さようなら――
翌日。
エリザベスは侍女の手をかりながら、荷造りを始める。
持ち込んだ私物は驚くほど少ない。ほとんど公爵家にあった物で生活をしていたのだ。
この、豪華な生活ともお別れ。そう思ったけれど、たかが数ヶ月の期間だったので、感慨深く思うこともない。
エリザベスが公爵家にきてから買ったドレスや宝飾類も持って帰るように言われていたが、荷物には入れないように命じた。
実家に帰った時に、贅沢なドレスやアクセサリーを持って帰ってきた理由を、家族になんと説明すればいいか、わからなかったからだ。
その点に関しては、事情を知る侍女達もわかってくれた。
昼食後、執事がある品を銀盆へ載せて運んでくる。
「こちらは?」
「ユーイン・エインスワース様からのお手紙でございます」
エリザベスは銀盆へと伸ばしかけていた手を引っ込める。
受け取れないと、首を横に振った。
「エリザベスお嬢様、ユーイン様は、読まなくてもいいので、受け取ってほしいとおっしゃっていました」
最後に見た、ユーインの悲痛な表情が蘇る。
第一印象は互いによくなかったものの、それはエリザベス・オブライエンという最低最悪の人物を通した中でのことだった。
じっくりと付き合ってみれば、人となりを理解することになる。
一言で表せば、謹厳実直。
そんな人を騙していたことを、エリザベスは申し訳なく思った。
実家に帰って、少し落ち着いたら謝罪の手紙を送りたい。
そう思い、銀盆の上の手紙を受け取った。
出発の時間となり、屋敷をでる。
公爵も会議で不在なので、堂々と出発することができた。
あの、強い双眸を思い出し、人知れずぶるりと震える。
今日までバレなかったのが、奇跡だった。
「それでは、わたくしはこれで――」
世話になった執事や侍女は、労いの言葉をかけるエリザベスを見送りながら、若干涙目となっていた。
「エリザベスお嬢様、とても寂しゅうございます」
「大袈裟ですわ」
老執事レントンや侍女に向かって、スカートの裾を摘まみ、膝を折る。
別れの挨拶が済めば、公爵家の用意してくれた馬車に乗り込んだ。
ガタゴトと音をたてながら、馬車は進む。
大通りを抜け、市場の横を通る。
ここで、シルヴェスターに偶然出会った。
エリザベスを妹だと思い込んで疑わなかったので、初対面にもかかわらず頬を叩いてしまった。今ではもっと冷静に人違いであると説明できたのではと思い、反省している。
それから、憧れの国立図書館の前を通る。
結局、忙しくて一度も行けなかった。白亜の美しい佇まいを、窓から眺め、ほうと息を吐く。
馬車はどんどん街から遠ざかっていく。
風が強くなり、ガタガタと横風が当たって窓枠が揺れるようになった。
雪も降り始める。しだいに、吹雪のようになった。
エリザベスは窓のカーテンを閉める。
公爵家で過ごした毎日は、叔母の家で召使いをしていた期間よりも、目まぐるしく、大変な期間であった。
もう二度と、あのような煌びやかな世界に、足を踏み入れることはない。美しい人とも、会うことはないだろうと思った。
そう思えば、なんとも形容しがたい感情がじわじわと浮かんでくる。
もう終わった。いろいろと気に病むことはない。
ホッとしたのも束の間、眠気を覚え、欠伸を噛み殺す。昨晩、よく眠れなくて、そのまま朝を迎えていたのだ。
少しだけ休もうと、瞼を閉じたその刹那――馬車が大きく傾いた。
ドン! という大きな衝撃音と共に、車体は横転する。
エリザベスは体を強く打ち付けた。
痛みと同時に、意識が遠くなる。
馬の嘶く声を聞きながら、頬を伝う液体は涙なのか、血なのか、ぼんやりと考えていた。
◇◇◇
遠くから時計塔の鐘の音が聞こえ、瞼をうっすらと開く。
「あら、お目覚め?」
誰かに声をかけられて身じろぎをしたが、頭がズキリと痛んだ。
寒気を感じ、肩を摩ろうと思ったが、体の自由が利かない。
「あまり動かないほうがいいわ。一応、額の傷口は縫ってもらったけれど、医者の縫合じゃないから」
ズキン、ズキンと痛みを訴える傷のおかげで、意識がはっきりとしだす。
エリザベスは、薄暗い部屋にいた。
地面に藁を敷いた場所に寝かせられ、手足は縄で縛られていて身動きは取れない。
ここはどこだろうか。そもそも、何が起きたのか。
傷の痛みに耐えながら、考える。
窓からは、わずかに夕日が見える。
時計塔の鐘の回数は五回か六回だったような気がした。
部屋は物置小屋のようなところで、灯りは小さな角灯一個のみ。
木箱が積み上がっていて、埃っぽい。
時計塔の鐘の音が聞こえたので、ここは王都の郊外だろうと推測する。
エリザベスの馬車は、何者かに襲われたのだ。
車体には公爵家の紋章があったので、金目当てで襲撃されたのか。
そして、話しかけているのは、若い女。
知り合いなのかと思い、顔を見上げたが――
「なっ、あなたは!?」
「ごきげんよう、エリザベス」
エリザベスを見下ろしていたのは、自分と同じ容姿をした女性、エリザベス・オブライエンであったのだ。
「はじめまして。驚いたわ。本当に、あなたは存在したのね」
「どういう、意味ですの……?」
「あら、知らなかったの? わたし達、双子なのよ」
「!?」
突然明かされた衝撃の事実に、言葉を失う。
そんなわけはない。そう、否定したかったが、目の前のエリザベスは、信じられないくらい自分とよく似ていた。
双子であると言われたら、その理由にも納得できる。
「わたし達は、公爵様の不貞で産まれた子なのよ」
「ま、まさか、母親は――」
セリーヌ・ブライトン。
エリザベスの叔母だった。
「可哀想に。あなたはなんにも知らなかったのね。片や、公爵家に引き取られて、片や、田舎の牧場に引き取られるなんて、悲惨な人生よね」
知りもしないのに、勝手なことを言うものだと思った。
エリザベス・オブライエンの人となりを知っていたエリザベスは、言い返すのも馬鹿らしいと思い、侮蔑の言葉も無視する。
「今回のことはね、ちょっとしたおしおきなのよ。お兄様を独占した罰。ずっと会うのを我慢していたのに、あなたはお兄様に甘えて――許さない!」
そういうことだったかと、今回の襲撃を納得する。
「一晩、そこで反省をしなさい。明日のお昼頃には、解放してあげるから。でも、夜は冷えるから、凍死しないようにね。まあ、自分ではどうにもできない問題だろうけれど」
エリザベスを刺激しないほうがいいと思い、敢えて反応は示さなかった。
寒い部屋に一人残されることに対しても、動揺しなかった。
日記帳を読んでいたおかげで、エリザベス・オブライエンの異常性をよく理解していたからだ。
部屋をでようとしていたエリザベスは振り返り、微笑みながら最後の一言を述べた。
「さようなら――もう一人のわたし。残念だけど、お兄様に愛されるエリザベスは、二人もいらないのよ」
それだけを残して、でて行ってしまった。
殺されなかっただけマシだと思ったが、寒さが肌に突き刺さる。
額の傷も、依然として激しい痛みを訴えていた。
いっそのこと、お昼まで眠れたらいいのに。
そう思ったが、震えの止まらない寒さと傷の痛みのせいで眠れなかった。




