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第2話 思い出す学園、死までの道のり、そして死んだあと……

 水の中に静かに浮かんでいるかのような、ゆったりとした感覚が体を包んでいた。


 何かをしよう、などという思いは全く浮かんでこない。


 このまま、ずっとこうしていられるのなら、それが一番いい。


 そんな、穏やかな気持ちが胸一杯に広がっていた。


 思えば、生きているときは随分と堅苦しく生活していたものだった。

 貴族に生まれた者としての義務に誠実にあろうと、礼儀作法や教養を完璧に身につけるべく、分刻みの生活に文句一つ言わずに毎日暮らした。

 高い地位に生まれた者には、それに見合った責任があり、公爵令嬢という地位に生まれたわたくしは、当然、そのためにすべてを捧げなければならないと考えていた。


 王都魔術学園に入学してからもその思いは変わらずに、そしてそれはわたくし以外の他の令嬢にとっても当てはまることと考え、彼女たちにもそれを求めた。

 貴族に生まれ、民たちとは全く異なる豪奢で、経済的に何不自由することのない生活をわたくしたちが送れるのは、あくまでも、その義務を果たすための対価であると。

 貴族令嬢たるもの、その有り様の一挙手一投足がこの国の民のためにあることを自覚し、そのために生きるべきであると。


 それはつまり、国を富ませるということ。

 国を豊かに、そして生活しやすくするために、ありとあらゆる行動をすることがわたくしたちには求められているのだ。

 地位に上下があるのは、国の運営のためにその方が都合がよいからであり、実際に人の価値に上下があるわけではない。

 人の価値ではなく、あくまで地位の価値に上下があるだけだ。

 だから、わたくし個人には何の価値もなく、それは他の令嬢も同じこと。

 ただ、公爵令嬢であるという地位に価値があるだけで、そこに座るのがわたくしであろうと、他の誰であろうと、構わないのだ。

 だからこそ、わたくしたちは、貴族は、忘れてはならない。

 わたくしたちには、本来何の自由もなく、ただ一つの目的のためだけに、民の幸せのために生きているのだと言うことを。


 わたくしは、そのように生きるということは貴族として当然であり、他の貴族の方たちも口にはせずとも理解していることと、小さな頃は信じていた。

 今思えば、それはまったく小さな子供の夢でしかなかった。

 当然、成長していくにしたがって、必ずしもそうではない、ということに気づいた。

 少なからず、わたくしのように考えている方もいらっしゃったが、そうではない人々を探す方がたやすく、そして彼らは民を、自分と同じ人であるとは考えてはいなかった。

 彼らは平民たちのことを、あくまで富を自分に運んでくる家畜かなにかのように考えており、そしてそのことについて、自らが貴族である以上当然であると、そのように思っているようだった。

 小さな頃のわたくしは正義感に満ちていた。

 だから、そういった人々の持つ意識は明確に間違いであると思い、わたくしはお父様やお母様に尋ねたこともあった。

 すると、お二人はおっしゃった。


「エリカ。人は弱いもの。地位や富、権力に負け、本来の有り様を忘れて生きることは珍しくないのだよ。けれど、君はそうはならないでくれ。いつでも人のことを考えられる、正しい貴族として、生きてほしい」


「エリカ。人は弱いもの。目に見える宝物に手を伸ばして、心が空っぽになってしまうことはけっして珍しくないのよ。けれど、あなたはそうではないわ。目には見えないけれど、たいせつなものがあることに、あなたは気づいている。これからもそのことを忘れないで、正しい淑女として、生きなさい」


 わたくしは、死のその瞬間まで、そのお二人の言葉を忘れずに生きた。

 貴族として、淑女として、立派にあろうと、そう思って。

 たとえ他人がそうは思っていないのだとしても。


 殿下との婚約もそういった意識が大きく作用したことは言うまでもない。

 わたくしは、おそらくは一般的な意味では、殿下を愛してはいなかった。

 見目麗しい方だとは思っていたけれど、それだけだった。

 けれど、殿下はいずれ国王になられるお方。

 いずれ国のために身を捧げ、生きることを宿命づけられた方だ。

 わたくしは、そういう方を支えて生きる義務を生まれたときから与えられてきたもの。

 だから、婚約することに否やはなかった。

 それに、殿下は、わたくしが見る限り、地位や権力に負け、本来の生き方を忘れているようにも、目に見えないたいせつなものを見失っているようにも見えなかった。

 彼は、民のことを考え、また自らが王になったときの責務を自覚して生きているように見えた。

 だからこそ、このような方のもとに行くことは決して不幸ではない。

 恋愛の上で人が異性に抱くような愛はなくとも、同じ志を持つものとして、お互いを慈しみあいながら生きていけるだろうと、そう思っていた。

 その意味で、わたくしはたしかに、彼を愛していた。


 けれど、その感覚はあの女が現れてから、あやしくなってしまった。

 殿下のかつての高潔さ、目の光は、あの女……ノドカ嬢が学園で目立つようになってから、鈍くなっていった。

 もちろん、殿下はいずれ国王になられるお方。

 側室の一人や二人、三人や四人いようと、それ自体はまったく構わない話だ。

 しかし、殿下の王としての資質に影響を与えるようなことは、認められることではなかった。

 わたくしが殿下に求めるのはただひとつ。

 国のために生きる国王としての器だ。

 それが、ノドカ嬢一人のために失われるのは、殿下の責務の放棄に他ならない。

 つまり、わたくしには、ノドカ嬢は殿下から遠ざけるべき存在に見えた。


 ただ、だからといって、わたくしは何かをするつもりはなかったし、何もしなかった。

 というのは、ノドカ嬢を遠ざけるより、ノドカ嬢自身に自覚を促す方がよいだろう、と考えたからだ。

 幸い、当時わたくしたちがいた場所は、学園であった。

 平民も通っていたけれど、貴族のために礼儀作法や貴族としての義務についての授業もあった。

 ノドカ嬢も貴族令嬢。

 そう言った授業を受け、学ぶうち、いずれ、自らのすべきことに気づいていくだろうと、そう思っていたのだ。


 しかし、残念なことに、ノドカ嬢は、いつまで経っても変わらなかった。

 何一つ。

 貴族と言うよりは平民に近い振る舞いをし、そのくせ、自らを特権階級と思っているような節のあるような、鼻につく態度をとりつづけた。

 それは典型的な、愚かな貴族の姿だった。

 彼女の評判は、入学当初こそ、貴族であるにもかかわらず、平民に分け隔てない態度をとる令嬢として高かったけれど、徐々に、ただの無教養なくだらない女であるという風に、悪化していった。


 さらに、それは貴族の側からだけでなく、平民から見ても同様であったようだった。

 ノドカ嬢には、平民の友人が何人かいた。

 素直に見れば、確かに平民とも付き合う平等な令嬢に思えるが、実際は違った。

 彼女は、利用価値がない者とは一切、付き合おうとはしなかったのだ。


 はじめこそ、平民とも仲良くする令嬢と言われていたけれど、よくよく観察してみると、彼女が付き合っている"平民"とは、大きな商会の会長のご子息だったり、また、学園中の噂話について詳しいと言われる少女だったり、極めて魔術に詳しい特待生の生徒だったりなど、付き合っておくと後々何かしらの利益の望めるような人々ばかりだったのである。


 とはいえ、もちろん、ただの偶然、ということもあり得る。

 けれど、他の……農民の娘とか、下位の役人の息子などが、彼女と仲良くしようと近づくと、ふい、と避けたり、そうそうに話を切り上げたりという振る舞いをすることが頻繁で、その様子は明らかに、付き合う人間を選んでいるように見えたのだ。

 それ自体が悪い、とまでは言えない。

 人は、付き合う相手を大なり小なり選ぶものだ。

 けれど、彼女は自分でも言っていたのだ。

 人に上下はないと、平民だろうとなんだろうと、率直なつきあいがしたいのだと。

 そんな彼女がそのような振る舞いをする。

 おかしい、という声が上がらないはずがなかった。

 少なくともはじめに言われていたような分け隔てない少女、という評判が間違いであると知れ渡るのはそれほど遅いことではなかった。


 けれど、そんな状況にあっても、彼女はある意味で、奇妙なまでに人付き合いが上手だった。

 というのも、彼女はいつの間にか、学園において、もっとも地位が高いと目される人たちと親しくし、寵愛と思しきものを受けていたのだから。

 一体どのようにしてそんな芸当を可能にしたのか、その詳細は、わたくしには分からない。

 ただ、気づいたときには、騎士団長子息、宰相子息、宮廷魔術師長子息、公爵子息という錚々たる人々をその手中に収め、さらにはわたくしの婚約者であるはずの第一王子ミューレン殿下も手の内に入れていたのだ。

 客観的に言って、それは恐るべき手腕であると言える。

 やろうと思って出来ることではない、何か特別な力が作用しているのだと思わずにいられないほどの行動力だった。

 周囲からあれほど警戒され、嫌われていたのに、どうやってそんなことが出来たのだろう。

 未だに、不思議でならない。


 改めて思い出してみるに、彼女がその手の内に収めた彼らは、学園でも非常に気難しい人たちで通っていた。

 性格が悪いというわけではないが、それぞれ、どこかしら深い陰があり、何か重たい悩みを抱えている。

 そんな雰囲気がある人たちで、多くの人々が彼らに近づこうと、またはただの善意から、彼らの抱える悩みを解決しようとしたのだが、彼らの持つらしい悩みの内容すら聞き出せずに終わっていたのだ。


 それなのに、ノドカ嬢はその、普通には探ることすら出来ない悩みをすんなりと聞き出した上に、完璧なまでに解決したようで、それによって彼らと親しくなったようだった。

 それは、ノドカ嬢の周囲にいつも侍っていた彼らの表情が、他に見せたことがないほど穏やかなものだったこと、またミューレン殿下が語るご友人たちの様子から推測できたことだ。

 けれど、やはりいくら考えても、その方法は分からなかった。

 ノドカ嬢がとても聞き上手とか、聡い少女であるというのなら、わからないでもない。

 けれど、学園での評判一つとっても、ノドカ嬢はまったく器用ではないのだ。

 周りの見えていない、むしろ近視眼的な少女で、人の気持ちなどそうそうおもんばかることのできるタイプではなかった。

 それなのに……。


 とはいえ、人の心を救うことは悪いことではない。

 むしろ、これからの国を背負う人たちの心を軽くして差し上げる力を持っている。

 それは、ノドカ嬢がわたくしが思っているよりもずっと、すばらしい人であることの証明であると思った。

 それならそれでいい。

 彼女は、自らの貴族令嬢としてすべきことに気づき、そのために努力を始めたのだろう……。


 そう考えたくらいだ。


 けれど、それは結果的には間違いだった。

 彼女は、学園の有力者たちを手中に収めた後、なぜか、わたくしに対する中傷を始めたのだ。


 曰く、公爵令嬢エリカはノドカ嬢に対してひどい振る舞いばかりをする。

 嫌みを言われることなど日常茶飯事であり、また取り巻きを使って怪我を負わせられそうになったことも枚挙に暇がない。

 そうだ、この間、一時帰郷したときに現れた盗賊は彼女の仕業に違いない……幸い騎士団長のご子息が守ってくれたから助かっただけで、本来であればどうなっていたかわからない、おそろしい。


 などなど、これほど直接的な言い方でもなく、わたくしを責めるような言い方でもなかったけれど、大要、聞いた方がこういうことを言っているのだなと理解するような言い回しで言ったらしい。

 らしい、と言うのは、わたくしが直接言われたことはなく、周囲の人々がわたくしの耳に入れてくれたからだ。

 といっても、そんなことをしたのですか、ひどい、という話ではなく、ひどい噂を流されていますよ、エリカ様、という注意喚起のためのものが大半だった。

 というのも、ノドカ嬢はあまり評判が良くなく、彼女が中心となって流す噂話の類は、大半の貴族令嬢たちには俄には信じられないものだったようだった。

 けれど、あまり貴族令嬢たちと接触のない者たち、平民の生徒や、学園生徒には可能な限り公平であろうとする教師陣などの中には、ノドカ嬢の噂を真実かもしれないと思った者も少なからずいたらしい。

 わたくしはといえば、そんなことなどしていないのだから、やんわりと否定しておくぐらいであったが、思えばそのくらいで済ませたことがそもそも間違いだったのだろう。


 いつの間にかその噂は、ある一定の層には真実として伝わっていて、さらに、こともあろうに、王子殿下たちもそれを真実であると理解してしまったようだった。

 彼らは学園の有力者で、彼らが真実だと主張するものを否定できるほど勇気のある貴族令嬢は少なく、また貴族子息たちは女性の噂にあまり関わってこなかったために嘘であるとは思っていなかったようだ。

 結果として、わたくしは、気づいたときには、ノドカ嬢に嫌がらせをする悪の貴族令嬢と認識されてしまっていた。


 そして、それにわたくし自身が気づいたときには、もうどうにも出来ないところまで来ていた。

 それが分かったのは、あのミューレン殿下に指弾されたときだ。

 彼はわたくしがノドカ嬢を突き落としたのだと心から信じていて、さらに周りに集まっていた野次馬の大半が、その噂を真実だと信じている者ばかりだった。

 おそらくは、ノドカ嬢がうまく集めたのだろう。

 わたくしの友人たちが数人いれば、しっかりと否定してくれただろうが、あの場所では難しかったかもしれない。

 結果として、わたくしは牢に入れられ、処刑されてしまったのだ。


 愚かな立ち回りだった。

 今にして思えば、もっとどうにか出来ることはあった。

 人の善良さ、まだ若いのだからこれから学んでいくだろうと言う期待、あまりひどいことはしない方がいいだろうというわたくし自身の甘さ、そういった諸々が、わたくしの立場を悪くした。

 それだけで済めばよかったが、結果は両親とともに死刑である。

 許されることではない。


 首が飛んだ今だからこそ思うが、わたくしと仲良くしてくれていた者たちのことも気になる。

 ひどい目に遭っていないだろうか。

 まさかわたくしのように処刑されたりはしていないだろうか。


 捕まってから、処刑されるまで、わたくしは友人たちに会うことすらも出来ずに終わったのだ。

 あのギロチンの設置された広場にきた野次馬の中に、何人か、知った顔があったような気もする。

 けれどひどく朦朧としていたので、どんな表情だったか、覚えていない。


 願わくは、彼女たちが、今も幸せに生きていることを。


 死んだわたくしのことなど気にせず、誰か、有力者の庇護を受け、命脈を保っていることを祈らずにいられなかった。


 わたくしの友人たちは、わたくしなどとは違って、優しく、心のうつくしい者たちばかりだった。

 ことによっては、わたくしの潔白などを主張したりしかねない。

 けれど、そんなことは彼女たちのためにはならないのだ。


 あの最後の、ノドカ嬢の言葉を考えると、すべてわかって仕組んでいたのだから。


 そう、ノドカ嬢。


 彼女こそが、すべての元凶。


 もしもう一度、あの場所に戻ることが出来たとしたら……。


 あるはずがないことだが、彼女に対し、一切の情を持たずに、復讐をすることだろう。


 この心に浮かぶ憎しみのすべてを彼女にぶつけるだろう。


 そう思った。


 時はすでに遅いのだけれど。


 ……けれど、死んだ割には、わたくしはいろいろなことを考えられている。


 意識はぼんやりしているが、それでもあのころのことを思い出せているし、自らの死を認識できている。


 これは一体……。


 改めて考えてみると、おかしな話だった。


 わたくしは死んだはずなのに、どういうことなのだろう……。


 疑問を感じた瞬間、何かが定まったように、すうっと、意識がとがっていくのを感じた。


 周囲のぼんやりとした、光に満ちた景色が流れていく。


 わたくしがどこかに運ばれていく。


 そんな感覚がし、そしてわたくしは、再度、意識を失った。

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