お引越し
ユーインの家に住み込みで働くための準備を、着々と進めていく。
仕事中は他の女中のようにお仕着せを着る予定であったが、セリーヌがワンピースを数着用意してくれた。
すべて既製品であるが、仕立ての良い品だということはひと目でわかる。
「叔母様、これは……?」
「十八年分の誕生日プレゼントだと思って、受け取ってちょうだい」
「ありがとう、ございます」
エリザベスは瞼を熱くする。だんだんと目が潤んできていった。
侍女として仕えた当初、意地悪で厳しい人だと思っていた。けれど、そうではなかった。
エリザベスがいつ何時であっても困らないように、礼儀作法を叩き込んでいたのだ。
おかげで、公爵家での身代わりを務めることができた。
その縁で実家の牧場が復興するのだから、感謝の気持ちしかない。
おくら礼を言っても言い足りない。代わりに、決意を言葉にする。
「わたくし、立派な文官になりますわ」
「ええ、応援しているから」
セリーヌはエリザベスを抱きしめる。
とても温かくて、ホッとするような抱擁だった。
◇◇◇
エリザベスは世話になった伯爵邸をあとにして、ユーインの暮らす住宅街に馬車で向かった。
「まさか、こんなことになるとは、驚きました~」
馬車の中でエリザベスに話しかけるのは、共にユーインの家で生活するアデラである。
「ごめんなさいね、わたくしの個人的な事情に巻き込んでしまって」
エリザベスに謝罪されたアデラは、目を丸くしていた。
「なんですの?」
「いいええ、エリザベスお嬢様が謝ってくるなんて、天変地異の前触れかと思って」
「どういう意味ですの?」
ムッとして聞き返したが、アデラは「冗談ですよお!」と言ってヘラヘラ笑うばかりであった。
馬車の進む道はだんだんと狭くなっていく。
同じような佇まいの家が並んでいる、労働者階級が暮らす住宅街へと入ったようだ。
「この辺り、懐かしいですねえ」
アデラはその昔、この辺りに住んでいたと話す。
「そういえば、あなたのご実家ってリントン子爵家だったような?」
貴族の娘であるアデラがなぜここにと、疑問に思ったのだ。
「母が浮気をしたみたいで、家を追い出されてしまったんですよ。よくある、痴情の縺れってやつです」
三年前にアデラに弟が生まれたばかりだった。跡取りはいるので用はないと、母娘共々子爵家を去るように言われたらしい。
幸い、離婚はしていないので、子爵家の姓のままだった。
「離婚は宗教の関係で禁忌とされているみたいで、神様に感謝ですね!」
アデラは十三歳の時に、独り立ちをする。貴族の家で働くことになった。
セリーヌの家には紹介状がなかったため、女中からのスタートだったらしい。
だんだんと仕事を覚えていき、よい働きをすると認められたので侍女になることができたようだ。
侍女になるための後押しが、子爵家の家名だったとアデラは語る。
「あなた、能天気に見えて、大変な人生でしたのね」
「まあ、文官を目指すエリザベスお嬢様よりは平々凡々なものだと思いますが」
しかしこれからは、お嬢様と使用人の関係ではない。
「だから、お嬢様と呼ばなくてもよろしくってよ」
「では、エリザベス様で」
「なんでそうなるのです?」
「いや、様付けしないといけないような威厳があると言いますか」
腕を組み、ふんと鼻を鳴らす。そういうところがエリザベス様なんだと言われるが、イマイチピンと来ない。
「では、あなたのことも、アデラ様と呼びますわ」
「勘弁してくださいよお!」
結局、お互いにさん付けすることで合意した。
ここで、馬車が止まる。
御者が馬車の扉を開いてくれた。エリザベスは馬車から下りた。 荷物は先に送っていたので、身一つ状態だった。
馬車はすぐに去って行く。もう、後戻りをすることはできない。
エリザベスはユーインのアパートを見上げる。
赤煉瓦造りで、大きな出窓が突き出していた。貴族の邸宅に比べたら小規模であるが、中流階級者以上が住む、贅沢な家だとアデラが言っていた。
それは一見して大きな建物に見えるが、二階建てを縦に区切っている。上下に別の家族が住むことのない、二階建てをひと世帯が使う集合住宅なのだ。
馬車の音で気付いたのか、はたまたアデラの賑やかな声でわかったのか、ユーインが玄関から出て来る。
「時間ぴったりですね」
「ええ」
エリザベスはユーインの家に一歩足を踏み入れる。
アデラが帽子と外套を玄関のフォールフックにかけていたのを見て、自らも倣う。
「一階部分は水回りのものがありまして」
一階部分は風呂に台所兼食堂、手洗い場、居間がある。引っ越してきたばかりだからか、物はほとんどない。
「続いて、二階ですが」
人一人がやっと通れるくらいの、小さくて急な階段を上って行く。
「うっかり転ばないよう、気を付けてくださいね」
「わかっていますわ」
二階はユーインの書斎があった。
「わあ!」
窓枠以外、壁にびっしりと本が敷き詰められた部屋を見て、エリザベスは目を輝かせる。
幼い少女のような、感嘆する声もでてしまった。
さらにうっとりと吐息をはくように、感想を呟く。
「素敵なお部屋……」
「ありがとうございます。まさか、お褒め戴けるとは」
ここで、勉強を教えてもらうことになるらしい。
「私がいない時間も、ここを勉強部屋として使ってください」
「え、そんな」
「参考書も揃っているので、図書館より集中できる環境が整っているかと」
エリザベスの胸は高鳴り、感極まってユーインの手を掴んで礼を言う。
「ありがとうございます! こんなに素晴らしいところでお勉強ができるなんて!」
「い、いえ、大袈裟ですね」
そんなことはないと、ぶんぶんと首を横に振った。
「あの~、エインスワーズさん。いちゃつく前に……いえいえ、先に寝室とか、案内していただけると嬉しいんですけれど」
出入り口にいたアデラが、じと目で主張する。
ユーインは慌ててエリザベスに掴まれていた手を引いて、眼鏡のブリッジを押し上げる。
「……ご案内いたします」
二階にはユーインの寝室ともう一部屋、空いている部屋があった。
そこには、寝台が一台に机と椅子、本棚、箪笥などがある。
この本棚にも、隙間なく本が並べられていた。
「あの~、えっと、ここって一人用ですよね?」
「はい。屋根裏部屋にもう一つ、寝室を作りました」
「あ、私、屋根裏部屋がいいです」
挙手して言うアデラに、エリザベスが待ったをかける。
「屋根裏部屋はわたくしが使います。あなたは、指導する先生役なので、良いほうを使ってください」
「いやいや、とんでもない」
アデラは本棚の文字を追っていたら頭痛がするようで、屋根裏部屋がいいと言った。
「それに、隠れ家っぽくて、いいじゃないですか」
「あなたがそれでいいのならば、ご自由に」
「ありがとうございます」
エリザベスとアデラは各々荷物の整理をする。
なんとなく、学生時代の寮生活を思い出すエリザベスであった。




