エリザベスの夢
エリザベスは中央街にある噴水広場のベンチに座っていた。
絹のボンネットを被り、花の刺繍が施された日傘を差す。彼女の纏う三枚のフリルが重なって詰襟となった玉虫色の絹織物ドレスは、上品な意匠である。
流行りの小物に、最先端のドレスを纏ったエリザベスは、噴水広場で目立つ存在となっていた。
彼女は今、人を待っていた。相手はユーインである。
手紙を書いても返事を寄こさないので、こうして呼び出して待ち構えていた。
もちろん、来るという返事はない。
来ると信じて、待つしかないのだ。
ここでとことん待機して、もしも現われなかったらユーインのことは諦めよう。そう、決意していた。
黒いベルベット生地の鞄の中から、懐中時計を取り出す。まだ、約束の時間の一時間前だった。少々、早く来過ぎてしまったかもしれない。
郊外にあるセリーヌの家から王都の中央街まで送ってもらったのだが、噴水広場までの道を迷うことを考えて早めに出ていたのだ。
付き添いを命じられた侍女のアデラはつまらなそうに、唇を尖らせていた。
「エリザベスお嬢様、まさか、一日中こうして待っているんですかあ?」
「ええ、そうよ」
「勘弁してくださいよお」
エリザベスは鞄を探り、銀貨を取り出す。それを受け取ったアデラは、以降、何も喋らなくなった。ある意味扱いやすい侍女である。
背筋を伸ばして座るエリザベスに声をかけてくる怖いもの知らずの男もいたが、ひと睨みで追い返していた。それでも諦めない者は、アデラが追い払う。
しかし、今回の男はしつこかった。
「使用人はすっこんでろ!」
「ぎゃっ!」
エリザベスの前に立ちはだかっていたアデラは、男に肩を押されて転倒する。
すぐに立ち上がったので、怪我はないようだった。
「ずっと待っているってことは、約束すっぽかされたんだろ? だったら、俺といいところに行こうじゃないか」
見たところ、貴族の男のようだった。
仕立ての良い服に袖を通し、髪の毛もきっちりと整えている。年頃は二十歳前後か。
エリザベスは象牙の柄のついた日傘をパチリと畳んだ。
それから、男をジロリと睨みつける。
「なんだ、生意気な目付きだな」
「あなたほどでも」
その一言に、貴族の男の顔がカッと赤くなる。
腕を振り上げ、エリザベスの頬めがけて振り下ろされた――が。
「そこで何をしているのですか!?」
ぴしゃりとした男性の声に、貴族の男の動きが止まった。その隙に、やって来た男に腕を取られる。
「なんだ、お前は!」
「そちらの女性の――知り合いです」
「知り合いはすっこんでろ! 俺は、この女に話があるんだ!」
手を振り払おうとしていたが、動かない。また、急所ツボでも突いているのか。
ここで、騒ぎを聞きつけた衛兵がやって来る。女性に手を挙げたという周囲の証言により、連行されてしまった。
「クソ、覚えていろよ!」
「その言葉、物語以外で初めて聞きました」
その物言いに、エリザベスはくすりと笑う。
「まったく、笑いごとではないですよ」
「ええ、そうなんだけど、おかしくて」
「やっと笑ったと思ったら……このタイミングですか」
「ごめんなさい」
エリザベスは目尻に浮かんでいた涙をハンカチで拭い、男の顔を見上げた。
「お久しぶりね、ユーイン・エインスワーズ」
「ええ、本当に。あなたは――」
「エリザベス・マギニスで結構」
「そう、でしたか」
ユーインはエリザベスへと手を差し出した。
「ここは騒がしい。場所を変えたいのですが」
「ええ、よろしくってよ」
エリザベスはユーインの手を取って立ち上がる。
畳んだ日傘は、アデラに押し付けた。
「それにしても、集合時間より早く来ていたなんて」
「あなたこそ、まだ、三十分もあったのに」
「私は――慣れない場所だったので」
「わたくしもよ」
人通りの多い道を、ユーインは踵の高い靴を履いているエリザベスの速度に合わせて歩いていた。
個室のある喫茶店に辿り着く。お喋りなアデラは出入り口で待っているように命じた。
紅茶とお菓子が運ばれたあと、やっと落ち着くことができた。
オレンジが浮かんだシャリマティーを飲んだ。香辛料が入っていて、ピリッとした後味がある。外にいて冷え込んだ体はポカポカと温まった。
「それで、話とは?」
「わたくしの夢を、聞いていただきたくて」
「夢、ですか」
「ええ。子どもの頃から憧れていた女性と、同じ仕事に就きたいと」
それは、文官になって働くということだった。
「いろいろあって、死にそうになって、わたくし、思いましたの。悔いを残すということは、絶対あってはならないのだなと」
死を目前としたエリザベスが思ったことは、なんてつまらない人生だったのか、ということ。
きっとこの先、父親や母親の言いつけを守って結婚しても、つまらない人生しか待ち構えていないだろう。
そのことに、エリザベスは気付いた。
「だから、貴族のしがらみを飛び越えて、好きに生きたいなと」
女性の文官なんて今は一人もいない。
だったら、一人目になってやろう。エリザベスはそれくらいの気概でいる。
「あなたに、そのお話を聞いていただきたかっただけ」
「どうして、私に?」
「特に深い意味はございません。でも、あなたなら、笑わずに聞いてくれると思ったから――」
「シルヴェスターではなく?」
「あの人に言うわけないでしょう?」
「そう、でしたか……。それは、大変悩んだことでしょう。今の時代、あなたみたいな女性が決意するだけも、立派なことです」
思っていたとおり、ユーインは真面目にエリザベスの夢を聞いてくれた。
有言実行を信条とするエリザベスにとって、この決意表明は重要なことだったのだ。
くじけそうになった時も、きっと今日のことを思い出して頑張れるだろう。
話を聞いてくれたのは、出世頭として有名なユーイン・エインスワーズだ。ご利益があるかもしれない。
そんな風に、前向きに考えていた。
「だから、こうして来てくださって、深く感謝をしております」
「エリザベス嬢……」
立ち上がって淑女の礼をする。
顔を上げるとユーインと目が合った。エリザベスはふわりと微笑む。
「それでは、ごきげんよう」
「待ってください」
ユーインは立ち上がり、ツカツカと歩いて来る。
エリザベスの手を握って、顔を俯かせる。
「ユーイン・エインスワーズ、何か御用?」
「ユーイン、と」
「え?」
「フルネームではなく、名前だけで呼んでください」
「ええ、別に構いませんけれど」
次からそうすると答えたら、今呼んでほしいと懇願された。
「ユーイン?」
「呼び捨てですか」
「あら、ごめんなさい。様付けがよろしくって?」
「いえ、いいです。あなたならば」
手を握り、名前で呼べと強要した上に、まだ言いたいことがあるらしい。
ぐっと、力が込められる。その手は温かくて、何か大切な物を手にしているようだった。
俯いたまま、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、ユーインはエリザベスへ話しかける。
「あの……応援しています」
「ありがとう」
それは、心強い言葉であった。ユーインに話をしてよかったと、心から思う。
再度、一礼して別れる。が、扉の前でくるりと振り返った。
「あ!」
「ん?」
顔を上げたユーインは口元を手で覆っていた。顔は赤くなっているようにも見える。
「どうかなさって?」
「なんでもないです」
「そんなことないでしょう? 顔が赤く見えますが」
「お気になさらずに。それよりも、あなたは振り返らない女性だと思っていましたが」
「わたくしだって、振り返ることはありますわ」
ユーインより、早く帰るように言われる。
「今度、またゆっくり話をしましょう」
「あら、わたくしと会ってくださるの?」
「試験の対策とか、教えることができることもあると思うので」
「本当に?」
ユーインは教師役を務めてくれるようだ。エリザベスは嬉しくなって、礼を言う。
「あなたからお礼を言われるなんて、明日は槍が振るかもしれませんね」
「どういうことですの!?」
追及したらユーインは微笑む。
それはエリザベスが初めて見る、彼の心からの笑顔であった。




