閑話 ある貴族令嬢の独白(中)
そのご令嬢はどこにでもいるような、平凡な少女のように見えました。
少なくとも、始めはそのように振る舞っておられました。
穏やかで、周囲を物珍しいそうに眺める、ものを知らないご令嬢。
どこにでもいる、分かりやすい少女。
だけれど、そのような平凡な少女でもこの学園において強い権力をふるえる可能性があることを私たち学園生徒は知っています。
それは、親や親族に高位貴族がいること。
王族であれば一番ですが、公爵くらいであっても勿論問題はありません。
だから、つい先日までそんな気配など一切なかったのに、突然、どこの馬の骨とも分からない少女がヒロイン役になったのは、そういう力関係のなせる業なのであろうと、そんなことを思っていました。
事実、その少女……エリカ嬢には演技の経験はほぼないということで、選ばれた理由も納得がいくものではありませんでした。
メイリンお姉様や、フーリが、彼女に会い、そして話していく中で、演じるべきは彼女しかいないと、そう確信したからだと言われたところで……。
もちろん、私はそれでも演劇クラブの部員ではありませんから、口を差し挟めるわけもなく、そうできる図々しさも持っていなかったので不服に思いつつも黙っていました。
しかし、他のメイリンお姉様のファンであるご令嬢たちは、その不満を隠そうともせず、罵詈雑言とまでは言いませんが、遠回しに相応しくない、とそのご令嬢に言ったほどです。
貴族令嬢の悪いところ……こうやって徐々に精神力を削り、自ら辞退するように持っていこうと、そういう計算から出る行動でした。
この学園においてよく見る光景で……だからこそ、私は参加したくはなかったというのもあります。
遠くから見ていました。
傍観もまた罪だ、と言われると何とも言い返しようがありませんが、積極的に関わった者ほど悪いとは流石に言われないでしょう。
私としては、普通にこの演劇クラブで他の演者たちと混じり、稽古を重ねていけば、エリカ嬢の親や親族がいかに高位貴族であろうとも、いずれ自分がそこにいることに違和感を感じて、引くものと思っていたというのもありました。
権力を使ってでも、演劇クラブで演技をしたい、ヒロインをしたい……そういう情熱があるということは、そもそも演劇が好きだということ自体は私たちと何ら変わらないわけですから、本来あるべき調和が自分のせいで崩れている、ということを自ら認識すれば、自ずと引くだろうと。
それくらいの信頼は、同じ演劇好きとしてしてあげるべきだと、そうも思ってました。
思えば、これは傲慢だったと後で知れるのですが、そのときは確かにそう思っていたのです。
けれど、そんな私の、そして文句を言っていた令嬢たちの、間違った思いをエリカ嬢が打ち砕いたのは、そんなに遅いことではありませんでした。
まず始めにエリカ嬢が非凡さを見せたのは、その台詞覚えの早さからでした。
彼女はもちろん、こんなに唐突に稽古に参加したわけですから、台詞など大して覚える時間があったとも思えません。
実際、私は見たのですが、メイリンお姉様がその場で台本を手渡していました。
それを見た見物人たち……つまり私たちは、それをもって、あぁ、これから覚えるのだな、稽古自体は台本を見ながら行うのだな、とそう思いました。
けれど、エリカ嬢はそれを数分、ぱらぱらと眺めただけで、テーブルに置いてしまいました。
メイリンお姉様は他の演劇クラブの部員たちへの指示でそんなエリカ嬢のことをよく見ていませんでしたけれど、私たちは確かに見たのです。
そしてそのときの私たちの心情と言ったら……。
演技を嘗めている。
そうとしか思えませんでした。
台詞を覚えていない、そのこと自体はいいのです。
台本は先ほど渡されたばかりなのですから、すぐに覚えることを要求するほど私たちの頭はおかしくはありません。
ですけれど、少なくともどんな物語なのか、内容をしっかりと把握し、台本を読みながら役柄の把握をするなど、やることは沢山あるはずではないでしょうか。
一流の役者ですら、そういったことは必ず行うというのに、あのエリカという令嬢はそんなことをする気配すらなく、ちらりと見ただけで台本を置いたのです。
稽古はただ台本を読んでやれば良いと、そう思っていることが透けて見えたのです。
だから私たちは腹立たしく思いました。
けれど、それと同時にこんな有様では、メイリンお姉様やフーリなど、演劇クラブの他の部員たちが彼女に腹を立てるのもそんなに遠い話ではないと思い、安心もありました。
そうなれば、いくらエリカ嬢の親や親族に権力があろうとも、その座を降ろされるだろうと。
それくらいのプライドを、演劇クラブの方々は持っている、そういう信頼が私たちにはありましたから。
ですが、そんな私たちの思惑は、実際に稽古が始まってみると完全に打ち砕かれることになったのです。
まず、メイリンお姉様が通し稽古を行うこと、そしてそれが何なのかをエリカ嬢に軽く伝えたのですが、そのあとのエリカ嬢の行動に私たち全員が大きく首を傾げました。
テーブルに置いた、台本。
彼女はそれを手に取って、始めのページを開いて持っていかなければなりませんでした。
けれど、エリカ嬢は台本にはもう一切近づくことなく、手ぶらで舞台へと上がったのです。
メイリンお姉様も流石にそれに気がついて、
「……エリカお姉様。台本は?」
とおっしゃったのですが、エリカ嬢は、
「もう覚えましたので、必要ないと思ったのですが……使った方がいいでしょうか?」
そう言ったのです。




