第5話 不死の剣士と吸血道化
宴は盛況だった。
数多くの不死者たちが、集い、食事をとりながら、会話に華を咲かせている。
その様子は、人の宴と何も変わることはなく、ここに集うすべての存在が、魔物であるのだと言われても奇妙な感じすらする。
大広間にいる不死者たちはただ飲食しているだけでなく、代わる代わる、わたくしのところに来て、深く頭を下げ、挨拶をした。
驚くべきことに、どれも、極めて礼儀正しく、確かな忠誠の感じられるものばかりだった。
わたくしのような、ただの脆弱な人族のなれの果てに過ぎないものにそのように振る舞う不死者たちは、とても理知的で、文化的であり、今までアルタスで学んできた魔物に対する偏見が剥がれていくのを感じた。
魔物は暴虐と殺戮の象徴であり、分かり合うことなど不可能である。
出会ったら即座に殲滅すべし、という教え。
それは、間違っていたのだと。
わたくしの元にご挨拶に来てくれた不死者たちは、本当に数多くの種族がいた。
こんなに間近で見れるなんて、生きている間には想像したこともなかった。
わたくしやアルのような、死霊をはじめとして、骨人、吸血鬼、屍鬼に、嘆きの精、首なし騎士、夢魔、さらには死賢や狼男までいる。
その他にもいろいろといて、人の世では不死者とは理解されていないものも、実のところ不死者であると、アルから説明された種族も少なくなかった。
その代表的なものが狼男で、不死者と言うより獣人ではないのだろうかと、わたくしは思ったのだが、獣人の狼種とは異なり、強大な再生力や、獣人がほどんど持たない魔力を保持しているようで、別物ということらしかった。
とても勉強になる。
人族は、本当に魔物について何も知らないようであった。
わたくしはアルに質問を重ねる。
「……色々な方がいらっしゃるけれど、アル、今までずっと、あなたが統率していらしたの?」
アルは死霊候であり、人族からは不死者の首魁であると見られている。
したがって、不死者すべてを彼が治めてきたのだろうと思っての質問だったが、アルは首を振った。
「いえ……厳密に申し上げますと、そうではございません。一応、全体の調整役のようなことは私が行ってきましたが、皆、癖の強い者たちばかりですからな。私以外に同格の力を持つ幹部クラスのものが他に四人おります……おぉ、噂をすれば、来たようです」
そう言ってアルが見た方向に視線をやると、他の不死者たちとは異彩を放っている存在が四人、こちらに歩いてきているのが見えた。
この場にいる不死者たちは、そのどれもが強力なものばかりであるとアルから聞いていたが、そんな彼らとすらも隔絶した雰囲気を感じる。
わたくしは、学園でもそこそこに成績が良く、魔術や魔力についてもある程度の技能は持っている。
だからこそ、その四人が持つ魔力、存在感の強さが、肌に刺すようにぴりぴりと感じられた。
彼らはわたくしの前にたどり着くと、ざっ、と音を立て、全員で膝をついた。
服従を示しているようにしか見えないが、これほどの存在にそのようなものを捧げられるのには、やはり違和感がある。
しかし、もちろんのこと、わたくしの目的を達成するために必要な力を持つものからの忠誠に、文句などあるはずがないし、彼らも嫌そうには見えない以上、やめろと言うのも失礼な話なのかも、と、とりあえず黙っていることにした。
それから、わたくしは彼らをよく、観察する。
四人とも、独特の存在感を持っていた。
まず、一人は、漆黒に塗られた鎧を身に纏った、精悍な男だった。
長い黒髪と、整った顔立ちからは貴公子然とした印象を感じるが、表情がどこか野卑で、瞳からは強い意志が感じられる。
背は高く、屈強な体つきをしていて、戦士らしい体型をしていた。
見た目だけで判断するのなら、おそらくは三十台前半くらいに見えるが、彼もまた、不死者であるはず。
見かけ通りの年齢のわけはないだろう。
背中には、先ほどまでわたくしなどが持てばそのまま重みだけで倒れてしまいそうなほどの大きさの大剣が背負われていたが、今はそれを自分の前に置いている。
わたくしに対して、剣を取る気はない、という意志を示しているように見えた。
全体として、武人、といった感じの男だった。
それも、ひたすらに戦いを求めているような、危険なそれである。
果たして、わたくしに彼を扱いきれるのか。
不安でならない。
次の一人は、貴族風の壮年の男だ。
よく整えられた、高価な素材で作られたと思しきスーツを身に纏っており、かなりの洒落者であることが分かる。
ほっそりとした顔立ちと、鋭い瞳の光は、かつてわたくしがいたアルタス社交界に稀にいた、切れ者と言われるタイプの貴族たちの持っていたものと似ている。
膝をつく姿一つとっても優雅であり、このまま、社交界に乗り込んでもおそらくは貴婦人たちに大人気になることだろう。
冷厳な視線で貫かれた貴婦人たちは、そのまま動くこともできなくなり、彼の言いなりの人形になってしまう。
そんな、底知れなさを感じる。
わたくしのような小娘が太刀打ちできるような存在ではなさそうであった。
次の一人は、烏の濡れ羽のような艶のある黒髪と、血のように赤い瞳を持つ、美しい女性だった。
その目を見張らんばかりの素晴らしい曲線を露わにする、漆黒の薄いドレスを身に纏っており、ともすれば品を失いそうなのにも関わらず、その雰囲気すべてから妖艶さと気品が溢れている。
ただ指を少し動かすだけで、強烈に官能を刺激するような、恐るべき色気がそこには存在していた。
正直なところ、わたくしも、学園においては、そこそこの美貌を持っていたような気になっていたが、彼女を見ると、もはや、わたくしなどその辺のちんちくりんとしか思えない。
死んだあともこんなことを考えているなど浅ましい、と思うが、女としてすべて敗北したような気分になってしまった。
わたくしの下につくのではなく、むしろわたくしに女性のなんたるかを教えてほしいくらいの美しい人である。
最後の一人は、他の三人と比べると見栄えのしない、まるで骨と皮だけのような老人だった。
みすぼらしい、ところどころ解れた黒いローブを纏っており、袖口から僅かに覗く手や腕もまるで枯れた木と見紛うようである。
その震える力のない手に把持された杖からは緑の芽が出ていて、ただの枝を折って持ってきたようにしか見えない。
総じて、他の三人と並んでそこにいるのが場違いに思えるような、そんな方だった。
けれど、じっと見つめていると、何か奇妙なことに気づく。
ひどく巧妙に隠されているが、魔力の煌めきのようなものを、この老人の中に感じるのだ。
魔力、というものについて、人は色々な方法で見るが、わたくしは色と、輝きの強さで見ることが多い。
そんなわたくしの目からすると、老人の中に僅かに覗くそれは、ほんの少量しか見えないにも関わらず、他の三人の持つそれよりも、恐ろしく暗く、そして強いものに感じられた。
あまり長く見つめていると、かえってこちらの方が覗かれ、飲み込まれてしまうような、闇の凝縮されたような。
それから、改めて老人を見つめると、その瞳の奥には濁った沼のような、人知の及ばない淀みがある、と分かってくる。
巨大な闇の固まりが、そこにはあるのだと、そんな気がしてくる。
先ほどまでは、静かで、無害そうに見えていた老人だったが、今はまるでそうは見えなかった。
これは、虎である。
森の奥底の緑の中、息を殺し、獲物が油断してしまうのを注意深く、忍耐深く見つめる虎。
一度飛びかかられれば二度と外れることのない、強力な牙と力を持つ、人に制御されることのない存在。
この老人は、あまりにも危険すぎる。
なぜ、わたくしの前で跪いているのか。
全く理解の及ばない存在であると、心の底から思った。
全員を観察して、改めて思ったことは、誰一人として、わたくしが制御できそうな人物たちではないだろう、ということである。
とてつもなく強い意志と、力をその身と魂に宿した彼ら。
一体どうして、わたくしに従ってくれるのだろうかと不安を感じていると、アルが、そんなわたくしの気持ちなど気づかなかったかのように、さらりと説明を始めた。
「では、ご紹介させていただきます。まず、一人目、この鎧姿の男が、屍鬼王リア・カルヴァ」
アルの紹介に、男は立ち上がり、頭を下げる。
「リアだ。よろしく頼むな、新しい主のお嬢ちゃん。……あぁ、俺はそれほど敬語が得意じゃねぇから、こんな口調だが……忠誠は本物だぜ。なにせ、あんたは死に際に首だけで叫ぶなんて離れ業をやってのけた化け物だからな。そんなこたぁ、生きている間の俺にだって出来なかっただろうよ。だから、仕えるのに文句はねぇ」
かなり荒々しい声と振る舞いだったが、その表情には確かな親愛と忠誠が宿っているようにわたくしには感じられた。
それほど、死に際にわたくしが行ったことが大変なことだったのか、それとも他に理由があるのか……。
それは分からないが、こう言ってくれているのだ。
それならそれでいいだろう。
どうせ一度死んでいるのだし、御しきれなくなった結果、再度殺されたところでゼロがゼロになるだけの話なのだ。
そう、開き直ることにした。
アルは、リアの言葉に頭を押さえながら、続ける。
「……ご覧の通り、およそ礼儀というものを知らない男ですが、その実力は本物です。屍鬼の王であり、彼らすべてを治めております。不死者の中でも屈指の実力者です。特に武術においては他の追随を許しません」
「武術……あの大きな剣を自由に使って、戦えるということね?」
リアの足下においてある剣を見ながらそういうと、アルは頷く。
「ええ。あれはかなり昔にドワーフの名工が打った魔剣です。長い間、この男が振るってきたために呪いを纏っておりますが……不死者ですからな。問題はないようです」
「……呪いの魔剣……」
魔剣、それは単純な魔術の付与がなされた魔法剣とはことなり、相当の腕を持つ名工、特にドワーフの名工などが打ったものが、稀に神や精霊の加護を受けて強力な力を持つようになった剣のことである。
剣に限らず、魔弓や魔槍などもあるが、数はかなり少なく、貴重なものだ。
あの大剣がそうである、というだけでも驚きなのに、呪いを帯びているという。
呪いを持った武具は身につけるだけで不幸を呼び寄せると言われているが……不死者には効果がないらしい。
まぁ、生きているものにとって最大の不幸は死であり、すでにその不幸によって持っている幸福の全量が失われていると考えれば分からないでもない。
けれど、本当に大丈夫なのだろうか。
わたくしが少しだけ、そう考えたのを、リアは見て取ったらしい。
「……まぁ、二百年くらい前かな。一度、この剣を人族が奪いに来たことがあった。当時はあんまり強くない、そこそこの奴で、捻るのは簡単だったんだが……ふと、この剣を生者が持ったらどうなるか、気になってな。ちょっと渡してみたことがあるんだ。わざと手落とした振りをして、向こうが拾うようにうまく動かして……」
「……それで、どうなったのですか?」
「手に持った途端、生気を吸い取られてミイラになっちまった。今では立派なお仲間だ。ほれ、あそこにいる」
指さした方を見ると、苦笑した様子の屍鬼と思しき少年がこちらを見て頭を下げた。
十代後半くらいの、普通の少年に見えるが、あれでも不死者と言うことなのだろう。
しかしそれにしても恐ろしい魔剣である。
持っただけで即、不死者とは……。
呪いの魔剣の名は伊達ではない。
「そんなわけで、誰かを仲間にしたかったら俺に言えよ。速攻ミイラにしてやるからな」
リアはそう言って笑い、再度膝をついた。
その様子を見て、アルはうなずき、次の男を見る。
貴族風の、壮年の男だ。
「……さて、次はこの男ですな。この男の名は、クーファ・コラカ。吸血鬼の始祖の一人です」
アルの言葉に、男は優雅に立ち上がり、
「あぁ、ただいまご紹介に預かりました、しがない吸血鬼、クーファでございます。新しき主のお姫様、少しだけお近づきになっても?」
「え、ええ」
氷のような見た目とは正反対の道化染みた口上で、突然尋ねられたので、驚いたわたくしが、少し慌てながら頷くと、彼は、すっ、とわたくしに近づき、手をとって口づけをした。
流れるような仕草に、わたくしは自然と受け入れてしまっていた。
社交界ではよく行われていることではあったが、これほどまでにすんなりとされたのは初めてである。
それから、彼はわたくしの顔をじっと見つめ、そしてゆっくりと微笑み、言う。
「おぉ、なんと美しい顔、なんと匂やかな美貌なのか! このような方にお仕え出来るとは、これぞまさに至上の幸福を得たとしか申し上げようがありません! このような喜びを知ってしまったわたくしは、これから先、なにに感動を覚えればいいのか酷く困惑しております……なんて、なんて無慈悲なお姫様なのだろう!」
ひどく大げさな動きであった。
しかし、それが異様なまでに様になっている。
容姿や仕草の美しさもそうだが、その声すらもよく響き、まるで舞台俳優を見ているかのようだった。
アルが、そんな彼を見ながら、やはり額を押さえて、
「……まぁ、このような男です。吸血鬼の始祖は何人かおりますが、この男、これで、始祖たちの中でも最も強力な力を持ち、他の始祖全員を相手取ってもまず負けることがありません。酷く不本意な話ですが、強力な魔力と不滅の肉体、それに万能の魔眼を持ち、また太陽の下を歩いても問題がない、およそ吸血鬼として最上の存在であることは間違いありません……ところで、クーファ、貴様、エリカ様に魅惑の魔眼を使ったな?」
語りながら、最後にアルはクーファをにらむ。
クーファはその言葉ににやりと笑い、
「おっと、済まないね、アル。私は新たな主がどれほどの器量か少し、試してみたかったのさ。問題なさそうだし、許しておくれよ」
やはり、どこか道化のような仕草である。
悪びれた様子はない。
話の内容からするに、どうやら、わたくしは試されたらしい。
とはいえ、彼の立場に立ってみれば当然のことだろう。
新たにいただく統率者がこんな小娘では、彼らからすれば不安だし不満だろうから。
アルはクーファの言葉に額に青筋を浮かべながら(不死者でも浮かぶらしい。謎だ)、クーファに何か言い募ろうと口を開きかけたが、わたくしはそれよりも早く、彼に言った。
「……クーファ様、そのことにつきましては、本当に申し訳なく存じます。新しい主がこんな、何の力もない、ただ一度死んだだけの、わたくしのような小娘で……本当に。もちろん、ご不満は理解しております。ただ、わたくしにはやらなければ、どうしてもやらなければならないことがあるのです。どうか、目的を達成するまで、その強力なお力をお貸しくださいませんでしょうか……? そのあとわたくし自身は、どうなろうとも構いませんから……」
すると、クーファはその顔に浮かべていたどこか皮肉げな微笑みをぴしりと固まらせ、それからぎぎぎ、と言った様子でアルを見て、首をかくりと傾げ、
「……このお姫様は一体、なにを言っているんだい、アル……」
と絶望的な声色で言う。
アルはそれに頭を押さえ、
「……こういう方なのだ。この方はまだ、何も分かっておられない」
「そうか……すまない。アル。私がふざけすぎた」
「いや……私も言葉が足りなかった。見れば分かるというものでもないしな……」
なんだか妙な様子である。
彼らが一体どうしたのか、わたくしはひどく気になった。