第33話 久しぶりの学園
「……わたくしが学園にこんなに堂々と入ってもいいのかしら?」
首を傾げつつ、二年半ぶりにその敷地に足を踏み入れたわたくしである。
先導するのは、我らが演劇クラブ部長たる、メイリンだ。
勿論、フーリとメアリもいる。
先日のお茶会で、わたくしは結局、彼女たちの提案を呑んだ。
独断ではなく、一度話を持ち帰って、ルサルカと改めて相談してのことである。
別に断っても良かったのだが、メアリたちの話によれば、公演は学園内で行われるらしく、二年半も経って、わたくしが糾弾された現場であるここはどうなっているのか、改めて見に行きたくなったのだ。
公演本番のみならず、練習の段階で入ってもらう、と言われたので余計に。
しかし、もうすでにこの学園の生徒ではないわたくしである。
こんな風にすんなりと中に入れてもいいものか、少し困惑があった。
しかしこれにメイリンが言う。
「問題ありませんわ、お姉様。先ほどお渡しした、来客用の徽章が、学園に張り巡らされた結界を素通りする権限を与えておりますので」
「……これね」
昔もあったな、と思いながら、ドレスの胸元に光る小指大の金色の徽章を見る。
この学園は平民のみならず、貴族の子女までもが通い、さらにはときには王族すらも来ることのある、この国にとって非常に重要な場所だ。
したがって、その防護はとてつもなく厳しく、余人が入り込めるような隙間は本来、存在しない。
もし入ろうとしても、高名な魔術師たちが張った結界によって、侵入を阻まれる。
入ることが出来るのは、学園生徒や関係者だけ……。
何故、学園生徒が入れるかと言えば、結界を素通りできる魔道具を持っているからである。
ただ、学園には当然、頻繁に来客があり、その際に結界があるので中には入れません、と言うわけにはいかない。
そのため、来客用に時間を区切った形で発動する魔道具が渡されるのである。
それが、わたくしがメイリンに渡された徽章なのだが、わたくしが困惑しているのはこれを渡されたことそのことにではない。
そうではなく、結界を通過するためには必須である魔道具であるはずの徽章が、全く発動している気配がないにもかかわらず、わたくしが結界を素通りできてしまったことだ。
つまりわたくしは、この徽章がなくとも、普通に、誰にも気付かれず、この学園に侵入することが出来る。
そういうことなのだ。
思えば、王都に入る際にも、不死者には結界の類いは全くの無反応だった。
わたくしたち不死者には、そういうものは効果を為さない、というのはそのときルサルカに聞いたが、個人を識別して通すか通さないかを判断するなど、おそらく精密性では王都を覆う結界を上回る性能を持つ学園の結界すらもこういうことになったのは、やはり改めて驚かざるを得ない。
どこまでの結界をわたくしたちは素通りできるのか。
そのうちルサルカに改めて尋ねてみようと思ったわたくしだった。
「そちらの徽章は毎回、ここに入る毎に新しいものと交換しなければなりませんので、ご注意下さいませ、お姉様」
「ええ、分かったわ。でも、こういう手続きに慣れているのね、メイリン」
来客が頻繁に来る、と言っても学園内でその案内をするのは生徒ではなく教師や事務員である。
そのため、メイリンの慣れきった様子は意外だった。
これにメイリンは言う。
「演劇クラブの公演は毎年のことですから。今回はお姉様に出演をお願いいたしましたが、毎年、様々な外部の方に入って貰う関係で、手続きにも慣れているのです」
「それは……危険ではないの?」
この時期の演劇部に近づいて、うまく取り入れば、学園内に入ることも容易なように聞こえるからだ。
しかしこれにはメイリンは首を横に振った。
「徽章をお渡しする予定の方については学園の方で厳しい調査が入りますので、そのようなことは決して……。お姉様についても、申請した後、それがなされました。誠に申し訳ないのですが、その結果の一部はわたくしたちにも知らされておりまして……」
「そうなの?」
一切そんなことされた覚えはない。
少なくとも、周囲を誰かが見張っていたということはなかった。
にもかかわらず、その調査とやらまですり抜けたのは……。
まぁ、ルサルカたちがどうにかしたということだろう。
改めて、彼女たちの力の大きさを理解する。
何があっても、彼女たちはそれを軽く撥ね除ける、わたくしに広く平坦な道を用意してくれるのだろう。
目的まで一直線に続く道を。
ただ、そんなことは一切知らないメイリンたちである。
フーリがわたくしに言う。
「お姉様は、ご自身でラウルス男爵家はあまり大きくないお家だから、とおっしゃいましたが、とんでもないことでございましたわっ! カタラ伯爵家と比べればもちろん、カタラ伯爵家に軍配は上がりますけれど……ですが、辺境に領地をお持ちなのに、その産業や税収は公爵家にも匹敵するほどで……。どうして今まで知らなかったのかと不勉強を恥じる思いですっ!」
それは驚くべき話だった。
ラウルス男爵家はルサルカが今回のために用意した偽りの家だったのではないか……。
それなのに何故そのようなことになっているのか。
……いや、元々あった家を、今回のために流用したということだろう。
流石にそれだけの規模の家を、ある日突然作り出してしまっては怪しまれる。
ただ、フーリという歴とした貴族令嬢の記憶にも残っていない家であるのにそれだけの規模の領地を持っているというのは……何らかの方法で、人間の記憶に残らないように細工してきたのだろうと思う。
カタラ伯爵とその夫人の記憶についてもいじくり回して残さない人たちだ。
家一つについてもそれくらいのことは出来るのだろうともはや疑いもない。
ただ、ここで急に知らされるのではなく、ルサルカに直接聞いておきたかったが……。
ともあれ、わたくしは驚きを表に出さずにフーリに言う。
「……田舎貴族ですので、王都に住むご令嬢たちには面白い場所ではなかったからでしょう。王都の貴族の方々にとっても取るに足らない家ですから……」
「お姉様ったらご謙遜を。でも、私の家も領地は王都から遠く離れていますの。ちょうど、ラウルス男爵領とは反対側で……。ですけど、お姉様のお家ほど栄えていなくて、見習いたいですわ。いずれ、見学に参らせて頂きたいですっ!」
可愛らしくそんなことを言われたので、わたくしはつい、
「では、今度わたくしの家にご招待しますね。長いお休みの時など……」
と、社交辞令気味に言ったつもりだったのだが、フーリは、
「今度、夏休みがありますので、そのときにぜひっ! メイリンお姉様も、メアリお姉様も一緒になんて、いかがですかっ!?」
と無邪気に返してきた。
これには流石にメイリンとメアリも顔を見合わせたが、一瞬わたくしの方を見て、行けるなら行きたい、という表情をしたので、仕方なくわたくしは頷き、
「では、お三方を学園の夏休みに、ぜひ我が家にご招待させて頂きますわね。あとで人を行かせますので、予定を伝えて頂ければと」
勝手に決めてしまったが、もうここまで来たらルサルカに丸投げでいいだろう。
わたくしにかなりの規模の家をおもちゃとしていきなり渡したのだ。
これくらいのことは想定内だろう。
と、一種意地悪な気持ちが一瞬湧いてきたが……すぐに、実際に本当に想定内なのだろうな、と思って、わたくしは少しだけ、ため息を吐いたのだった。




