ユーインの独り言 その一
一年前半、突然エリザベス・オブライエンとの婚約話が持ち上がった。
野心家の兄の策略ではなく、公爵子息であるシルヴェスターからの申し出だった。
なんでも、特別に公爵位が継げるように取り計らったらしい。
おそらく、爵位は悪評が出回っているエリザベス嬢を結婚させるための餌なのだろう。
とても美しい女性ではあるものの、妻にしたいと望む者はいない。
それほどに、彼女の自由奔放ふるまいの噂話は酷いものであった。
複数の男性と関係を持ち、朝帰りすることも珍しくない。他人の夫に色目を使い、裁判寸前まで話がいったという話も聞いたことがある。
エリザベス嬢のことは一度だけ、夜会会場で見かけたことがある。遠目だったけれど、目立つ存在であった。
薔薇を思わせる華やかな容貌以上に、何人もの男を侍らしている様子は異様に映っていた。
媚びるような甘ったるい目が印象的で――。
彼女と結婚してほしいとシルヴェスターに乞われた時は驚いた。けれど、それ以上の感情はなかったように思える。
幼い頃より、貴族の結婚は自分のもののようであって、自分のものではないと聞かされて育って来た。だから、「ああ、そうか」と、どこか冷静な部分もあったと思う。
最初から、エリザベス嬢には期待をしてなかった。
食事会をすっぽかされようが、送った手紙に返事がなかろうが。
むしろ、何かあるたびに申し訳なさそうにしているシルヴェスターのことを気の毒に思う。
何年も何年も、エリザベス嬢に振り回されて大変だっただろう。
今度は自分がその役割を担うことになるのか。
そう考えたら、少しだけ胃がチリっと痛んだ。
◇◇◇
それから数ヶ月が経ち、婚約発表パーティーの当日となる。
結局、この日に至るまで一度もエリザベス嬢と会えなかった。
さすがに腹立たしく感じてしまい、朝からイライラした気分で身支度を整える。
夕方、公爵家を訪問する。
使用人達はいささかバタバタしているようであった。
公爵家でパーティーが行われるのは久々だからだろうか。いつ行っても穏やかで丁寧な態度の執事でさえ、顔色を青くソワソワしながら出迎えてくれた。
まさか、エリザベス嬢がいないのでは?
執事に問うと、そんなことはないと首を横に振っていた。どうやら、最悪の事態ではないらしい。
執事に案内された部屋に、エリザベス嬢はいた。シルヴェスターの隣に座っている。おそらく、遊びに出かけようとしていたか、遊んでいる先で捕獲されたのだろう。
意にそぐわない結婚を強いられるからだろうか。表情は不機嫌一色に染まっているようだ。以前見かけた時よりも、目付きはキリリと鋭い。
怒っているからだろうか。まあ、いい。彼女が問題行動を起こさないよう、監督するまでだった。
エリザベス嬢は想像通りというか、悪びれた様子は見せていなかった。
元より、謝罪など期待していなかったのでなんとも思わない。
しかし、一緒にいるのは御免なので、部屋を辞した。
婚約パーティーでのふるまいを心配していたが、意外にも彼女は卒なくこなした。
受け答えもしっかりしていて、頭の回転も速く、ウィットに富んだ返しもできる。
言葉の端々にも、豊かな知性が感じられた。
彼女はしっかりと躾けられた貴族女性のように思える。本当に、夜遊びをしていたのかと、疑問にも思った。
しかし、以前夜会で見かけた彼女は、大勢の男を周囲に集め、女王然としていた。
エリザベス嬢の瞳を見る。
甘ったるさや媚びるような色はまったくない。
今日はいったいどうしたのか。戸惑うばかりであった。
こうしてなんとか、婚約発表パーティーを乗り切った。
思っていたよりも、ぜんぜん楽だった。
エリザベス嬢が問題行動を起こさず、模範的な貴族令嬢のようなふるまいをしたおかげだろう。
胃を痛めずに済んだが、どうしたのかと疑問は残る。
まるで噂で聞いていたエリザベスとは別人のようだった、というのが率直な感想である。
噂話は公爵令嬢という恵まれた環境と、絶世の美女とも言える容姿を妬んだものだったのか。
あれだけ教養豊かで、気高い令嬢であれば、周囲も放っておかないだろう。
この辺はシルヴェスターに確認をしなければならない。
しかし、忙しく過ごすシルヴェスターはすぐに捕まらなかった。
それに、突然異動が言い渡され、こちらもバタバタしてしまった。
そんな日々を過ごしていると、エリザベス嬢より手紙と絹のハンカチが届けられた。
丁寧な文字と、謝罪の内容が丁寧に書き綴られていた。
やはり、彼女はやっかみを受けて悪評を広められていたのでは?
疑惑が確信へと移ろうとしていた時に、とんでもない事件に遭遇する。
カール・ブレイク卿。
かつて、エリザベス嬢と関係があった男性のようだ。彼が終業後の職場に押しかけ、エリザベスと別れるようにと怒鳴りこんできた。
胸ぐらを掴まれたが、すぐに手で払った。力はあまり入っていないのに、ふらついている。図体のわりに、貧弱なようだったと思ったが、よくよく確認すると酒を飲んでいるようだった。
爵位持ちの男が酒を飲んで自棄を起こすとは、何をしているのやら。
胸ぐらを掴んで罵声を浴びせただけでは満足しなかったのか、将来設計まで話し始めた。彼は今の奥方と別れて、後妻としてエリザベス嬢を向かえり心算らしい。
そんなことを告げられても困るというもの。
すべてシルヴェスターと話し合ってほしい。そういった旨を伝えると、さらに激昂した。
流血沙汰にはしたくない。警備の騎士を呼ぶと、連行されていった。
おそらく、厳重注意レベルで許してもらえるだろう。
乱れた上着を正しつつ、そっと溜息を吐く。
もしかしたら奔放な娘であるというのはデタラメな噂話だと思っていたが、事実であるようだ。
ますます、エリザベス嬢が分からなくなった。
翌日の晩、事情を問い詰めようと彼女を呼び出す。
今回もすっぽかされるのではと思ったが、きちんと時間通りに現れた。
さっそく、エリザベス嬢に昨晩の被害状況を報告した。すると、他人事のように
笑い出す。まるで、自分とは関係のない次元の話を聞いているようだった。
これには腹が立った。どうしてかは分からないが。
話をすればするほど、彼女が理解できなくなる。
噂通り、奔放で自分勝手なエリザベス。
実際に目の前にいる、貴族女性の見本のような気高いエリザベス。
どちらが本物なのかと。
追及しようとしたその時――部屋に突然男が押し入ってきた。
カール・ブレイク卿であった。
彼はナイフを携えて、やって来た。どうやら、直接本人を説得するつもりらしい。
だが、エリザベス嬢はカール・ブレイク卿の手を取らなかった。
――身に纏うドレスや、育った環境が、学んだ教養が、何に活用されるべきか、理解しております。決して、あなたの後妻になるために、与えられたものではありません。
毅然と、そう言い放ったのだ。その後、振り返った彼女の美しさは――思わず見惚れてしまうほどだった。
しかし、このまま終わりというわけにはいかなかった。
先ほどの言葉は残念ながら、カール・ブレイク卿の心には響かなかった模様。
それどころか、エリザベス嬢に向かってナイフを振り上げ――。
酷い事件だった。
帰りの馬車で思わず呟いてしまうほどに。
エリザベス嬢も同意を示す。
誰のせいであるのかわかっているはずなのに、自分のせいじゃないと主張せんばかりのこの物言いは。呆れてしまった。
しかし、心からそう思っているわけではなく……なんとも不思議な感情が湧き上がる。
ここで、エリザベス嬢より意外な提案をされた。
シルヴェスターに頼み込んで、婚約破棄をしたらどうかと。
今回の刃物沙汰を挙げたら、きっと断ることはできないだろう。そう持ちかけられたが、断った。
まだ、考えがはっきりとまとまっていなかったからだ。
噂は本当なのか?
だとしたら、何か理由があるのではないのかと。
そう思えてならない。
それに、今目の前にいる彼女は、婚約発表パーティーの晩に出会った時と同じく、力強い双眸を携えている。
以前見かけた、甘ったるい目付きは一度もしなかった。
いったいどういうことなのか。
自分で彼女を見極めたい。そう思って、しばらくはエリザベス嬢の監督を続けることを決意した。




