閑話 死霊侯アル・ターリアー 後編
死霊が肉体を持つことが出来る。
それは初めて聞いた話であり、可能なこととは思えなかった。
というのも、死霊というのは体を失っているからこそ死霊なのであり、体を得ればそれは死霊とは似ても似つかない何かではないか、という気がするからだ。
屍鬼などは死霊とは反対に、魂が壊れているわけで、だからこそ生前とは異なり凶暴性が出てきたり、食人の性質が現れたりする。
生前の魂と同じ魂を持ち、そして肉体をも持っているのなら、それは蘇生と同じことではないのか。
そんな存在は、少なくともそのときの私は聞いたことがなかった。
男は話を続ける。
「……私は家宰として、主に雇われておりましたが、その前は……孤児院にいました。唯一の肉親である母が死に、親戚もおらず、独り身になってしまったためです。幸い、主が私を拾ってくださり、結果として長くそのお家に仕えることができましたが……」
孤児院にいたのに貴族の家宰に?
それはあり得ない話だ。
何せ、貴族の家の家宰と言えば、相当な教養が必要とされる専門職である。
商家の息子だったとか、最低限の教養を持っていたならまだしも、孤児院でろくに教育も受けなかったものが勤められるような仕事ではない。
使用人にすらなるのも難しいのではないか。
そんな私の言いたいことを理解したのか、男は言う。
「おかしいとお思いですね? まったくその通りです。普通なら、孤児院出身の子供に、家宰など、不可能です。文字も読めなければ計算も怪しい者がほとんどですからね。ですが、私には元々、その程度の教養がありました。なぜかと言いますと、母に学んだからです。……母は、死霊術士でした」
その言葉に、私は驚いた。
確かに、死霊術士、と言えば、かつて存在していた死霊を使役する魔術師のことである。
しかし、今では死霊術が教会に禁術として指定されてしまい、当時、現存していた死霊術士の全てが捕まって、滅ぼされたと言われていたからだ。
彼らが表舞台に出なくなって数百年と過ぎていて、やはり絶滅したのだろうと言われていた。
それなのに……。
男は続ける。
「死霊術士はそのほとんどが教会に捕縛、殺害されたと母は言っておりましたが……生き残った者も少しはいたようです。ただ、存在が露見すれば即座に殺されますし、死霊術士には教会という巨大組織に対抗できるほどの力はありませんでしたから、隠れることにしたと。以来、ひっそりと、子供に伝えるような形で生き残ってきたようで……母も死霊術士としての力を持っていました。周囲には、ただの薬師だと言っていたようですが」
ありそうな話ではあった。
そしてだからこそ、というわけだ。
男の言い出した提案につながってくる。
「私は母から、色々なことを学びました。一般的な教養に加え、薬師としての調合、それに魔術師としての技術と……死霊術師としての技能もです。とは言っても、志半ばで母が亡くなってしまいましたから、どれも中途半端に終わってしまいましたが……貴族の家に仕えられる程度の教養はあったということです」
男の息が相当に荒くなってきている。
目の焦点も怪しくなっている。
男自身もそれを自覚しているようで、話の速度が速くなっていく。
「そういうわけで……私には死霊術師として、最低限の技能があります。その中に、死霊に体を譲る方法というのも……ご、ごほっ……あります。これは、非常に特殊なもので……私の魂を、あなたが……死霊が食べ、この肉体に宿ることで成立します。本来魂は、そう簡単にどうこうできるものではないのですが……自ら望んで喰われる場合には、問題になりません。どうか……どうか、よろしくお願いします……」
死んだこの男の魂を食べる。
それによって、肉体を奪える、というわけだ。
それが可能なのかどうか、私にはわかりかねたが、男の頼みは聞いてやりたかった。
私は、頷いた。
男は、そんな私の様子をみて、安心したように微笑み、
「……ありがとう。では、お願いします……最後に一つだけ、問題があるのですが……私の魂をあなたが食べた場合、あなたは私と混じってしまいます。性格の主導権を私とあなたのどちらが握るか、本来なら勝負になるのですが……私は、頼みを聞いてくれたあなたに、すべてを譲るつもりです。本来なら、ただ死んで終わりだった私に、機会をくださったのですから……ただ、それでも気を抜くと負けてしまう可能性があるそうですから……気をつけてください。私も実のところ、聞いただけで実際にやるのは初めてなので……おっと……もう、本当に、だめ、のよう……で……す……ね………」
かなり力を振り絞っていたらしい。
男は、そしてゆっくりと目を閉じ、そして死んだ。
最後に、かなり問題のある話を残して。
しかし、これを断る気にはならなかった。
なぜなのかは、当時の自分に聞かなければわからないところだが、聞くべきだと、そう直感してしまったのだ。
男が息を引き取った直後、男の胸のあたりから、ぼんやりとしたものが浮かんできた。
男を透明にしたようなもの……つまりは、男の魂である。
死んだ直後であるからだろう、やはり、かなり曖昧な表情をしているが、一瞬だけ、私を見つめ、笑った。
さぁ、喰ってくれ、私を。
そう言ったように思えた。
一瞬ののち、男はまたぼんやりとした、何も考えていないような表情に戻ってしまったが、確かに、男の意志は感じ取った気がした。
私は、男の魂に近づき、触れ、そしてその命を吸った。
◆◇◆◇◆
「……体、か」
結果として、私は確かに、男の体を得ることが出来た。
男の魂とのせめぎ合いもあったのだが、やはり男自身が受け入れていたからだろう。
緩やかに混じり合い、そしておそらく、私の意識が残った。
おそらく、というのは、実のところ、体を得た私には男の記憶もあったからだ。
魂を取り込んだ影響なのだろうと思ったが、実際はただ二つの魂が混じっただけなのかもしれなかった。
ただ、その時点で、もう私はどちらでもよかった。
体の傷は完全になくなっており、ただ血液で汚れた服だけ残念なだけになっていて。
なぜ傷が治ったのかは、何となくわかった。
周囲を見てみると、先ほどまで草木が生えていたのに、いずれも枯死していたからだ。
おそらく、死霊としての技術でもって、周囲の植物の命を吸ったのだろう。
死霊だったときにはそんなことは出来なかったのだが、今体を得た状態で植物に触れると、命を吸えると直感できた。
体を得た影響、ということなのだろう。
魔力も体に満ち満ちていて、酷く調子がよかった。
私と一つになった男の記憶や知識を元に色々と考えてみると、男は中途半端な死霊術師だと言っていたがまさにその通りで、大した魔力も技術も持っていなかったようである。
けれど、今の私の中にある魔力は、尋常ではなかった。
少なくとも、通常の魔術師の数十倍はある。
これが、死霊術の秘奥である、体を死霊に譲る技術の賜なのかもしれなかった。
本来、男が言っていた方法は、死霊に体を譲ると言うよりは、体に死霊を取り込んで自分の力を上げるというものだったようだ。
しかし、力が足りなかったり、意志が弱かったりすると、死霊に体を奪われる、というものだったらしい。
男は、そこを逆手にとって、むしろ自ら体を譲ったらしい。
そのようなことが出来るのなら、私を取り込んで自ら復讐を遂げれば良かっただろうに、この男は誠実だったようだ。
私に本気で譲ろうと、体の中で様々な魔術を練っていたことがわかる。
どれも本人の申告通り、中途半端なものだったが、それでも男にとって一世一代の本気の魔術だったこと、そのときの私にはわかった。
男の記憶が、確かにあったから。
そして私は思った。
こうまで誠実さを見せられては、男の頼みは、やはり聞かなければならない、と。
王族殺しをやり遂げねば、と。
けれど方法が難しかった。
確かに、そのときの私には大きな魔力があった。
肉体も、おそらくは不死のものになったことがわかった。
けれど、一国の王族に近づき、倒すには色々なものが不足であるともわかってしまった。
これでは、いけない。
そう思った私は、どうにかして、そのための方法を探さなければならないと考えた。
私は、男の頼みを聞くために、修行の旅に出ることにした。
幸い、というべきか、男の敵である王族、つまりは国王はまだ若かった。
二十台半ばで、今日明日死ぬという感じでもない。
復讐にはしばらく時間をかけても良さそうだった。
旅は、そのあと、二十年ほど続き、私は力をつけた。
驚くべきことに、私と似たような存在……不死の魔物となった者にも多く出会い、軍勢を築くことも出来た。
あとは、ただ、国を滅ぼすだけ。
そしてそれは酷く簡単なことで……。
数年も経たず、男の住んでいた国は滅び、王城は私たちの支配する、"夜の城"となった。
◆◇◆◇◆
それから、私は長い間、"夜の城"に籠もり、過ごした。
昔の友人たちは、自我を失い、徐々に消えていった。
しかし、新たな不死者たちがたまに訪れ、仲間に加わっていった。
彼らもまた、消えていくのだろう。
私は、消えることが出来なかった。
いつの間にか、不死者の中で、最も長く存在している者の一人となっていた。
数少ない朋友たちは、全体を纏めるのが不得意な癖の強い者ばかりで、なぜか私がその役目を担うことになっていた。
私は死霊候と呼ばれるようになり、人が攻めてくるようになった。
邪悪を滅ぼすためと、聖剣を持ちながらやってくる彼ら。
不死者であっても、浄化の剣に切られれば、消える。
多くの同胞たちがまた、消えていく。
私はいつまでも消えることが出来なかった。
消えたくない、そう思っていたのだろうか。
それとも、まだ消えるわけにはいかないと思っていたのだろうか。
おそらくは、後者なのだろう。
まだ、私は声を聞いていない。
まだ、消えてはならない。
それは先のことなのだ。
そう思って、戦い続けた。
徐々に、攻める者は少なくなっていき、そして誰も来なくなった。
静かな城に戻り、私は消えていった者たちや、未だ意識希薄な死霊を慰めながら、城を守り続けた。
いつまで続く。
永遠に続く。
きっと、どこまでも。
求めているようで、求めていないそれ。
我々に救済はないのかもしれない。
不死者は、戻れない。
正しい生き物の輪廻を拒否したものだから。
消えていくしかない。
それは、酷く寂しい結末だ。
いずれ削れて消えていく我ら。
どこにも行けない行き止まりの我ら。
それを知っているから、消えたものたちを、また新たに加わった仲間たちを悼む。
けれど。
ある日、神託が下った。
我ら、不死者全てに。
新たな主が我々に生まれるという話だった。
死霊公女、というらしい。
彼女に従うようにと。
紛れもない、神の声だと、聞いただけでわかった。
そして、その声は最後に驚くべき言葉を、付け加えた。
『彼女はお前たちの救いとなる。新たなる輪廻を、お前たちに与える。削れた魂は復活する。不死の呪いは、いずれ解ける』
それが本当ならば。
私たちは……。
何かが心に点った気がした。
不死は、祝福だった。
そして呪いだった。
永遠はあまりにも辛すぎた。
完全な消滅の待つ、永遠など。
けれど……。
救いがあるらしい。
私たちにも救いが。
ただの終わりではなく、"次"に続く終わりが。
歓迎しなければ。
そう思った。
神によれば、"彼女"は、玉座の間に現れるらしい。
その身に救いを宿して。
とてつもない不幸な成り行きで死したとも教えられた。
だから、静かに迎えよとも。
慌ててそこにいくと、すでに多くの不死者たちがそこにいた。
誰もが信じられない、と言いたげな顔でお互いを見ていた。
巨大な石造りの玉座を見つめていた。
それは、つい先日までなかったものだ。
材質は、我らが魔術博士たる死賢マルムによれば、解析不可能だという。
彼が解析不可能などとは!
神が降ろした神器としか思えなかった。
そこに、何かが現れる気配がした。
強大な魔力と、光り輝くような眩しさを、私たちは覚えた。
徐々に、それが形を作っていく。
少女だった。
少女の形だった。
私はそれを見て、ふっと思いつき、慌てて周囲の不死者たちに言った。
「お前たち! いったん身を隠すのだ! 出迎えは私一人で行う!」
なぜ、という表情が全員の顔に浮かんだ。
確かに、彼らの気持ちも分かる。
しかし、彼女は、少女なのだ。
突然目の前にひしめき合う不死者の集団など見れば、普通、卒倒する。
そうに決まっている。
そう皆に告げれば、納得して、みな慌てて姿を消した。
幸い、皆、隠れることに関しては超一流である。
呼ぶまでは出てこないようにとも言っておいた。
皆の姿が完全に消えたのを確認してから、私は跪く。
彼女の姿が、焦点を結び、魔力と光の固まりから、人形のような少女へと物質化した。
驚くべきことに、彼女は肉体と魂を初めから持っていた。
しかし、感じる気配は我らと同じもの。
不死のそれである。
しかも恐ろしいほどに強大な存在感である。
なるほど、これほどの……。
これなら、そう、納得が出来る。
私たちの救い主だと言われても。
神の加護があるのだと言われても。
歓喜が胸に浮かび、表情に出そうになるが、しかし、あえて冷静な表情を保った。
彼女の目がゆっくりと開いたのをちらりと見て……。
私は目を伏せる。
彼女が私に話しかけるまで、落ち着いて物事を判断できるようになるまで、彫像のようにしていよう。
そう思って。