第7話 道筋と美容
本編エリカ視点です。
復讐する。
言葉にすれば簡単なことだけれど、改めて考えるとそう簡単な話でもない。
もっとも単純に考えれば、あの女を、またあの女に与したアルタスの重要人物の子供たちの命を奪えばいい、そう言う話になるだろう。
簡単な帰結だ。
そして、おそらくそれはそれほど難しいことではない。
アルや、他の不死者の幹部たちに聞くところによれば、彼らはかつて一国を滅ぼした経験があるという。
武力にものを言わせて、ただアルタスを滅ぼすだけならば、さほど大変でもないと、そういう話だった。
それが本当だというのなら、そうしようかしら。
すっきりするだろうし、早々に決着が付いていいかもしれないわ。
一瞬、そう、考えないでもなかった。
けれど、同時に、
本当にそれでいいのかしら。
それで、わたくしは満足できるのかしら。
そうも考えないではなかった。
実際どうなのかと言えば、おそらくは、満足できない。
そう思った。
なぜと言って、わたくしは、あの女に、酷く屈辱的な思いをさせられた上、家族諸共殺されたのだ。
その無念が、果たしてさっくり殺したくらいで晴らされるのだろうか?
いいや。
そんなことはない。
絶対にありえない。
もし、あの女を殺すというのならば、出来る限り絶望的な目に遭わせた上で、もはや何の救いもないのだと理解させてから、ゆっくりと殺さなければ、気が済まない。
そう、思ってしまった。
そんな自分の思考に違和感を感じないでもなかった。
果たして、わたくしはこれほどまでに残酷な性格をしていたのかしら。
生きているときは、こんなこと、全く考えてこなかったのに、一体どうしてしまったのでしょう。
そう思ったからだ。
けれど、これはある意味では当然のことのような気もした。
わたくしは、生きているときはずっと、我慢してきた。
そんな意識は当時は全くなかったけれど、今にして思えば、あれはすべて"我慢"の上に積み上げたものだった。
何があっても、国の為に、家のために、みんなのために。
そう思って、我慢してやってきたのだ。
あのまま、わたくしが殿下と結婚して、王妃になっていれば、死ぬまでそれは続いていたことだろう。
それはそれで、満足できる人生だったのかもしれない。
けれど、わたくしはそれを経験する前に、死んでしまった。
今までに感じたことのない、激情を、最後に覚えて。
その経験は、わたくしの心に、大きな変化を与えてしまったらしい。
あのころは、何事も我慢しなければ、と思っていたのだけれど、今は、何の我慢もする必要もないと、心の底から思っている。
どのように暮らそうとも、自由。
どのように笑おうとも、自由。
どのように歌おうとも、自由。
どのように復讐しようとも、自由。
自由、自由、自由。
すべて自由なのだ。
心のままに行動しよう。
そう思った。
そして、そんなわたくしが今、心の底から望む復讐とは、ただ殺せばいい、などという単純なものではない。
それは、復讐の相手の心を、完膚なきにまで抉ってこそのもの。
そのために必要なのは……。
考え、そしてわたくしは思い出した。
「……アル。アル、いるかしら?」
玉座の間(わたくしが最初に目覚めた大広間は、そう言うらしい)の巨大な椅子の上で、わたくしは誰もいない広間の中、言葉を発する。
すると、目の前に黒い渦のような空間の歪みが発生し、死霊侯アル・ターリアーが現れた。
跪いた格好であり、視線を下げている。
わたくしがここに現れたときからそうだが、彼はわたくしに過剰なまでの敬意を払ってくれている。
何がここまでさせるのかはわからない。
ただ、今は、あの女に復讐するまでの間だけは、ありがたく受け取ることにして、わたくしは彼に言う。
「お願いがあるのだけれど、いいかしら?」
「もちろんでございます。何なりと、お申し付けください」
「以前……あのパーティーの時、外出が出来るという話をしていたでしょう?」
「ええ、申し上げました。……どこかにお出かけに?」
「そうなの。出来るかどうかわからないのだけど……人の街に行きたいのよ」
「人の街、ですか。具体的にはどこに参られたいのですか? この"夜の城"からほど近くの街程度であれば、私が直接お連れいたしますが……」
「いいえ、そうではないの。わたくしが行きたいのは王都よ。……可能かしら?」
そう、わたくしは、わたくしが処刑されたあの街に、行きたいと思ったのだ。
そして、自分の目で見て、確かめたいと思った。
わたくしの死んだあの街が、今どうなっているのか。
あの女は、そして殿下を初めとする有力者の息子たち、それに兄上や友人たち……彼らがどうなっているのか。
それを見た上で、判断したい。
何をすることが、わたくしの心を満足させるのか。
どうすれば、あの女たちに苦しみを与えられるのか。
そう言ったわたくしの意図を察したのか、アルはにやりとした微笑みを浮かべ、
「なるほど、敵情視察と言うことですね。ということは、単純にアルタスを滅ぼされるわけではないと……簡単な道ではないでしょうが、エリカ様ならやり遂げられることでしょう」
と、誉め称えられた。
実際のところ、そこまで事細かに決めているわけではないが、おおむね、アルの想像通りの方向で考えていることは確かだ。
アルは少し考えてから、続けた。
「しかし王都となりますと……わたくしが直接参るよりも適任がおります。エリカ様のご案内は、そちらに任せることにしたいのですが……?」
「適任? 誰かしら」
わたくしが尋ねると、アルは即座に答えた。
「ルサルカでございます」
そう言えば、外出したいときはアルか、ルサルカに言えばいい、と言う話だったか。
ルサルカの方は、人の街にも伝手がある、とも。
「では、彼女にお願いすることにしましょう。呼んできていただける?」
「御意」
そうして、アルはその場から消え、直後、ルサルカがアルと同じように闇の渦の中から現れた。
酷く便利な技能である。
アルもルサルカも呼吸するように使っているが、あれは転移魔術だ。
距離が遠くなるにつれ、術式は複雑になり、必要魔力量も増える魔術。
彼らは、一体どれくらいの距離を転移できるのだろうか。
転移系の魔術と言えば、そう簡単なものではないと学園で学んだのだが、ここではそういった常識は容易く崩れていく。
まぁ、アルにしろ、ルサルカにしろ、ほぼ齢二千歳を数える、魔術師として最高峰に成熟している存在だと考えればある意味、常識通りとも言えなくもないが……。
現れたルサルカは、
「あるじ様、ご機嫌いかが? 今日もお綺麗でいらっしゃるわ。少しだけ顔色が悪い気もしますけれど、不死者になりたてですものね。少し、お化粧をした方がよろしくてよ」
と、若干アルよりフランクな対応だが、これはあの宴会から数日、彼女との間で築いた関係性である。
他の三人とも、あまり敬いすぎないでほしいというか、力は貸してほしいけれど、堅苦しくなりすぎないでも構わないと言う話をした。
三人ともその提案を心よく受け入れてくれて、今では割と話しやすかったりする。
屍王リアは元からだが。
それと、アルだけは、その態度を崩そうとはしなかった。
頑固というべきか、矜持があるということらしい。
わたくしも、別に無理強いしたいわけではないし、アルはかつて公爵家にいた家宰と雰囲気が似ていることもあって、それほど違和感はないので、それでもいいかしら、と思っている。
考えながら、わたくしはルサルカに答える。
顔色が余りよくないという話だった。
わたくしは頷く。
「そうなのよ……この顔色は……どうしてかしらね? 生きているときよりも青白くなってしまったような気がするわ。唇も紫がかってしまって」
実際、貴族のたしなみとして、生きているときからそれなりに白い肌はしていたのだが、今は単純に白い、を通り越して透けるような青白さだ。
血管まで見えるほどである。
唇は赤みを失い、どこか不吉な紫色をしている。
流石にここまで来ると、鏡を見ても不気味さを感じないでもなかった。
ただ、アルや、クーファなどに相談しても「いえ、とてもお美しゅうございます」とか「いやいや、不死者の盟主に相応しい、神秘的な美貌だと愚考いたしますよ」としか言ってくれないので困っていた。
その点、ルサルカは同じ女性らしく、悩みを理解してくれたらしい。
うんうんとうなずきながら、答えた。
「それは、不死者になったことで、体から暖かみが消えていらっしゃる影響ですわね。本来、私たちに体温は必要ありませんから」
言われて、体に改めて自分の手で触れてみると、恐ろしく冷たい。
感覚はなくなっていないのだけれど、体温は失われてしまっているらしい。
お風呂などにも入ったのだが、思い出してみれば、入浴直後は少し、顔色にも暖かみが戻っていたような気がする。
なるほど、そう言う理由か。
しかし、いつでもどこでも顔色をよくしたいときは、常にお風呂に入るというわけにもいかない。
特に、これから外出する予定なのである。
「そうなのね……でも、困ったわ。わたくし、これから人の街に行きたいの。アルタスの王都よ。こんな、青白い顔の女が街中を歩いていたら怪しまれるのではないかしら」
そう言うと、ルサルカは、納得したように頷いて、
「それで私をお呼びになったのね……そうですわね、まぁ、先ほども申し上げた通り、少しお化粧をすれば大丈夫ですわ。これでも不死者になって長いものですから、不死者の女性の化粧については一家言ありますの。私が、あるじ様にお化粧をして差し上げます」
そう言えば、ルサルカ自身の顔は、わたくしのように、死人じみたものではない。
そう言う理由だったのかと思って尋ねると、これについては否定された。
「私は魔術によって自らの体に通常の人肌と同程度の体温を持たせておりますので。後ほど、あるじ様にもこの魔術は覚えていただきますが、流石に完璧にするには時間が足りませんので、今回はお化粧が必要になりますわ」
わたくしもこれで、学園でそれなりに魔術を学んでいた。
成績も悪くなかったので、構成さえ教えてもらえればその魔術を自分も必要なレベルで使えるようになるだろうとルサルカに尋ねてみると、これがおそろしく複雑かつ難解で、一朝一夕で出来そうなものではなかった。
使う魔力量も尋常ではない。
これを使うくらいなら、大規模殲滅魔術を五、六発連発する方が簡単かつ疲れないくらいだ。
確かに、化粧の方が手っ取り早く、簡単そうである。
「そこまでして体温を維持しなくてもいいのではないかしら……?」
わたくしが尋ねると、ルサルカは微笑み、
「男性と触れ合うときに困ってしまうではありませんか。そういうとき、氷のように冷たい女だ、と思われるよりも、温かくて柔らかいと思われた方が心を掴めますわよ?」
と言われてしまう。
彼女はいつでも、臨戦態勢というわけらしかった。
「……わたくしにはそんな機会はなさそうだから、覚えなくてもよさそうね……」
「あら、あるじ様。これから王都に行くのですよ? いつどの通りで運命の人とぶつかるかわかりませんもの。助け起こしてもらうときに手が冷たいのはやっぱりいけませんわ。やはり覚えていただかなければ」
「完璧に覚えるには時間が足りないのでしょう?」
「ええ……とはいえ、まっすぐ王都に向かうわけではございませんので。転移で直接乗り込むと流石に怪しいですから、色々と事前準備が必要なのです。その間に、覚えていただければよろしいのですわ。それに、不足分はお化粧で補います」
「わたくしに、覚えられるのかしら……」
正直言って、この魔術は難しすぎる。
それに必要魔力量も、ルサルカのような存在ならともかく、わたくしの魔力量では……。
不安に思っていると、ルサルカは言う。
「色々とご不安なところもあるでしょうが、問題ありませんわ。あっても私が解決いたしますのでお気になさらず。それに、私が使っている魔術は色々と余計な術式がくっついているので難しいだけです。体温維持だけなら、難易度は格段に下がりますわ」
「それはどういう……?」
「私の使っているのは、お肌をつるつるにする術式とか、気に入っている香水の香りが適度にする術式とか、髪型が乱れないようにする術式とか……諸々、私が美容のために必要不可欠と考えている術式を組み合わせたものですので、ある意味で魔力の無駄遣いである側面がないわけではないのです。その点、あるじ様には、体温維持だけのものをとりあえずお教えするつもりですから。それでしたら、問題なく覚えられますわ」
貴族の淑女が知れば、死ぬ気で覚えるだろう術式だらけの魔術を常時発動させているが故の、莫大な魔力消費らしい。
試しに体温維持の魔術の構成と必要魔力量を聞けば、なるほど、かなり簡単で、消費も少ない。
これなら、わたくしにも出来そうだと、ルサルカに学ぶことにした。