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閑話 死霊侯アル・ターリアー 前篇

 生き物は、すべていずれ死を迎える。


 その理から逃れられるものはただの一人もいない。


 けれど、運良く――もしくは、運悪く、死を乗り越えてしまう者もいる。


 それこそが、私たち、不死者である。


 ◆◇◆◇◆


 しかし、私たちとて、消滅を全く知らないというわけではない。


 遙か長い年月を乗り越えた結果、徐々に意識が希薄となり、いずれ溶けるように消えてしまうものも少なくない。


 残ることが出来るのは、呪われた強い意志を持つものだけ。


 それは、この世に対する強い執着と共にである。


 ――この世に存在する何よりも強くなりたい。


 ――この世に存在するすべてを手に入れたい。


 ――この世に存在する誰より美しくなりたい。


 ――この世に存在する知識全てを収集したい。


 そんな、浅ましい願いを持った者が、長く存在し続ける。

 どこにも終点のない願い。

 どこまでも続く願い。

 だからこそ、我々不死者の存在を確かなものにする。

 何も願わぬ者は、静かに、ゆっくりと消えていく。

 それは、穏やかな死だ。

 そしてそれこそが生き物の正しいあり方で……。


 だから、こうして残ってしまう私たちのようなものは、自然のあり方からすれば、おかしいのだろう。


 消え去るべきときに消え去れず、終わりを知らぬまま、存在し続ける私たちのようなものは。


 ◆◇◆◇◆


 かつて私は、意志を持たない死霊だった。

 死後、即座に意志を持つことのできる死者はいない。

 死の衝撃はそれほどに大きく、普通は、死んだその地で、または亡骸の上で、呆然として数年、数十年、数百年、時には数千年の月日をさまよい続けるものだからだ。

 そして、月日の経過と共に魂はやがて擦り切れて、消えてしまうのだ。

 命を失った生き物の魂は、本来ならば大きな流れに乗り、"次"に進めるものなのだが、稀にその流れに乗る権利を持ちつつ、選べないものがいる。

 そういった者たちは、望むと望まないとに関わらず、そうなってしまうのだ。


 私もまた、選べなかった一人だ。

 普通、生き物はどんな小さな存在でも、死ねば、選ぶ。

 "次"の生に向かって、本能のように突き進むために、何も教えられずとも選ぶものなのだ。

 この世とのつながりを捨て、冥府に向かい、そして新たな命として戻ってくることを。


 けれど私は……。

 私は、ずっと、死霊だった。

 何も選べない、どこにも行くことの出来ない、死霊。

 何も出来ずに、ただ一つところで地平線だけを見ていた。

 自分が何をしているかも、これからどうすべきかも考えることが出来ずに、ただ、見ていた。

 そういう記憶だけが、ある。


 永遠にそうならずに済んだのは、運が良かったからにすぎない。

 私はある日、声を聞き、そして、自分の意識を取り戻した。

 私は自分が何者なのか、何をすべきなのかをもう一度、知った。


 とはいえ、当時の私の体は遥か昔に消滅していて、魂だけの貧弱な存在でしかなかった。

 自分のしたいことが出来る、と言っても、存在を保つのが精一杯。

 そんなものでしかなかったのだ。


 けれど、死霊には、人には出来ないことが出来るということは事実だった。

 生きている者に触れ、生気を奪い、自らの力にする技術が、死霊には本能のように備わっていた。

 おぞましい力であるが、消滅しないためには仕方のないことである。

 人が、動物を殺して食べるのと同じだ。


 ただ、それでも、当時の私には大した力はなかった。

 人から生気を奪うと言っても、僅かに疲労させる程度のことしかできなかったし、自由に動けると行っても、それは夜の間だけで、しかもほんの数メートルが関の山だった。

 ものに触れることも、声を届けることも出来ず、ただ、生者が運良く近くを通るのを待って、生気を少しだけいただく。

 そう言う、透明な蟻地獄のような生活を、何年、何十年と続けたのだ。


 そして、百年は過ぎた頃だろうか。

 私は、一人の男に出会った。

 老齢に差し掛かった、細身の男だった。

 いや、正確に言うなら、出会った、というより、目の前に現れた、ということになるだろう。

 とはいえ、そのときの私にとってはそんなことはどちらでも構わないこと。

 私はいつも通り、彼から生気を得るべく、近づいた。

 けれど、それは残念ながら、失敗した。


 というのも、よく見てみれば、その男は死にかけていた。

 腹から真っ赤な血が流れ出ているし、口からも血をごぼごぼと吐き出している。

 傷は深く、とてもではないが、助かりそうには思えなかった。

 どうやら、生きている者から生気を吸えるとは言っても、ほぼ死にかけている存在から生気を吸うことは流石の死霊にも出来ないことらしい。

 何十年と死霊として人に害を及ぼしつつも、初めて知った事実だった。


 これでは、仕方がない。

 近くにいても何の意味もない。

 そう思ってその場を去ろうとしたのだが、男は言った。


「……そこに、誰かいるのですか。私を迎えに来たのですか」


 どうやら、珍しいことに私が見えているらしかった。

 そのときまでその場所でひたすらに他人の生気を吸い続けてきたが、そんなことは初めてで、私は少し驚いた。

 死霊、というのは普通は視認することはできないらしく、誰一人として、私の存在を認識したものはいなかったからだ。

 しかし男は、しっかりと私の方を見て言うのだ。


「そこにいるあなた……何者なのかは存じ上げないのですが、私の最後の頼みを聞いていただけないでしょうか……」


 正直に言えば、頼み、と言われても困るところだった。

 私は死霊であるし、大した力などない。

 ものを持つことすら厳しく、生きている者の頼みなど聞けるような状態ではなかったのだから。

 しかし、それは、男もわかっていたようで、


「初めて見ましたが……あなたは、死霊ですね? 人に取り憑き、命を奪う魂のなれの果て……しかし、それでもいいのです。どうか、どうか……」


 そう懇願するのだ。

 それにしても心外な物言いだった。

 人に取り憑いたことはあったかもしれないが、命を奪ったことは無かった。

 というか、そんな力はそもそも、そのときの私には無かったのだ。

 せいぜいが、人を少し疲れさせるだけしかできない私に、命を奪うなど、無理な相談だった。

 しかし、男は話を続けた。


「私は……とある貴族に仕える家宰でした……」


 どうやら、身の上話が始まるらしく、長くなりそうだと思った。

 しかし、私には幸か不幸か酷く長い時間があった。

 いつまでも聞いていられるほどの。

 それに、他人の話を聞くなど久しぶりで、興味を感じたのも確かだった。

 だから、私はその場を去らず、彼の話を聞き続けた。


 結果、最後まで聞いてわかったのは、その男は、仕えていた家が悪行を行っていたと濡れ衣を着せられて、滅びた、ということだった。

 彼の仕えていた貴族は一族郎党が処刑され、その手は彼自身にも及びかけていたところで逃げてきたのだという。

 残念ながら、追っ手と戦闘になり、重傷を負って、今、死にかけているということだったが。

 彼は、無念そうに言った。


「私は……もうそろそろ、死ぬでしょう。それは、仕方がありません……これが、私の運命だったのでしょうから。けれど、あの国を私は許すことが出来ない。何の罪もない主人たちのお家を、自分たちの私利私欲のために滅ぼし、ましてやその命まで奪うなど……」


 確かにそれは腹立たしいことだ。

 しかし、だから何だというのだろう。

 もはや、彼は死ぬのだ。

 そうなれば、おしまいである。

 私のようになる可能性もないではなかったが、それでも長い間、意志など持てずに過ごすことになるだろう。

 けれど、彼は私を見ながら言った。


「ですから、お願いがあります……私の代わりに、あの国を……あの国に呪いを……どうか、あの国の王族たちを殺してください……そうすれば……そうすれば私は……」


 どうやら、彼が言いたいのは、復讐を代行しろ、ということらしかった。

 けれど、するかしないかの前に、当時の私にはできるかできないかの問題が立ちはだかっていた。

 私とて、かつては人として生きていたのであり、死霊に成り下がったとは言え、未だ、それなりの情も持っていた。

 その男の無念は理解できたし、だからこそ、その願いは聞けるものなら聞きたいという気になっていた。

 久しぶりの会話相手だったのだし、何かの縁かもしれないな、とも。


 しかし、いくら私がその気になっていても、無理なものは無理だ。

 百年ものの死霊に出来ることなど、近くを通りかかった人間をちょっと疲れさせるくらいなもの。

 それで王族を殺せるのなら、ありとあらゆる人物から恨まれる可能性のある王族は、百回は死んでいることだろう。

 つまり、そんなことは出来ないのだ。

 私にも、当然、不可能を可能にすることは出来ない。

 そう思って、首を振ろうと思ったところ、男は、


「……死霊というのは、肉体を持つことも出来る、と聞いたことがあります……私は、もう少しで死ぬでしょうが、もし願いを聞き届けてくださるのなら、私の体を自由に使ってください」


 と、奇妙な提案をしてきた。

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