第19話 ジュリアンとの対話
「……確かに、君だ。あの頃と何も変わらない……でも、どうして? 君は確かに……死んだはずだ。僕はそれを間違いなく確認した。それなのに……」
一通り、アリスを抱きしめ、その存在を確かめたところで改めて疑問が浮かんできたのか、ジュリアンは心底不思議そうにそう呟いた。
それも当然だろう。
彼の言うとおり、アリスは確かに一度死んでいるのだから。
当たり前の話だが、普通、死んだ人は戻ってこない。
例外は不死者になることであるが、その場合、今のアリスのようになることはまず、ない。
不死者になったものは、生きているときとはまるで異なる、人間の敵、亡者として蘇り、そして人を襲い始めるのが通常だからだ。
《夜の城》に集っていた者たちはそうではなかったし、わたくしの後ろに控えるルサルカはどう見ても人間のようにしか見えないが、それはかなりの例外だ。
そして、彼女たちも厳密に言うのなら、正しく戻ってきたわけではないのだと言う。
何かが欠落し、もしくは全てを失って現世を彷徨い歩く亡者。
その本質には何も異なることがないのだと。
人と変わらないように見えるのは、あくまでもただの擬態に過ぎないのだと。
そしてだからこそ、ほぼ何も失わずに不死者になったわたくしを畏れ敬うのだと、そう言っていた。
わたくしにはそれの何が特別なことなのか自覚はないので、彼らの畏敬の念を受けることについて申し訳ない気分がある。
ただ……今はそれについては気にしないことにしている。
わたくしがこうしてこの世に存在し続ける目的、復讐のなされるそのときまでは、彼らの力が必要なのだから。
「……ジュリアン。私は確かに死んだわ。これ以上ないくらい、完全にね。でも……エリカお姉様が私を救ってくれたの。こうして……体すら失った私に」
アリスはそう言って、ローブを脱ぎ落とし、それから自らの肉にかかった《固定化》の術を解き、透けさせた。
透明な体の奥に、生々しい骸骨姿が浮き出てくる。
それを見たジュリアンは絶句した。
「君は……そうか。不死者として戻ってきたのか! ならばやっぱり、僕を喰らいに……? いや、それにしてはあまりにも……」
「落ち着いて。ジュリアン。私は別に貴方を食べたりしないし、意識も前と変わらないわ。我を失ったりすることも、ない。ただ、記憶に欠けがあったりするのは確かだけれど……こればっかりはね。仕方が無いらしいの」
「一体どうしてそんなことに……いや、先ほど、エリカと言っていたな……そのエリカとは……二年前に冤罪によって殺された、あのエリカ嬢のことかい? 君の親友の……?」
「そうよ……私がこうして戻ってきたように、お姉様も、戻ってきた。ほら」
そうしてアリスは後ろを振り返り、わたくしの方を見た。
ジュリアンもまた、アリスに促され、わたくしを見て、そして首を傾げる。
「……君は……君が、あのエリカ嬢? おかしいな……そんな容姿ではなかったと記憶しているのだが……」
「あぁ、なるほど。確かにそうですわね。わたくしは今、姿を変えております。この王都をわたくしが、わたくしの姿で歩き回れば驚いて気絶する人が大勢現れるでしょう? ですからそれを避けるために」
「姿を変える……そんなことが出来るのかい? もちろん、魔術でものの姿を変えることは出来なくはないのは知っているが、それほど長くは続かないものばかりのはずだ。それに、魔術の心得が多少あるものから見れば、違和感も大きい。僕もそれなりに魔術は使えるが……今の君の姿に不自然なところは何一つない……」
確かに、一般的な常識から言えばその通りだ。
けれどわたくしは、その常識から逸脱した存在たちに魔術を学んでいるのだ。
わたくしはその証拠にと、自らの身にかかった変化の魔術を解き、本来の姿を見せる。
ジュリアンはそれを見て、目を見開き、
「……そう、これだ。この姿こそが……あの処刑台で確かに見た、エリカ嬢……! 本当に戻ってきたのか……!」
「あのショーを、貴方も見ていらしたの? 恥ずかしいですわ……」
本当にそう思う。
自分のやらかしたことを思えば、あれを実際に見た人間と話すなど……。
しかし、結構な人数が集まっていたから、王都にいればそれなりにそういう人間にも出会すだろう。
多分、街を歩いているときにもすれ違っていたはずだ。
ただ、あのときのことはこの国にとって呪いであり、まず自分から話題にする人間がいないために、誰がそうであるのかまるで分からないだけで。
それでも、あの女があの場にいたことだけはわたくしの脳裏に強烈に焼き付いているが。
絶対に忘れることは出来ない。
では、あの女以外の見物人たちについて、今わたくしがどう思っているのかについては、それほど気にはしていない、というのが正直なところだった。
もちろん、熱の籠もった視線で、わたくしの処刑を楽しんでいた者たち、彼らについては強烈な憎しみを感じる。
しかし、そうではない思いであれを見ていた者もいただろう。
たとえば、アリスもそうであっただろうし、アデライードもおそらくそうだっただろう。
それに、今目の前にいるジュリアンだとて同様だ。
彼は言った。
冤罪によって殺された、と。
つまり彼は信じていないのだ。
わたくしが、あの女を害そうとしたなどという与太話は。
だから、ジュリアンに対して思うのは……自分が、淑女にあるまじき激昂を大勢の見物人に、はしたなく見せつけた、という恥ずかしさだけ。
そんなわたくしに、ジュリアンは少し苦笑して言う。
「恥ずかしいなど……まさか、自らの処刑を見られたことについて、そんな風に言う人間がいるとは思わなかった。いや……そもそも処刑された人間と会話する機会なんてこれが初めてなのだが……そもそも、なぜ君は帰ってくることが出来た? あのとき、首だけで言ったように、この国を呪ったからかな? しかし、それにしてはこの二年、この国は多少の陰りはあるとはいえ、それなりに平穏だったが……」
「わたくしがこうしてここにいるのは、お察しの通り、あのとき、この国を呪ったからです。そしてそのことを神が見ておられ、わたくしに《機会》を与えてくださったからですわ」
「……何の《機会》を?」
「もちろん、復讐の。わたくしを陥れた全て。それらに対する復讐の機会を」
言いながら、これはジュリアンにとって受け入れがたい話かもしれない、と思った。
彼は生者であり、そしてこの国に住まう貴族だ。
国がなくなれば当然困る人間であり、だからこそ、国を崩壊させることすら望んでいるような言動をするわたくしの存在を受け入れるのは難しいだろうと。
実際にそこまでのことまでするかどうかはまだはっきりとは決めていない。
もちろん、わたくしを陥れたあの女、それに周囲の人間については間違いなく、復讐をする。
だが、他の、それこそ普通に生きている人々については……。
まだ決めかねているのだ。
ただ、それについては、ジュリアンには特に言わなかった。
わたくしの決意を示すために。
そんなわたくしの言葉を聞いたジュリアンは、真剣な目でわたくしを見つめ、それから少し考えて言った。
「……そうか。分かった」
そんなことを。
わたくしはその答えに不思議に思い、尋ねる。
「随分あっさりと受け入れますのね? わたくしを滅しようとされなくてよろしいのですか? わたくしは、この国にとって大きな害となりますよ」
「はは……それを自分で言う君は、死人になっても中々面白い人のようだ。出来ることなら、生きているときに会いたかったものだが……」
「それはもはや、永遠に叶わない願いです」
「の、ようだね……残念だ。ところで、君のようなものを受け入れて良いのかという話だが……僕はね。そもそも、もうこの国に愛着などないのだ。僕の最も愛する人を奪ったこの国を、さらにその親友まで冤罪で貶めたこの国を、どうして大事に思える? 滅ぼすというのなら滅ぼせばいいとすら僕は思うよ。ただ、僕とアリスの子ども……フィラスと、それに母やその周囲の人々については……出来ることなら、助けて欲しい。それさえどうにかなるのならば、僕自身は君たちの仲間入りをすることも吝かではないくらいさ……」




