いつも蝶のようにひらり、ひらりと優雅に飛んで、目の前からいなくなってしまうのだ。




