第6話 夢魔の美女と狂乱死賢
「……お二人とも、どうかしたのかしら?」
アルとクーファが意味ありげに視線を絡ませ合うのを不思議に思ったわたくしは、直接二人にそう、尋ねる。
二人は、どう答えたものか、迷ったらしい。
少しばかり考えた顔でわたくしを見てから、顔を見合わせ首を振り、それから、クーファの方が、
「……いえ、なんでもございません。お姫様。少々興奮しすぎたようです。冗談が過ぎました」
と、先ほどまでとはまるで異なる、まさに見た目通りの紳士風の物言いで頭を下げつつ言った。
やはり先ほどまでの大げさな仕草は演技だったのだろうか、と思いながら、わたくしは、
「……? そうなのですか?」
「はい……あぁ、先ほどのお姫様のお願いについてですが、承りますのでご心配なさらずに。当然ですが、私があなた様に何かを要求したりすることもありません」
「え?」
「私はこれで、あなた様に属するもの。あなた様が望まないと言われぬ限り、私はあなた様に従いましょう」
なんだか、先ほどまでと異なり、恐ろしいほどに落ち着いてしまったクーファは、優雅に頭を下げ、そして膝を再度ついたのだった。
「さて、次は……彼女ですな」
アルはそんなクーファについて特に触れることなく、次の方の紹介に移ろうとしている。
わたくしは、クーファの変わりようや、先ほどのアルとクーファの様子についてその詳細を尋ねるべきか悩んだが、本人はすでに自ら膝をついて、下を向いてしまっている。
そうである以上、無理に何かを聞くのはやはり、礼を失すると言うことになるだろう。
仕方なく、わたくしはあきらめて、次の方の紹介を聞くことにした。
アルが吸血鬼クーファの次に示したのは三人目、黒髪と赤い瞳の美貌の女性である。
「彼女の名前はルサルカ・マギサ。夢魔の長です」
言われて、女性……ルサルカは立ち上がる。
一目見た瞬間から、恐ろしくなるほどの美貌の持ち主だな、と思っていたけれど、それは近くで見ると余計にそう感じた。
立ち上がる姿もそうだが、吐息一つとっても官能的であり、わたくしは女であるから、ただ、その美貌に感心しているだけで済んでいるが、男性がこれを目の前にしたら目に毒どころではないのではないだろうか。
「ただいまご紹介に預かりました、ルサルカでございますわ、あるじ様。不死者の一種族、夢魔をまとめさせていただいております。ところで、あるじ様は夢魔についてご存じかしら?」
夢魔。
それは、人の夢の中に入って、精気を吸うと言われる存在である。
学園で学んだ記憶が蘇った。
わたくしは答える。
「ええ……人に夢を見せて精気を奪うのだと学びましたわ。対策は眠らないこと……と言われていますがそんなことは不可能ですから、一人で寝ないことが最もよい対策になるとも」
「あるじ様はお勉強熱心ですのね。それで、夢魔に襲われた者が、どのような夢を見るかは?」
聞かれて、すぐにその答えは思いついた。
しっかりと学んでいたことだからだ。
しかし、答えるにはいささか、いや、かなり恥ずかしい。
淑女は人前でそのような話をしてはならないのだと、学んできたのである。
だから、わたくしは絶句してしまい、どうしていいのか分からなくなってしまった。
それを見ていたルサルカは妖艶な笑みを浮かべ、
「……あら、ふふ。お耳が真っ赤ですわよ。あるじ様」
「……エリカ様をからかうんじゃない。この方はお前と違ってまだ若いのだからな」
アルが呆れたようにルサルカにそう言うと、ルサルカはアルを睨みつけ、
「あら、失礼しちゃうわ! まだ私だって若いのよ。そう、まだ生まれて二千年も経っていないのだし」
と、びっくりする事実を言った。
約二千歳にはとても見えないが、不死者であるのだからおかしくはない。
アルはルサルカの剣幕に口を閉じたが、しかし直後、ぼそりと、
「それは若いとは言わん……」
と言い、その言葉に、跪いている三人が同意を示すように頭を僅かに縦に振った。
しかし、その気配を察知したらしいルサルカが、ギンッ、とつり上げた目で彼らを睨んだので、ただでさえ伏せている目をさらに下げた。
言った本人のアルは、
「……とまぁ、このような女性でしてな。とても美しく、若い見た目をしております。見た目は。見た目は……ですな」
「そう何度も強調しなくても良ろしくてよ。まったく……さて、あるじ様。そういうわけで、なにか、恋に迷ったときは私にご相談くださいな。この朴念仁の男たちとは違って、私には繊細な乙女心と豊富な経験がございます。あるじ様が恋愛事にお悩みになられたとき、誰よりも的確なアドバイスが出来ると自負しておりますわ」
彼女の言葉に、果たして、生涯ただ一人と決めた婚約者に盛大に振られて首まで落とされたわたくしが、これから恋で迷うことがあるのだろうかという気がしたが、純粋な好意で言ってくれていることは分かったので、うなずく。
「ええ。そのときはぜひ、そうさせていただこうと思います。ですけれど、そんな日がくることはないと思いますが……」
「あら、あるじ様。あるじ様はお綺麗ですもの。いくらでも機会はございますわ。それに、恋とは事故のようなものなのですわ。いつ、どこで、それが生まれるかは、誰にも予想することが出来ません。つまり、あるじ様にそんな日が来るかどうかは、あるじ様自身にも分からないことなのです」
妙に含蓄のある台詞で、そうなのかしら、と一瞬思ってしまった。
アルは、ルサルカの言葉に、彼女自身をちらりと見た上で、
「自ら事故を起こしに行く輩というのもいますからな。お気をつけくださいませ」
とわたくしに注意してきた。
明らかにルサルカがそのような存在で、他にもいるかもしれないから注意しろという意味だというのがわかる言い方であった。
ルサルカはそれに機嫌を害したようで、頬を膨らませ、
「もうっ。そんなに邪険にしなくてもいいですのに!」
と怒ったように叫ぶ。
どことなく、子供のするような仕草だが、驚くべきことにルサルカはそのような仕草をしてもなお、美しかった。
少女のかわいらしさと、大人の色気が同居しているような、そんな雰囲気である。
「……こんな女ですが、これで魔術と格闘術のおそるべき使い手です。それに加えて諜報や人心操作も得意としております。人の町にも伝手がいくつもありますから、お出かけなされたいときは、私か、彼女におっしゃるとよろしいでしょう」
と言った。
強そう、という感じの見た目ではないルサルカ。
けれど、やはり強いらしい。
頼もしく思ってみると、ルサルカは、
「一緒にお出かけできる日を楽しみにしておりますわ」
と微笑んで、膝をついた。
「さて、最後の一人になりますが……」
とアルが次の一人、骨と皮をローブで包んだ老人を紹介しようとしたところ、アルの言葉を遮って、老人が立ち上がり、
「おぉ……おぉ、お姫様……こちらを、こちらをお持ちくだされ!」
と、手に持った枝をわたくしに差し出してきた。
少し驚いたが、特に害意はなさそうである。
それに仮に害意があってもわたくしにはどうにもできないのだ。
警戒しても仕方がないか、とわたくしはその差し出された枝に手を伸ばした。
「エリカ様、お待ちください!」
しかし、アルに止められる。
アルは、老人の方を向き、
「……これは、危険なものではないのか?」
「おぉ、アルよ、わしがこの方にそのようなものを手渡すはずがあろうか? 嫌、ないな。そもそも、そのようなものを渡したところで何の意味もあるまい」
「まぁ……そうかもしれないが。しかしこれは……」
「この杖が何か、か? それは手に取っていただければわかる」
「ふむ……仕方あるまい。エリカ様、お願いいたします」
そう言って、枝を示した。
わたくしは、止めていた手を再度動かし、そして枝を手に取る。
すると、枝からは、ふわりと光が放たれた、暗い紫と藍色の入り交じったその光が枝を包む。
それから、枝の形が徐々に、変わっていった。
しゅるしゅると伸び縮みし、また質感が変わっていく。
これはなんだろう?
特に嫌な感じはしないし、なんだかおもしろいような気はするけれど……。
枝の変化を見ながら、ちらりと老人に目をやるが、老人は枝を真剣に見つめているようで、わたくしの質問に答えられそうな雰囲気ではなかった。
この変化が完了してからしか、質問の機会はなさそうである。
そう理解したわたくしは、枝の変化を見守ることにした。
そして、五分ほど経った頃だろうか。
枝は完全に変化を終え、その姿を"杖"と言うべき形に生まれ変わっていた。
それを見た老人は、嬉しそうな声で、
「おぉ……杖頭は髑髏に天使の片翼、柄は相喰み合う蛇……なるほど、なるほど! これは、貴女様らしい……このマルム、感服いたしました!」
と叫び、土下座をした。
あまりにも堂に入ったものであり、また見た目上の年齢に似合わない速度のもので、わたくしは慌てる。
「え、あ、あのっ、そ、そんな……頭を上げてくださいませ……」
しかし、老人は、
「いいえ、いいえ! 先ほどからわしは、あなた様に失礼な視線を送っておりました。果たして、貴女様は我らが待っていた方なのかと、そう考え、観察せずにはいられなかった……ですが、今、わかりました。貴女様は、確かに我らの望んでいた方だと。そう、貴女は……」
「……マルム。マルム・オラオサン。その辺でやめておけ。エリカ様が混乱なさっておられる」
アルが、老人の台詞を止めて、そう言った。
老人は、ぱっと頭を上げ、わたくしを見、それからアルを見て、
「そ、そうじゃったな……いかにも、慌てていた。申し訳ないことじゃ。お姫様、お許しくだされ。今のわしの言葉も、忘れてくだされ……ただ、わしは……貴女様に忠誠を捧げる! 今、決めた。それだけじゃ……」
そう言って、膝をついた。
アルは、そんな彼を見ながら、わたくしに説明する。
「この老人は、マルム・オラオサン。始まりの死賢です。死賢になるための呪法を考え、実践した最初の男であり、死賢たちの統率者になります。少々、興奮すると周りが見えなくなる男ですが、非常に有能で……魔術についてはもちろん、錬金術についても非常に詳しいです。今、エリカ様の持っておられる杖も、彼の作品の一つでしょうが……マルム、これは何だったんだ?」
膝をついて伏せたままのマルムに、アルが尋ねると、そのままの体勢でマルムが答える。
「おぉ……それは、杖の原質じゃ。世界樹の枝を錬金術の秘奥をもって加工したもので、持った者に合わせて最適な形状をとる、魔術師にとってこれ以上ない魔術触媒じゃ」
「世界樹の……しかし、お前も持っていたではないか?」
「わしは、ほれ。すでに同じ素材で作った自分の杖があるからな。二つは反応せん」
アルの言葉に、マルムは自分の手を示して言った。
そこには指輪がはまっており、それこそが彼の魔術触媒ということなのだろう。
しかし、世界樹……。
それは、樹木の王とも呼ばれる、世界最大の樹木のことである。
ただ、数が少なく、確認されているのはエルフの国、双樹国にある二本と、東の迷宮都市に存在する一本、それに南の孤島に生える一本の、合計四本のみである。
素材としての価値は恐ろしく高く、売買される値段はそれこそ家がいくつ立つか、という額になることも少なくないと聞く。
わたくしは恐ろしくなって、
「あの……これは、お返ししますね……」
壊したときに弁償することは出来ないと思って、わたくしはそう言った。
公爵家の財産であれば買えただろうが、今のわたくしは端的に言って無一文。
このような高価なものを持つのは恐怖だった。
けれど、マルムは、
「それはすでにあなた様のものです。それに、一度持ち主を認識してしまうと、持ち主が死するまで他のものにとってはただの棒ですからな。お返ししていただいても仕方なきもの。どうぞ、末永く使ってくだされ」
と言った。
「こんな高価なもの……」
もらっていいのかしら、と口に出しかけたが、アルが、
「くれると言うのです。もらっておいてはいかがでしょうか。そもそも、この老人は世界樹の枝くらいダース単位で在庫を確保しているはず。痛くも痒くもないでしょう」
「ほほ。言うのう。アル。しかし、まさにその通りじゃ。そういうわけですからな、お姫様、遠慮はいりませんぞ」
ここまで言うのである。
これでもらわないというわけにも行かず、わたくしは、彼からの贈り物をいただくことにした。
わたくしとて、これでも魔術師の端くれ。
良い魔術触媒は持っているに越したことはない。
なんだか、嬉しくなってしまう。
少しばかり意匠は禍々しい気もするが、天使の翼がついているし、色も好みであるし、かわいいようにも思える。
「……お気に召したようで」
アルがそう言ったので、わたくしは頷いた。
「ええ。ありがとうございます、マルムさま。このような貴重なものを」
「礼など……必要ありませぬ。喜んでいただけて、何よりです」
マルムはそう言った。
それから、アルが、
「さて、これで全員の紹介が終わりましたな。これから不死者は、彼らを筆頭として、エリカ様にお仕え致します。どうぞ、よろしくお願いします」
と言い、跪いていた四人が一斉に立ち上がって、アルが頭を下げるのに続いて、頭を下げた。
さらに、彼らのさらに背後で宴を楽しんでいた不死者たちも、いつの間にかこちらを向いていて、同じく深く頭を下げた。
こうして、わたくしは、不死者の一員……もっと言えば、不死者たちの主、死霊公女の地位につくことになった。
わたくしに従うと言ってくれる、数多くの不死者たちの姿を見て、あぁ、きっと、わたくしの目的は果たされるだろう。
深く、そう思わずにはいられなかった。