疑惑の目
エリザベスは帰宅後、セリーヌに文官を目指すことを告白する。
費用がいくらかかるのか分からないが、侍女時代に貯めていたものがある。特に、シルヴェスターのもとで給仕係をしていた賃金はかなりのものであった。
「足りなかったら、どこかで侍女をしようと思っているのだけれど」
「その必要はないわ」
セリーヌは立ち上がり、抽斗の中から何かを取り出す。
それは封筒に入った書類で、何かの証書であるようだ。
「これを、あなたへ」
「叔母様、これは?」
「礼儀教室とかでもらった謝礼を、ずっと貯めていたの」
紙面に書かれた金額はかなりのものであった。簡単に受け取っていいものではない。
「参考書代や家庭教師への賃金、上の人に顔を利かせなければ採用してもらえないという噂だから、社交場にも出て行かなきゃいけないわ」
セリーヌの言葉を聞いて、エリザベスはウッと喉を詰まらせる。
文官の仕事をするには、成績優秀なだけではいけないようだ。コネクションも必要と知って、危機感を覚える。
「あなたは第二王子様か、公爵家のシルヴェスター様と繋がりがあるでしょう? だから、無理してそういう場に出ることもないだろうけれど」
「あの方々には頼りませんわ」
「あら、どうして?」
なんとなく、悔しい気分になるのだ。
こういうことを気にすること自体、良くないことであるとわかっているのだが。負けず嫌いの性格が、悪い面で出ていた。
「エリザベス、文官の世界は実力主義ではないのよ?」
「それは――」
重々承知していた。
シルヴェスターは毎日バリバリと仕事をこなしていたが、王太子付きの補佐官として選ばれたのは次期公爵と言われていたユーインであった。
仕事の評価は家柄を通して見られる。
その中に田舎貴族のエリザベスが飛び込んでも、いい扱いを受けないのは目に見えていた。
「後ろ盾はあったほうがいいわ」
「ええ、分かっていてよ」
「本当かしら?」
セリーヌはエリザベスの手の甲に自らの指先を重ねた。
「働くのは王城でないとダメなの?」
「……」
地方にも働く場所はある。そこならば、城で文官をするよりも厳しい目は集まらないだろう。文官になれたとしても、エリザベスの性格では苦労することなど目に見えていた。
「図書館の司書はどう? それだったら、伝手はあるけれど」
「図書館……」
王都にある王立図書館は世界一美しい建物だとエリザベスは思っている。そこで働けるということは、素晴らしいことだろう。
しかしまだ、夢を捨てきれない。
「そう、分かったわ。だったら、これを受け取ってちょうだい。それが条件よ」
「叔母様……」
再度、セリーヌの貯金の証書を差し出す。
「お願い。これだけは、譲れないの」
エリザベスはじっと、穴が開くほど証書を見下ろす。
どうしようか迷ったが――結局、受け取ることにした。
働くよりも、今は勉強したい。正直に言ったら、かなりありがたい申し出だった。
「叔母様、ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ、ありがとう」
棘の道であるが、応援しているとセリーヌは笑顔で言った。
◇◇◇
後日、エリザベスはユーインを呼び出した。
また噴水広場で待ち合わせをしようと思っていたのに、家に迎えに行くと言われる。
出かける前に、セリーヌと三人で茶を囲むことになった。
「姪が、男性と出かけると聞いて、誰かと思ったら」
「伯爵夫人、お目にかかれて光栄です」
「うふふ、私もよ」
セリーヌは扇で顔半分を隠し、ユーインを値踏みするように見ている。
エリザベスは気が気ではなかった。
なぜ、そのような敵対心とも取れる行動を取るのか、まったく分からない。
「今からエリザベスのお買い物に付き合ってくださるようで。あなたはそうやって、女性とお出かけすることがあるのかしら?」
「エリザベス嬢とだけです」
「あら、そうなの」
エリザベスがユーインにだけ文官になる決意を語ってしまったものだから、もしかしたら責任感を覚えているのかもしれない。
なんだか申し訳なくなる。
こうして、叔母に責められるように質問攻めに遭っていることも。
「とても、親切なのね」
「いえ……それは」
「叔母様」
初対面なのに踏み込んだ質問はよくない。二人の会話に割って入る。
しかし、セリーヌはその制止を振り切って、新しい質問を投げかけた。
「そういえば、公爵家のお嬢様との婚約はどうなったの?」
「ゴシップ誌に出ているように、白紙状態になりました。このまま王太子付きをするのも居心地が悪いので、異動届を出しましたが、どうなることやら」
「そう」
意外な事実を知る。
次期公爵ではないと分かった今、王太子の補佐官をすることを自ら辞するようだった。
「それは、周囲から辞するように圧力的なものを感じているの?」
「いいえ、それはまったく。殿下は気にするなとおっしゃっていました」
「だったら、居続ければいいのに」
「なんとなく、面白くなくて」
「補佐官の地位が?」
「はい。元より、公爵令嬢との婚約をきっかけに出た辞令でしたから。この先、まっさらな状態からスタートして、自分の力で成り上がりたいなと、思っているのです。もちろん、この仕事にコネクションが必要なことは大いに理解していますが」
今回、ユーインは公爵家のお家騒動に巻き込まれた。
だから、余計にそう思うのだと話す。
ユーインの話を聞いたセリーヌは、高笑いをする。
「ちょっと、叔母様……」
「いいじゃない、あなた達、お似合いよ」
「はい?」
セリーヌは言う。ユーインはエリザベスの秘密を知っていて、利用する気だったのではないかと。
「本物のエリザベスが逮捕されて、公爵になることは叶わなかったでしょう? だから、今度はもう一人のエリザベスを狙って、公爵になろうとしているのかと思って」
「叔母様!」
だから、セリーヌはユーインに厳しい態度でいたのだと知る。
しかし、その憶測は外れた。
「それはないです」
ピシャリとユーインは言い切る。
公爵家と関わるのは、今回の事件限りにしたいと主張していた。公爵家の地位や財産に興味がないとも。
「財産があっても、公爵家の方々は幸せそうではありませんでした。だから、私は自分の幸せは、自分で探そうと思っているのです」
「そう。良かったわ」
セリーヌは扇を畳み、ユーインに笑顔を向ける。
「この子のこと、お願いね」
「そのつもりでした」
ユーインの迷いのない言葉にエリザベスはどうしてか照れてしまって、顔を見ることができなくなっていた。
◇◇◇
その後、エリザベスとユーインは街に出かける。
未婚の男女なので、今回も侍女のアデラを連れて行く。
「エリザベスお嬢様あ、今回は暴力沙汰はなしですよお」
「あなたね、わたくしが行く先々で問題を起こしているみたいに言わないでくださる?」
「だってえ、その目付きが挑発的なんですもの」
二人のやりとりを聞いていたユーインは、口元を押さえて笑い出す。
「何か、おかしくて?」
「いえ、私にも暴力沙汰に心当たりがありましたので」
「ほらあ、やっぱり色んな場所で起こしているじゃないですかあ」
「そんなに多くありません!」
多少あったことを認めると、余計にユーインは笑い出す。
「あなた、そんなに笑う人でしたのね!」
「エリザベス嬢が面白いものですから」
「まあ!」
エリザベスはむくれながら窓の外に視線を向ける。
ユーインは散々笑ったあと、話しかけてきた。
「あの、これで、ご機嫌を治していただけますか?」
差し出されたのは、白い猫に翠色の宝石の瞳が嵌めこまれたブローチであった。
「これは?」
「骨董市で見つけた物なんです」
「そう……」
エリザベスは猫のブローチを受け取る。
窓から差し込んだ太陽の光を受けて、キラキラと輝いていた。
「あ、それ、今日のお嬢様の帽子に付けたら可愛いですよ。貸してください」
アデラはエリザベスの手のひらにあったブローチを勝手に取り、大きなリボンのついたボンネットに取り付ける。すると、華やかな帽子がよりいっそう素敵なものとなった。
「エリザベスお嬢様、どうですか?」
「ええ、まあ……悪くない、ですわ」
その評価に、アデラは笑みを浮かべながらユーインに報告する。
「エインスワーズさん、安心してください。この物言いはすごく気に入ったの意ですよ」
「そうでしたか。微妙かと思っていたので、良かったです」
勝手に気持ちを解説するなと言いたかったが、ユーインが喜んでいたので黙っておくことにした。




