第37話 見えない真意
「……存じ上げております。特にわたくしは、同じ名前を持っておりますので……」
少しばかり視線を下げてそう言うと、ガレットは察したように深く頷く。
「名前が同じだからといって、恥に思うことはないよ。今のアルタスでは、エリカという名前が新たにつけられることは深い意味を持つだろうが……君くらいの年齢のであれば、生まれた当時、何らの他意もなくその名をつけられたことくらいはっきりしている。それでも肩身の狭い思いをしているご令嬢やご婦人たちはいるが……そんなのはくだらないことさ」
意外にもまともな感覚でそんなことを言うガレットに、わたくしは驚く。
いや……元々彼はその頭脳と魔力を認められた人だった。
少なくとも、ノドカが現れるまで、その人格に問題は感じられなかったのだ。
だから、ノドカの関わらないところでなら、常識的な思考をしているというのはおかしくはない……。
だからといって、恨みが軽減されるというわけでもないが。
せいぜい、普通に会話が出来る、というくらいだ。
わたくしはガレットに言う。
「くだらない、ですか? ですが、あの方は……死の間際に恐ろしい言葉を残していかれた方。そんな方と同じ名前というのは……」
「名前自体が何か力を持つわけではないよ。もちろん、魔術において《言葉》が重要な意味を持つことは当然だ。翻って、ものの名前というのも大事であることも間違いない。見えざる存在と契約するために、良き名が必要であることもね。ただ、過去の罪人と同じ名前だからと言って何か問題が生じるのであれば、そのうち人間につける名前などなくなってしまうよ。僕のガレット、という名前だって、過去の偉人の名前にも大罪人の名前にも記録されている名前さ。だけれど、精霊たちは僕と普通に契約してくれる……ほら」
ガレットはそう言って、自らの指先に魔力を集めた。
すると、それを花の蜜のように吸おうと集まってきた下級精霊たちが僅かに可視化する。 蝶の羽を背中につけた小人のような形をしている風霊や、透明な水でつくられた、人魚の人形のような水霊たちだ。
他にも精霊には色々な種類があるが、ガレットが得意とする属性はこの二つなのだろう。
ちなみにわたくしたち不死者がもっとも集めやすい精霊は死霊とか闇霊とかで、あまり可愛らしくはない。
風霊や水霊も集められはするのだが……。
「……ん? なんだか妙だね。どうも精霊たちが君に怯えているようだが……」
見れば、確かに風霊も水霊も、現れてわたくしに気付くと同時に、ガレットの人差し指に隠れるようにして震え始めた。
「……何故でしょう? わたくし、精霊たちに嫌われてしまったかしら?」
「うーん……どうだろうね。珍しいことだが、まぁ確かにないわけではない、かな。こういう場合は反対属性の精霊には凄く好かれるということも多いから、あんまり落ち込む必要はないよ。稀に、全ての属性の精霊に好かれる化け物がいるが……さっき話題に上がったエリカ嬢などその代表さ。だから、彼女と同じ名前であることはむしろ悪いことではないと僕は思うね」
「そうでしょうか……しかし、先ほどからガレット様はその……エリカ様のことを……」
「あぁ、評価している発言をしているね。不思議かい? 大罪人なのにと」
「……はい。わたくしの故郷……ラウルス領などの田舎であれば、エリカ様のお話など遠いところのことと、気にされない方が多いのですが、王都の方々は皆、あの方の死に際を、そして呪いを恐れておられます。良く言う方など、あまり出会ったことがないので、不思議で……」
全くないとまで言ってしまうと嘘になるのでそこまではいわない。
アリスにエフェス子爵、メアリたちなど、好意的な人たちがそれなりにいることはすでに分かっているからだ。
しかし、多くの王都民がエリカ・ウーライリを好ましく思っていないのも間違いない。
そして、ガレットはそんなわたくしを先頭に立って貶めた者の一人なのだ。
彼の評価は不思議を通り越して、気持ち悪いとまで言えた。
そんなわたくしの心情など知らずに、ガレットは言う。
「彼女は確かにノドカを陥れた大罪人だったかもしれないが……その能力については他の追随を許さなかったのは事実だ。公爵令嬢に相応しい教養、美貌、そして魔力量に魔術の腕もね。彼女が在学中に発表した論文の数を知っているかい? 専門的すぎて一般国民はまるで知りもしないが、百は優に超える。しかもそのいずれも、今のこの国アルタスにおいて活用されているものばかりの、有用なものだ。この学園の教授陣も、学生に教える教師としての役割はついでのようなもので、本職は研究者なのだが、その彼らが一生のうちに書ける論文の数がそれくらいだというのにね。まさしく化け物、才媛、そうとしか言えないのが彼女だ」
本当に高く評価してくれているらしい。
彼の言っていることは事実であった。
ただ、わたくしはそういう評価が得たくて頑張っていたのではなく、あくまでもアルタスのためにと考えて出来ることをしていただけ。
実際に、今のアルタスにおいても活用されているとなれば、あの頃のわたくしの思いは多少報われていると言っても良いのかも知れない。
ただ、今のわたくしにとって、それが意味のあることなのかといえば否だが。
わたくしは、もはやこの国を愛することは出来ないのだから。
「ガレット様は……彼女が死ぬべきではなかったとお考えですか?」
「難しい質問をするね。単純な国益を考えるのなら、そうだと言っておこう。また僕個人の思い……彼女が生きていたら、あれからどれだけの成果を出したのかを考えれば、やはり生かしておくべきだった。ただ……この国は、国王陛下の治める王国だ。すべては、王族の意向に従って動く……僕程度にどうこうできることではない。それに、彼女自身だけのことならともかく、彼女の家族……弟以外の者が汚職などに手を染めていたのではね。それを知っていて見逃していたのでは……」
言っていることは、かなりまともに聞こえた。
これが、初対面の令嬢に対する建前なのか、本気でそう思っていっているのかは、判然としない。
だが、とりあえず彼に聞ける話はこの辺りだろう、そう思ったわたくしは、
「……そうですか。お話は分かりました。わたくし、そろそろ演劇クラブに戻らなければ」
そう言って立ち上がると、ガレットは、
「おっと、引き留めて済まなかったね。君との会話は楽しかった。またいずれ会おう」
そう言って手を振ったので、わたくしも振り返す。
若干の腹立たしさを感じないでもなかったが……こればっかりは仕方が無い。
彼に報いを受けさせるのは、今ではないのだから。




