第4話 不死者の忠誠、令嬢の困惑
死霊大帝。
冥府の神だと言うが、わたくしは聞いたことがなかった。
というか、冥府の神というと……。
「ナト様ではないの?」
たしか、生きているときに学園でそう、学んだ。
冥府の神、ナト様。
人の死を司り、死した人を冥界へと誘い、そして新たな流れに乗せて送り出してくれるお方だと。
けれど、わたくしの言葉にアルは、
「人の世ではそのように呼ばれておりますね。あのお方には数多くの名がありますから……そのうちの一つ、とご理解いただければ」
どうも、異名のようなものらしい。
しかも、そのような存在がわたくしに加護をくれたという。
なぜだろう。
確かに、死に際に何者かの声が聞こえた。
力を与える、という声が。
あれが死霊大帝ナト様の声だということだろうか。
アルに尋ねると、彼は頷く。
「その通りでございます。かの方の声は、我々の耳にも届きました。ですが、その内容は、エリカ様の耳に語られたものとは、少々異なります」
「と、言うと、どういうことかしら……?」
「かの方は、我々には、このように語られました。"お前たち命なき者に、新たなる主が生まれる。死霊大帝が力をその身に受け、新しく不死者として生まれ変わるのは、高貴なる人族の少女だ。我は、かの者に、『死霊公女』の諡号を贈り、以後、不死者の主として仕えることを命ずる”と」
死霊公女。
また随分と大層な名を贈られたものである。
それが、その辺の教会の司祭から贈られたというのなら、適当にそこそこの忌み名を贈ったのだろうということになるだろう。
けれど、今回ばかりはそうは言えない。
冥府の神、自ら名付けたというのだから。
名乗るのはあまりにも恐れ多い。
しかし、名乗りたくないと言うのは不敬である。
こうなっては、アルが何かしら勘違いしてそんなことを言っている、という可能性にかけるしかない。
そう思って、わたくしは言う。
「……わたくしは、そんな大それた名前をいただけるようなことは何もしていないわ。そもそも……死霊大帝……ナト様がわたくしなどにまさかそんなことをおっしゃるだなんて……何かの勘違いではないのかしら……」
しかし、アルは首を振って、確信の籠もった声で言うのだ。
「いいえ。これは……なんと申しますか、実際に聞いていただければお分かりになる、としか申し上げられませんが、間違いのない事実です。エリカ様も、死に際にあの方の声はお聞きになったと推察いたしますが……?」
途中で言葉を切ったのは、あの声……わたくしが死に際に聞いた声が、一体どのように感じられたかと聞いているからだろう。
実際、思い出してみるに、かなり威厳のある声に聞こえたことは間違いない。
深い優しさ、慈しみ、そういうものも感じた。
それに加えて、この世の生き物には出しかねるような、超越した気配もあったような気がする……。
しかし、である。
それを認めてしまうと、あれは確かに神の声だったと納得しなければならなくなる。
そしてそうなると、わたくしは死霊公女、という名を新たに得たということになってしまう……。
それがいや、というわけではないが、そんな器ではないわたくしである。
果たして、そんな名をもらってもいいのだろうか、という気がしないでもなかった。
それに、死霊候という存在を下に置くというのも、許されないのではないかいう気もする。
だから、わたくしは、アルに言う。
「……死霊公女、と言うけれど、わたくしが仮に、その名を持っているとすれば、アル、あなたはわたくしに仕えなければならないのでしょう? それに、不死者たちも……」
「ええ。そうなりますが……はて、エリカ様はお嫌なのですか?」
アルは首を傾げる。
改めてそう聞かれると……別に、そんなことはなかった。
むしろ、わたくしにとって、それはとてもありがたいことだとすら思われる。
なぜなら、わたくしには、やりたいことがあるからだ。
それは、かつての故国、わたくしの故郷、あそこにいる、わたくしの、そしてわたくしの家族の敵。
彼らに、完膚無きまでの復讐をすると言うこと。
それこそが、わたくしがこの世に留まった理由、留まれた理由。
けれど、そんな、わたくしのひどく個人的な復讐に、何も関わりのない他人を巻き込んでしまっていいのか、という葛藤もあった。
わたくしの敵であるあの女や、王子殿下の周囲にいる人間ならともかく、アルや、不死者たちにとって、彼らは何の縁も縁もない者たちなのだ。
それを巻き込むことは、それこそ死者に対する冒涜なのではないか……。
そんなことを言うと、アルは笑って首を振った。
「そのようなことは、お気になさる必要はございません。わたくしは、あなたに仕える者。あなたが望むことなら、どんなことでもすることでしょう。不死者たちについても同様です。気になるのであれば、実際に尋ねていただければご納得いただけるでしょう」
一切の躊躇のない答えである。
あまりにもまっすぐで、わたくしはひどく狼狽した。
なぜ、と思わずにはいられなかったからだ。
「どうして……どうして、そこまで。わたくしはあなたに今日、はじめて会ったのよ。そんなわたくしに、なぜそれほどの忠誠を捧げてくださるの……」
「それは……」
「それは?」
「今は、秘密である、と申し上げておきましょう」
アルは、口元に指を当て、そう答えた。
これだけ引っ張っておきながら、それはない。
しかし、いくら尋ねても答えてくれなさそうな表情を、彼は今、している。
このような人物は、自ら話すまで待たない限りどうしようもないということを、わたくしは経験上、知っていた。
かつて公爵家にいた老齢の家宰が、まさにこのようなタイプであった。
だから、頭を押さえ、首を振って、彼に言う。
「……そのうち、話していただけるのよね?」
「ええ。おそらくは」
そう言って微笑んだアル。
わたくしは、じとっとした目を彼に向けることしかできなかった。
◆◇◆◇◆
「さて……話もまとまったところで、これからエリカ様に仕える者たちをご紹介してもよろしいでしょうか?」
アルがそう言ってわたくしを見た。
仕える、と言われると少し抵抗がある。
もちろん、わたくしは公爵令嬢として生きてきたのであるから、侍女や使用人がいることは普通だった。
だから、誰かに仕えられる、という状況には慣れている。
しかし、今わたくしのいる場所は、昔話や伝説に出てくる不思議な死者たちの居城"夜の城"であるし、アルはあの死霊候なのだ。
そんな存在に仕えられる、といわれても……というのが正直なところであった。
けれど、アルは意外と人の話を聞かないと言うか、自由に振る舞うタイプであるらしい。
そもそもが、死霊候という不死者の主なのだから当然といえば当然だが、それならわざわざわたくしに仕えずとも……と思わないでもない。
アルは、立ち上がり、振り返って、手を二度叩く。
「さぁ、お前たち。新たな主の誕生である! 今こそ、人に語られる、終わらない宴を開くときだ! 姿を現し、エリカ様にご挨拶をするのだ!」
そう言いながら。
それにしても、終わらない宴など開いていないのではなかったか。
そう突っ込む前に、アルの拍手の直後、大広間に突然、大量の何者かが気配もなく、闇とともに現れる。
先ほどまで、大広間は広いばかりで、寒々としており、蝋燭の光と冷たい花の香りだけが漂っている寂しい場所だった。
それなのに今や、沢山の魔物が犇めく驚くべき場所となっている。
不死者と呼ばれる魔物の多くが、今この場にいた。
しかも、不死者の展覧会といってもいいくらいに多くの種族がいる。
これほどの魔物が一同に会している、となれば、もしもかつてわたくしがいたアルタス王国であれば、国家の戦力の大半を派遣して討伐に動くことだろう。
それほどの数である。
それに加えておそろしいことに驚くべきは、数だけではないようであっる。
というのも、現れた魔物たち、彼ら一体一体を見ると、立ち上る魔力が普通ではないのだ。
相当高位の魔物たちばかりで、彼らがその気になれば、わたくしなど一瞬で死んでしまうことだろうと思わずにはいられない……いや、わたくしはもうすでに、死んでいたか。
目を見開きながら、現れた魔物たちを見ていたわたくしだが、彼らはそんなわたくしを確認すると同時に、ざっ、と音を立てて、一斉に膝をついた。
立っているのはアルだけであり、あぁ、死霊候である彼に、魔物たちは敬意を示してそうしたのだろう、と推測した。
しかし、その当の本人である死霊候は言うのだ。
「よう来たな、お前たち……わざわざ呼び立てて、申し訳なく思う。遠方から来た者もあろう。しかし、お前たちの骨折りを労う前に、これだけは尋ねなければならない。よいか……」
そう前置きを静かにし、注目を集める。
それから、
「お前たちの忠誠は、誰に捧げられている!?」
そう、叫んだ。
その声は、大広間中にびりびりと響くもので、またかなりの圧力を感じられるものだった。
やはり、彼こそが死霊候。
そう納得せずにはいられないほどの威圧感である。
彼にこそ、魔物たちは忠誠を捧げるのだと言われれば、それはそうだろう、と頷かざるを得ないとすら思った。
けれど、その直後に、
『我々の忠誠は、死霊公女エリカ様のために!!』
と、さらに上回る怒号が響いた。
それは、アルの声を数百倍しても足りない、鼓膜が破れるのではないかと思われるほどの音量で、わたくしは、淑女としてはあるまじきことだが、度肝を抜かれる、とはこういうことかと思ってしまった。
それに、内容が内容である。
忠誠が、死霊候にではなく、わたくしに捧げられているではないか。
強大な不死の魔物たちの忠誠が、ちっぽけな人族の不死者でしかない、わたくしに。
アルは、不死者たちはわたくしに従う、と言っていたが、とてもではないが信じられることではなかった。
しかし、実際にこれを聞いてしまうと……。
これは、実にたいへんなことだ。
わたくしの驚きを後目に、アルの声は、続く。
「エリカ様のご命令を、お前たちはどうする!?」
『存在を賭して、成し遂げる!!』
「エリカ様を害する者がいればどうする!?」
『何があろうと、滅ぼす!!』
「お前たちは誰のものだ!?」
『エリカ様! エリカ様のものだ!!』
そんな風に。
そこにはまさに狂信的としか言えないほどの忠誠が存在していた。
なぜ、これほどまでに……。
謎すぎるが、しかし、ありがたいことは間違いないのだ。
困惑を感じつつも、思った以上の力が手に入ったらしいことに、わたくしは喜びを感じた。
「……さて、ここでエリカ様より、お言葉を賜る。心して聞け!」
唐突にアルがそう言って、わたくしの方を見た。
何かを言え、ということらしい。
いきなり無茶振りすぎないだろうか。
数百の魔物たちの視線が、わたくしの方に向く。
ぎらぎらとしているが、不快なものではない。
かつて、生きていたときにこれほど多くの魔物の視線を向けられれば、恐怖で失禁していただろうという自信があるが、今はなぜか、恐ろしくはなかった。
何というのか、ちょうど、公爵家の庭で飼っていた、小さなグリフォンのことがふっと思い出された。
ペットなどとはどう考えても違うものだろうに。
不思議なことだ。
とはいえ、緊張はなく、わたくしは、巨大な椅子からゆっくりと降り、口を開く。
「みなさま。まずは……こんな風にわたくしの為に集まっていただき、本当にありがとうございます」
まず、そう言って頭を下げる。
礼は失してはいけないと、そう思ったからだ。
それはいいことだったのか、悪いことだったのかは分からないが、特に文句は出なかったので、わたくしは話を続けた。
「先ほどの叫びを、わたくしは、聞きました。とても力強く、わたくしは……心から勇気づけられました」
本当にそうだ。
彼らがいれば、わたくしはやれる。
望みを叶えられる。
わたくしはつづける。
力強く、胸に呪いの炎を燃やしながら。
それは、アルタスのあの者たちに対するもの。
いずれ、彼らを焼き尽くす炎。
「みなさんがご存じかどうかはわかりませんが、わたくしは、わたくしを殺した者たちに復讐をするつもりです。何を置いても、どんな方法を用いても。ですから、そのためにどうか、お力をお貸しいただけますよう、お願いいたします。残念ですが、わたくしは何も持っておりません。ですから、何も、報酬は出すことができません……けれど、わたくしに可能なことがあるならば、何でもすることでしょう。みなさま、わたくしの願いを、叶えていただけますか?」
そう言うと、一瞬の静寂が大広間を包み、そして、
『我らはエリカ様の願いのために! エリカ様! エリカ様!!』
と、怒号が上がり、魔物たち全員が、拳を振り上げて唱和した。
これは……納得してもらえたと考えてもいいのかしら……?
どうしたものか、悩んでいると、アルがわたくしを見て、静かにうなずく。
そして、唱和の声が静かになってきたところで、
「……では、これから宴を行う! 今日は楽しむがいい! これから、我々の"夜"が始まるのだからな!!」
そう言って、指を鳴らした。
すると、大広間全体に突然、テーブルや、トレイを持ったメイドたちが現れる。
テーブルには食事が、メイドたちのトレイには飲み物が乗せられているようで、これからまさにアルの言ったとおり、宴が始まるらしい。
しかし、魔物たちは動かない。
動かないで、わたくしを見ている。
……これは、なんでしょう。
なにか、求められている?
「……ええと、では、みなさま。どうか、今日という日を、お楽しみください。旅の疲れを癒し、英気を養ってくださればうれしいですわ!」
すると、魔物たちは再度、
『エリカ様! エリカ様!』
と何度か唱和して、それからやっとテーブルの食事や、メイドたちの飲み物を取り始めたのだった。
果たして、これでいいのだろうか……?
わたくしは、不安を感じずには、いられなかった。
皆のアイドル、エリカ様。
死霊候アルを初めとする不死者たちの頭にはエリカ様てんかん(三角鉢巻)が、
手には人魂サイリウムが、
中にはスケルトンの骨を骨格にしたエリカ様うちわを持っている者もいる。
気合いが入った者はもちろん、エリカ様白装束風ハッピを身にまとい、
さらにその下にはエリカ様限定Tシャツを着ている強者もいる。
最前列で全てを身にまとってロマンスを打っているのが死霊候アルだ。
なぜ、そんなに気合いが入っているか。
それは、今日こそが、人類初、死を乗り越えた超絶死霊アイドル、
死霊公女エリカ様のデビューイベント、
『死んだ皆とご飯を食べよう~死の先に見えたのはおいしいご飯でした~』
だからだ。
事前抽選でプラチナチケットを引き当てた不死者たちは、
今日から終わらない宴を続けるだろう。
エリカ様引退のその日まで……。
冗談です。
ごめんなさい。