第3話 少女と死霊侯
ぼんやりとした意識が徐々に結ばれたのを感じ、わたくしはゆっくりと目を開いた。
そう、目を開いたのだ。
これは、とてもおかしなことだ。
なぜなら、わたくしは確かに死んだはずだから……。
記憶違いでなければ、断頭台の上で首を飛ばされ、さらにはその首をすら、兵士たちの槍によって潰された。
そのはずだ。
にもかかわらず、今のわたくしには明確な意識があり、そして当然ながら、視覚も存在している。
これを奇妙と言わずに、何と言うのだろう。
「ええと……ここは、お城……なのかしら?」
目に入る限りの景色を見て判断すると、そういうことになる。
頑丈そうな、けれど年季が入って黒ずんだ石が敷き詰められて形成されている大広間にわたくしはいるようだった。
明かりと言えば、ぽつぽつと点る蝋燭の光のみで、何か陰気だ。
空気も湿っているような、重いような、不思議な感触がする。
ただ、殺風景、というほどでもなく、ところどころに花束が飾られていて、静かな中にも華やかさが感じられた。
しかし、その花束をよくよく観察してみれば、どれもあまり縁起の良いものではない。
黒や、藍色、灰色と言った、お葬式などの忌み事の際に好まれて飾られる花ばかりなのである。
誰かがお亡くなりになられたのだろうか?
もちろん、言うまでもなく、わたくしは死んだのだが、わたくしのお葬式のため、ということはないだろう。
ふつう、自分のお葬式を自分の目で見ることなどできるはずがないのだから。
そこまで考えて、わたくしは、ふっと気づいた。
わたくしの目の前に、誰かがいる、ということに。
今までそれに気づかなかったのは、わたくしの不注意と言うよりも、その人物がわたくしよりもかなり低い位置にいるためだ。
改めて、自分のいる位置を確認してみると、どうやらわたくしは、この大広間の中、一段高い位置にある石造りの、精緻な彫刻の施された芸術的かつ巨大な椅子の上に座っているようであった。
そこから見る景色は高く、低いところ、特に近場の景色は視界から自動的に外れてしまっていたようだ。
そういうわけで、件の人物は、わたくしよりもかなり低い位置にいて、視線を下げなければ確認できない。
しかも、跪いており、わたくしからはその顔形は見えなかった。
ただ、その頭髪が灰色であること、体型は細身であり、真っ黒な服を身に纏っていること、そしておそらくは老齢の男であろうことだけは理解できた。
跪き方に気品が感じられ、決して身分の低いものではないと推察される。
しかし、一体どういう人物なのかは見当もつかなかった。
唐突に目に入ったその人物に、危険かもしれない、とは思わないでもなかったけれど、辺りを見る限り、この場において、わたくしにこの状況について、少しでも説明できそうな人物は彼しか見あたらなかった。
仕方なくわたくしは口を開く。
「……あの」
すると、その人物は、
「……は。なんでございましょう。なんなりとお申し付けくださいませ」
と頭を下げたまま言った。
その様子は恐ろしく遜ったもので、まるで使用人か何かのようであり、わたくしは首を傾げる。
というのも、わたくしはすでに死んだ身。
かつては確かに公爵家の令嬢、という身の上だったが、死後の世界においてそのような現世の身分が作用するはずもない。
元々いた使用人だって、すでに処刑されたか、兄のもとに残ったか、暇を出されているかのどれかであるはずだ。
だから、おそらくは死者の世界であるこの場において、わたくしに仕える使用人など、一人たりともいるはずがないというのが当然の帰結だった。
だから、わたくしは控えめに、彼に向かって言う。
「あの……なにか勘違いをなさっているようですけれど、わたくしは現世においては公爵の娘でしたが、この世界においては一人の死者にすぎないのです。どうか、お顔をあげていただけないでしょうか……?」
けれど、その男は、控えめな、けれどはっきりとした意志の込められた声で、首を振りながら言うのだ。
「……何も勘違いなどしておりません。あなたさまは、エリカ・ウーライリ様。偽りの罪を着せられ、人族の王族に処刑され、首を飛ばされた方。そして、死の間際において、恐るべき器を見せられ、そして、あのお方の加護を受け、この世に留まったお方……」
その返答で、どんな事情なのかは分からないが、わたくしの身に起こったことの大まかな部分を、目の前の男が知っていることが分かった。
そしてどうやら、その上で、わたくしに傅いているらしいとも。
そんなことをして、一体どのような意味や利益があるのかは分からなかった。
けれど、それならそれで、と都合のいいことを考え、わたくしは情報を得るべく彼に必要な質問をすることにした。
「……どうしてなのか分からないけれど、すべてご存じなのね」
「すべては知りませぬ。ただ、あなた様が、神を除く誰よりも尊い方だということだけ、知っております」
「……それは……それこそ気のせいよ。わたくしに尊いところなど、なにもないの。だから、そんなことは言わないで?」
最終的に死に至った経緯、あまりにもお粗末だった自分の振る舞いを考えるに、わたくしは自身が尊いなどとはまったく思えない。
むしろ、あんなことをすべて知られているというのは、どこかに穴が入ったら入りたいという気持ちだった。
だからこそ、せめてものお願いのつもりだったが、男はしばらくの無言の葛藤の上、微妙な表情で頷き、のどから絞り出すように肯定して、それから話を切り替えた。
「……では、そのように。何かお聞きになりたいことが?」
「ええ、そうね……まず、一番大切なことなのだけど、わたくしは、死んだ、のよね?」
それは、他の何をおいても聞かなければならない、重要な質問だった。
未だに実感はないけれど、わたくしは確かに死んだはずである。
首を飛ばされ、そして空中を飛んだ記憶すらあるのだ。
夢でないなら、絶対に、死んだはずだ。
男は、通常であれば何を言っているのかと馬鹿にされかねない、おかしな質問に、まじめな表情で答えた。
「おっしゃるとおりでございます。エリカ様。あなた様は、先ほども申し上げましたとおり、冤罪を着せられ、その罪の故にアルタスの王族に極刑を言い渡され、殺されました。そのお首はお体から離れ、空中を七度回り、そして呪詛の言葉を叫びながら転がり、絶えたと、アルタス王国では専らの評判でございます」
「……評判……」
死んだ、という事実をこうして客観的に他人の口から聞くのはショックだったが、それ以上にわたくしの死に際の様子がひどかった。
自分のやったこととは言え、悪夢の具現化そのものとしか言えないような、壮絶な死に際である。
伝説や昔話で聞いた、首だけの状態になっても尚、呪詛の言葉を口にする悪魔や魔女たちに、まさか自分が並ぶとは思ってもみなかった。
しかも、それが評判……。
どういう評判なのだろう。
気になって尋ねてみると、男は、
「……アルタスの国は呪われた。あそこまでの憎しみを首だけになっても表す魔女を、このようなさらし者として処刑したのでは、アルタスの国も長くない、と。だいたいそのようなお話が広まっております」
それは、最後に観客たちが呟いていた台詞から、推測できる話だ。
しかし、そんな噂話をそのまま放っておく程、あの国の王族たちは無能ではあるまい。
「あの国は、何か対策はとっているのかしら?」
「エリカ様の魂を鎮めるため、という名目で王族一同が何度か教会に足を運んで祈っているようですな。もちろん、何の効果もないパフォーマンスに過ぎませんが、民衆たちはそれで一応満足しているようです」
まぁ、そんなものだろう。
そして、年月が過ぎ去るに連れて風化していくのだろう。
人の死というものは、実際に目の前で見ると衝撃的なものだが、ある程度の月日が経てば、それでも自然と忘れていってしまうものだ。
わたくしの死が、どれほどの衝撃をアルタスの民に残したとて、王族がそのようにしてわたくしの魂を鎮めていると宣伝し、毎年墓参でもすれば数年で終わってしまう。
わたくしの死など、その程度のものにすぎない。
「腹が立つわね……」
あれだけのことをしておいて、人に冤罪を擦り付けておいて、最終的には何もなかったと、小さな事件だったということにするつもりなのだ。あの国は。
わたくしのお腹が熱くなるのも当然の話である。
そんなわたくしの気持ちを察してか、同調するように、男も言った。
「全くです。このようなことがまかり通ることなど許されたものではございません。エリカ様がお望みなら、今すぐにでも我々がアルタスに参り、国ごと、滅ぼして参りますが、いかがでしょう?」
最初の方は、あぁ、そう思ってくれるのか、優しい人なのね、で済んだ。
けれど後の方に行くに連れ、それも怪しくなった。
国ごと、滅ぼすと?
そんなこと可能なのか。
そもそも、この男は一体誰なのか。
聞いていないことを思い出し、尋ねる。
「……その前に、聞いていなかったわね。改めてお尋ねするわ。あなたは、一体、何者かしら?」
「あぁ、申し訳ございません。未だに名乗っておりませんでしたな。改めまして……私は、ここ、"夜の城"の城主でございました、死霊候、アル・ターリアーと申します。以後、エリカ様にお仕え致します第一の家臣を名乗らせていただきますので、お見知り置きを」
とんでもない、自己紹介をされた。
正直言って、長年淑女として鍛錬してきた身としてはあるまじきことに、口がこれでもかというぐらい、あんぐりと開いたほどである。
……とは言え、まずは、情報を整理しなければならない。
わたくしは、目の前の男に尋ねる。
「ええと……少し、驚いてしまったのだけれど、夜の城と言うのは……わたくしの記憶違いでなければ、アルタス王国の南西部に位置する"見捨てられた土地"の奥にあると言う、古いお城のことよね? たしか……そう、死霊たちが終わらない宴を開いていると噂の……」
言いながら、なるほどと思った。
わたくしは死んでいるのだから、そういうところにいるというのも納得である。
男は、わたくしの質問に頷く。
「その通りでございます。厳密に申し上げるならば、終わらない宴などは特に開いておらず、静かに暮らしておりますが、位置についてはおっしゃるとおりです」
「そして、あなたが死霊侯……?」
それは、魔物の中でも最も恐ろしいといわれる、"不死者"を束ねる者の異名であるはずだった。
不死者であるが故に寿命はなく、すでに死んでいるがために武器は通用せず、膨大な魔力を持つが故に魔術は通じない。
多くの不死者を自由にできるためにその軍勢に限りはなく、死者が増えるごとに、かの者の指揮できる兵士は増えていくという。
かつて多くの武芸者や魔術師が討伐に挑んだと言うが、そのすべてが完全なる敗北で終わったとも。
今では、死霊侯には触れてはならぬとまで言われる伝説的な存在。
それが、目の前にいるこの、静かな男だと言うのか。
しかし、わたくしが尋ねたそんな疑問を男はさらりと流して、
「お恥ずかしながら、そうでございます。しかし、私は世間で言われているような大層なものではなく、ただ、死者の眠りを妨げる者を排除しているだけでございます。私の方から打って出たことはなく、ただ、この城と、その周囲のわずかな土地だけを守って参りました」
それは、確かな歴史的事実だった。
死霊侯は領地から出てこないと言われている。
つつかなければ、むしろかなり安全な存在であり、だからこそ触らぬ神にたたりなし、という扱いを受けていたのだ。
しかし、だからといって、目の前にいて安心できるかと言われると別だ。
それに、そんな彼が、先ほど極めて奇妙なことを言っていた。
たしか、わたくしに仕えるとかなんとか……。
混乱しつつも、考えながら、わたくしは話を続ける。
「……そうなのですか。それは、素晴らしいことです。確かに、命を失った者には、静かに眠る権利が与えられてしかるべきですもの。それを守るあなたは、高潔な方なのでしょう。今まで、死霊侯というものを誤解しておりました。申し訳ありません」
「……いえ、そんな、頭をお上げください……!」
恐縮するように言われ、わたくしは頭を上げた。
なぜなのかはわからないが、死霊候を名乗るこの男には、わたくしにはばかるものがあるらしかった。
よく、わからない……。
わたくしは、それを理解しようと、質問を重ねる。
「分かりました……けれど、お尋ねしますが、わたくしにその、静かに眠る権利が与えられなかったのは一体どうしてなのでしょう……? これから、死者を統べるというあなたがそれを与えてくれるのですか?」
葬儀、というものには地域によっていろいろあり、死者をもっとも高位において、盛大に送る、というものもある。
したがって、死霊候の言う、わたくしに仕える、とは一時そのように祭祀上扱う、とかそういう意味であり、これから死霊候である彼が、わたくしを死者の国へと送る儀式のようなものをやってくれるのかもしれない、とふと閃いてそう聞いてみたのだ。
むしろ、そうであってほしい、と思った。
けれど彼は、
「いいえ。エリカ様。あなたさまは、死者に与えられた権利を自ら放棄され、この世に留まることを選択なされました。それは生者にとってはとても邪であると同時に、我々死者にとってはとても尊いことにございます。死者生者数多くおりますが、この数千年、そのようなことが出来た者は一人もおりません」
「……あなたは? 死霊として現世をさまよっているのでは……?」
「わたくしは、二千年ほど前に命を失いましたが、ただ、何も決めることが出来ずにこの世に留まっていたにすぎません。長い年月をふわふわと霊体として、意識もなくさまよい続けた結果、偶然、自己意識を取り戻しただけでございます。それに比べ、エリカ様は、意志のみならず、肉体すら保持した形で現世に留まっておられます。これは、奇跡としか言いようがありませぬ。ですから、我々は、あなたさまに永遠の忠誠を誓うのです。永遠の、忠誠を……」
死に際を思い出すに、あのときのわたくしにそんな意識など全くなかったように思うが、よくよく考えてみれば、確かに、死に際にはっきりと、復讐がしたいと、首だけで叫んでいる。
あれは、この世から消えたくないと、何が何でも留まって目的を遂げるのだという、そういう宣言だったと言えなくもない。
もし、死に際にあのような荒行をしなければこの世に留まることは本来出来ないのだと言われると、確かにどれだけ長い年月が経とうともそのような存在が現れないというのは分からないではなかった。
あんな奇特なことをするほど憎しみを募らせるほど、人間というのは心が闇に傾いていないだろうし、肺がないのに叫べるような、意味の分からないことを可能にする技術などそうそうない。
わたくしにできたのは、間違いなく奇跡の類だ。
つまり、あんな風に叫べたことは、わたくしの力ではなく、ただ憎しみのみがそうさせたので、特にすごいこともないような気もするのだが……。
そう言うと、死霊候アルは微笑み、
「知らぬは本人ばかりなり、というところでしょうか……。いえ、あなたは偉業を達成されたのです。ですから、冥府の神である死霊大帝はあなた様に、直接加護を与えられたのです」
そう言った。